降って来るもの

写真と散文とぽえむ

聴心記.ⅩⅩⅩⅠ

2017-12-09 21:01:21 | 聴心記

                   ⅩⅩⅩⅠ「僕のcosmos」

 

あの山脈を越えると

あの厚い雲の塊を突き抜けると

この風の優しさに誘惑されてみると

この静寂に紛れ込んでゆくと

その想像を拡げてゆくと

その情感を搾ってゆくと

 時間の城壁を越えられたら

心の箍を外せたら

イノチの残りを凝縮できれば

哀楽の向こう側の景色を見られるとしたら

アナタの思惑を覗けたら・・

 僕の揺らぎがstraightに伝播するとしたら

あの茜空の果てや

あの蒼が詰まってゆく空の突き当りや

この暗がりに足を踏み出す勇気や

この無人のfieldの遙けさや

 その降って来るものの正体や

その過ってゆくものの影や・・etc

etc・・refrainしながら

 僕を廻ってゆく僕のcosmosよ

*12/09 21:01:21 万甫

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聴心記.ⅩⅩⅩ(30)

2017-12-09 06:36:29 | 聴心記

              ⅩⅩⅩ(30)「僕の第六感が」

 

書くことが見当たらなくなってくると

降ってくるものに衝突しなくなると

触れてゆくものの気配を感じなくなると

 僕は澱んだ部位を攪拌するために

日常を抜け出してjinenに出てゆく

 

目標が霞んでくると

茫然が大きくなってくると

虚無が阻止できなくなると

 僕はjinenの労わりの中へ逃避する

 

行く宛てを見失ってしまうと

kuuが恐ろしく迫ってきたりすると

明日に怖気づいたり昨日に慚愧したりすると

定まらぬ今日に遭遇したりすると

僕は何時でも

僕の自然(JINEN)で体勢を立て直すのだ

 

神仏にしがみ付く訳ではないけれど

気が付けば確かに

jinenの裡にはそれらしきものが存在して

僕の第六感がそれを捉える

 happinessなことに

12/09 06:53 まんぼ

 

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6年目の冬に

2017-12-09 06:20:21 | 随想

                    「6年目の冬に」

 

 自分でも驚くのだけれど、この頃は”今がその時!”とばかり書くことが溢れる。書くことに追われる。書くことに詰まって、或いは書くことが滞って、又は、書きたいのに書けなくて苦悶する経験が極端に減った。

 何故だかは良く解らないというのが本当のところだが、兎に角、過去の多くの場面で既に幾度も経験済みの、頭を抱えて蹲る図など殆どないに等しいと云う、writerにとっては至福の日々が続いていると断言しても過言ではない状況なのだ。

 目には見えぬ、思い当たる節もない、僕を取り巻く得体の知れない(勿論味方に違いないが)何かが何時でも傍に居て、僕の書くこと書き続けることを支援してくれていると感じる。

 それは言葉やなまじの文章では表現できない種類の何かで(神仏の加護などと大仰に言うつもりもないが)、人は何処に居ても、何をしていてもそう云うものに庇護されて(感じられる人の情感では・・)生きているのだと改めて思わされる。

 今年の2月5日に正式に”gooblog”に籍を置いてから、慣らしの為に一時在籍した期間も含めると今日で「397日」になった。それで今朝のこの記事のUPが「NO606」になる。何とほぼ倍近いタイトルのブログを更新してきたのだと、それ程の日常を書きとってきたのだと吾ながら驚くのだ。

 自分を発信する手段として見つけたブログ。見知らぬあなたへと倦まず届ける”sender"としての密やかな企みと歓びに魅了されて”eo"で始めた書き込みは、あっという間に早くも6年目の冬を迎えた。

 ドキドキとぎこちない身振り手振りで書き込んだ”家族への伝言板”(娘たちはそう言って揶揄した)のような最初の記事のUPの日から今日で「2125日」を経過し、使用したtitleの数は「2513」にもなる。つまり日数を上回って記事をものにしてきたのだ。改めて集計してみると何と幸せな日々だったかが分かる。

 何時でも振り返えられる昨日を僕は2千余も持っているという自負。何という贅沢さだろう。何という豊かさだろう。其処から時を経て滲み出すエキスの何と豊饒なことだろう。疲れた時は、ココロが疲弊したときは、原点に存在する故郷の風景に浸りに帰るように、何時でも其処に帰って憩い、安らぎ、癒される場所を持っていることで再び再生できる。それは僕にとって魂の塒のようなものなのだ。

 そんな風に回帰できる”癒しの原点”を持てたのは、その間に貰った「2421通」にもなる、情を綾取りする貴方からのmessageや見知らぬ貴方からの愛しいコメントのお陰であるのは疑いの余地もない。

 其処に沢山のアナタが居てくれるから、僕はどんな時でも弛まず此処まで来れたのだ!と心からそう想う。ありがとう!!願わくば此処に僕が居て、そこに貴方が居る!夢のような風景が、是からも果てなく続きますように・・と。そして願わくば、それがアナタにとっても回帰できる故郷に繋がってゆきますように・・と。                  2017 12/09 06:20:20 まんぼ

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