人生においての 長い付き合いのある 身近な者について
『・・・ナントナク らしくない な 変だな・・・』
と 思った折のことを それこそ 折りに触れて思い出し 悲しい
思いをしてしまう とともに 自身の対応の足りなさに ザンネンな思い
と 深い反省に陥ってしまうということも あったりします
たまに電話を入れると トッテモ嬉しく思っている雰囲気が ある意味
喜びすぎだろう と思えるほど 熱っぽく 伝わってくる
その後 シバラクの間 盛んに 電話をかけてくる
話し相手を渇望している様子が 明らかに感じとれることが いかにも
暇すぎて という雰囲気とともに 増えていく
自身は 趣味が多すぎるほどの人間 かつ 一人部屋で 沈思することも
厭わないほう なので “ 暇で 一日 いや 半日さえ どのように時間を
費やしていくとよいのか どうにも策をたてることができない ” という思い
をしたことがない
「ときどき 外に出て 市民講座とかなんとか そんなところを覗き歩いて
自分がチョットデモ興味を持てそうなものにアタックしてみるのはどうだ」
という類の言葉を 何度もかけたりしたが それ以上は 突っ込め なかった
のだった
自身の人生などは 資格との格闘みたいなものである こともあって
「興味を持てそうな資格をみつけて その学習をしてみるのも 案外いいかも
しれないぞ こんな資格もあるんだぞ」 と いうセリフを 言い出してみようかな
どんなものかな ?? というシーンが 人生に 三度ほどあった
ダメもとで 声をかけてみればよかったのに・・・
率直に言ってしまうが なにかを目指しての 学習というものは たとえ 半日の
シーンの 15分であっても イインジャナイカ と 思えるのです
することもなく 一日の 長 ~ い 時間を費やすには・・・
生涯学習であろうが そういうものでなかろうが とにかく 何かを学ぶ ということ
を して みる
たとえ それが 3日に一度 であろうと 本の流し読み であろうと パソコンの
ネットサーフィンでのデモセミナーとの出会いであろうと・・・ CD教材であろうと・・・
もちろん 日常が多少なりとも充実していたなら介護を要する情況にはならなかった
とか その要介護の進行の度合いとかに そうしたことはなんら因果関係がないこと
からの現在なのかもしれないのだが・・・
それにしても
≪学び続けてみる≫ というのも ひとつの 単なる暇つぶし かも
でも
それでも 好い のでは と 思えてしまえたりする
以前にも 本日の記事に関したことを述べさせてもらったことがありますが
実は 自身のホームページの生業欄の案内は そのような 自己の反省というか
悔恨に基づいての内容にも なっているのです
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