おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

肝に銘じ

2010-11-28 | ■ 業 務 エ ッ セ イ


実は 昨日は私の所属している会の支部の
見学研修旅行があり 隣県の会を訪問していたのでした

その懇談の席で とても印象的な言葉がありましたので
別掲のもの(会員ページに掲載させて頂いたもの)を
そのまま引用する形で ブログに登場させていただきます

懇談の中で特に印象に残った言葉を私なりに解釈させていただいたうえ紹介させていただきたく この場をお借りします

<業務を依頼する側の方も、驚くような知識に基づいて委任してくるようになっている。
外から与えられる研修の場に頼っているようでは、とてもとても対応できないように、ますますなるだろう。
意欲的に、仲間内での超専門知識学習会のようなものを意識的に設定していかなければならないような状況にある。

このような経済情勢下では、依頼者も自己力を最大限に発揮し、必要やむを得ない件以外は委任を極力省くだろうから
さらに覚悟して進まねばならない>


全く同感です と発言させていただきたかったほど
わが意を得た お言葉でした



別掲の場所でも書いたことですが
帰りに寄った 某著名な陶器の町の共販センター
行楽期の 好天の 土曜日の14時というのに 
人は疎ら

同行した仲間さんから 
ドコモ キビシーの声が
おもわず複数同時に流れたような・・・



肝に銘じ
業務知識の研鑽に励まねば
と覚悟した帰り道であったことでした



バスの中でも 会話がはずみました
残念ながら 今年の関東地方の紅葉はさほどではなかったような?・・・

皆さんの地方ではいかがでしたか
                        

 

                                               






有識者さん

2010-11-26 | ■ サマザマな おはなし

直接的に政治にたずさわる人は 政治家

しかし どの時代も(例外もあるが)それ以外の力が
国のあり方などに影響力を発揮した

学者さん・高尚な思想をもお持ちの経済界での重鎮・在野の思想家
などなど 所謂 有識者階級ともいうべきところに属する方々


出てきてほしいなー
という方は なかなか出番を決めず
俺がもの申してやる
というタイプの派手なパフォーマンス家が いつのまにか
世論の軸をつくっていたりする

世には赤貧を貫き高潔な生きざまをもっての諸先輩もいない
わけではないのに なかなか表にはでない
というより でられない仕組みのようなものがハビコッテいる


軽すぎる二世議員
専門知識など持ち合わせない いや そもそも 持ち合わせられない 勢いだけの議員
肝心なところでは 逃げ回る議員
プライドを持つべき場を勘違いしている議員
それと
いや
 もうやめよう
完全な愚痴になっている
愚痴ばかりの人物もいやなものだ

と 初老の男は ここ 朝の巷の事務所でブツブツ言っている



とにかく 自分の本分をもう一度確認しながら
生きながらえていくしかない
ほんのチョットデモ 
これからの人たちのためになるようなことが
できるかもしれないことに希望を持ちながら

というわけで
本日は 二つの会合が 主な行事

イッテ マイリマース





温度差

2010-11-24 | ■ サマザマな おはなし

ときには 手ごろな値段の温泉に
泊まりに ということもあります

四苦八苦している温泉街もあれば
盛況時までとはいかなくとも そこそこ以上賑わっているところも


上の方のところで下の方の話をさせて頂いても
下の方のところで上の方の話をさせて頂いても

“そんなもんですかねー”という感じで 実感がない風な対応

景気のマアマアな地方や業界には 他の者への共感が少なく
“結局努力が足りないだけのことなのでは・・・”
景気のなんとも救いの無いような状況の地方や業界では
“結局 彼らはいろいろと恵まれているだけのことさ・・・”

なかなか 思いやり路線までは行きつかないようで
今のような格差状況が延々と続くようだと
人の心の格差も 異常状態に・・・・
(本来 経済の格差で 心の格差までもが影響されることの
必然性はないもの・・・とも言えそうなのですが・・・)

 

子供たちの世界でも
ハッキリとした 強者 弱者の線引きが教室内でも外でも
形成されているような感じで なんともやりきれなく




学級崩壊の影響が 自殺児童にもあった
なんぞというニュースを耳にすると 
我々世代には信じられないようなことなので
悲しさを通り越して 憤り 同時に虚無感を感じます

先生方の苦労も理解できなくもないし
家庭の責任も 社会全体の責任との理解もできそうですが
とにかく
学校をプロの場としている教師の皆さんのあり方というものに
ついては 世間はもはや 諦めの境地なのでしょうか

一向に 論議が高まらないというか 問題提起すら
ないがしろにされてきているというか・・・
教育というものへの期待など そもそも 持てないほどの状況
なのでしょうか

さらに さらに虚無感に襲われます


教室の中で ポツンと昼ご飯をとっている児童

とても とても想像できません

貧しくて 昼ご飯をもてずに その時間になると教室に姿のない
友もいたような記憶もありますが
とにかく 皆 間違いなく 級友でした
そして それを 温かく ときには 遠慮など無い厳しさで
とにかく関わる 先生 がいました

先生 なんという懐かしい言葉でしょう
小学校・中学校・それ以降も
まず ほとんどの先生を その人柄とともに思い出せます
完璧な人ではなくも とにかく 挨拶は交わせる
人間同士でした



一時(約10年ほど) 学習塾をしていました
主に 中学2~3年生を対象にでしたが
いつも本気でぶつかっていたという記憶があります
注意も本気 おこるのも本気 褒めるのも もちろん本気
嘘など 子供たちは 一発で見抜き
本気での相手をしてくれなくなり こちらも悲しい思いをすることに
なります

塾のあり方(クラス分けなどせず 同学年同授業を貫徹したのですが効率?の点では 反省もあり スマナカッタ という思いが
いまだにあります)でいろいろ悩みましたが
思った以上の それぞれの希望校進学を果たしてくれました
もちろん 子供たちの努力が最大の推進力でした

その子たちが 今の世で日夜戦っている?と思うと
切なくなることがあります





今を見つめて

2010-11-21 | ▽ タワイモナイようなお話も あるけれど


今までに 数多くの映画を観てきました
そのなかで 終了後に席をなかなか離れられず
余韻に縛られ なんとも言えない高揚感を覚えた数作品のうち
ナンバーワンは
「七人の侍」 でした
言わずと知れた 黒澤監督の傑作
だと 私は思っています

ただ ワンシーンだけ この流れは必要だったのかな? と
長い間 判定に悩んでいた箇所がありました(もっとも 私自身の
拘りによる あるいは さしたる問題ではないことだったかもしれませんが)

菊千代が メンバーに加えてもらいたくている状況下での 
馬小屋というか 苫屋でのシーン
酔った菊千代を一部のメンバーがからかう行動をし それを一同が
それぞれの思いを抱きながら眺めている場面(この場面設定の位置付け自体
がある意味難しいのですが)
ズーッと あのシーンは要らない 一歩譲って 他の比較として長すぎる
と思っていました

しかし 最近は それほどの違和感はないのかな? とも解釈できるようになりました
というのは 全体的には 娯楽作品というより 徹底したヒューマニズム
作品だと思っていますので あのシーンが無いと なんとも息苦しさを
言い換えれば お説教臭さが前面に出てくる虞があるような
そんな 紙一重の部分があるような気がしたのでした

そんなこんなで 以前にも記したことですが 
何度繰り返してみたか 回数も定かでないほどの付き合いですが
名作であることの評価は すこしも揺るぎません
私の中では 世界一の映画 です

その黒澤監督も
影武者あたりから “こんな映像を あの黒澤氏が撮るのだろうか”
といぶからざるを得ないようなものが 作品に混じるようになりました

(いつものごとく 生意気を覚悟で記しています もちろん 黒澤氏の
作品をこよなく愛する者の思いとして記させていただいています)

年齢には どうしても勝てない部分はあるのでしょうか

でも 今を見つめながら
最後の最後まで
大好きな 大好きな 自分のしたいこと 信念に徹した人生をお手本にさせて頂き 
私も チッポケでも 自分らしい人生を全うしたいと思うのです





というわけで 本日のノルマをこなせたら
何十回目か?の [七人の侍]鑑賞会を とは考えているのですが




昨日 所用で今市(今は日光市というのかな?)の方へ出かけたのですが 高所以外の
紅葉は あまり進んでない ような 終わったような?

今年は 紅葉散策 何処へも行けていません  ザンネーン

あちらこちらで クリスマスソング流されてきましたね
ホワイト・クリスマス
ウィンター・ワンダーランド
そりすべり

など 私の大好きなメロディーが多くあります




  
  

 

 

      

 

   

 


我慢

2010-11-17 | ■ サマザマな おはなし

最近 ときどき ハッとします
自分の言動にです

人間 限られた地の上で ある意味限定の無い行動自由の
多くの人間が 望む望まないにかかわらず互いの眼に触れ合い あるときは肩を触れるほどの距離で なんらかの関わり・交渉をもたざるを得ない状態さえも避け得ない状況下でも
それぞれ個性のある息遣いのもとにうごめかざるを得ないことさえあるのだから
いちいち そのつど ナンダ カンダと自己主張を無遠慮に
まき散らしていては 街での 大きく言うと 社会での平穏な生活など 望むべくもない
だからこそ 互いに 思いやりの心を ほんのわずかづつでも
持ちよりながら 生きながらえていくしかないのだ
我慢 我慢 ときにはいたしかたない我慢というものがあるの 
なあーーんてことを ケッコウまじめに考えながら生きながらえて
きたようなところもないわけではなかった


ところが 齢を重ねるごと
なにかが より緩んできて? 
何事につけ 批評家 というより批判家然になっている自分を
見つけることがある

 今の政治家のたとえようのない魅力の無さはどうだ
 若者自殺にコメントする教育者の笑みのはしたなさはどうだ
 勝ち組とかなんとか言われるあの企業家の品格はどうだ
 今のポップスの歌詞の長ったらしさと軽薄さはどうだ
とかなんとか 
本当のところは ドウナノダ ということをも問わず

そうなんです こらえ性のない ヤンチャな自分を発見して
唖然とするのです


心の中で こんなことを思っているのです
“今までの人生 さんざん いろんなことを我慢してきた
殴りつけたいほどの暴言にも立場上グッとこらえ
まるで自己を理解していない成り上がり者の横柄さにも耐え
称賛になどかけらも値しない輩の虚像の人格にも目をつむり
なんとかかんとか 何かのために 自分の心さえゴマカシテいた
のかもしれない 
だから 理不尽な我慢など 御免蒙る
ここに至っては もう それも 許されるだろう”
というような具合


我慢の連続?の友を見て
つい
「もう そろそろ自己主張も おおいに許されるのでは」
と余計なことを口に出してしまい
苦笑いしました

そうなのです
自分のわがままさをゴマカスため 仲間を増やそうとの
タクラミ

すこし 恥ずかしさを 覚えました

そんなこんなで
とにかく 不平不満を グッと飲み込むことが多い
昨今ではあります

まだまだ 我慢もしかたないところで息をしている
ということなのでしょうか・・・

もっとも 
止むを得なくケタチガイの我慢をなされている方からすれば
私のは Cクラスの我慢
なのかもしれませんね
生きて我慢もできているだけ シアワセであるとも言えますね



さて もう一仕事
明日の準備を




    
    



いろいろと

2010-11-16 | ■ 業 務 エ ッ セ イ


報酬の発生しない活動も ケッコウ担当させて頂いております

誤解を恐れずに言わせて頂くと
そのような案件のほうが アレコレ手法にこだわらねばならぬようなところがあって
最近は 頭の休まる時間が あまりありません


特定性の無い相談だと むしろ広範囲な相談になりがちで
あれもこれも状態に突入 なあーんてことに いつしかなって
いたりし 
そういう状態が 何度か 場を改めて続いたりして

でも 可能な限り 私の診立てでよければということで
お付き合いをさせて頂いてはいます


本日は 水戸市役所で 
茨城県マンション管理士会の無料相談会を担当させて頂きます
毎月一回
水戸市役所で 定例として(毎回 私が担当ではありませんが)

というわけで
行ってまいります

多くのマンションでも高齢化が進んでいます
建物自体も
内部の管理組合さんもです
さまざまな問題を抱えているはず?と思われるのですが
諸々の事情で なかなか外部に現われては きづらい?
ドッと出現しそうで・・・心配です


 

 

 




ある 更に嫌な予感

2010-11-13 | ■ 業 務 エ ッ セ イ


先日 ある無料相談会の時
こんな話をしていたのでした

「どのような人も 実の親を 父と母一人ずつ授かっていることは間違いない
このことは 例外なく この世の各人にとって すくなくとも存在した あるいは
存在している事実
ところで いわば人工の親子は 制限なく無限大に可能
すくなくとも法律上は ね」
というような具合の話を

表現的には問題あるが たしかに以上のとおり
親子関係創造は無限大に可能(今の法制度上は)




翌日でしたか? 世上をにぎわす養子縁組制度の悪用による事件の
一斉報道


私自身も
養子縁組制度の法上の制限についての
そのあたりのことの確認を 多少曖昧のままにしていたので おおいに反省もしたのでした

“ヤハリ 世には悪の道は絶えず ここにも侵食か”
との思いが
犯罪の手段も巧妙の激化
背に腹は代えられぬ どんな手口だってとにかく
手当たり次第
ですから それに負けぬよう知識を尖らせ
対処していかなくては不正をはびこらせていくことになってしまう



日頃の業務の中でも
こういうこともアリかな?という事例もチラホラ

Aという住所地に既に甲さんの住民登録あり
集合住宅形式など ではなく 
一戸建て(ごく普通の一世帯家庭用風の建築物)所在地
Bが 全く同一の住所地で独立の新規別登録しても 
その時点では
行政窓口では拒めない
というか 
逐一調査などしないだろう(というか調査権限はない?)
同一登録で そのような申請が例え10件重なろうと 
各々の窓口申請時には通過してしまう
(架空の住民登録も実務上はアッサリ 可?)

Aさんが苦情を申し立て 利害関係者として職権抹消申請など
の行動をとれば改善の余地もある が

その職権抹消された同人が他の地で 新規登録したとき
新規登録地と従前の登録地との連携については
除票には載らないような 載るような(自治体によって扱いが異なるような・・・)
悪のたどった途が 住民票上は途切れるような
そうでないような・・・


とにかく そういうのもアリ なの?
という場面にでくわすこと も アリ の日々です

『形式的審査権しかなくて
実質的な審査は そもそも
してはいけないのが我々の立場なのです』
各自治体以外のさまざまな窓口でも 
担当者の方から時々聞かされる言葉


窓口担当を 純公務員(変な表現ですが)ではなく
委託員さんに という現場が増えている?ので(民間でも
そのような傾向があります 純社員さんは タッタ一人という
ような・・・)
余計なお世話の 要らぬ心配?をしてしまう私です
(委託員さんたちの処理能力のことを言っているのではなく
授権内容のことを心配しているのです)

現場 現場の第一線の方たちの苦労も
わかってはいるつもりですが・・・

というわけで 明日は ある試験監督員を
務めてまいります
授権内容を シッカリと確認しながら・・・・




 

 

 

 


読書の秋・・とは

2010-11-10 | ■ 業 務 エ ッ セ イ

仕事が忙しいというわけでもなかったのですが
いろいろと行事なども重なり
しばらく 読書の時間をとる ということができませんでした
もっぱら 実務書ばかりの日々だったので
さすがに 鴎外さんの本でも ということで1時間ばかりの休息を
日中に 意識的にとろうかな と・・・・

でも すぐに一旦中止



確認しなければならない項目が 目の前から離れず
やはり 意味もなくスケジュールを変えるのはまずいことを
悟りました 要するに ズルをしても 落ち着いて文庫本に
熱中できないのでした



さて 話題は変わって
今 手元の実務書に 次のような記述があり 気になることがあったので それに関し

[・・・公正証書遺言の場合は、遺言者には遺言書の謄本がわたされ、原本は公証役場に保存されます。したがって、遺言書がなくなるということは全くありません。かりに遺言者が、もらった謄本を失くしたとしてもさらにもらうことができます。公正証書による遺言は、もっとも安全な遺言の方法です。]



先日のこと
 『完璧ですよ これで一切悩むことはありません』
というお客さんに 言わざるを得ないことが

 「たしかに 他の方法に比べるといいことも多いのですが
安心しきっているのは 多少問題ですよ 
あなたが公正証書遺言を作ったということを知っていてくれる
信頼のおける方はいますか?
それと いざ あなたが亡くなったとき それが関係者の眼に確実に触れる手段はどのようにされていますか?
公証役場さんは 作成者の方の死亡という事実を責任をもって監視しているわけでもないし
そのような義務を負っているわけではなく
そのあたりのことはガチガチの自己責任なのですよ
あなたが亡くなると 公証役場さんから関係者に自動的に通知
なんぞという仕組みは無いのですよ
相続登記終了後に公正証書出現 なんてこともあり得ます

出現すればよいけれど 誰の目にも触れずに闇の中
ということもあるのですよ・・・
絶対安心などということではないのです」



ときとして 勘違いをなさっているお客さんもいて
『そういえば せっかく作ってはみたけど 公正証書
何処だったかなー あの金庫 いや 誰々先生に預けたのかなー ? 先々を考えて 慎重に 念を入れて 
10年前に動いたのだけど・・・』

あり得ない話ではない けっこうある話です

この世に 絶対安心 なんぞと言い切れることなど
それほどはない ということでしょうか

残念ながら公正証書遺言も完璧手段ではないのです




まあ そんなわけで 心配ばかりしていても仕方がない
とにもかくにも 日々大切に

人間らしい悩みと付き合いながら
というところでしょうか・・・


 



弱い者 弱くない者

2010-11-09 | ■ 業 務 エ ッ セ イ


硬い話を少々

会社がお金を借りながら なんとか続いていたが
どうにもこうにもならなくなって 破産し
手続が終了する
と 
原則として
法人格がなくなる(手続を終え 会社の寿命を終える)

そのような流れで 親分の債務が消えるのだから
子分?の保証人の債務だって 消えて当然
とも思えるが 
そうすると 保証という制度を認めた仕組に反するとして
保証債務は残り 親分と一緒に消えるというわけにはいかない
というのが判例です

じゃ 親分の債務の消滅時効を利用して
連帯保証債務の消滅を主張する ということは
どうなのか?

ここでの最高裁の意見
わかったような わからないような 名文句というより迷文句
(私にはそう思える)
[・・・もはや存在しない借金について 時効によって消えて
なくなったということを想定すること自体 オカシイ
つまり そもそも そのような形での消滅を考える余地は無い・・・]
もともと無くなっているものについて それが消えてなくなる
ということ自体を考えるのは オカシイ
そのようなオカシイ状態を利用することなどを
想定すること自体
オカシイ
ということかな?

破産終結決定がされて消滅した会社を主債務者とする保証人は 主債務についての消滅時効が会社の法人格の消滅後に完成したことを主張して時効の援用をすることはできない

のだそうです



それをいうなら 
もともとのものがなくなったのだから
子分のだけ残るのはすこしおかしい
親分の借金の決着はどのような形であれ一応つける
というか つけた形にしてしまう
が 
子分のそれは 別な世界の手続で最後までつきあわさせる
という 大元の考えが すこし変?なのでは・・・



連帯債務
ではなく
連帯保証
なのだから 仕方がない のだ
ということが 基本大前提 なのかな?


どうも スッキリしない


ということで 保証人になることを容易に決心しないように
書面によることをせめてもの要件にしたのでしょう ね
(民法446条)



もっとも 債務者は弱者 債権者は強者
と アッサりとは区分けできないのが 世の常
心やさしい誠実な債権者さんも 
世の中にたくさんいるように
悪賢い債務者さんも 当然のごとく? おられることも確か
です ね

とにかく そのような 
悩みぬかざるを得ないような相談の多いこと
今の世の険しさを象徴するような事例が多すぎます




頭がボーッとしているときに眺める晩秋の星座
特に オリオン座は
なんともいえないほどの私の気分回復特効薬です



(本日の記事は もちろん 訴訟状態以前の 権利義務事実証明文書作成に関する相談での話題に関してのことです)
※厳密な法律要件にはこだわっていない記述です
 どうぞ ご容赦を




 

 

 


価格破壊

2010-11-04 | ■ 業 務 エ ッ セ イ


私のような仕事にかかわっている者にとって
本は必需品
理論書・実務書
どうしても傍にないと不便で 仕事に支障があって
ということで 書籍費も膨らみます

昨今のデフレ化の下でも
特に実務書は ほとんど価格の降下は無いような気がします
需要層に定数があり 一定価格に維持はやむを得ないのでしょうが
なんでこれほどの価格なの と訝らざるを得ないものも
ケッコウあります
内容を吟味してから注文すれば シマッター
ということを避け得るのでしょうが
先日も 内容からして “なんでこれが 5000円もするの?”
と呟いてしまう場面もありました

しかし ラッキーと小躍りする(大げさ)ほどの悦びの場合も
あります
ある意味一生ものの 中身のグット濃い
しかも お買い得価格のもの

著者の熱意の差かな?
要するに 売ろうとして書いているのではなく
学者として あるいは実務者として この説を この実務を
訴えたい 伝えないでおくのは 残念至極
とでも言っているような情熱を感じるもの
そういうものほど けっして値段が高くない
むしろ これなら あちらの倍でもいいのでは と 思えるものが
多い


最近それを感じたのは
2年ほど前に手に入れた
二宮周平先生の 家族法 新世社

昨年 おくればせながら手に入れた
伊藤昌司先生の 相続法 有斐閣

前者からは 実務と理論との連携を意識し 私のようなものでも何とか理解できそうなくらい丁寧に書こうとする姿勢

後者からは判例・通説を根底から検討しなおし 相続制度の
あるべき姿を追求しようとの使命と意欲を 強く感じます

世によくある 目立たそうとするあまりの 強引な
あまりにも唐突な理由付けによる説き方ではなく
現状の不合理を どうにも我慢できずに 洗いなおした
という意気込みを ほぼ素人状態の私にも理解できるかもしれない方法で力説なさっています


特に 後者は難解(多分 通説・判例とは明らかに違った方向を目指しているようなので・・)ですが 食らいついていきたいものだと思っています


今日は これから 無料相談会
久しぶりに 両方の本に少し目を通したら
どうしても 上のような記事を載せたくなったのでした

それにしても 今手元にある
時効関係の 解説書
なんで これが5300円もする内容なの
執筆者が23人もいると 1人当たりの印税の配分関係なのかな
どうしても単価が上がるのかな?
今度から 執筆者の人数も気にして買おう
解説は どうしても こま切れだしね
大勢で著せば怖くない なあーーんてことはないんだろうけど・・
一流の?名の通った実務書出版社を信頼して手に入れたけど
ガッカリ でした
営業妨害になると困るので これ以上は記しませんけど
以後 注意しよう っと