囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

大本営=遺作まで改変・・・

2019-01-17 11:12:18 | 囲碁きちのつぶやき

 東京新聞「私の 東京物語」と言う欄の記事です。いろいろのジャンルの方が、各自の人生の中での、「東京」とのかかわりを10回の連載で書いています。今は、ノンフィクション作家の梯久美子さんが書いています。

昨日の記事です。

太平洋戦争末期、激戦地の硫黄島でアメリカ軍の上陸を阻止しようと指揮をした栗林忠道中将のことを書いていました。

その中で、2万人余の将兵と共に玉砕した栗林中将が、大本営に送った特別電報の最後に時世の短歌を残しました。

栗林中将の時世の歌です。

國の爲重きつとめを果し得で 矢彈盡き果て散るぞ悲しき

ところが、大本営はこれを開削して新聞発表しました。

國の爲重きつとめを果し得で 矢彈盡き果て散るぞ口惜し

末尾の「悲しき」を「口惜し」に改作したのです。

梯さんは、作品の取材のため、栗林中将の遺族を訪れ、その経過を調べたそうです。

2万人の戦死者を出した軍人が「散るぞ悲しき」では、他の部隊の士気にかかわると考えた大本営が「散るぞ口惜し」と改ざんした事実を突き止めました。

無知な私はこの事実を初めて知り、驚きました。梯さんは、栗林中将のことを単行本で詳しく書いているそうです。

関心をお持ちの方は是非読んでみてください。

私が新聞記事を読んで感じたことは、昔の大本営と同じように今でも為政者は国民に真実を伝えず、平気でうそを言うことです。特に、アベ政権はひどすぎます。私たち国民が政権のやることを監視し、真実を見抜く力を持たなければならいと思いした。

もう一つは、私の友人に父親が硫黄島で戦死された方がいることです。友人のお父さんは、友人が生まれる前に戦地に送られてしまったようです。そんな友人の悲しみを思い浮かべながら記事を読みました。

以下、ネットにあった硫黄島の記述です。

♬♬♬

 太平洋戦争末期の昭和20年2月19日、栗林忠道中将総指揮下の陸海軍合わせて約2万の兵士が死守する硫黄島に、米軍は上陸に備えて海と空から猛烈な砲爆撃を敢行したうえで、海兵師団約6万が南海岸に上陸した。
迎え撃つ日本軍は地下壕を掘り巡らして対抗、5日間もあれば島を制圧できると考えていた米軍の予想に反して激戦1か月余を持ちこたえた。
3月26日、栗林中将の率いる部隊は最後の総攻撃を行い、米軍海兵隊と陸軍航空部隊の野営を襲撃、多くの損害を与えて殆んどが戦死を遂げたという。
硫黄島の戦闘における米軍の死傷も甚大であった。「栗林とその部下は粘りに粘って、精鋭で鳴らす米海兵隊に史上最大の苦戦を強いる。結果的に硫黄島は陥落したものの、日本軍の死傷者が21,152だったのに対し、米軍は28,686名と、米軍は日本軍よりも多い死傷者を出している。戦死者だけを見れば、米軍6,821名、日本軍20,129名と日本側の方が多いが、彼我の戦力差から見れば驚くべきことである。太平洋の島嶼をめぐる戦いで、日本が自軍を上回る死傷者をアメリカに強いたのは硫黄島戦だけで、アメリカでの知名度と評価はむしろ日本より高い」と、梯久美子氏の『硫黄島 栗林中将の最期』(文春新書)にある。(同書、21頁)
硫黄島上陸作戦の米軍指揮官・スミス中将は、「太平洋で相手とした敵指揮官中、栗林は最も勇敢であった」と、栗林中将を称賛したという。

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