tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

8月15日、日本が戦争をやめた記念日です

2024年08月15日 14時38分09秒 | 国際関係

毎年8月15日は新聞でもテレビでも戦争の悲惨さを広く知ってもらいたいと願い、それで、より多くの人に、もう戦争は決してすべきでないという気持ちを強く持って欲しいと願って特集を組みます。

戦争の現実を、深く知れば知るほど、だれもが、戦争はすべきでないと考えるはずだからです。

しかし、地球上では今も戦争が続いています。今日のマスコミの特集が指摘する戦争の悲惨さ、忌まわしさが、その今日も、現実に存在しているのです。

そして、戦争をしている国の国民にしても、多くの人は、戦争などないほうがいいと考えているのです。

おそらく、現に戦場で、戦争の真只中にいる人達の心の中でさえ、何処かに「こんな事はしたくない」という気持ちがあるのではないでしょうか。

それでも現に、戦争は現時点でも進行中なのです。

より多くの国民が戦争など無い方がいいと考えている国や組織が、戦争に走るのは、その国や組織のリーダーの心の中に、「戦争に訴えてでも、自分の思いを実現したい」という願望が起きるからでしょう。そして勝てば英雄という名誉欲が働くのでしょう。 

然し、民主主義社会では、リーダーがそう思っても、大多数の人々が戦争などすべきでないと考えていれば、通常は戦争にはならないはずです。

リーダーが戦争をしようと考えれば戦争ができる国というのは,はっきり言ってしまえば独裁国です。

つまり、戦争を起こすのは、今日の国際関係の中では、独裁国か独裁組織に限られるという事になるのではないでしょうか。

ならば、地球市民は、どこの国でも組織でも、独裁者を作らないようにすることが戦争をなくする道ということになります。

そのためには、国民への民主主義教育の徹底しかないようです。国連が独裁者の出現を防止するような仕組みを持てればいいのでしょうが、その可能性は小さいでしょう。

戦争は殺戮と破壊を正当化するものです。独裁者が戦争を仕掛ける時、仕掛けられた国は、殺戮と破壊の防止のため、否応なしに応戦という事態に巻き込まれます。これは最大の悲劇です。

国際法は、自衛権は認めるといいます。しかし、独裁者が戦争を仕掛ける可能性を放置し、自衛権を認めることでは、戦争の防止は不可能です。

平和憲法を掲げる日本でも、自衛のための戦力を持つべきという意見を排除することはできません。

こうして、見てきますと、戦争をなくする道は、容易でないことは明らかです。しかし、国際社会として、それを放置しておくわけにはいかないでしょう。

平和憲法を掲げる日本は、国連や世界の国々とともに、出来れば先頭に立って、戦争をなくする方法を真剣に考え続けなければなりません。

そう考えた時、考えうる方法は、国レベルの問題と国際レベルの問題と大きく2つあるように思います。

1つは、世界の国や組織がそれぞれに、如何にして独裁者を出さないようにするかという問題です。

もう1つは、国際関係の在り方を、排除の理論をやめて、包括の理論に進めることでしょう。

この問題は世界の問題としてと同時に、平和憲法を掲げる日本としては、喫緊の課題として、政府、国民が共に考え、共に取り組まなければならない問題でしょう。

日本が戦争をやめた日に、戦争をなくす方法を考えてみました。

戦争をやめた日本が、また戦争をする体制に入っていまます。の問題は、さらに論じていきたいと思っています。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。