☆ 自己の職責と権限のあり方について誤解の多い理事長が散見
されるので、≪役員(執行部)おおよそ一体責任≫の意を認識し
対外的にもそれを より正しく伝える意味合いからも
○○マンション管理組合 理事長□□
という表記の代わりに
○○マンション管理組合 理事会
という表現のほうが、理に適っている?ような気がすること多し
執行のあり方は執行部で決め その責任は一体にて負うことが
おおよそなのですから
理事長が決め 責任も理事長に集中 ということではないのですから
世のほとんどの組織の役員は 基盤を構成する者の集まりによる
総会での選任に その根拠を置く
同位の者たちの 組織から委任された受任者組織の一員としての
集合という形式
理事長 なんぞという表記 それは執行者を法的に対外上表現する
一方式に過ぎず(執行者という人格観念の必要性は認め得るとして
それは必須なのか) 法理論的にも、一義的に決定しなければならない
絶対的な表記手法ではないことを理解しあうべきではないか と
独断的 無知過ぎる役員会の長と呼ばれる者の振る舞いを見ていて
そう思うこと多し
組織内での権限のあり方のトラブルのほとんどの場合 その主因は
理事長と理事とは 本来 法的には同位で 理事長と呼称・表記され
ても特別な権限と独断権なんぞというものを本来保持できる者ではない
かつ 保持すべきでもない というあたりを理解をできないために
起こっているような・・・
もっとも そのような問題人物は少数であり すばらしい方も多い の
ですが・・・なんとも誤解が絶えず
むしろ役員会(理事会)とだけの表記のほうが 法理論的にも妥当なのでは
組合員意識からしても 体外的に当事者となる第三者にしても理解しやすい
(安心な)表記形式なのでは?
なによりかにより おおよそ一体的責任という意味合いからも 妥当
というより正しいとさえいえるのでは
(実際に行動する法的な意味の人格というものを設定しないと 執行
ということを説明できない とまで拘泥すべきことなのか?
執行人ではなく執行体で 可とすべきではないのか)?
たしかに、理事長が理事を選ぶ というような通常の法感覚からは
疑問符がつかざるを得ない組織も法律上にはあるが
(例:全国健康保険協会)
それらは 団体の性格上 極めて特殊な場合
そのような場合は
○○協会 理事長□□ という表記も理解しやすいが・・・
ということで 契約相手の当事者の表記として 組織の一例として
マンション管理組合が相手であるなら 皆さんの感覚では
いずれが ピン ときますでしょうか?
○○マンション管理組合 ㊞
○○マンション管理組合 理事長 □□ ㊞
○○マンション管理組合 理事会 ㊞
これは マンションに限らず 会社法等関係での例においても
同様ですが
○○株式会社 ㊞
○○株式会社 代表取締役□□ ㊞
○○株式会社 取締役会 ㊞
念のために申し上げておきますが 例の法務局登録の会社印
(いわゆる、会社の実印)
は 個人名や代表という文字が印鑑上に現れる必要性は無く
そのあたりに関する 明快な規制が無いような ?
{○○株式会社} というシンプルな彫り方でも 印鑑届は可のはず?
(このことの説明の意味が 上記の考え方の参考になるか否かは 疑問ですが??
なんとなく 考察の一資料になるかも と)
もっとも 実務界でも 一貫して 一定の表記方式 であること モチロン
ですが なんとなく 首をかしげることが多かった
(けっこう 弊害が多かったようなので・・・記してしまいました
マンションの役員さんたちの前で こういう話をすること というか せざるを
得ない場面が多いです)
どうにもこうにも くどいようですが 長という文字が付くと 俄然ハリキリ
すぎてわき目も振らずに走り続ける方が 意外と多いので
総会関係文書のことでも
「代表者特定名発行」 よりも
「役員会(理事会 等)発行」 のほうが
団体による 団体のための行動と理解しやすく抵抗が無い感じがする
役員の一体責任感と自分もいずれ具体的に執行にかかわるのだ
ということを感じる
理事長という個人だけが必要以上に浮き上がる特殊役員という
過剰雰囲気を抑えられそうだ という考えの方が
けっこうおられるように思います
対外的な場面では現行の流れでいくしかないでしょうが
少なくとも対内的な場面においては
理事長(役員会長)発ではなく理事会(役員会)発の表現での管理運営
のほうが好ましいのでは とも考えています(あくまで個人的見解)
以上 まとめますと 私の経験した職務上で 組織の説明をするときに
役員のあり方を例を挙げて説明する場面などでの思いを 参考までに
伝えたものです
法律上の定義も おおよそ にて使用しています ご容赦を
さて 30年来の個人的案件を処理し 目途がついてホッとしている
今年の五月
遠慮が過ぎると かえって 誤解を生むこと多し
ということを 個人的案件でも 職務上でも 味わっています
「おとなしくしていると つけあがられることもあるのだな」
というブッソウな思いを
ついつい させられ 侘しい夕暮れを迎えたり・・・
“あれほど説明したのに 理解していなかったのか??”
という 残念な 淋しい 思いをしていたり・・・
ときには そんな風も吹くのでしょう それも人生
というもの かな?
さて コーヒーをいただいて
本日の 第三ラウンドの ゴングを聴きながら・・・
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