能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

マネジメント理論、経営理論を世のため人のために役立てるために

広島原爆の日 広島の街は慰霊の一日を迎えました・・・あの日から79年、未だに世界から戦争や核兵器はなくなりません

2024年08月06日 | 社会・経済

広島市中心部は朝からヘリコプターが飛び交っています。

ヘリのホバリングの音が響いてきます。

取材報道や警察のヘリコプターだと思います。

平和公園も厳戒態勢、市民の立ち入りも制限されています。

今日8月6日、広島原爆の日。

79年前の1945年8月6日午前8時15分、米軍による一発の原子爆弾で14万人が虐殺されました。

広島市民、軍人、病院職員、アジアの人たち、米軍捕虜を殺害しました。

放射能を浴びたヒバクシャは今も苦しんでいます。

広島の街は廃墟となり、75年は草木もはえないと言われました。

戦後の復興に向けて、広島市民は立ち上がりました。

8月6日、慰霊と平和への祈願で1日を過ごす広島の街です。

黙祷!


平和公園で開催された平和祈念式典・・・こどもたちの平和への誓いが心を打ちました。

戦争で最大の被害を受けるのは、こどもたち、女性たち・・・今この瞬間でもウクライナやガザで無差別の殺傷行為が行われています。

国連も安保理も国際司法裁判所も全く機能していません。

人類の英知は一体どこにいったのでしょうか?

広島市、長崎市への原爆投下は、米国民の多くが戦争を早く終結させるための手段だったというのが多数と言います。

1945年8月の大日本帝国は、戦う力も失せたレームダック状態・・・無条件降伏も時間の問題でした。

そこに2発の原爆爆弾を投下・・・20万人以上を虐殺、東京大空襲では10万人以上を殺傷・・・アングロサクソンの残虐さです。

原子爆弾の目標投下地点として、京都市、新潟市、小倉市などがリストアップされていたそうです。

古都の京都や奈良に投下しなかったということは、米国政府にも一定の良識、コモンセンスがあったということでしょう。

ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下は、核実験、対ソ戦略、有色人種差別、プロパガンダなど様々な政治的思惑が複合したものだと思います。

多大なる人命を失った第2世界大戦。

有色人種は動物以下と考えていた欧米列強。

白色人種に初めて牙をむいた有色人種・日本人・・・白人の逆鱗に触れ、300万人以上の戦没者を出しました。

ただ、戦後、世界の4分の1を植民地としていた大英帝国は、その植民地をほとんど失い、欧米列強の植民地だったアジア、アフリカの国々は解放され、独立国家となりました。

確実に言えることは、絶対に絶対に戦争をしてはいけないということ。

そして、人類を滅亡させる核兵器を地球上からなくすことです。

決して悲劇を繰り返してはなりません。

現在も世界には、地球を何回も破壊できる何万発の核兵器が配備されてます。

核兵器を廃棄すれば他国から侵略されるということは、ウクライナで示されました。

国連も安保理も機能せず、核なき世界、戦争のない世界は実現しそうにありません。

でも、最後の最後に人類の知恵と英知があることを信じたいと思います。

世界に平和を!

Power to the People❗️


(白字の毛筆は、広島市にある安田女子大学のお嬢さんたちの作品・・・お気に入りの作品群です)

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松下村塾に行ってきました・・・吉田松陰先生の私塾・・・明治維新に火を点けた長州の志士たちを輩出しました

2024年08月06日 | 学問

松下村塾(しょうかそんじゅく)に行ってきました。

山口県萩市の郊外にあります。

小学校6年生の時、修学旅行で訪れてから、今回で5度目の訪問になります。

ここに来ると、モチベーションとヤル気をいただくことが出来ます。

武士道や大和魂、至誠や志が、この地にはあります。

萩市の郊外・旧松本村に造られた小さな松下村塾。

わずか1年ちょっとしか松陰先生の指導は行われなかったようですが、ここから伊藤博文、山縣有朋という2名の総理大臣や明治政府の多数の元勲を輩出しました。

この塾がなければ、明治維新はなかったでしょうし、また、日本が欧米列強の植民地になっていたと思います。

松下村塾。

本当に小さな質素な造りです。

続いて、奥にある松陰神社に参拝。

おみくじは「吉」。

そのまま進めば、よし!とのこと。

松陰神社のおみくじには、「凶」があるとのこと。

松下村塾門下生の山田顕義と吉田松陰先生のパネルがありました。

山田顕義は、武人、軍人で明治維新前後の国内戦争で連戦連勝。

岩倉具視欧米視察団に参加し、法律制定、法治国家に向けた法整備を推進、東洋の「小ナポレオン」と言われました。

明治政府の初代司法大臣に就任、明治22年には日本法律学校(現日本大学法学部法律学科)を創設します。

当時の日本はフランス法やドイツ法をコピーしていこうと動きが主流でしたが、山田は日本の独自性を活かした法律制定を主張します。

同時に、国内法の整備、法治国家への移行により、欧米列強との間にかわされた不平等条約の廃止のために奔走します。

松陰神社は、明治、大正、昭和と様々な政治的な思惑に翻弄されたようです。

ただ、明治維新の原動力となった日本の底力を後世に遺すことは必須だと思います。

敗戦後、GHQや進駐軍、東京裁判で否定、廃棄された、大和魂、武士道、志、至誠・・・。

安岡正篤先生も「ナショナリズムがなければ、インターナショナリズムもあり得ない」と喝破されています。

今回の訪問で、志(こころざし)を新たに、気持ちを新たに、仕事に励んでいこうと思います。


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