文部省唱歌 野菊
私は、この歌が大好きです。ネットで「野菊」を調べたら、こんなのがありました。
参考までに、紹介します。
この作品を初めてラジオで聞いた時、そのどこか高貴さを感じさせるメロディーにすっかり感動したことを覚えています。「純粋で清らか!」ーその時、思わず口に出した言葉がこれでした。そして更に「霜がおりてもまけないで 野原や山に群れて咲き」という3番の歌詞が流れて来た時には胸が熱くなるものを感じ、この時私はすっかり「野菊」のファンになってしまいました。あわてて図書館の蔵書を検索してCDを探したのも懐かし思い出です。
ところで、この作品には一つのエピソードがあります。「野菊」が文部省発行の「初等科音楽 一」に掲載されたのは1942年(昭和17年)のことでした。時局は軍部が台頭し、日本は前年に始まった太平洋戦争が泥沼化し、敗戦の道へと真っ直ぐに突き進んでいました。そんな中、文部省の教材決定に立ち合ったある軍部の担当者が「野菊」を聞いて、作詞者の石森延男(文部省教科書監修官)に「軟弱すぎる。もっと勇壮な歌にしろ!」と詰め寄っていきました。これに対して石森は「勇壮さは日本精神です。日本精神のアラミタマ(荒御魂)です。けれど、ニギミタマ(和御魂)もまた日本伝統の精神です。万葉集のニギミタマの心こそ、この『野菊』です」と必死に弁明し、やっとの思いでこれを乗り切ったということです。「野菊」のみならず唱歌には、「牧場の朝」昭和8年(1933年)「新訂尋常小学唱歌 第四学年用」、「若葉」昭和17年(1942年)初等科音楽二ー等、美しいメロディーで自然を謳い上げながら戦争の影を微塵も感じさせない名曲が多くあります。これらの作品はどのような時代にあっても、こころの美しさ、生命の清らかさを信じて忘れることのない人々がいることを証明してくれる作品でもありますね。
作曲を担当したのは下総皖一(しもおさかんいち)で、彼には他にも「夕焼け小焼け」、「兎のダンス」、「たなばたさま」等の幾多の童謡の名曲を作曲し、3000曲ほどの作品を残しているということです。下総皖一は芸大の作曲科教授を歴任し音楽科部長にまで登りつめた人で、彼の弟子には団伊玖磨や、外山雄三、芥川など多くの日本を代表する作曲家がいます。また皖一は全国の校歌も多く作曲し、京大の歌なども手がけています。
作詞の石森延男は札幌師範と東京高等師範(後の東京教育大学、現筑波大学)を卒業。1926年から大連の南満洲教科書編集部に勤務し、「国語読本」を編集に携わります。1939年には文部省の図書監修官となり、国民学校教科書を編纂しています。1926年頃から児童文学の創作も始め、彼は名作「コタンの口笛」(57年)の作者でもあります。「野菊」は二人の偉大な作曲家と作家のコラボレーションにより生まれた童謡の名曲です。
今日はNHK東京放送児童合唱団と武蔵野音楽大学室内合唱団の合唱で「野菊」をお送りします。それではお楽しみ下さい。
私は、この歌が大好きです。ネットで「野菊」を調べたら、こんなのがありました。
参考までに、紹介します。
この作品を初めてラジオで聞いた時、そのどこか高貴さを感じさせるメロディーにすっかり感動したことを覚えています。「純粋で清らか!」ーその時、思わず口に出した言葉がこれでした。そして更に「霜がおりてもまけないで 野原や山に群れて咲き」という3番の歌詞が流れて来た時には胸が熱くなるものを感じ、この時私はすっかり「野菊」のファンになってしまいました。あわてて図書館の蔵書を検索してCDを探したのも懐かし思い出です。
ところで、この作品には一つのエピソードがあります。「野菊」が文部省発行の「初等科音楽 一」に掲載されたのは1942年(昭和17年)のことでした。時局は軍部が台頭し、日本は前年に始まった太平洋戦争が泥沼化し、敗戦の道へと真っ直ぐに突き進んでいました。そんな中、文部省の教材決定に立ち合ったある軍部の担当者が「野菊」を聞いて、作詞者の石森延男(文部省教科書監修官)に「軟弱すぎる。もっと勇壮な歌にしろ!」と詰め寄っていきました。これに対して石森は「勇壮さは日本精神です。日本精神のアラミタマ(荒御魂)です。けれど、ニギミタマ(和御魂)もまた日本伝統の精神です。万葉集のニギミタマの心こそ、この『野菊』です」と必死に弁明し、やっとの思いでこれを乗り切ったということです。「野菊」のみならず唱歌には、「牧場の朝」昭和8年(1933年)「新訂尋常小学唱歌 第四学年用」、「若葉」昭和17年(1942年)初等科音楽二ー等、美しいメロディーで自然を謳い上げながら戦争の影を微塵も感じさせない名曲が多くあります。これらの作品はどのような時代にあっても、こころの美しさ、生命の清らかさを信じて忘れることのない人々がいることを証明してくれる作品でもありますね。
作曲を担当したのは下総皖一(しもおさかんいち)で、彼には他にも「夕焼け小焼け」、「兎のダンス」、「たなばたさま」等の幾多の童謡の名曲を作曲し、3000曲ほどの作品を残しているということです。下総皖一は芸大の作曲科教授を歴任し音楽科部長にまで登りつめた人で、彼の弟子には団伊玖磨や、外山雄三、芥川など多くの日本を代表する作曲家がいます。また皖一は全国の校歌も多く作曲し、京大の歌なども手がけています。
作詞の石森延男は札幌師範と東京高等師範(後の東京教育大学、現筑波大学)を卒業。1926年から大連の南満洲教科書編集部に勤務し、「国語読本」を編集に携わります。1939年には文部省の図書監修官となり、国民学校教科書を編纂しています。1926年頃から児童文学の創作も始め、彼は名作「コタンの口笛」(57年)の作者でもあります。「野菊」は二人の偉大な作曲家と作家のコラボレーションにより生まれた童謡の名曲です。
今日はNHK東京放送児童合唱団と武蔵野音楽大学室内合唱団の合唱で「野菊」をお送りします。それではお楽しみ下さい。