囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

基地全面返還は市民の願い 2

2012-06-18 20:20:16 | 憲法9条、大好き!
所沢市平和都市宣言にもある「基地全面返還」を求める運動を広げようと、所沢平和委員会などの市民有志が街頭での宣伝行動を始めました。私も「有志」の一人として街頭宣伝に参加しました。
宣伝行動をした場所は、返還された基地の中に作られた所沢航空公園駅前でした。



街頭宣伝で何をやっているかわかるように平和委員会が大きな横断幕を作りました。



私も、市の発行したパンフレットを使い、駅利用の方や通行人の方に基地返還の必要性を訴えました。



メンバーのOさんは、資料を渡し、若者と対話していました。若者は多分、初めて聞くことが多いと思いましたが、熱心に聞いてくれました。所沢市の将来を担う若者に基地問題を知ってもらうことはとても大切だと思いました。



勉強会を重ねた結果、4月から毎月第3日曜日の午前10時から11時30分前、所沢航空公園駅まで宣伝活動をすることになりました。
今回の参加者は13人でしたが都合で早く帰った方もおり、最後まで残ったメンバーです。
7月以降も粘り強く活動を続けることを誓い合いました。
米軍基地の70%を返還させた運動も、最初は役所からも、市民からも「返還など言うのは”変人”だ」と言われたそうです。
でも、いま私たちがやろうとしていることは、「所沢平和都市宣言」を実現することです。
どなたでも参加できますので、ご協力いただける方は、第3日曜日の10時から11時30分に所沢航空公園駅前においでください。お待ちしています。
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基地全面返還は市民の願い 1

2012-06-18 08:39:40 | 憲法9条、大好き!
私が住む埼玉県所沢市には米軍所沢通信基地があります。
所沢は、1911年(明治44年)に日本で最初に飛行場が作られてところとして有名です。その後、飛行場を日本帝国陸軍が使いました。1945年(昭和20年) 日本が連合軍に降伏しましたが、アメリカ軍が「在日米軍所沢兵站センター」(約300ha)として使用されることになりました。



戦後、市長を先頭に市民総ぐるみの返還運動が繰り広げられた結果、3次にわたり基地の一部が返還されました。返還された跡地に市役所、郵便局、警察、税務署、小・中・高校・文化会館や防衛医大などが作られ、その隣に所沢航空公園が市民の憩いの場として活用されています。
その基地の歴史や返還の経過が綴られているのが、所沢市と基地対策協議会が作成したパンフレットに要約されています。
しかし、所沢市民にその経過を知る人は少ないのです。



現在までの返還の状況です。

市民の運動の結果、70%の基地は返還されましたが、いまもって米軍所沢通信基地として97万㎡(西武ドーム球場 25個分)の広大な土地が使われています。

米軍通信基地は飛行機の発着も軍隊の出入りもないため市民にも関心が薄い面があります。しかし、通信基地はアメリカ国防省と直結しており、有事の際には一番最初に狙われる攻撃目標でもあります。そうした危険な基地が市の中心部、市役所の隣にあることに市民がもっと関心をもち、一日も早い全面返還を求めてゆく必要があります。

私は、沖縄の基地問題と同様、半世紀以上にわたって、外国の基地が大手を振るって存在するという異常な事態を一刻も早くなくすべきだと思います。
そんな思いから、鎮静している所沢の米軍基地返還運動を市民の力で、再構築する必要があると思います。
それは、何よりも所沢市平和都市宣言をもつ、私たち所沢市民の義務でもあります。
その宣言は以下のとおりとなっています。


所沢市平和都市宣言
 武蔵野の緑豊かな自然のなかで、やすらぎに満ち、健康で生き生きとした日々を送ることが、私たち市民共通の願いです。
 私たちは、国是の非核三原則を厳守し、戦争という過ちを繰り返さないことを願うとともに、限りある資源を大切にし、かけがえのない地球環境を守り、平和な世界が確立されることを強く望みます。
 所沢市民は、基地全面返還を求め、未来に向かって平和な社会を築くことを誓い、ここに平和都市を宣言します。
(平成2年6月22日議決、7月1日告示)


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