人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

パーヴォ・ヤルヴィのリーダー論(下)~日経夕刊から / 樹木希林出演映画「わが母の記」「モリのいる場所」を観る~バッハ「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調」第2楽章が流れる:新文芸坐

2018年11月09日 07時24分57秒 | 日記

9日(金)。娘の台湾みやげを おやつにいただきました ティーカップに浮いているのは何 ❓

 

     

 

台湾ルビー紅茶「金魚ちゃん」です   ところで、狭い金魚鉢の中で金魚を飼うことを金魚はどう思っているか知ってますか? 正解は もちろん金魚迷惑です

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で1498日目を迎え、今年の世相を映した言葉に贈られる「2018ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされた30語が7日に発表され、スポーツ関連では、サッカー「大迫、半端ないって」、野球「翔タイム」、テニス「なおみ節」が候補に入った というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     大迫、大谷、大坂・・・共通しているのは「大」がつくこと  みんな大したもんだ

 

         

 

昨日、夕食に「麻婆茄子」を作りました 秋は茄子が美味しい季節ですね。とても上手に出来ました

 

     

 

         

 

今月3日のブログで日経夕刊に掲載された「パーヴォ・ヤルヴィのリーダー論」をご紹介しましたが、昨日その「下」が掲載されました 超訳すると

「オーケストラのお国柄の違いは明確にある。例えば、ドイツのオーケストラは、奏者が何らかの理由で指揮者のことを嫌っていても、とりあえず指揮者の言うことに従い演奏する これは、ヒエラルキーを重んじるドイツ人の国民性から来ていると思う。一方、フランスのオーケストラは全く違う。フランス人は権力全般に対し愛憎相半ばする感情を抱く国民性だ 指揮者に対する奏者の気持ちも同様で、指揮者を頼りにする半面、指揮者の言葉には本能的に反発し、なかなか言うことを聞いてくれない どうするかというと、自分は自発的にそうしているんだと相手に思わせるような言い回しで指示を出す 米国人は現実主義者なので、シンプルで明確な指示を出せば、その通りに動く 日本は非常にやりやすい国だ。日本人は信じがたいほど強い序列意識の持ち主だからだ。どの楽団にも明確なリーダーシップの序列があり、メンバーは組織内の序列に常に注意を払いながら行動する だから指揮者の話も素直に聞いてくれる。フランスではあり得ないことだ。日本人は従順というよりは、プロフェッショナルと言った方が正しい。日本の奏者は自分をしっかりと持っているし、頑固なところは頑固だ また、常にベストを尽くそうとするし、ミスは許されないという気持ちも強い 女性指揮者が少ないが、大きな問題はロールモデルの不在だ。男性指揮者の場合は、カラヤンやバーンスタインをはじめロールモデルはいくらでもいる 女性も男性指揮者を手本にすればよいとする考え方もあるかも知れないが、女性は指揮者としての体の動かし方や奏者とのコミュニケ―ションの取り方などが、どうしても男性と違うので男性指揮者をロールモデルとするのは難しい 私は生まれ故郷のエストニアで、指揮者を養成するスクールを運営しているが、受講生の半数を女性とする方針も掲げている 女性の指揮者を増やすことは、クラシック音楽界全体のためにも非常に大切なことだと思う

この記事を読んで思い出したのは、毎年夏にミューザ川崎で開かれている「フェスタサマー・ミューザ」の各オーケストラの公開リハーサルの様子です 指揮者が要所要所で指示を出して やり直しをするのですが、その際、楽員から質問がほとんど出ないのです それは 言われたことを理解しているから質問が出ないのか、それとも「質問力」がないのか よく分からないのです 結局「最近、各オーケストラの演奏レヴェルは上がっている」というどこかで聞いた言葉を信じ、また、ヤルヴィの「プロフェッショナル」という言葉を信じて、これからもコンサート通いを続けるのかな、と思う一方で、先日のブログでご紹介した大友直人氏の「日本には一流のオーケストラはいくつもあるが、上には超一流がある」という発言との関連でどう考えれば良いのかな、と新たな疑問が生じてきたりします

 

         

 

昨日は新文芸坐の「追悼  樹木希林」特集の最終日でした 「わが母の記」と「モリのいる場所」の2本立てを観ました

「わが母の記」は井上靖の自伝的小説「わが母の記」を原田真人監督が2012年に映画化した作品(118分)です

昭和39年、小説家の井上洪作(役所広司)は、父が亡くなり 母・八重(樹木希林)の面倒を看ることになる   幼少期に母と離れて暮らしていたため距離を置いていた洪作だったが、妻や3人の娘、妹たちに支えられ、自身の若い頃の記憶と八重の思いに向き合うようになる    八重は薄れゆく記憶の中で息子への愛を確かめ、洪作はそんな母を理解し次第に受け入れられるようになっていく

 

     

 

八重は歳を取るにつれてボケがひどくなっていき、洪作のことを自分の息子だと分からなくなり、彼の妹に対しては「使用人のクセに」と罵倒して怒りを買うようになります 記憶がだんだん薄れていく八重を樹木希林さんが入れ歯を外して等身大の演技に挑戦しています それと、洪作を演じた役所広司が素晴らしい この人は何を演じてもサマになる人で、生まれつきの役者広司と言っても良いくらいです

この映画では、随所にJ.S.バッハの「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調BWV1041」の第2楽章「アンダンテ」が使われていました 穏やかでいい曲です

 

         

 

「モリのいる場所」は沖田修一監督・脚本による2018年製作映画(99分)です

昭和49年の東京都豊島区。94歳の画家・熊谷守一(山崎努)が暮らす家の庭には草木が生い茂り、たくさんの虫や猫が住み着いている   それらの生き物たちは守一の描く絵のモデルであり、じっと庭の生命たちを眺めることが、30年もの間 家の敷地から外に出たことのない守一の日課だった  そして76歳の妻・秀子(樹木希林)と二人で暮らす家には毎日のように客が訪れる。守一を撮影することに情熱を傾ける若い写真家、守一に看板を描いてもらいたい温泉旅館の主人、隣に暮らす佐伯さん夫婦、近所の人たち、さらには得体の知れない男まで、老若男女が集う熊谷家の茶の間はその日も賑やかだった

 

     

 

いま熊谷守一を演じて山崎努ほど相応しい人はいないだろう、と言わせる存在感です 同時に、飄々として守一を見守る妻・秀子を演じて樹木希林ほど相応しい人はいなだろう、と思わせる演技力です

可笑しかったのは、温泉旅館の主人が看板を書いてほしいと頼みに来た時、〇〇館という旅館の名前ではなく、「無一物」という守一自身が好きな言葉を書きつけて旅館の主人を唖然とさせるところです そして、何度か夫婦で囲碁の対戦をするのですが、守一が長考の末に石を置くと、秀子は瞬時に石を置いて守一の石をかっさらっていくところです 「勝つことばかり考えていて・・・」と文句を言うと、「あなたが弱いだけですよ」と返すところがまたいい また、国から「文化勲章を授与したい」と電話がかかってくると、秀子に「人がいっぱいやってきて、あなたが忙しくなる。それが一番困る。断ってくれ」と伝え、彼女は「いらないそうです」とガチャンと電話を切ってしまうところは痛快です 

守一は自筆の表札を出していますが、何度書いても盗まれてしまい、しまいには使い捨て弁当箱のフタに書いて掲げますが、これも盗まれてしまいます これは有名画家の宿命か、と思ったりしました

後日 樹木希林さんは、以前から共演したいと思っていた山崎努さんと共演できて嬉しかったと語っていますが、願いが叶って良かったと思います

 

     

コメント
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