人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

樹木希林出演映画「東京マリーゴールド」「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を観る ~ 樹木希林さん 内田也哉子さん 母娘共演 :新文芸坐 / 開けなかった2度目の同窓会

2018年11月07日 07時41分36秒 | 日記

7日(水)。わが家に来てから今日で1496日目を迎え、6日の米国の中間選挙を前に、トランプ大統領の陣営が作った選挙CMが移民と犯罪者を結びつける内容だとして、物議を醸している というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      トランプ寄りと言われるFOXニュースも放送を取り止めたというから 相当だな

 

         

 

昨日、夕食に「鶏のトマト煮」と「もやし豚汁」を作りました 「鶏~」は cookpad のレシピですが、娘の大好物です  「もやし~」は笠原将弘先生のレシピですが、これも娘の大好物です   3泊4日の台湾への旅から無事に帰国した娘のために作りました

 

     

  

         

 

昨日、池袋の新文芸坐で「追悼  樹木希林」特集のうち「東京マリーゴールド」と「東京タワー  オカンとボクと、時々、オトン」の2本立てを観ました

「東京マリーゴールド」は市川準監督による2001年製作映画(97分)です

21歳の酒井エリコ(田中麗奈)は恋人と別れたばかり。仕事を変えたり、オシャレをしても心が晴れない そんなある日、友だちに誘われて参加した合コンで、タムラヒロシという男(小沢征悦)に出会い恋をしてしまう しかし、彼にはアメリカ留学中の恋人がいた 一度は諦めようとしたがどうしても忘れられず、彼女は 恋人が留学から戻ってくるまでの1年間という条件付きで付き合ってほしいとタムラに頼む 二人は付き合い始めるが、エリコは終わることが見えている虚しさが積もる中、1年は過ぎ去ってしまう その後、エリコは乗り合わせたバスで偶然にもタムラの恋人が別の男性と結婚していたことを知る 実はタムラは前の恋人との失恋を引きずって生きていたのだった。塞ぎ込んでいたエリコの心に希望が湧いてくる

 

     

 

この作品は林真理子の原作を映画化したものですが、「マリーゴールド」は1年草、つまり1年しか花を咲かせない植物なので、このタイトルになったようです 田中麗奈が期間限定の恋愛に揺れる若い女性の心理を等身大で演じています また、指揮者・小澤征爾氏の長男・小沢征悦がどっちつかずの不安定な心情を演じています

この映画は味の素の「ほんだし」発売30周年記念として製作されたこともあって、劇中2度ほど エリコと母・酒井律子(樹木希林)が美味しそうに味噌汁をすするシーンがあります スポンサーの立場から言うと、そこがミソなのでしょう

この映画では、「ざわわ ざわわ ざわわ」と森山良子さんが歌った「さとうきび畑」のメロディーが、口笛で吹かれたり、マンドリンで演奏されたりして、あたかもこの作品のテーマミュージックのように使われています 二人の主人公の心を通り抜けていく風のようです

 

         

 

「東京タワー  オカンとボクと、時々、オトン」は松岡錠司監督、松尾スズキ脚本による2007年製作映画(142分)です

幼いボクを連れてオトン(小林薫)の家を出たオカン(内田也哉子)は、女手ひとつでボクを育て上げた やがて美大に通うために上京したボク(オダギリジョー)は、学費を仕送りしてくれるオカンへの罪悪感を感じながらも自堕落な毎日を送ってしまう 数年後、ようやくイラストやコラムの仕事が軌道に乗り始めた頃、オカン(樹木希林)のガンが発覚し入院する

 

     

     

この作品は、リリー・フランキーの自伝小説を映画化したものです 若き日のオカンを希林さんの実娘・内田也哉子が演じ、年老いてからのオカンを希林さんが演じています。やっぱり親子です。何となく似ています

病室にいるオカンにボクが「何か持ってきて欲しいものはあるかい?」と訊くと、オカンは「お前の(美大の)卒業証書を持ってきてほしい」と答えます この心情は親になってみなければわからないでしょう とくにオカンの場合は、ひとり息子を 大学を卒業させるために休むことなく働き続けてきたのですから

映画の終盤は、ガンの治療で抗がん剤投与のためベッドでのたうち回るオカンと、傍にいながら何もできないボクの苦しみが描かれますが、実際のガン治療も本人でなければ分からない予想を超える苦しみがあるんだろうな、と思いました

 

     

     

 

重い気持ちを引きずりながらマンションに帰ると 1通のハガキが届いていました。年賀状の時はいつも差出人がM夫婦連名なのに、ご主人の名前しか書かれていません。おかしいな?と思って裏返し、「えっ」と絶句してしまいました。そこにはこう書かれていました

「喪中につき年頭のご挨拶は失礼させていただきます 妻 N子が7月18日に51歳で永眠いたしました。平素の御芳情を厚くお礼申し上げますとともに みなさまに良い年が訪れますようお祈りいたします」

M夫妻は全国紙M新聞社の社内結婚で結ばれ、確かいま20歳の長女と16歳の長男がいます。私はN子さんの知り合いで、初めて会ったのは私が新聞関係団体の人事労務セクションで働いていた90年前後の頃でした 当時、新聞社にも女性の進出が拡大しつつある頃で、「新聞業における女性労働問題研究会」を立ち上げることになり全国の新聞・通信社から22名が集まりました その時、M新聞社から研究員として派遣されてきたのが入社2年目のN子さんでした。地方紙が部長クラスを派遣してくる中で、全国紙のM紙からはほとんど新人が派遣されたことに対して、研究会の上部機関の懇親会の席で、私は彼女の直属の上司N人事部長に「他の新聞社がベテランを派遣しているのに、M紙は入社2年目の社員を派遣するとは、地方紙に失礼ではないか」と食って掛かったことがあります それに対してN部長はにこやかに「彼女は優秀だから大丈夫です」と言われていたと記憶しています。その後、2か月に1回ほど 1年間の研究会を通して、N部長の言うことが証明されることになりました 当時の研究会は地方各地から出張してくる研究員に配慮して、湯河原にある保養施設で午後に研究会、夜に懇親会、1泊して翌日の朝食後解散するという形式を取っていました 朝食はほぼ同じ時間帯に広間に集まって食べるのですが、いつもN子さんだけが不在でした 彼女は朝食前に朝一番で帰京し、他の社員が出社する前に、在京の各新聞や郵便物を仕分けしてセクションごとに配布する仕事をしていたのです このことは後でN部長から伺いました。言うまでもなく、彼女の研究員としての仕事ぶりは見事なものでした そんなこともあって、次に懇親会の席でN部長に会った際には「入社2年目の社員を派遣するとは地方紙に失礼ではないか、と言ったことは撤回します。彼女は優秀で 努力家でした。生意気なことを言ってすみませんでした」と平謝りしました。その約20年後の2012年3月5日、同じ若手の研究員だった名古屋に本社のあるC新聞社のI君と3人で内幸町のPCビル地下のRで同窓会を開いた時、「そんなこともあったんだよ。ごめんね」と彼女に伝えました。彼女は笑って許してくれました 彼女とはそれ以前から年賀状のやり取りで繋がっていましたが、彼女が結婚し、お子さんが生まれた時には絵本をたくさん送りました 今では遠い過去の思い出です

しかし、なぜ51歳の若さで亡くなったのか、と気になったので、あらためて今年届いた年賀状を見てみました。印刷された文章に添えて こう書かれていました

「実は・・・といいますか 3年前に大病を得てしまい、今は治療生活をおくっています。Sさん(私のこと)と また東京に来られたC新聞のIさんと会(同窓会)を開きたかったなあ~ どうかお元気で!」

年賀状の添え書きはしっかりした文字で書かれていたので、まさか彼女がそれほど深刻な状態にあるとは思ってもみませんでした 多分ガンだったのでしょう。こんなことなら一度、I君と連絡を取り合ってお見舞いに行けばよかったな、と思いましたが 今となっては手遅れです

51歳の死は若すぎます。さぞ無念だったことでしょう 2度目の同窓会が開けなくてごめんなさい。残された二人のお子さんはもう大人です。あとはご主人に任せて、どうか安らかにお休みください

コメント
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