6日(土)。昨夜、ネットの記事を見ていたら、「衣食住が整っていない時に音楽のボランティアは迷惑になる」という趣旨の記事を目にしました 超略すると次の通りです
「1日の能登半島地震を受け、『衣食住が整っていない時に音楽のボランティアは迷惑になります』というサックス奏者の亀井政孝さんのSNSの投稿が話題になっている 背景には、2011年の東日本大震災の仮設住宅で住人に投げかけられた言葉があった 地震発生から半年ほど経った頃、被災地でボランティア演奏を行った時、仮設住宅で『なんだよ、こんな時に』という言葉を投げかけられたという その経験から、亀井さんは能登半島での地震発生翌日、自身のXを更新、『とりあえず、今回の地震でミュージシャンの演奏ボランティアは一旦待った方がいいです 衣食住が整っていない時に音楽のボランティアは迷惑になります』とし、『音楽家の出番はある程度、衣食住が確保されてから。東日本大震災の時の教訓です』と呼びかけた」
亀井さんがどんな音楽ジャンルのサックスを演奏されているのか不明ですが、例えばジャズと仮定した場合、「ジャズはダメでクラシックは良いのか?」という問題があります 私は「ジャズはダメでクラシックなら良い」と考えるのはクラシック至上主義者の傲慢だと思います 熊本県で大地震を経験した地元のソプラノ歌手Mさんは数年前、「人がひどい目に遭っている時に演奏ボランティアなど何の役にも立たない 必要なのは水・食料等の支援物資であり、安心して住める住居であり、電気・ガス・水道の安定供給である」旨SNSで発信していました。またくその通りだと思います 「音楽の力で被災者を勇気づけてあげよう」という高邁な精神でボランティア演奏しようとするのでしょうが、タイミング次第でそれは「親切の押し売り」になり、被災者の反感を買うだけです 音楽のジャンルを問わず、亀井さんのアドヴァイスを生かして、しばらく演奏ボランティアは控えた方がよいと思います
というわけで、わが家に来てから今日で3279日目を迎え、米下院民主党は4日、トランプ前大統領が在任中に一族のビジネスを通して20か国の政府や国営企業から780万ドル(約11億円)以上を受け取っていたとする報告書を提出した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプは私利私欲のために再び大統領選に立候補しようとしてることは明らかだ
昨日、夕食に隔週金曜日のローテにより「鶏の唐揚げ」を作りました 前回、息子が帰省した時に作って失敗したのでリベンジです 今回は外パリパリ内ジューシーに美味しく出来ました 息子が「大根おろしとポン酢をかけて食べると美味しい」というので、試してみたらとても美味しかったので、次回からそうしようと思います
昨日、息子を誘ってT0H0シネマズ新宿で山崎貴監督による2023年製作映画「ゴジラー1.0」(125分)を観ました
タイトルの「ゴジラー1.0」は「マイナスワン」と読みます 舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、何もかも失い文字通り「無(ゼロ)」になった日本に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす 戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探り、闘いを挑む
この映画は、特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」の生誕70周年記念作品です 「ゴジラ」シリーズの37作目の作品で、日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目の作品です ネット上の解説に「前回の『シン・ゴジラ』以来7年ぶりの制作」とあり、もうそんなに経ったのか、と月日の流れを速さを感じました
特攻隊のパイロットで戦争から生還するも両親を失った主人公の敷島浩一を神木隆之介が、焼け野原の戦後日本を他人の子どもを育てながら強く生きる大石典子を浜辺美波が演じました この2人は2023年4~9月に放送されたNHK連続テレビ小説「らんまん」で夫婦役を演じて話題を集めたことは周知の通りです
私が興味を持って観ていたのは伊福部昭作曲による「ゴジラ」のテーマ音楽がどういうシーンで使われるか、ということです その点、本作は政府やアメリカが頼りにならない中、民間の力を結集して立ち向かう人たちを鼓舞するように使われていて、その効果的な使用は鳥肌ものでした
実は、敷島は特攻で死にたくない気持ちから、零戦が故障したと偽り小笠原諸島に位置する大戸島に着陸したのですが、その後その”負い目”を引きずって生きていくことになります そして最後に、爆弾を搭載した戦闘機「震電」に乗り込んで、ゴジラの口の中に特攻を仕掛けようと決意します 敷島はそうすることで「終わっていない戦争」に決着をつけることが出来ると考えたのです 「震電」はゴジラの口の中に突入し、その直後に爆弾がさく裂し、ゴジラは海に沈みました しかし敷島はパラシュートで脱出し生還します 整備士の橘が「震電」に脱出装置を付けていたのです
一方、ゴジラの来襲で吹き飛ばされて死んだと思われていた大石典子は、怪我を負ったものの病院に入院し生き残っていました
映画の終わり方としては、敷島はゴジラへの特攻で死んで英雄になり、典子もゴジラの来襲で死ぬ悲劇のヒロインとなる、という終結もあったかもしれません しかし、「戦争だろうがゴジラの来襲だろうが、不本意に無駄死にすることはない。何があっても生き延びた方が勝ちだ」というのが監督のメッセージではないか、と思います
ところで、個人的な話になりますが、生まれて初めて観た映画は父親に連れられて地元の映画館で観た「ゴジラ」(第1作)でした 国会議事堂を背景にゴジラが唸るシーンが子供心に怖くてたまりませんでした 地方の小さな映画館だったので初公開から数年後の上映だったのではないかと思います 昨日、その「ゴジラ」シリーズの30作目を息子と一緒に観たわけで、感慨深いものがあります とはいえ、親子それぞれの年齢は当時と相当異なりますが