今日は、年金者組合のお仲間のTさんの「お別れの会」に参列しました。
Tさんは、私と同じく郵便局に働いていました。働いた局所が違うため、現役時代それほど交流はありませんでした。ふたりとも少数派組合で苦楽を共にした仲間でした。定年後、再雇用で働き、それも終わった後、年金者組合にお誘いしたところ気持ちよく加入してくれました。
お別れの会は、大きな団地の「ふれあいホール」で行われました。
ご家族のお礼状によりますと、「3月22日に救急車で病院に運ばれ、4月8日に家族に見送られることもなく、逝ってしまわれた」とのことです。コロナ禍の早い時季の犠牲者でした。
大きな団地の管理組合の役員をされていたようで、地域の住民の方が「お別れの会」を企画し、半年遅れで実現しました。
入退場に消毒、体温の申告など、コロナ対策を万全にしての会でした。
参列者が蜜になることを避けて、30分刻みで 4グループに分かれて進められました。
献花も距離を開け、ご遺族への声掛けも禁止でした。
献花の後、故人の生前の様子を記録した「お別れムービー」を見ました。
家族や海外旅行、職場の仲間の記録、管理組合での活動などが映し出されていました。
Tさんは囲碁が趣味で、私より強かったようです。一局打ちましたが、私が負けた記憶があります。年金者組合の埼玉県の囲碁大会で無差別級で優勝していました。
今日、初めて知ったのですが、Tさんは新潟県魚沼の出身で、日本酒が好きだったそうです。
リタイアー後は団地の川柳の会にも入ったようです。
古希前に 酒席の縁で ジジ川柳
いくつか紹介された川柳の一つです。「ジジ」は 爺 と 時事 とをかけていたのかも知れません。
でも、地元の団地に根を下ろし、地域の方々の為にも尽力したTさんには頭が下がりました。私には出来ない事です。
私よりひとまわり以上若いTさん。もっと囲碁を打ち、日本酒を飲みかわしたいと思いました。
最後にTさんも愛飲していた新潟県の銘酒「緑川」を試飲してお別れしました。
Tさんのご冥福を心よりお祈りします。
Tさんは、私と同じく郵便局に働いていました。働いた局所が違うため、現役時代それほど交流はありませんでした。ふたりとも少数派組合で苦楽を共にした仲間でした。定年後、再雇用で働き、それも終わった後、年金者組合にお誘いしたところ気持ちよく加入してくれました。
お別れの会は、大きな団地の「ふれあいホール」で行われました。
ご家族のお礼状によりますと、「3月22日に救急車で病院に運ばれ、4月8日に家族に見送られることもなく、逝ってしまわれた」とのことです。コロナ禍の早い時季の犠牲者でした。
大きな団地の管理組合の役員をされていたようで、地域の住民の方が「お別れの会」を企画し、半年遅れで実現しました。
入退場に消毒、体温の申告など、コロナ対策を万全にしての会でした。
参列者が蜜になることを避けて、30分刻みで 4グループに分かれて進められました。
献花も距離を開け、ご遺族への声掛けも禁止でした。
献花の後、故人の生前の様子を記録した「お別れムービー」を見ました。
家族や海外旅行、職場の仲間の記録、管理組合での活動などが映し出されていました。
Tさんは囲碁が趣味で、私より強かったようです。一局打ちましたが、私が負けた記憶があります。年金者組合の埼玉県の囲碁大会で無差別級で優勝していました。
今日、初めて知ったのですが、Tさんは新潟県魚沼の出身で、日本酒が好きだったそうです。
リタイアー後は団地の川柳の会にも入ったようです。
古希前に 酒席の縁で ジジ川柳
いくつか紹介された川柳の一つです。「ジジ」は 爺 と 時事 とをかけていたのかも知れません。
でも、地元の団地に根を下ろし、地域の方々の為にも尽力したTさんには頭が下がりました。私には出来ない事です。
私よりひとまわり以上若いTさん。もっと囲碁を打ち、日本酒を飲みかわしたいと思いました。
最後にTさんも愛飲していた新潟県の銘酒「緑川」を試飲してお別れしました。
Tさんのご冥福を心よりお祈りします。