tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

言葉は世につれ・・・(言葉をめぐるおやじギャグ)

2019年03月27日 20時11分43秒 | 文化社会
言葉は世につれ・・・(言葉をめぐるおやじギャグ)
 このブログではよく諺を引用します。諺は何千年の人類の知恵の積み重ねの中で生まれ、今日なお生き残っているものですから、今の言葉でいえば「サステイナブル」で、人の生き方の役に立つものだと思っているからです。

 それだけに古い言葉づかいも多いので、最近では往々にして、誤解されたり、間違って使われたりすることもあうようです。
「情けは人のためならず」を「情けは人のためにならにない」と誤解して厳しくした方がいいという意味で使われるといった例はよく言われます。

 「他山の石」が「無用な物」という意味だったり、「同床異夢」が「離婚の原因」だったり、『仰げば尊し』の「今こそ別れめ」が「今こそ分かれ目」だったり、いろいろ誤解もあるようです。

 こういうのは、通常、誰かが誤解を正してくれたり、ネットでもキチンと解説してくれるのも沢山あって、諺の意味は正しく伝承されていくようです。何でも気軽に調べられるネットの世界も、諺の正しい伝承に一役買っているようです。

 新しい言葉もいろいろ生まれます。「視線」という言葉は昔からありました。ところが「目線」という言葉が生まれてきました。
はじめは「目線」とはなんだ、「視線」という言葉があるではないか、などと言われたりしましたが、今では「目線」は「視線」とは全く違った意味で、「目線」は「目線」として定着した言葉になっています。

 確かに「言葉は世につれ」ですが、最近、政治の世界でよく使われ、国会中継やニュース番組でも頻繁に耳にする言葉の場合も、新しい意味で使われるように感じられるものが、なにか多くなったような気がします。

「粛々と」という言葉は「他人のことなどは気にせず、自分の思う通りにキチンとやっていくという意味になっていると解釈できそうです。 
「真摯に」という言葉は、「はいはいと真面目に聞いたうえで、そのまま何もしない」という意味で使われるのだと思っている人は多いでしょう。
「丁寧に」という言葉は、「同じ説明を何回でも繰り返して言うこと」という意味で使われるのだと解釈しなければならないようです。

しかも、こうした言葉を使う方々が、もともと立派な方々であるだけに、世のその他の立派な方々達が、広くその使い方を真似し始めたように見受けられるのが、今日この頃の世相です。

 ところで、これらは本来大変立派な言葉ですが、どうも本来の言葉の意味から大分ずれた形で使われてしまっているように感じられます。
私のとんだ勘違いだったらいいなと思いながら書きましたが、どうなのでしょうか。