25日(木)。わが家に来てから今日で3298日目を迎え、自民党派閥の政治資金パーティーを巡る問題で、安倍派(清和政策研究会)に所属する杉田水脈衆院議員(比例・中国)は、政治資金収支報告書に不記載があったと自身のブログで明らかにした というニュースを見て感想を述べるモコタロです
黙ってればバレないと思っていたんじゃね? どこにもタレコミの水脈はあるんだぜ
昨日、夕食に「エビの豚肉巻き」を作りました この日は午後6時半からオペラを観る関係で、いつもは4時から夕食作りを始めるのを3時半に繰り上げました 夕食後、開場時間の5時45分には会場に着いて、プログラム冊子を購入して開演前に読めるだけ読んでおくため、早めに準備をしておく必要があるからです 久しぶりに作りましたが、美味しくできました
昨夜、新国立劇場「オペラパレス」でチャイコフスキーの歌劇「エウゲニー・オネーギン」を観ました 出演は タチヤーナ=エカテリーナ・シウリ―ナ、オネーギン=ユーリ・ユルチュク、レンスキー=ヴィクトル・アンティペンコ、オリガ=アンナ・ゴリャチョーワ、グレーミン公爵=アレクサンドル・ツィムバリュク、ラーリナ=郷家暁子、フィリッピエヴナ=橋爪ゆか、ザレツキー=ヴィタリ・ユシュマノフ、トリケ=升島唯博、隊長=成田眞。管弦楽=東京交響楽団、合唱=新国立劇場合唱団、指揮=ヴァレンティン・ウリューピン、演出=ドミトリー・ベルトマンです
「エウゲニー・オネーギン」はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)がプーシキンの同名の韻文小説に基づきシロフスキ―とともに台本を作成し、1877年5月から78年2月にかけて作曲した全3幕7場から成るオペラで、1879年3月17日にモスクワでニコライ・ルビンシテイン指揮、モスクワ・マールイ劇場で学生発表会の形で初演されました
物語の舞台は19世紀ロシア。田舎の地主ラ―リン家の娘タチヤーナは、妹オリガの恋人レンスキーが連れてきた貴族オネーギンに強く惹かれる 募る思いを手紙に託すものの、オネーギンは「自分自身をコントロールする術を学びなさい」と相手にしない ラーリン家で開かれた舞踏会でオネーギンはオリガとばかり踊るため、レンスキーの嫉妬を買い、決闘にまで発展する レンスキーを殺害したオネーギンは自責の念から放浪の旅に出る 数年後、今や公爵夫人となったタチヤーナの前に旅から戻ってきたオネーギンが現れ、以前とは逆に熱い恋心を打ち明けるが、タチヤーナは「愛しています」と告げると去っていき、オネーギンは「何と惨めな運命よ」と絶望して幕となる
私が新国立オペラ「エウゲニー・オネーギン」をドミトリー・ベルトマンの演出で観るのは2019年10月に次いで今回が2度目です 新国立オペラのオーケストラ・ピットに入るのは、通常は東京フィルですが、1月~3月は東京交響楽団が入ります
タチヤーナ役のエカテリーナ・シウリ―ナはロシア出身のソプラノです 第1幕第2場の「手紙の場面」の圧倒的な歌唱には、なかなか拍手とブラボーが止みませんでした
オネーギン役のユーリ・ユルチュクはウクライナ・キーウ出身のバリトンです 背丈もあり貴族オネーギンにピッタリの風貌で、歌唱もバリトンの魅力たっぷりでした
レンスキー役のヴィクトル・アンティペンコはロシア・サンクトペテルブルク生まれのテノールです 第2幕第2場における、幸福な過去を回想するアリアには、盛大な拍手とブラボーが飛び交いました
オリガ役のアンナ・ゴリャチョーワはロシア出身のメゾ・ソプラノです オリガの年齢設定の割には低音の魅力が前面に出て大人びていましたが、歌唱力は抜群でした
グレーミン公爵役のアレクサンドル・ツィムバリュクはウクライナ出身のバスです 第3幕第1場において「愛は年齢を超える」というアリアを低音の魅力たっぷりに歌い上げ、満場の拍手とブラボーを浴びました
日本人歌手陣もフィリッピエヴナ役の橋爪ゆかをはじめ大健闘でした
新国立劇場合唱団はいつも通り素晴らしいコーラスとパフォーマンスで楽しませてくれました
特筆すべきはヴァレンティン・ウリューピン指揮東京交響楽団の演奏です 歌手に寄り添いつつ、タチヤーナの複雑な心情を、オネーギンの苦悩を見事に音として表現していました
本公演を鑑賞するに当たり、開演前にプログラム冊子(1200円)を購入して読んでおいたのですが、ロシアの芸術に造詣の深い一柳富美子さんによる「作品ノート」が作品を理解するうえで大いに役立ちました 「基本データ」「主人公の人物像」「抒情的情景の難しさ」「原詩と音楽」「決闘について」「登場人物紹介」「聴きどころ」に分けて解説していますが、私はこれほど分かりやすく懇切丁寧に解説している「作品ノート」を読んだことがありません 中でも分かりやすかったのは「主人公の人物像」です 一柳さんは次のように書いています
「登場人物たちの年齢を日本風に例えれば、第1幕ではオネーギンが大卒社会人、レンスキーが高校3年生、タチヤーナは女子高生、オリガに至っては中学生なので、話題や思考が嚙み合わないのは当然である オネーギンが上から目線でタチヤーナを窘めたのも、宴会でオリガと踊ったオネーギンに下心など微塵もなかったことも、レンスキーが焼きもちを焼きまくったのも、その短気をオネーギンは全く取り合おうとしなかったもの、全て腑に落ちる (略)オネーギンは決して冷酷無情な男性ではなく、むしろ第1幕では恋愛に暴走するタチヤーナにブレーキをかけ、第2幕では貴族の不名誉である決闘放棄を断行してでも血気にはやるレンスキーを止めようとした、懐の深い人物なのである」
登場人物の年齢をそのまま現在の日本に当てはめることは出来ませんが、当時のロシアの社会の実情を踏まえてオペラを捉えることは重要なことだと思います
もう一つ、非常に参考になったのは東京外国語大学名誉教授・沼野恭子さんによる「タチヤーナの恋文」という文章です そこには私が疑問に思っていた回答が書かれていました
「それにしても、タチヤ―ナはいまだにオネーギンを愛しているのに、なぜ彼をきっぱり拒絶したのだろうか 以前にふられたことへの復讐だろうか。それとも、妹のフィアンセを決闘で倒した殺人者だからか。道ならぬ恋への畏れ、倫理的な理由からだろうか。でも、社会的な規範(注:女性から男性に手紙を出すことは常識外だった)を破ってまで恋文を書いた女性である もっと主体的な意思が働いていたのではないか じつは、オペラには描かれていないのだが、オネーギンが放浪している間に、タチヤーナは彼の屋敷に行って彼の読んだ本を読み、余白に残されたメモや記号から『男の正体』を見抜いていた」
沼野さんはこの後、オネーギンが愛読していた蔵書を明かにします それを読んだタチヤーナは、オネーギンが「物語詩」の主人公を気取っているに過ぎないと喝破します それで彼女は彼を愛しているが、ともに生きていくことは出来ないと結論づけることになるという訳です その蔵書は何か?・・・1200円を投資してプログラム冊子を入手してください 身銭を切らない知識はモノになりません
大きな拍手の中カーテンコールが繰り返されます 終演は当初予定の21時35分を10分ほど過ぎていました 熱狂的な拍手とブラボーを聴く限り、初日公演は大成功に終わったと言えるでしょう