幼い頃
大人の会話に聞き耳をたて
“好きになってしまって・・・”
“好き だと
そんな軽い思いなのか
惚れたわけじゃないんだな まだ”
なんとなく そんなふうな感じのやりとりに興味を
示してました
ませていましたね そういうことには
そのことが原因かどうかは定かでないが
好きと 惚れるのとは そもそもレベルがちがうんだなー
なんて 勝手に思い込み
それなりの年頃になったとき その基準を というか
その言葉分けを持ち出し
‘彼女とは いまはどっちのレベルかな まだ 惚れたとは
言い切る段階じゃないかな
そもそも 惚れたというのは・・・どんな 感じなのかな’
懐かしい
そんな他愛もない何年間もありましたっけ
私の持論は 好きより 惚れる が
首の皮5枚ほど 思いが厚くて熱い?
さて 本日のある新聞に そうだよなー と共感できる記事が
載ってました
簡潔に言うと 今は交信手段が発達しすぎ
人と人との 離合の感激が とても希薄になった
という
それはそうですね 何百キロ離れていようが
一日に10回であろうが100回であろうが会話も可能
場合によっては 互いの様子を眺めながら
私らの時代は やたらとは交信手段を利用できない頃
たった24時間でも 通わせ得ない思いと声と貌を
抱え 我慢しなければならないつらさを味わった
でも そのことが 逢えたときの嬉しさを増幅した
便利さと引き換えに 人の情感の波立ちさえ無くなるような
淋しさ
考えさせられます
顔を見たい 声を聞きたい4年ぶりの逢瀬だ
今晩の別れが あと4年後の再会までの始まり
大切な大切な 横浜での2時間・・・次に君らを見送れるまで
心でもいつだって眺められるよう
しっかりと しっかりと全員の顔を覚えておこう
こんな風なセリフ
出番があるのでしょうか 今の時代