6日(火)。わが家に来てから今日で1495日目を迎え、米国の多くの州で使われている投票機がサイバー攻撃に対して脆弱であることが明らかになった というニュースを見て感想を述べるモコタロです
おいおい今日は議会の中間選挙の投開票日だぜ 接戦と言われてるのに大丈夫か?
娘が高校時代の仲良しグループで台湾旅行に行っているので、夕食作りはお休みします
昨日の朝日夕刊に「往年のピアノで広がる表現 ショパン、ラフマニノフ・・・作曲当時の響き 追求」という見出しの記事が載りました 記事を超訳すると
「18世紀初めに誕生し、豊かな音量と幅広い強弱を求めて進化してきた楽器、ピアノ コンサート会場の大規模化につれ、ダイナミックな表現ができる現代のピアノが主流になったが、最近は19世紀以降の曲などで、作曲年代に応じてピアノを使い分ける動きが、若手演奏者の中から出てきた 9月にポーランドで開かれた第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで2位を受賞したオランダ在住のピアニスト川口成彦は『ショパンの時代のピアノには、現代と異なる繊細さがある。独特な色や心模様を描ける』と語る 当時のピアノは鍵盤が浅くて軽く、現代のピアノに慣れた手にはコントロールが難しい 作曲当時の響きの再現を目指す『歴史的演奏法』は1970年代ごろから広がった。バッハ、モーツアルトを始め18世紀までの作品が中心だったが、近年では19世紀や20世紀前半の音楽も対象になりつつある ピアニストの長富彩は今月、ラフマニノフの曲を作曲家と同時代の1912年製ニューヨーク・スタインウェイで弾く演奏会を開いた 『乾いた音色が哀愁を帯びたラフマニノフにぴったり。こんな音が出るならこんな表現をしたい、という欲が増えた。音量の幅が少ない分、もっと(テンポの)揺れが必要だったのではないかなど、想像できる幸せを感じる』と語る」
記事には書いてありませんが、ピリオド楽器=特定の時代(ピリオド)に使用された楽器=の中でも、特にピアノの場合は会場を選びます 音量が少なく音が小さいので大ホールでの演奏には向きません 演奏を満足できる音量で聴くためには、500人くらいまでの小ホールが望ましいと思われます
現在、池袋の新文芸坐では「追悼 樹木希林」特集を上映中です 昨日はそのうち「神宮希林 わたしの神様」と「人生フルーツ」の2本立てを観ました
「神宮希林 わたしの神様」は伏原健之監督による2014年公開映画(96分)です もともと東海テレビの番組として制作したものを映画化した作品です。2013年7月、70歳の女優・樹木希林さんが、20年に一度の式年遷宮を行う伊勢神宮や、ゆかりの場所を訪ねる旅を追ったドキュメンタリーです
映画は、旅に出る前、仕事から自宅に戻った希林さんがいきなりモップで床を掃除をするシーンから始まります 「いっつもこうなのよ」と言いながら、あちこちの部屋を掃除していきます。自分のスペースにも夫・内田裕也氏のスペースにも立派なバスルームがあるのですが、湯船があるのは希林さんの方だけ これについて、裕也氏から「なんで、お前のところに湯船があって、俺のには無いんだよ」と文句を言われ、「ロックは風呂には入らない。おかしいよロックが風呂に入ったら ロックはシャワーだよ」と答えると、裕也氏から「ロックだって風呂に入りたいんだよ」と反論されたというエピソードを披露していました。夫婦揃って飛んでます
そして、伊勢神宮への旅が始まります 遷宮を3カ月後に控えた伊勢神宮の様子、お伊勢さんを囲む神宮林のヒノキの苗木の様子などが紹介されていきますが、訪問先で出会った人々との会話やひと言がいかにも希林さんらしくユーモアにあふれています 参拝者が手を合わせて祈っているのを見て、希林さんも祈り始めるのですが、途中でやめて「いけない、私は祈ることを止めたのよ。キリがないんだから。お祈り 取り消します」と語ります。さらに「もう、形のある物は欲しいと思わないの」とも語ります。若い女性たちが祈りを捧げているのを見て「何をお祈りしたの?」と訊くと誰もが「内緒です」と答えます。すると「そうよねぇ 若い人は内緒よね~ だいたい想像がつきますけどね」と言ってニヤリとします
希林さんは「私は喧嘩が好きで・・・」と何度か語っていましたが、頑固な性格が現われたシーンがありました あるお店を訪ねた時に、その家のお婆さんが希林さんに着物をプレゼントしたいと申し出たのですが、希林さんはキッパリと断っていました お婆さんもかなりしつこく「もらってほしい」と懇願するのですが、希林さんは「こういう時は、ありがたく頂いといた方が 穏便に事が運ぶものかも知れない でも、もらったら、それを着なければ失礼になる。私は それ絶対に着ないから、もらうわけにはいかないのよ気持ちだけ頂いときます」と押し切ります。どちらも頑固だと思いますが、言葉通り、希林さんは形ある物はいらないのです
遷宮の儀が終わり、御霊が新正宮へ移されて、再び希林さんが訪ねるのですが、いつもは白い御幌が垂れ下がっていて内部が見えないのに、希林さんが正面に近づくと御幌が風で舞い上がり内部が見えるようになります 「神様に歓迎されているようで嬉しい」と語る希林さんの笑顔が印象的でした そして今年9月15日、希林さんは神に歓迎され 天に召されました
新文芸坐で2本立てを観る時はいつも、入場してすぐにタイ風チャーハン(@400円)を予約しておきます 「ピリ辛風味」が売りものですが、これが本当に美味しいのですよ
「人生フルーツ」は伏原健之監督による2016年製作のドキュメンタリー映画(91分)です
名古屋近郊にある、自身が設計を任された高蔵寺ニュータウンの一角にある平屋で50年間暮らす90歳の津端修一さんと、300坪の敷地内の雑木林で育てた野菜や果物で得意の料理を手掛ける87歳の妻・英子さんが主人公です 子どもが独立し、夫婦二人だけでほぼ自給自足の生活を営んでいます
二人の日常生活を見ていると、お互いにリスペクトしながら生きていることが垣間見られます 多くの人がお二人に老後の夫婦の理想形を見ると思います 妻の英子さんは雑木林(大きな庭と言うべきか)で取れた野菜や果物を使って何でも作れるのですが、夫の修一さんは絵心があり、手先が器用でマメなところがあります 英子さんはバスや列車を乗り継いで街に買い物に出ますが、同じ店に40年以上も通い 肉や魚を買いつけます 英子さんは店の主人に食材について相談しながら買い物をしますが、「この人が言うなら、ということで買います。要は物ではなく人です」と語ります スーパーやコンビニが跋扈する現代では、こういう買い物ができる人は稀なのではないかと思います 一方、修一さんは、買い求めた食材で美味しい料理をいただくと、その店あてにイラスト入りの礼状(絵はがき)を出したりするのです はっきり言って、今 ここまでやる人はほとんどいないでしょう 人生の豊かさとは、いつも感謝の気持ちを忘れない、心の持ちようではないか、と思います
修一さんが死去した後・・・そうです、カメラは残酷にも修一さんの臨終に立ち会う英子さんの顔にも向けられます。無慈悲と思うけれど それがプロというものかも知れません 修一さんが死去した後、英子さんは語ります。「夫はいつも『何でも自分でやれることは自分でコツコツとやっていると何かが見えてくる』と言っていましたが、その通り、コツコツやっていると何かが見えるように思います」と
映画の中で、樹木希林さんのナレーションで何度か語られる次の言葉が 深く印象に残ります
風が吹けば 枯葉が落ちる
枯葉が落ちれば 土が肥える
土が肥えれば 果実が実る
こつこつ ゆっくり
人生、フルーツ
何でもかんでもお金を出せば手に入る世の中ですが、自分で作れるものも安易に買って済ませていないか、何でも手っ取り早くやることだけを考えていないか、と自問してしまいました
私としては、このブログを 毎日コツコツゆっくりと 休むことなく書き続けていくことを 当面の課題にしようと思います いつかはきっと 何かが見えてくることがあるでしょう