私事で恐縮ですが 術後2週間後の経過を知るため病院への本日でしたが ≪悪性のものでない≫ という 先生からのありがたいお言葉
まったくのところ ホッとしたのでした
もっとも 手術箇所に管を残してあるとのこと なので 約20日後にそれを除去 後 超短波などで 経過を観察
とのことで しばらくは処置が残りますが・・・
とにもかくにも うれしい限り
というわけで 明日から 業務を本格的に再始動できます
無理はダメ とのことですが 少々の無理?は おそらくOK
そのように理解しています
根を詰めるような調べ物は控えていましたが ようやく それも解禁
ジックリ調べたいこともあったので うれしい気持ちがします
健康のありがたさを 実感
いろいろな方面に心配をいただき 申し訳ありませんでした
私のメインの仕事の一つは行政書士
この仕事に 税金関係の部分もあります
不動産取得税税務書類の作成
というのも仕事の範囲なのです
このことで いろいろ確認作業の本日でした
というわけで ミッチリ?考えることができるしあわせ
“ 根を詰めるほど考えないでネ ” と言われないで済むシアワセ
を味わいました
もっとも 私などは処理能力が乏しいから ミッチリ考えなければ間に合わないということなのでしょうが・・・
優秀な方は さほど 能力を消費せずとも ましてミッチリとまでエネルギーをかけずとも物事がはかどるのでしょうからネ
たしかに そのような方もおられる・・・
そこまでの能力のない者は 汗をかくしかないようです ネ
最近は お月様もいろいろ変化を楽しませてくれます
確か 一週間ほど前は 上弦の月
昨晩辺りは 研ぎ澄まされた鎌のような 素敵な 三日月
星座と お月さま 今晩はどんな具合やら
楽しみ 楽しみ
もうすこしだけ 調べ物をして
今晩は 可楽の “たちきり”あたりを 布団の中でたのしませてもらおうっと
入院中 闘病中のみなさま
一日も早い 完治を お祈りさせていただきます
術後の安静を心がけてはいますが
生来 正真正銘のボンヤリ状態を維持することが苦手
つまり なにかしらを いつも 脳内におびき寄せて 思考(なんて 高尚なものではないが・・・)してしまう
要するに いろいろ思いをはせることが好き
趣味のこと 仕事のこと 思い出のこと などなど
尽きることない いとなみ 楽しみ
天候も不順でしたので 退院してからしばらく オリオン座に会えずにいましたが 数日前 月と星座を眺めることができ
すこしばかり グッと 心にきました
さて 昨日は 北の地に住む親友から ちょっとした相談があり
その本題は おおよそ アッサリ?片付いたのでしたが その後私の今回の手術の説明やら 二人が過ごした小中学校の給食制度有や無しやなど アーだ コーだと話は尽きず
おおよそ 2時間 スカイプにて雑談
ほぼ すべてを 開示し合っての 52年間の付き合い
補助者さん(私の奥さん)に匹敵する 我の一切の情報所有者みたいな存在たる友
どうしても 会話が始まると ストップタイミングを逃してしまう
就業時間帯は 注意せねば ? いけません ネ
その北の地をはじめ 全国各地で 雪とも格闘
心配するしか 能がない私ですが・・・
この状況では 一日も早い春をください と
そう願わずにはいられません
ようよう 体調もすこしだけ 戻ってきた感あり
あとすこしだけ 休養優先にし その後 スパートしよう
そのように 自制しているようなこの頃です
みなさまも 季節がら 特に くれぐれもご自愛のほどを
手術・入院
人生初めてのこと
冷徹・無機質な?手術室が想像世界を駆け巡り
年甲斐もなく すこしばかり 頭の中ではオタオタしてしまったが
あれもこれも すべて 自分の人生の一部
すべて しっかりと 見極めようと心を固めたら どうにか落ち着き 手術日を迎えられた
まったくのところ この年齢にいたってもの自分の未熟さを あらためて知った次第
今回 ドック入りで 異様な影があることが超短波検査で判明
急きょ 某 腫瘍の摘出となったのでした
超ナノテク とでもいうのでしょうか ごく細い部分から 器具を挿入 摘出 ということ の手術でした(あわただしい流れであったので 詳細は 後日 あらためて伺う予定)
退院して 仕事室に いる自分を眺め
まさしく 健康であることのありがたさを 実感
言葉上のことでなく 現実の流れの中での体験なので これをこれからの人生に活かし できる限り しっかりと 人生を全うできるような日々を目指そうと ボンヤリとでなく 一段 より客観的に?思えるようになった感がある
この年齢になって これだけの 煩悩
お恥ずかしいことではあろうが・・・
日々 健康上のことで悩み苦しみながらの人生である方々にとっては なんと 幼稚な とでも言えそうな悩み・苦しみであろうが・・・
大雪に 予想外の影響をうけたりした日程の中
病院に入ると 眼に飛び込んできた標語
《・・・患者さんの悩み・苦しみを共感し・・・》
という語
まさしく 私の仕事にもどこか通じること
心していかねば と あらためて思ったことでした
今 仕事上 関わらせていただいている案件は ある意味 そのおおよそが 人生上の修羅場に関すること
皆 必死に 自分の人生を全うすべく尽力している
その ほんの 一部分でも なんらかのお力になれるよう
気力・知力・行力
ということばを 手術室の中で思ったりしたことでした
約 ひと月は 安静をこころがけるように というご指示だが
そうもしていられない? こともあり
現に 入院中も なんとかお願いして仕事に向かって 外泊してしまったりした
家族はじめ 皆さんに感謝しつつ
自分の標語である ベストを尽くす
を心に抱き
これからも 歩む所存
なにとぞ よろしく お付き合いのほど よろしくお願い申す次第であります
当地 今季 初めての?(二度目?) 雪
しっかりと 降り積もりました
もっとも 北の地で25年過ごした私にとっては カワイラシイ積雪
量ですが
我が家の裏庭の雪
こんな日は 自分が東北生まれ北国育ち であることを 体の底から 心の底から つくづく 再確認させられます
愛おしく
なんとも言えない懐かしさ と ホッとする心を 味わいます
第一の故郷 福島 いわき市
第二の故郷 北海道 登別市 函館市 室蘭市
その自然も めぐり会った人々も
生涯 たいせつに さらに たいせつに
生きながらえたく 思っています
そうして いつの日にかは?・・・
どうなることでしょう?
さて そろそろ 事務所をきりあげ
今夜は 布団の中で
かの日の 故郷のことどもなど
偲んでみることといたしましょうか
長らく この日本では “奥ゆかしい” という観念が文化面のみでなく政治面でも重宝され?
本来は 人生における貴重な指針のようなことで もちろん いい面での効用も多いはずの概念なのだろうが
この“奥ゆかしい” が必要な場面での批判までをも躊躇・断念・無関心にさせる力を産み 逆手にとった 品位の無い連中が中枢を占め
肝心なときに なんとも 心もとない グラグラ国家にしてきてしまった というようなことが 昭和の戦争前後には特に そうして戦後の政治の面でもあったような気がします
もっと具体的に言うと 『こういう方に トップになってほしいものだな』と思う方が ≪私は その器ではありません 別な方に託するのが良策≫等々 の “奥ゆかしい”心と言葉とともに 表舞台から 知らず知らず スウーッと消えていく
何度か そのような “奥ゆかしい”に 無念さと 諦観を覚えさせられた記憶がある
変にゆがんだ 奥ゆかしさの結果 言うべき人が言わず 数少ない言える人が黙り込み ずうずうしく品の無い輩がそそり出て
巷をかき回し この国の華を散らしていく
それでも これでも なんとか かんとか 組織・機構を生きながらさせてきてしまった?
その ツケとでも言えるような状況こそが 今のこの国の姿なのではなかろうか・・・
それが 主因とは言わぬまでも
どうして このような記事になったかというと
内容への賛否は別論として 必要以上に奥ゆかしくなく?
おそらく 打算がないとは言えぬまでも 打算よりもまずは自己信念主張 という型の これまでには そう多くはなかった行動優先思考型人 が 若くして広く強くものを言える人たちの間にも ボチボチ 漸次この国にも増えているのではないか と思うからだ
時代閉塞の現状 に対する 一種の願望もこめられての思いだが・・・
仲良しクラブの いわゆる学識経験者 政府関係諮問機関委員常連組なんぞよりは よほど 期待が持てる人たちなのではと すこしだけ ホッとしているのだ(偏屈爺さんの 超個人的感想)
基本的には現状価値無批判尊重一辺倒のような 某議会なんぞの閉塞感状況などをみると
私のようなものは 息苦しくて 息苦しくて・・・
(変わればいい ということもないかもしれないが 変わり様が
なさすぎる)
為政者 あるいは その周辺者は 曖昧にしていてはいけないことは損得・打算を抜きにして 態度表明を明確にせねばならないときがあるはずだ
もちろん どのような修羅場にも 一定の 人としてのマナーは必要
でも 信念語は けっこう ビシッと心にとどき 多少のマナー違反もゆるされるような気もしないではない
つまらない 品格の無い 信念の無い蠢くものらなんぞに負けるなー
粋じゃなさすぎるような くだらない しがらみなんぞに 負けるなー
このことは 同派であろうが 反対派であろうが 本来は関係ないこと
つまらない粋でない縄に しばられすぎないで 人生を
という 生意気おじいさんからの なんともハッキリしないエールですが いろいろ抽象論(このあたりが 偏屈爺さんの狡さ)
個人情報保護・守秘義務・善管注意義務
などなど
確かに ハッキリとものを言いにくい面が 立場上 ありますね
いずれ ご隠居さんになって それこそ一切のしがらみなく言いたいことが言える日がくるのでしょうか?
(資格業は おおよそ 業務卒業後も そのまま守秘義務有り
なので・・オールフリー状態は不可能)
おおよその人は 結局 自分の周辺の者のことを思ったり
もう その頃は そうしたことへのエネルギーもそうとう鈍化して
日向ぼっこしながら フワッと生きながらえていくようになるのでしょうかね・・
『 この齢になったら もう 遠慮なんかしていられない
言いたいことも サンザン 我慢してきたけれど もうそんな鎖なんぞ いい加減 はずしたい 』 という類の言葉が 同年齢層の間から 聞こえることが多いが・・・どんなものやら
さて 昨日は 5年ごとの マンション管理士法定講習のため千葉県へ
朝から晩まで わずかな休憩以外(昼食タイムはありましたが)ビッシリ講義
お二人の大学教授さんと お二人の弁護士さんから貴重なお話を伺ったのでした
現行の規程の確認などを含む 実務要項の研修です
マンションの管理に関する法令及び実務に関する科目
マンション管理適正化法に関する科目
マンションの建物及び附属施設の構造及び設備に関する科目
管理組合の運営の円滑化に関する科目
質疑応答
明らかに マンション管理士試験範囲と同様
これを経ないと 資格上の不都合も生じ得ます
一応は 5年間の業務の担保の欠片に ということでしょうか?
意味のない制度とも言い切れない・・・と考えています
当然と言えば当然ですが 講習中 携帯電話対応のため席を外す などということは あり得ません
そんなことをしようものなら 法定修了無し
一旦 試験に合格さえすれば 後は オールオープンフリー
という国家資格制度がそうとう多い?と思われますが
資格業としては どうなのでしょう( 40年前の合格証書を持ち出され “ホラ 立派に合格してんだ 俺は” という場面で 『 更新研修は何年毎に 』 の問いに “ そんなもん あるわけあんめエ 一度もネエ ” と 得意気に?返答されたとき 利用者さん側はどんな思いをお持ちになるでしょうか )
ちなみに 行政書士資格そのものには 昨日の義務受講類似の制度はありません
各人の日々の研鑽に その時点での資格担保をゆだねる ということになります
自己管理尊重を徹底しているわけでしょうが 率直に言って ときどき これでいいのかな? という思いを抱くときがありますが・・
というわけで 研鑽 さらに 研鑽 というわけです
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