僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(9/8)ドラマ観ました。天国と地獄。

2007年09月08日 23時47分02秒 | ドラマ
今、ドラマを観終わりました。
「天国と地獄」

ウ~ン、期待していたよりは・・・。

最初の映像がやたら凝りすぎて
落ち着いて画面に集中できず。
ストーリーも散漫だったかな。

豪華な出演者だったけれど。

どうなんだろうか。
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(9/8)青木拓磨の生き方。

2007年09月08日 01時35分03秒 | バイク
なんか、タイトルが仰々しくて
ごめん。

録画をしていて
なかなかすぐに観られなかったので
今日
外は台風の時に

8月26日(土)夜10時~
BS日テレ Spo Maga.

というのを漸く(ようやく)観る。

バイク
かつての
スーパーバイクのスター
モトGP(WGP)のスター
青木拓磨が生出演ということで。

彼についてはどこから
書いたらいいのだろう。

ファンだった、ということを書いておこう。
青木三兄弟は
兄宣篤も
弟治親も
そして次男拓磨も
皆魅力的なライダーだった。
彼らがバイクの面白さとかさわやかさを
アピールしてくれていた。
ウルトラマンというスポンサーがつき
メジャーな所でも活躍。
バイクつながりで
島田紳助司会のTBSのあの生放送のクイズ番組にも
出たことがある。
そして
青木三兄弟を追ったドキュメンタリーを
ニュースステーション(久米宏司会)でもやったことがある。
いつもにこやかな三兄弟。


鈴鹿やこちら地元菅生では
いつもその姿を私は追いかけていた。
世界にはばたく三兄弟。
すごく華があったね、特別な。


98年、その年の活躍が期待される頃
正規の試合前のテスト走行のときの
ケガが
その後の彼のレース人生を変えてしまう。

バイク選手にはケガは付きもの。
よく
レースにてバイクの転倒を見るけれど
不思議と
転倒してもすぐに起き上がり
再スタートさせるのが多い。
それだけ
鍛えているのだろうし、強いヘルメットなどが
身体を守ってくれるのだろう。

しかし中には
不運な事故もある。
加藤大治郎の件もある。

拓磨のそのケガは
結局バイクレースに復帰できぬほどの
ものだった。

脊髄損傷。
下半身麻痺ということで
彼はリハビリに精を出す。
中国にも治療に行った。

そして
彼の姿を見る機会がなくなっていった。

あれから10年近く。
彼は33歳になっていた。
その彼が
生放送で出演。

4輪にシフト。
大手の車メーカーが
彼用にアレンジした車を用意し
彼は

この夏
「アジアンクロスカントリーラリー」(タイ国)
に出場したのである。
そのレースの模様を
伝える番組だった。
明るい彼と
明るい司会者の元巨人軍の宮本さん、スキーの荻原さん。
とても楽しそうにスムーズに
番組が進む。

10年も経つと
大人なんだよね、当たり前のことだけれど。
話し方が落ち着いていて
昔のヤンチャな感じがうまく抜けていて
本当に
レースそのものが好きなんだ、ということを
感じ取った。

精力的にリハビリやトレーニングをし
精力的にポケバイの子供達の指導をし
彼には彼の
新しい生き方が存在する。

ラリーの前に
メディカルテストがあった。
不測の事故のときに
車から脱出できなければラリーには
参加できない。

1分以内に車の窓から脱出をしなければ不合格。
そして
40秒で脱出。
足が使えないので
上腕の力で足を支え、身体を支えて
脱出しなければならない。
そのテストに見事に合格。

もうこの場面を観ただけで
彼は
本当に努力をしている人なんだ、と
見入ってしまった。
あの
バイクレース界のイケメンが
本当の意味で
人間としてカッコイイ、と思ってしまった。

彼用にアレンジされた車とは
足が使えないので
ブレーキもアクセルも
全て手で作動できるように工夫されている。
その完備されたマシンに感嘆していた。

レースは
タイ国。
2300キロの悪路を
数日かけて走るサバイバルレース。
北海道の周囲ぐらいの距離。
そして悪路とは書いたが
悪路過ぎる。
車が跳ねるし、頭が中でぶつかりそうなほどの
振動である。
ハンドルも取られる。
彼曰く
「足が動くんですよ。跳ねるんですよ。」

足に神経が行かないからこそ
跳ね踊る足。
普通なら跳ねないように踏ん張るところだが
それができないために
彼は
自分で工夫して靴の裏にマジックテープを貼り
足を固定させる。
その靴を見せてくれた。

悪路のために
他の車が横転しているのを
助けながらの走行。
自分の車もいつそうなるかわからない。
現にタイヤがバーストしてそれを
交換するのだが
普段のバースト具合とは違う破壊の仕方。
これでは
互いに助け合わなければ
レースが成り立たない。
そんな友情の交歓のようなものも生まれる。

総合第7位。
日本人として第2位。

彼のことだから
かつてはスーパーバイクのチャンピオンと
いうプライドがあるから
メラメラと闘争心が出てきたであろう。
楽しい、頼もしい闘争心だ。

このレースに参加したことによって
彼には
また新たな目標ができたようだ。
パリダカールラリーに出たい、と。

何と美しい人生。
これからも
レースに参加していこうという
前進する人生。

彼なりの悩みがあっただろう。
でもそのことについては
書かないでおこう。
今は
その目標に向けて
またトレーニングをしているに違いない。

生き方
さまざま。

青木拓磨、健在。

録画しておいてよかった。


余談だが
彼といっしょに撮った写真がある。
三兄弟
1人1人と並んで。
一体誰のファンだったか。
それぞれの持ち味で
3人ともファンだった、ということで。

パリダカールね。
また、楽しみが増えたね、トモロッシ。

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