14日(火)。爆笑問題の太田光が書いた「マボロシの鳥」(新潮文庫)を読み終わりました 太田光は1965年埼玉県生まれ。日大芸術学部中退後、88年に爆笑問題を結成。寄席にテレビにと活躍しています。この本は2010年10月に新潮社から刊行された作品を文庫化したものです。太田光の初めての小説ということで、長編小説だと思って手に取ると9つの小説から成る短編小説集でした
「荊の姫」「タイムカプセル」「人類諸君!」「ネズミ」「魔女」「マボロシの鳥」「冬の人形」「奇跡の雪」「地球発」の9編です
著者は「文庫版あとがき」の中で、「今回の小説は自分の気配を消すということに一番気を使った」と書いています。9つの作品の中では「人類諸君!」と表題作の「マボロシの鳥」の2作以外は、それに成功していると思います
「人類諸君!」は「見せ物小屋の呼び込み」の語り口で、ギャグの連発なのですが、結局何を言っているのか分かりません
「マボロシの鳥」は舞台芸人チカブーによる今世紀最大の出し物の鳥のことです チカブーは、誰もが夢中になり、見る者によって全く印象が異なる美しく輝く鳥を、興業主の約束違反によって失ってしまいます 再び彼はマボロシの鳥と再会することができるのか・・・・
物語の中で、芸人としての太田光の主張が前面に出てくる場面があります。それはチカブーと中年男との間の対話です
チカブー「芸人が、なぜ、自分の芸をお客に見せたいと思うか。わかるかい?」
中年男「その・・・・お、お客を・・・・・」
チカブー「お客を喜ばせたいとか、楽しませたい、なんて言うのは、後から付けた理屈だよ。一番の理由は、この客には、今、自分が必要なんだって、確認したいからだ 自分の芸を見て、一人でもお客が笑ったら、その客に自分は必要とされているって信じられるんだよ 芸人は、いつもその確認をするために舞台に上がるんだ。客を幸福にする為じゃない。自分が幸福になる為に舞台に上がるんだ。・・・・俺のあの鳥は、本当にたくさんのお客に必要とされていた そしてあの鳥は、まさしく、俺の鳥だった。だからこそ、この世界は俺を必要としたんだ」
この主張はよく分かります 人はある行動を起こす時に「人のためにやる」と言いますが、その理屈は長続きしません。「自分のためにやる」と思えばこそ長続きするのだと思います。例えば、ボランティア活動がそうでしょう。彼らは人のためにやっているように見えて、実は自分のためにやっているのだと思います
また、この小説のところどころに現実の漫才界あるいは芸能界への批判や皮肉が”脱線話”として、実は本音で、出てきます
「この世界。いかにレッスンプロが多いことか。自分は一度もお客をクスリとも笑わせたこともないヤツに限って、元・芸人という自己申告の肩書で、まあ、適当なことを語ること語ること!何が育成だ。何が芸の伝承だ 演芸の世界に教科書などない。たかが、見せ物、出し物だ。追求したいヤツは勝手にする。育ちたいヤツは人に教わらなくても勝手に育つ。教えるなどと言い出すヤツが教えるほど芸を持っているわけがない。あったら自分でやっている。他人に教えているヒマなんかあるもんか 本当にマヤカシだらけでロクなもんじゃない」
こういうのを読むと、実際の芸人の世界はそうなんだろうな、と思います。もっともこうした現象は芸人の世界に限らないと思いますが
太田光は「文庫版あとがき」でこうも書いています
「寂しかったことと言えば、直木賞、芥川賞、本屋大賞などの文学賞から全く相手にされなかったことだ。これは正直言って悔しかったし悲しかった 自分では文壇に殴り込みをかけたつもりだったが、洟もひっかけられなかったという印象だ」
それはそうでしょう。ムリです。小説と呼ぶのも微妙なことろがあると思います
私は普段テレビを観ないので最近、太田光がどんな番組でどんな活躍をしてどんな発言をしているのか、まったく分かりませんが、超多忙なスケジュールの中をこうした小説を書いたことは驚きです 常に現状に飽き足らない太田光の前向きで意欲的な姿勢は、見習わなければならないと思います