囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

たこ焼き、大好き!

2014-10-19 18:03:51 | 日記
今日は、快晴に恵まれて、所沢診療所の「健康まつり」が行われました。私がかかりつけにしている診療所です。私は、この「健康まつり」で、年金者組合うたごえサークルの一員として、舞台に立つ予定でした。
ところが、急用ができ参加できなくなりました。

家人が留守になるため、94歳の母親をどうするか悩んでいたところ、娘夫婦が来て、母親の面倒を見てくれることになりました。

娘の連れ合いさんは、調理が好きで、しかもとても上手な方です。
今日は、昼食に母親の好きな「たこ焼きと焼きそば」を作ってくれると、食材も調達してきてくれました。

たこ焼き を食べる母親です。



いかにもうれしそうです。
焼きそばは、太麺でいつも我が家で食べているものと違うようです。
母親は、「焼きそばも、とても美味しかった」と笑顔で報告していました。

「こんなに喜んでもらえるのでは、また作りに来ます。」と娘むこさんが話したものですから、母親は、もう次回を楽しみにしているようです。

娘むこのIさん、ありがとうございました。
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来年もやります! 所沢うたごえ合唱交流会

2014-10-18 21:01:04 | うたごえ
所沢市内のうたごえサークルや合唱団の交流・発表会が今まで3回行われてきました。
来年も開こうと言うことで、今日、実行委員会が開かれ、参加団体から14人が出席しました。
準備は、まずは「会場とり」から始まりましたが、幸い、希望通り会場がてれたので、今日の準備会となりました。

とりあえず、開催日時は下記のとおりです。

と き 2015年 4月 12日(日)
ところ 所沢中央公民館ホール
    午後1時から 3時30分


前回の開催状況や反省点などをまとめたレジメに沿って、話し合われました。



前回は 参加団体が8団体で、出演者が140名、聴きに来てくれた一般客の方 118名でした。
これをいかに広げて行くか などを話し合いました。
参加団体を増やせば、1団体あたりの出演時間を短くしなければなりません。一般のお客さんを増やすには宣伝もさることながら、行ってみて楽しかったと思っていただける催し物にしなければなりません。

今日は、参加者がフリートークの形で、次回に向けての希望や意見を出し合いました。それらの意見を各サークルに持ち帰り、サークル内で次回に向けての意見を取りまとめてもらうことにしました。

来年に向けての具体的な準備作業は、次回実行委員会(12月13日)から始まります。

所沢市内のうたごえの輪を少しでも広げられるよう、みんなで知恵を出し合いたいと思います。

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私のアコーディオン、事始め  3

2014-10-16 17:35:27 | アコーデイオン
宮寺アコーディオンサークルでは、5年ほどお世話になっています。講師は、中山英雄先生です。個人レッスンと合奏の練習の組み合わせです。殆どが、中山英雄先生の編曲の楽譜で練習しています。

このサークルでは、私は「落ちこぼれ」です。鍵盤楽器の経験者などはどんどん上達しますが、私は合奏などでもなかなかついて行けません。困ったものです。



中山先生の編曲は、楽譜に指番号がふってあり、とても弾きやすく書いてくれています。逆に、私など指番号がふってないと弾けないという悪い癖がついてしまいました。
中山先生からは、楽譜をよく見るよういつも注意されます。私は、歌を楽譜をみて覚えたことがありません。デモや集会でいつの間にか覚えた歌が多かったからです。楽譜より耳で覚えた旋律の方を優先するからです。リズムも正しく刻めませんでした。
そもそも、ベローの返しが今もって出来ていないのです。ジャバラを開いて、閉じる。アコに触るものの基本です。それがいつまで経っても正しく出来ないのです。教える先生も、さぞ大変だったでしょう。

サークルでは、私が最年長と言うことで、みなさんとてもよく面倒を見てくれました。

ゼンザーズ、宮寺アコをはじめ、この間、多くのアコ仲間と知り合いました。アコーディオンもそんな仲間から二つももらいました。全く上達しなかったけれどもアコをやって良かったと思います。

家庭の事情=老々介護などの理由で、夜、出かけるのが難しくなりました。いずれのサークルも、練習は夜ですので、残念ながら通えなくなりました。

「アコーディオン事始め」が、「事納め」になりそうです。
中山先生から頂いた楽譜も沢山ありますので、これからはそれらの楽譜を独習して行きたいと思います。音楽=音を楽しむ 心を忘れずにアコが抱けるうちは、アコをこれからも続けて行きたいと思います。
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私のアコーディオン、事始め  2

2014-10-15 20:36:27 | アコーデイオン
そんな訳で、68歳で初めてアコーディオンに触りました。何もわからいまま、楽器を買いました。世界的なアコ奏者COBAさんのお父さんが輸入代理店をしているビクトリア製の37鍵、80ベースのものを買いました。これにした理由も特にありません。アコの先生についていれば、適当な中古のアコを探してもらう方が良かったかも知れません。

「楽器」と言うものに触るのが初めてですから、当然、上達も遅いです。一応、アコ教室に通いましたが、教える方の先生が戸惑ったことでしょう。その上、忙しいことを口実に、ロクにアコに触らないのですからまるで弾けるようになりませんでした。

最初はH先生、その次はK先生が主宰するアコ教室に通いました。練習をしないのですから、どんな先生についても上達はしません。

そんな折、超初級のアコサークルゼンザーズと言うサークルがあることを知り、お願いして入れてもらいました。ゼンザーズは、落語の前座をもじった名前で、「前座以前」を自負するサークルで、メンバーは高齢者ばかりです。

この会は、私に合っており居心地の良いサークルでした。

このサークルで、関東アコーディオン演奏交流会にも出演しました。



超初級で演奏会に出るなどおこがましいのですが、そんなサークルも出ると言うことで注目を集めた特異なグループでした。

でも、このサークルもメンバーの高齢化のためその存続が難しくなりました。
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私のアコーディオン、事始め  1

2014-10-14 20:59:00 | アコーデイオン
私が、アコーディオンをなぜやるようになったのかを思い出しながら書いてみます。

私は、小学校1年生の時に、空襲を避けて、縁故疎開で母親の実家に寄宿しました。田舎での疎開生活について書けば、それだけでいろいろの思い出があります。しかし、それは省略します。

日本が戦争に負けた1945年の秋に母親の実家から東京に戻ってきました。戦争中住んでいた家は、空襲で燃えました。戦後戻ったのは、4畳半一間のアパートでした。私が入学した小学校も空襲で被災し、2年生で戻ったのは別の学校でした。戦災に遭わなかった数少ない小学校でした。多くの学校が空襲で燃えたため、生徒数に比べて、学校が足りず、2部授業がかなりの期間続きました。2部授業とは、午前と午後に分けて授業を行うことで、あるクラスは午前中だけの授業、別のクラスは午後だけの授業 と分け、これを入れ替えたりして、教室の少ないことをカバーしていました。

授業のない午後などは、米軍の駐留基地の門前で、米兵がアメやチョコを投げてくれるのを根気よく待っていたりしました。
小学校には、オルガンが1台あっただけで、楽器らしいものは他にありませんでした。したがって、音楽の授業など受けた記憶がありません。生きてゆくのが精一杯で、音楽、書道、絵画などの情操教育などと言うものは皆無でした。

そんなスタートでしたが、何故か、中学、高校と私は音楽とは無関係に過ごしてきました。
社会に出てからも、職場と自宅の往復で、楽器などには触ったことがありませんでした。
でも、音楽を聴くことは好きでした。


定年退職して、何年も立ってから、孫が吹奏楽部で嬉々として楽器に挑戦するのを見て、自分も何か楽器をやってみたくなりました。楽器なら、なんでも良かったのです。
何の楽器にするか悩みました。でも、現役時代、メーデーや労働組合の集会などで、アコーディオンの伴奏に合わせて色々の歌をうたったことを思い出しました。そのアコ演奏者がとて素敵に思えました。



「よし、アコーディオンに挑戦してみよう!」と思った時が、68歳の時でした。いかにも遅いスタートでした。
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