人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

新国立オペラでベートーヴェン「フィデリオ」を観る ~ ベートーヴェンに対する冒涜か!? 物議を醸す ワーグナーのひ孫カタリーナ・ワーグナーの斬新な演出

2018年05月21日 08時01分26秒 | 日記

21日(月)。わが家に来てから今日で1327日目を迎え、英国のチャールズ皇太子と故ダイアナ元妃の次男ハリー王子が19日、ロンドン郊外のウィンザー城で米俳優だったメーガン・マ―クルさんと結婚式を挙げた というニュースを見て感想を述べるモコタロです 

 

     

     巨大なブリの天ぷらを食べてお祝いしたらしいね  さすがは グレイト ブリ テン!

 

         

 

「オペラのベスト10」を挙げよ、と言われたら何をランクアップするでしょうか? 私の場合は、モーツアルト、ロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニ、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス、ベッリーニ、ドニゼッティ、ビゼー、チャイコフスキーあたりが候補に入ると思います この中にベートーヴェンが入ることはまず考えられません 彼は「フィデリオ」しかオペラを作曲していないからという理由ではありません。ベートーヴェンのオペラに対する考え方が他の作曲家とは全く異なる独特のものだからです それは、道徳的な内容でなければならないし、最後には正義が勝つというものでなければならないというものです ベートーヴェンはモーツアルトの「フィガロの結婚」や「コジ・ファン・トゥッテ」などのような”不道徳な”オペラは嫌いだったし、書くつもりもありませんでした

モーツアルトのオペラを聴くようなつもりでベートーヴェンの「フィデリオ」を聴くと、違和感を感じます それはモーツアルトのようなユーモアの心や遊び心の精神が全くないからです。モーツアルトのオペラが「人間ってこうなんだよね」というのに対して、ベートーヴェンは「人間はこうでなければならぬ」なのです だから、ベートーヴェンに楽しさを求めるのは間違いなのです。求めるべきは苦悩を通しての喜びなのです

ということで 昨日、新国立劇場「オペラハウス」でベートーヴェン「フィデリオ」を観ました キャストは、フロレスタン=ステファン・グールド、レオノーレ=リカルダ・メルべート、ドン・ピツァロ=ミヒャエル・クプファー=ラデツキー、ドン・フェルナンド=黒田博、ロッコ=妻屋秀和、マルツェリーネ=石橋栄実、ジャキーノ=鈴木准ほか、管弦楽=東京交響楽団、合唱=新国立劇場合唱団です   指揮は飯守泰次郎、演出はカタリーナ・ワーグナーです

私が新国立オペラで「フィデリオ」を観るのは2005年5月、2006年11月(演出はいずれもマルコ・アルトゥーロ・マレッリ)に次いで今回が3回目です

 

     

 

監獄所長ピツァロは、政敵フロレスタンを不当に監禁している。フロレスタンの妻レオノーレは夫を救出するため、男装してフィデリオと名乗り、監獄の番人ロッコの下で働き、救出の機会を窺がっている。大臣の視察を知らされたピツァロは不正の露見を恐れ、フロレスタンの殺害を決意する ピツァロが手を下そうとした瞬間、レオノーレが身を挺して夫をかばう。そこへ大臣が到着、レオノーレの勇気ある行動を賞賛し、ピツァロを裁く。人々は神の正しい裁きと愛の力を讃える

 

     

 

今回の公演は「新国立歌劇場 開場20周年記念特別公演」であるとともに、飯守泰次郎氏が同劇場オペラ芸術監督として最後のタクトをとること、リヒャルト・ワーグナーのひ孫で、バイロイト音楽祭総監督を務めるカタリーナ・ワーグナーが演出を手掛けることから期待が高まります

「フィデリオ」は 言うまでもなくベートーヴェンが残した唯一のオペラですが、彼はこの曲のために4曲もの序曲を残しています  「レオノーレ序曲」第1番~第3番と「フィデリオ序曲」です   これはベートーヴェンがこの作品を何度も書き直した結果、そのたびに序曲が作曲されてきたからです   最後に作曲されたのが「フィデリオ」序曲です

【注意】以下は この公演の演出面を中心に書いていますが、これから本公演を初めてご覧になる方で、予断を持たずに鑑賞したい向きは、鑑賞後にお読みになることをお勧めします

飯守泰次郎氏がオーケストラピットに入り、序曲の演奏に入ります。力強い演奏で一気に「フィデリオ」の世界に引き込みます

舞台が現われますが、2階建てになっており、2階の左側がレオノーレの居室、中央が階段状の空間、右側が監獄番人室で そのすぐ上が玄関口となっています そして1階部分は地下牢という設定で、そこにフロレスタンが監禁されています。第1幕では、1階でジャッキーノとマルツェリーネ、あるいはロッコとドン・ピツァロなどのやり取りが歌い演じられている間、地下ではフロレスタンが黙々と壁にレオノーレの姿を描いています 普通の演出では第1幕でフロレスタンの歌う場面はないので登場させません。ここが今回の演出の一つの特徴です

とは言うものの、なぜ1時間強にも及ぶ第1幕にフロレスタンを出づっぱりで登場させ”お絵描き”をさせるのか、同時に ストーリーでは多くの囚人たちが拘束されているはずなのに、なぜフロレスタン一人だけなのか、と疑問が湧いてきます   また、舞台が回転する訳でもなく2階建て舞台がそのままの状態で物語が進行するので、こんな舞台演出だったら誰でも出来るのではないか、とまた 疑問が湧いてきます

と思った次の瞬間、舞台がせり上がって3階建てになり地下2階部分が現われ、フロレスタン以外の囚人たちが拘束されていることが分ります。これで疑問の一つが解消されました

 

     

 

第2幕に入ります。冒頭、地下牢のフロレスタン(ステファン・グールド)がレチタティーヴォとアリア「神よ、ここは何と暗いのか」を張り裂けんばかりに歌い上げますが、この絶叫にも近いアリアを聴いて、なぜカタリーナが第1幕でフロレスタンに地下牢でひたすら絵を描かせていたのかが理解できました 「地上の世界ではごく普通の生活が営まれている間、自分は理由もなく地下に拘束され続けてきた 自分自身を見失わない唯一の方法が暗い中で絵を描いて自己を表現することだった 第1幕であなたも観ていましたよね」という心情の発露が冒頭のアリアだったのです

この物語はこうだったかな?と疑問に思ったのは、ドン・ピツァロがフロレスタンを刺そうとすると、フィデリオが飛び出し「殺すならば先に私を殺せ」と言って彼をかばうシーンです 一般的な演出では、実際に刺すことはないと思いますが、カタリーナの演出では、フィデリオはドン・ピツァロのナイフを奪い 夫を守ろうとするが、ピツァロはそれを奪い返しフロレスタンの腹を刺し、次にフィデリオを刺します  もちろん、刺された二人はその場で死亡するわけではありませんが、二人は瀕死の重傷を負うという設定で良いのだろうか、と疑問が生じます

この場面で「レオノーレ序曲第3番」が演奏され、第2場へと繋がれるわけですが、この間の演出に興味深いものがありました ドン・ピツァロが地下1階の牢獄の入口に1個1個レンガを積んで出入口を塞いだ、つまり 二人とも重傷を負っているにも関わらず、ピツァロは二人が完全に脱出できないようにしたのです  これは何かの伏線か? と思わせる行動です

第2幕第2場に入ると、大臣ドン・フェルナンドによってフロレスタンとレオノーレ、そして他の囚人たちが救出されて喜びに満ちたシーンが地下2階スペースで展開するのですが、ここで不思議なことが起こりました 本物のフロレスタンとレオノーレは 出入口をレンガで塞がれた地下1階スペースで「夫婦愛」を歌っているのに、地下2階のスペースで もう一組のフロレスタンとレオノーレらしき人物が大臣ドン・フェルナンドから祝福を受け、他の囚人たちと喜びを分かち合っているのです さらに 最後の最後の場面で、追放(あるいは逮捕)されたはずのドン・ピツァロが再登場し、舞台の真ん中でドン・フェルナンドと睨み合って幕が下りるのですが、この演出も どういう意図があるのだろうか? と疑問が生じます

これに関してはプログラム冊子の「プロダクション・ノート」に書かれたドラマトゥルク(戯曲家のような役職か?)のダニエル・ウェーバー氏による次の言葉がヒントになりそうです

「もしドン・ピツァロが 最後の解放されたように見える群衆の雑踏に紛れて、成功した手段である変装の技を今度は自分が使い、仇敵の服をまとって彼の役を演じ、解放者のふりをしてみたら、なんと皮肉なことになるだろうか」

つまり、「レオノーレの男装が マルツェリーネが恋してしまうほど鮮やかで、夫のフロレスタンでさえ自分の妻とは気が付かなかったのだから、ドン・ピツァロが巧妙に他人に変装したとしても誰も気が付かないだろう」ということです この言葉をヒントに考えると、第2幕第2場の演出は次のようになるのではないか

「フロレスタンとレオノーレは、地下1階の牢獄の出入口を塞がれているため外に出られない 地下2階に現れたフロレスタンとレオノーレらしき人物は、ドン・ピツァロが彼らに似たカップルを連れてきてドン・フェルナンドに本人だと信じさせ、他の囚人たちとともに解放した 最後にドン・ピツァロはドン・フェルナンドと睨み合って目で伝える。『あいにくだが、お前が解放した囚人の中にはフロレスタンとレオノーレはいなかったのだ 彼らは瀕死の重傷を負ってまだ牢獄に閉じ込められている。最後は俺の勝ちだ』と」

このように考えると、ストーリーの辻褄が合います もしそうだったとしたら、ベートーヴェンのオペラに対する考え方(道徳的な内容で、最後は正義が勝つ)に照らして、この演出は大きな問題があるのではないか、もっと言えば、この演出はベートーヴェンに対する冒涜ではないかと思います

幕が降りた後の聴衆の反応もイマイチだったように思います   「フィデリオ」と言えば、最後は「この日に祝福あれ」の大合唱で大団円を迎え、会場が興奮の拍手とブラボーで満たされるのが通例ですが、この日は、上の階の聴衆からブラボーとともに多くのブーイングが聞かれました   ブーイングは歌手陣に対するものではなく、明らかに演出のカタリーナ・ワーグナーに対するものでした。カーテンコールで紋付き袴のような斬新な衣装でカタリーナが現われた時も、同様のブーイングが聞かれました 奇しくも私の直感が当たったわけですが、歌手陣に対しては大きな拍手が送られていました レオノーレを歌ったリカルダ・メルべートとフロレスタンを歌ったステファン・グールドの二人は、新国立オペラの最長不倒出場歌手ではないかと思うほどワーグナーのオペラを中心に頻繁に出場してきましたが、オペラ芸術監督として最後の指揮とあって、飯守氏は「安定・確実」の二人の歌手に主役を任せたのだと思います ドン・ピツァロを歌ったミヒャエル・クプファー=ラデツキーは役柄にぴったりのバリトンでした 日本人歌手陣も健闘しましたが、とりわけマルツェリーネを歌った石橋栄実は歌唱力・演技力ともに強く印象に残りました

飯守泰次郎+東京交響楽団は歌手に寄り添いながら、ベートーヴェンの強い意志を表出していました 特筆すべきは、出番は多くなかったものの、迫力のあるコーラスを聴かせてくれた新国立劇場合唱団です。この合唱団は本当に素晴らしい

今回のプロダクションによる上演は このあと 24日、27日、30日、6月2日と4回ありますが、上演を重ねるごとにカタリーナ・ワーグナーによる演出が物議を醸すように思います 音楽評を書くことで生計を立てている「音楽評論家」諸氏の評論が楽しみです

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パーヴォ・ヤルヴィ+アレクサンドル・トラーゼ+N響でショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第2番」、ブルックナー「交響曲第1番」他を聴く / サントリーホール「オルガン・カフェ #5 」のチケットを取る

2018年05月20日 07時37分48秒 | 日記

20日(日)。わが家に来てから今日で1326日目を迎え、米テキサス州サンタフェの高校で18日朝に起きた銃乱射事件で、逮捕した容疑者は17歳の白人男子生徒で、銃は容疑者の父親が所有する散弾銃と回転銃だった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       ライフル協会から献金がある限り トランプ大統領は規制に動かない 選挙第一主義

 

         

 

9月17日(月・祝)午後1時半からサントリーホールで開かれる「サントリーホールのオルガン・カフェ #5」のチケットを取りました  全席指定で2,000円です。プログラムは①バッハ「プレリュードとフーガBWV545」、②三浦一馬「ピアソラの主題によるバンドネオン・ソロ・メドレー」、③ピアソラ「バンドネオン協奏曲」より第3楽章、④メシアン「キリストの昇天」より第2・3曲です オルガン独奏=近藤岳、バンドネオン独奏=三浦一馬、ナビゲーター=川平慈英です チケットはサントリーホール・メンバーズ・クラブ先行購入で手配したので 特典として「ソフトドリンク券」が付いてきました

 

     

 

         

 

18日(金)午後7時からNHKホールでN響C定期演奏会を聴きました   プログラムは①トルミス「序曲第2番」、②ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第2番ヘ長調」、③ブルックナー「交響曲第1番ハ短調」です   ②のピアノ独奏はアレクサンドル・トラーゼ、指揮はパーヴォ・ヤルヴィです

 

     

 

N響はヤルヴィ・シフト=ヴァイオリンが左右に別れる対向配置をとります。コンマスはマロこと篠崎史紀氏です

1曲目はヤルヴィと同じエストニア生まれのヴェリヨ・トルミス(1930‐2017)の「序曲第2番」です 曲はアレグロ・アジタート~ピゥ・トランクイロ~アレグロ・アジタートという形式をとります

ヤルヴィの指揮で演奏が開始されます。冒頭の激しいリズムによる音楽が強く印象に残りますが、全体の印象としては「バトル~休戦~バトル再開」といった感じです

2曲目はショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第2番ヘ長調」です この曲はドミートリ・ショスタコーヴィチ(1906‐1975)が50歳の時(1957年)の作品です モスクワ音楽院ピアノ科の学生だった息子マキシムに献呈され、57年5月10日に本人のピアノ・ソロ、ニコライ・アノーソフ指揮ソヴィエト国立交響楽団により初演されました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「アレグロ」の3楽章から成ります

巨漢トラーゼがヤルヴィとともに登場します ライザップに通って、結果にコミットしてもらった方がいいかも、と思わないでもない体形です トラーゼはジョージアのトヴィリシに生まれ、ロシアのモスクワ音楽院で学び、1977年にヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで第2位に入賞しています

ピアノ周りを中心にテレビカメラと収音マイクが設置されています 後日NHKで放映するのでしょう

ヤルヴィの指揮で第1楽章が開始されます 開始間もなくピアノが第1主題を奏でますが、ロッシーニのウィリアム・テル序曲を彷彿とさせる軽快なメロディーです 何なんでしょうか、この楽観主義は さて、次の第2楽章「アンダンテ」こそが聴きどころでした トラーゼによってゆるやかなテンポで奏でられる静謐な音楽はとても美しく、「抑制された美しさ」を感じます こうした美学はロシアの奇才アファナシエフを聴いて以来です。トラーゼは、ハンカチを持っていないようで、この楽章が終わるとシャツの両袖で額の汗を拭っていました 激しい音楽を演奏する時よりも、弱音で静かな音楽を演奏する時の方が、より神経を使い汗をかくのかもしれません 続けて演奏される第3楽章は一転、陽気な音楽が戻り アレグロで一気に駆け抜けました

何度かカーテンコールで呼び戻されますが、トラーゼはヤルヴィを中央に押しやって自分は端の方で拍手を受けています   ヤルヴィに促されてやっと中央に移り大きな拍手を受けました   人柄でしょうね   一度でトラーゼが好きになりました

ヤルヴィはトラーゼにアンコールを催促し、自分は指揮台に座り込んでテレビカメラを覗き込んだりしています トラーゼはスカルラッティの「ソナタ ニ短調」を演奏しましたが、これがまた素晴らしい演奏でした この曲は先日ケフェレックの演奏で聴いたのでメロディーを覚えていました

男子トイレに長蛇の列が出来る休憩時間の後は、この日のメインディッシュ、ブルックナー「交響曲第1番ハ短調」(1866年リンツ稿/ノヴァーク版)です アントン・ブルックナー(1824‐1896)は、リンツ大聖堂のオルガニストとして名声を博していましたが、この交響曲第1番を作曲したのは40歳を過ぎてからでした 交響曲では遅咲きのブルックナーです。この作品は4つの楽章から構成されていますが、最初に手掛けたのは第4楽章で1865年1月でした。その後、第3楽章、第1楽章、第2楽章の順に手掛けていったようです 初演は1868年リンツで行われました その後もブルックナーは満足できず1890~91年に改訂作業を行っています。版の問題を言い出したらキリがないし、知識もないので止めておきます 

この曲は第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「スケルツォ:急速に~トリオ:ゆるやかに」、第4楽章「終曲:活発に、情熱をもって」の4楽章から成ります

ヤルヴィの指揮で第1楽章が開始されます 弦の刻みによって第1主題が登場しますが、第1番にしてすでにブルックナー独特の世界が出来上がっていることが分かります それが顕著なのは第3楽章「スケルツォ」です。この特徴的なリズムこそ、第3番以降の傑作交響曲群のスケルツォの原点にある音楽だと言えるでしょう ヤルヴィは高速テンポで音楽を進めますが、切れ味の鋭い日本刀のようです 弦楽器、とくに佐々木亮氏率いるヴィオラ軍団と藤森亮一氏率いるチェロ軍団の躍動感あふれる演奏は、この演奏に命を懸けているかのようです 第4楽章に至っては、藤森氏は弓の糸が切れて垂れ下がっているのを切り離す暇もなく演奏に集中しています ホルン、トロンボーン、トランペットの咆哮とティンパニの強打によるフィナーレは まさに音の大伽藍そのものでした

ヤルヴィは楽章間をほとんど空けることなく演奏を続けていました  これは演奏する側の楽員のみならず 聴く側の集中力を持続させるのに有効な手法でした  速めのテンポと相まって、長いブルックナーの交響曲を 長いと感じさせない演奏を可能にしていました。これはヤルヴィの音楽作りの大きな特徴と言っても良いかも知れません

ところで、N響のプログラム冊子 Philharmony 5月号の「今月のマエストロ」でヤルヴィが取り上げられていますが、満津岡信育氏によるインタビューの中でヤルヴィは、

「『サウンド』は、演奏を成功させるための3つの材料のうちのひとつだと思っています サウンド、リズム、テンポの3つが的確に揃っていないと『いい』演奏にはなりません。作曲家が誰なのか、その楽曲に対する自分の哲学のようなものに合致しているかどうかが問われます。ブラームスやマーラーでは、すごくいいサウンドが出せても、それがハイドンやラヴェル、またドヴォルザークに合っているとは限らないのです 絶対的な『いいサウンド』は存在しないと思っています。ある作品を指揮する際には、様式的にも時代的にも、このサウンドで正しいのかということを、私は特に意識しています

と語っています。これは何となく分かるような気がします 例えば、ブラームスの「交響曲第1番」が演奏される時、私は「その音がブラームスの音になっているかどうか」を第一に判断します。それが「サウンド」の意味だと思います もちろん、これは交響曲のような管弦楽曲に限らず、ピアノやヴァイオリンの独奏曲、あるいは歌曲や歌劇などでも言えることでしょう   さらに、オーケストラそのもののサウンドがあると思います

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ジョアン・ファレッタ+山下洋輔+新日本フィルでガーシュイン「ピアノ協奏曲へ調」、バーバー「交響曲第1番」、コープランド「アパラチアの春」他を聴く / METライブ「ルイザ・ミラー」の座席指定を取る

2018年05月19日 08時01分30秒 | 日記

19日(土)。わが家に来てから今日で1325日目を迎え、麻生太郎財務相が16日の東京都内の講演で、6月に開催予定の米朝首脳会談に関連し「あのなんとなく見てくれの悪い飛行機がシンガポールまで無事に飛んでってくれることを期待します。途中で落っこっちゃったら話にならんな」と述べた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      思っていても我慢して言わないのが見識なのに この人は言っちゃうから嫌われる

     

         

 

昨日、夕食に「鶏ささみの照り焼き」「生野菜サラダ」「トマト、タケノコ、椎茸、玉ねぎのスープ」を作りました 「鶏ささみ~」は麺つゆを3倍に薄めたものを使うのですが、何を勘違いしたか、ストレートで使ったので味が濃くなってしまいました。たまにはこういうこともあるよね

 

     

 

         

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ヴェルディ「ルイザ・ミラー」の座席指定を取りました 22日(火)午前10時からの部です。いつも通り、最後列の席を取りました

 

     

 

         

 

昨日、午後2時から すみだトリフォニーホールで新日本フィルのコンサートを、7時からNHKホールでN響C定期演奏会を聴きました ここでは新日本フィルの「アフタヌーン・コンサート・シリーズ」公演の模様を書くことにします

プログラムは①バーバー「交響曲第1番」、②ガーシュイン「ピアノ協奏曲へ調」、③カーニス「ムジカ・セレスティス」、④コープランド:バレエ組曲「アパラチアの春」です   ②のピアノ独奏は山下洋輔、指揮はジョアン・ファレッタです

プログラムは見ての通り、アメリカ音楽特集です 指揮のファレッタはバッファロー・フィル、ヴァージニア響の音楽監督を務めている女性指揮者ですが、ギター、マンドリン、リュート奏者としても活躍しているマルチ人間のようです

 

     

 

1曲目はバーバー「交響曲第1番」です この曲はサミュエル・バーバー(1910‐81)が1935年から翌36年にかけて作曲し その年の12月に初演されましたが、初演後何度か改訂を行い 1944年に改訂版がブルーノ・ワルターの指揮で初演されました。4部構成ですが、全曲は休みなく演奏されます

オケはいつもの並びで、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという編成です    コンマスは西江王子。いつものように第2ヴァイオリンの松崎千鶴さんを確認  篠原さんは降り番のようです

年齢不詳のファレッタが登場、指揮台に上がり、さっそく演奏に入ります   冒頭の音楽を聴いて、大画面に映し出される「大映」のマークを思い浮かべました ひと言でいえば今にも時代劇が始まるような「日本的」な曲想です これは意外でした。ただ、それは最初だけで、全曲を通して感じるのは「弦楽のためのアダージョ」で有名なバーバーの世界そのものです すごく聴きやすい曲でした

ピアノがセンターに運ばれ、2曲目のガーシュイン「ピアノ協奏曲へ調」の演奏に備えます この曲は、あの有名な「ラプソディ・イン・ブルー」が初演された年の翌年の1925年に発表された作品で、同年12月にガーシュインのピアノとダムロッシュ指揮ニューヨーク交響楽団により初演されました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ~アンダンテ・コン・モト」、第3楽章「アレグロ・アジタート」の3楽章から成ります

1969年にトリオを結成して以来、独特のフリー・スタイルのジャズで内外のジャズ・シーンに衝撃を与えた山下洋輔が登場し、ピアノに向かいます ファレッタの指揮で第1楽章に入ります。チャールストン風の前奏に続き、ピアノが主題を演奏します 山下は楽譜を見ながら演奏しますが、気のせいか 何となくクラシックは居心地が悪そうです 中盤と終盤でカデンツァ(ピアノ独奏)がありますが、そこでやっと束縛から解放されたかのように生き生きと演奏する姿が印象的でした 第1楽章が終わるや否や、山下は天を仰ぎ「あ~」とため息を漏らしました。第2楽章を経て、第3楽章が躍動感に満ちた演奏で開始されます 自席からは良く見えなかったのですが、中盤で山下氏得意の肘で鍵盤を叩く場面があったのか、第1ヴァイオリン奏者がニヤケていました

終演後は満場の拍手にブラボーがかかりましたが、「ラプソディ・イン・ブルー」と違って、この曲は長い割にはドラマ性が薄いとあってか、隣席のオバサンは寝てました これが同じジャズ・ピアニストでも小曽根真だったらどうだっただろうか、などといらぬことを考えてしまいました

 

     

 

休憩後のプログラム後半の1曲目はカーニス「ムジカ・セレスティス」です この曲はフィラデルフィア生まれのアーロン・ジェイ・カーニス(1960~)が1990年に「弦楽四重奏曲第1番」の第2楽章として作曲したもので、翌91年に弦楽合奏に編曲されました 「ムジカ・セレスティス」とは「天上の音楽、神々しい音楽」という意味です

弦楽セクションだけがステージに上がり、ファレッタの指揮で演奏が開始されます 冒頭の静謐な音楽を聴いて、ワーグナーの「パルシファル」前奏曲を思い浮かべました この曲では西江コンマスとヴィオラ首席の篠崎さんのソロが素晴らしかったです

最後の曲はコープランドのバレエ組曲「アパラチアの春」です この曲はアーロン・コープランド(1900‐90)が1943から44年にかけて、振付師・ダンサーのマーサ・グレアムと、彼女の主宰するダンス・カンパニーのために作曲されました バレエはアパラチア地方のペンシルヴェニア州の農村が舞台で、そこで挙行される開拓者の結婚式・パーティーの模様がモティーフになっています

音楽は、登場人物たちの紹介、人々の高揚感、新郎新婦の踊り、信徒たちの踊りなどが表現され、最後に新婚の二人が未来を夢見ながら祈りを捧げるシーンで幕を閉じます オーボエ首席の古部賢一、フルート首席の白尾彰、クラリネット首席の重松希巳江ら木管楽器群を中心とする色彩感豊かな演奏に支えられ一大絵巻が描かれました

アンコールが用意されていたようで、ファレッタが再度指揮台に上がり タクトを振り下ろしましたが、舞台袖から金管楽器奏者たちが慌てて入場してきました どうやらファレッタのフライングだったようで、全員が揃ったところでタクトを振り直しました 第2ヴァイオリン首席の吉村知子、ビルマン聡平の二人は よほどこのフライングが可笑しかったようで、しばらく笑いながら演奏していました   とくに吉村知子は時々笑いが止まらなく習癖があるようです

ヨーロッパ諸国中心のクラシック音楽界ですが、たまには この日のようなアメリカ音楽特集があっても良いと思います この日のコンサートで一番印象に残ったのはバーバーの「交響曲第1番」でした

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東京藝大モーニングコンサートでアホ「クラリネット協奏曲」(Cl:三界達義)、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」(Pf:和田華音)を聴く / 図書館で自習は禁止?

2018年05月18日 07時54分04秒 | 日記

18日(金)。わが家に来てから今日で1324日目を迎え、「YOUNG  MAN」「傷だらけのローラ」などのヒット曲で知られる西城秀樹さんが16日夜、急性心不全のため、横浜市内の病院で死去した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     30年前:カレーを食べて秀樹感激!  3年前:秀樹還暦! 現在:さらばヤングマン!

 

         

 

昨日、夕食に「豚バラ麻婆茄子」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました あとはホタルイカとマグロの刺身です。「豚バラ~」は醤油、砂糖、日本酒はもちろんのこと、豆板醤、甜面醤など かなりの種類の調味料を使っています   手間暇かけただけに とても美味しく出来ました

 

     

 

         

 

昨日の朝日朝刊・社会面のコラム「ニュースQ3」に「図書館で自習 ダメなの? 席取り加熱で排除」という見出しの記事が載っていました この記事は次のようなリードから始まっていました

「この春、大阪市の市立図書館の多くが46年前から続くルールを見直し、図書館での自習を認めた。図書館での自習は、東京都立図書館など多くの公立図書館で禁じられている」

この記事を見てビックリしました 「図書館で自習するのは当たり前のこととして認められている」と思っていたからです

記事によると、「日本図書館協会が70年にまとめた『指針』では、『公立図書館は資料を提供するところであって、座席と机だけを提供するところではない』とし、89年に示した『公立図書館の任務と目標』では『席借りのみの自習は図書館の本質的機能ではない。自習席の設置は、むしろ図書館サービスの遂行を妨げることになる』と批判した」となっています ただ、多くの図書館は、自習を禁止する一方で、自習を黙認してきたようです その結果、一般利用者からは『席に余裕がないから、譲るように言って』と苦情を言われ、自習する学生からは『どうして自習はダメなのか』と問いただされ、図書館職員は板挟みになっていた、ということです

地元の図書館はどうなっているのだろう、と気になったので、久しぶりに巣鴨図書館に行ってみることにしました 暇人28号の出番です 図書館に最後に行ったのは、息子が大学受験の高校3年の夏休みの時だったと思います。したがって9年前になります。9年の歳月は短いようで長かったようで、地元なのに道に迷ってしまいスマホの「マップ」アプリの力を借りました やっと辿り着いたと思ったら、「資料整備のため3日間休館します」と書かれていました ただ、入口のガラス戸に「図書館を安全に快適にご利用いただくために皆様のご協力をお願い」という掲示が貼り出されていたので、内容を確認しました すると、

「図書館では次のような行為は禁止されています」として いくつかの項目が挙げられており、その一つに「館内資料を利用しない閲覧席の利用」がありました   また「『閲覧席』をご利用の方へ」の項目の中に、「閲覧席は館内の資料を持って読書・調べものをなさる方のための席です」という記述がありました   公立図書館ですからどこも同じ扱いだと思いますが、本当は開館中の閲覧席に行って学生が自習をしているかどうか 実態を見てみたかったのです。今回は残念賞でした

記事では、「図書館の役割は変わった」として、積極的に学生を呼び込む動きもある(東京都武蔵野市、愛知県田原市など)ことを紹介しています 個人的には今まで通り自習を「黙認」して 学生を図書館から追い出さないでほしいと思います。最近、喫茶店で新聞や本を読んでいると、静かに自習している学生を見かけます 「図書館がいっぱいで こっちに回って来たんだな」と気の毒になります 店によっては壁に「自習などで長時間のご利用はご遠慮ください」と書かれていたりします 彼らはどこに行けばいいのか? また、学生たちが一生懸命勉強しているそばで、大声でペチャクチャ喋っている大人たちを見ると、蹴飛ばしてやろうかと思います(ポケットにナイフを忍ばせているかも知れないので、実際にはやりませんが)。「お金さえ払えば何をしようが自由だろう」という公共心もデリカシーもない輩はでーきらいです せめて静かに会話するなど気を付けてあげたいものです

 

         

 

昨日、上野の東京藝大奏楽堂で第3回藝大モーニングコンサートを聴きました プログラムは①アホ「クラリネット協奏曲」(Cl:三界達義)、②プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」(Pf:和田華音)です

全自由席です。先週と同じ1階11列12番、左ブロック右通路側を押さえました

オケはいつもの通り、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという編成。管弦楽は藝大フィルハーモニア管弦楽団、コンミスは澤亜紀さん、指揮は山下一史です

 

     

 

1曲目はアホ「クラリネット協奏曲」です カレヴィ・アホ(1949年~)はフィンランドの現代作曲家で、交響曲16曲、協奏曲14曲など多作家のようです この作品はスウェーデンのクラリネット奏者マルティン・フロストの委嘱により2005年に作曲され、2012年にフロストによって初演されました

第1楽章「テンペストーソ」、第2楽章「カデンツァ」、第3楽章「ヴィヴァーチェ・コン・ブリオ」、第4楽章「アダージョ、メスト」、第5楽章「エピローゴ(ミステリオーソ)」の5楽章から成りますが、全楽章が切れ目なく演奏されます

クラリネット独奏の藝大4年生・三界達義君が指揮の山下一史とともに登場します プロフィールを見ると「三界秀実ほかに師事」と書かれています。もしかして、達義君は都響首席の三界秀実さんのご子息でしょうか

山下氏の指揮で第1楽章が開始されますが、冒頭、独奏クラリネットが雉が首を絞められて苦し気に鳴いているような激情的な演奏を展開します バックのオケは極めてメタリックな音楽で応えます この楽章を聴いただけでも最低音から最高音まで超絶技巧を駆使しないと演奏できない曲想だと分かります 第1楽章から第3楽章まではかなり激しい曲想が続きますが、楽章が切れ目なく演奏されるため、今どの楽章を演奏しているのかが分からなくなります 曲想ががらりと静かな音楽に代わり、第4楽章「アダージョ」に入ったのだな、と分かりました 速いパッセージだけでなく、ゆったりしたパッセージもなかなか聴かせます 第5楽章では重音などいろいろな特殊奏法が駆使されますが、最後は静かに収束します 会場いっぱいの惜しみない拍手が送られました

この曲は初めて聴きましたが、なかなか面白い曲だと思いました 三界君はテクニック的にはかなりの実力者だと思います ほとんど演奏される機会のないアホの曲を取り上げたことに感謝します

 

     

 

2曲目はプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」です この曲はプロコフィエフ(1891‐1953)がロシア革命から逃れ1918年にアメリカに亡命した後、1921年の夏に滞在中のフランスで完成しました 彼の作曲した5つのピアノ協奏曲の中で最も人気がある作品です 第1楽章「アンダンテ~アレグロ」、第2楽章「テーマ・エ・ヴァリアシオン」、第3楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」の3楽章から成ります

ピアノ独奏の藝大4年生・和田華音さんがイエローの明るい衣装に身を包まれて颯爽と登場しピアノに向かいます 山下氏の指揮で第1楽章が開始されます。クラリネットと弦に導かれて楽しく弾むような独奏ピアノが入ってきます 和田さんのピアノは軽快です 自席から演奏する両手の指の動きが良く見えますが、鮮やかな運指です 第2楽章の変奏曲はとても面白く聴きました。プロコフィエフ特有のアイロニカルな曲想がストレートに伝わってきます 第3楽章では後半のピアノとオケとの丁々発止のやり取りが楽しく、フォルティッシモによる決然とした終結は見事でした

和田さんはテクニック的にはしっかりしたものを持っていると思います あとは、いかに個性を発揮できるかというところが課題でしょうか

 

     

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「英国王立音楽院&東京藝大 交流演奏会」(6/27)のチケットを取る / 「ノクターナル・アニマルズ」を観る ~ 元・夫から送られてきた小説原稿は 愛か? 復讐か? ~ ギンレイホール

2018年05月17日 07時54分49秒 | 日記

17日(木)。わが家に来てから今日で1323日目を迎え、北朝鮮が16日 板門店で同日開くことになっていた南北高官協議の中止を韓国政府に伝えるとともに、米国が要求している非核化の方式に不満を示し「(トランプ政権が)一方的に核放棄だけを強要しようとすれば、来たる朝米首脳会談に応じるか再考するほかない」との談話を発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      出ました!自国を有利に進める北朝鮮得意の揺さぶり戦略!! って君だれよ?

 

         

 

昨日、夕食に「ホッケの塩焼き」「生野菜サラダ」「豚汁」を作りました あとは”今が旬”の「ホタルイカ」が美味しそうだったので買ってきました 酢味噌でいただきましたが、とても美味しかったです

 

     

 

         

 

6月27日(水)午後7時から東京藝大奏楽堂で開かれる「英国王立音楽院&東京藝術大学 交流演奏会」のチケットを取りました   プログラムは①ベートーヴェン:バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲、②モーツアルト「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K.364」、③ベートーヴェン「交響曲第3番変ホ長調”英雄”」です ②のヴァイオリン独奏=ユリエ・スヴェツェナー、ヴィオラ独奏=井上祐吾、管弦楽=英国王立音楽院&東京藝術大学合同オーケストラ、指揮=トレヴァー・ピノックです

 

     

 

         

昨日、神楽坂のギンレイホールでトム・フォード監督による2016年アメリカ映画「ノクターナル・アニマルズ」(116分)を観ました これは米国の作家オースティン・ライトが1993年に発表した小説「ミステリ原稿」を映画化したサスペンスドラマです

スーザン(エイミー・アダムス)はアートギャラリーのオーナーとして何不自由のない生活を送っていた ある日突然、20年前に別れた元夫エドワード(ジェイク・ギレンホール)から謎めいた小説の原稿が届く タイトルは「ノクターナル・アニマルズ」(夜の野獣たち)となっており、「スーザンに捧ぐ」という献呈の辞が書かれていた 内容はトニー(エドワードの分身)と妻(スーザンの分身)と娘の三人で車で移動中、3人組の男たちに絡まれ、妻と娘をさらわれて殺されたトニーが、ガンに侵され引退間際の警官に助けられながら 犯人たちに復讐を遂げ 自らも息を引き取る というストーリーだったが、原稿を読んだスーザンは、そこに書かれた不穏な物語に次第に不安を覚えていく

 

     

 

映画を観ているうちに、どこまでが現実の出来事で、どこからが小説の物語の世界なのかが分からなくなってきます スーザンはブルジョワ階級の両親に育てられ、母親は資産のないエドワードとの結婚に反対します それでも、スーザンは反対を押し切って結婚に踏み切ったわけですが、”弱い”エドワードに不満を感じるようになり、結婚を解消します。エドワードはスーザンが自分のことを”弱い”と言ったことに傷つき、20年後にその時の感情を小説の形で残したのだと思われます

最後のシーンで、スーザンにエドワードから「会いたい。時間と場所を指定してくれればどこにでも行く」というメールが届きます 日本風のレストランでスーザンが、お茶のお代わりをしながら なかなか現れないエドワードを待っているシーンで幕が閉じます

このシーンを観て、もしエドワードが現われなかったら、送られてきた小説は彼女に対する”復讐”だっただろうし、彼が現れたら彼女に対する”愛”だったかもしれない と思いました

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向田邦子原作・森田芳光監督「阿修羅のごとく」を観る~大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子ら当時の人気女優の饗宴~神保町シアター

2018年05月16日 07時51分52秒 | 日記

16日(水)。わが家に来てから今日で1322日目を迎え、サントリースピリッツは 需要拡大に伴い原酒が不足し 販売を続けるのが困難になったとして「白洲12年」と「響17年」を販売休止する と発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       うちのご主人は ビンテージ・ウィスキーにはまるで縁がないからな  って君だれ?

 

         

 

昨日、夕食に「牛肉と玉ねぎの甘辛炒め」と「生野菜サラダ」を作りました 「牛肉~」は牛肉に「醤油、酒、サラダ油、にんにく、片栗粉」をもみ込んで冷蔵庫で30分冷やしてから、さらに「醤油、酒、味醂、砂糖」で炒めます 作った本人が言うのも何ですが、すごく美味しくできました

 

     

 

         

 

現在、神保町シアターでは「にっぽん家族の肖像~映画で観る昭和の家庭風景」シリーズを上映中です   昨日、森田芳光監督による2003年公開映画「阿修羅のごとく」(東宝・136分)を観ました  これは向田邦子原作によるNHKの名作ドラマ(1979年)を映画化したものです 仲代達也、小林薫、八千草薫といったベテラン俳優陣とともに、大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子といった当時の人気女優が火花を散らします

 

     

 

時は昭和54(1979)年の冬。70歳を超える父・恒太郎(仲代達矢)に愛人と子供がいることが発覚する それを知った竹沢家の四姉妹は大騒ぎになる この事件を契機に、長女の網子(大竹しのぶ)は亭主に死なれ 妻ある男と別れるに別れられない関係を続けていること、次女の巻子(黒木瞳)は亭主(小林薫)の浮気を疑いながら生活していていること、三女の滝子(深津絵里)は真面目で恋愛に疎く婚期が遅れていること、四女の咲子(深田恭子)はボクサーと同棲しているが関係が上手くいっていないことなど、それぞれが抱える問題が露わになっていく

 

     

 

この映画は確か3年前に一度観ていますが、今回あらためて凄いと思ったのは父親・恒太郎を演じた仲代達也の静かな演技です 四姉妹を演じた女優たちはそれぞれの持ち味を出しており、まさに適材適所といった配役です 深津絵里がいかにも図書館の司書と言った感じの超真面目でぎこちない30歳直前の独身女性を見事に演じています 巻子役・黒木瞳 対 夫・鷹男の秘書役・木村佳乃の対決は見ごたえがありました

映画の最後は亡き母親の墓参りのシーンですが、鷹男が妻・巻子に「本当はあなたのこと 信じていないのよ」と言われて、墓前にお線香をあげるのですが、手を合わせてひと言つぶやきます

「女って阿修羅だよな

そしてエンドロールになります。一般的に「阿修羅」とは仏教の守護神の一人ですが、この映画における「阿修羅」は「修羅場」の修羅だと考えると分かり易いと思います この世に生きとし生ける者は 誰もが 大なり小なり 修羅場をくぐってきたし、まさに現在修羅場にいるのかもしれません 

 

     

 

ところで、私は向田邦子の作品が好きで、小説、随筆の類はほとんどすべて読んでいます 向田邦子は実践女子専門学校(現・実践女子大)の出身ですが、今から10年以上前 娘がその系列の女子高に入学したのをきっかけに彼女の作品を読むようになりました 人々が日常生活で交わす何気ない本音の言葉を掬い取り、味わいのある文体で表現するスタイルは、誰でも真似が出来るようで誰にも出来ない境地に至っています   心地よいテンポによる文章のリズム感が最大の魅力です

「阿修羅のごとく」(文庫本 1999年 第1刷・上の写真は2003年 第8刷)の解説を女優・南田洋子さんが次のように書いています

「『阿修羅のごとく』が書かれた昭和54、5年ごろはホームドラマの全盛期でした。私もずいぶん出演しましたし、観てもまいりましたが、取り繕われた部分が多くて、『うそーっ』と叫びたくなることがしばしばありました 向田さんは、そういうものを全部排除して、本音でお書きになっていらっしゃった。そういうところに魅かれたのです

 

     

 

向田邦子は1981(昭和56)年8月22日、台湾での取材旅行中に飛行機墜落事故で死去しました。享年51歳でした あまりの突然の、あまりの若い死に 彼女を惜しむ声は絶えませんでした もし、その後も生き長らえて テレビドラマを観たら、どんな感想をもったでしょうか?   現在に至るテレビドラマの未来を信じることが出来たでしょうか

 

     

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本多猪四郎 監督、伊福部昭 音楽 「ゴジラ」「緯度0大作戦」を観る~新文芸坐「宝田明映画祭」

2018年05月15日 07時21分17秒 | 日記

15日(火)。昨日のブログに新日本フィル2018-19シーズンのパンフレットの表紙の写真を掲載しましたが、それに関して千葉県勝浦市在住の大学時代の友人S君からメールが入りました

「パンフレットにある『スプーン一杯の音楽があれば、人は、幸せになれる。』 俺は学生時代の文化放送アナウンサー落合恵子の本『スプーン一杯の幸せ』があればすごく幸せになれる。20歳代の頃の学生生活と 振られた彼女を思い出す 47年、長かったのか、短かったのか スプーン一杯の幸せ」

映画の2本立てを観終わってスマホの電源を入れて初めてこのメールを見た私は、喫茶店に落ち着いてから 次のように返信しました

「落合恵子、懐かしいね~ スプーン一杯の幸せって、彼女が飲んでたのは絶対レモンティーだね! 振られた彼女って誰よ? あの当時は彼女がいっぱいいたんじゃないの? それにしても〇〇(S君の本名)の文章はいつも詩的だね~」

なぜ落合恵子が飲んでいたのがレモンティーなのかは、ある一定の年代以上の人には分かるはずです

この件はこれでおしまいだね、と思っていたら、夜になってS君から またメールが届きました

「その頃の彼女と君は会っていました 何人かは彼女と称する人はいましたが、大学1、2年の頃はその彼女に夢中でした。高野悦子の『二十歳の原点』等の話や、生き方、大人の汚さ、ずるさ、社会に出たら企業の1つの歯車として生きる心の葛藤や矛盾・・そんな話をする彼女が魅力的でしたね。ささやかな夢に『シベリア鉄道に乗りたい』 D.J.サリンジャーの本が好きとか・・・」

なんだって 私がその頃 その彼女に会ったことがあるって まったく覚えてないなぁ まあ他人の彼女だからね 俺って勉強一筋だったしね(否定すんなよ) そういえばデモに参加して死亡した大学生・高野悦子の『二十歳の原点』も読んだなぁ デモといえばその頃、茨城県出身の0君と一緒に革マル派の集会+デモを冷やかしに行ったことがあった 後に教職の道に進んだ0君は 物おじせずに きつい茨城弁で ヘルメット+角棒の学生に議論を吹っかけてたけど、気の小さい私は いつ「自己批判しろ」と角棒で殴られるかと 膝がガクガクしていたっけ 石川達三の『青春の蹉跌』を読んだのもあの頃だったろうか・・・と、いろいろと思い出してきました 47年、長かったのか、短かったのか ジョッキ一杯の生ビール

ということで、わが家に来てから今日で1321日目を迎え、6月12日の米朝首脳会談をめぐり ポンぺオ米国務長官が13日、米テレビ番組で 北朝鮮が「完全」かつ「検証可能」で「不可逆的」な非核化に応じれば、米国は見返りとして 北朝鮮の体制を保証する用意があるという考えを示した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

                 「体制保証」って金正恩一族の権威と資産を保証するという意味じゃないよね?

 

         

 

昨日、夕食に「豚バラ大根」「生野菜とツナのサラダ」「冷奴(山形の漬物野菜のせ)」「トマトとタケノコとチクワと椎茸のスープ」を作りました 「豚バラ~」は例によって、大根をピーラーで薄く剥いているので食べやすいです

 

     

 

         

 

現在、池袋の新文芸坐では「宝田明映画祭」を上映中です。昨日、「ゴジラ」と「緯度0大作戦」の2本立てを観ました

「ゴジラ」は本多猪四郎監督による1954年東宝映画(96分・モノクロ)の60周年記念デジタルリマスター版による上映です

太平洋の沖合で船舶が次々と沈没する事件が発生する 調査団が現場近くの大戸島に派遣されるが、彼らの目の前に怪獣が姿を現す 島の古い言い伝えから「ゴジラ」と命名された怪獣は、ひそかに生き残っていた太古の生物が、繰り返される水爆実験による放射能の影響で目を覚ましたものだと断定される ゴジラの強大な力に人間たちは成すすべがなく、東京に上陸したゴジラは街を火の海に変えていく。その頃、山根教授(志村喬)の愛弟子の科学者・芹沢(平田昭彦)はゴジラにも有効な恐るべき発明オキシジェン・デストロイヤーを実現させていたが、その技術が悪用されることを恐れ、使用をためらっていた しかし、事態はひっ迫していた。山根博士の娘・恵美子(河内桃子)とその恋人・尾形(宝田明)に説得され、ゴジラ退治のためその発明を生かすことを決心する

 

      

 

この映画は何度か観たはずですが、正直言ってストーリーはあまり良く覚えていませんでした 最初に観たのは小学校低学年の頃に父親に連れて行ってもらった地元の小さな映画館だったと思います 子供の目には50メートルを超すゴジラは本当に怖かったのを覚えています 今思い返すと、父親は子どもをダシに自分が観たかったのではないかと勘繰っています 船や飛行機が模型を使っていることが見え見えだという欠点はあるものの、この映画は円谷英二による特撮怪獣映画の金字塔というべき作品で、それ以降、ゴジラは国内では何回もリメイク版が撮られ、果てはハリウッドでも製作されるに至っています

映画の最後に、山根教授が「水爆実験を止めない限り、次のゴジラが目を覚まし日本を滅ぼしにくるだろう」と予言して幕を閉じますが、1954年に製作されたこの映画こそ、日本における最初の反原発映画と言えるかも知れません

この映画は日本を代表する作曲家・伊福部昭が音楽を書いています 私などは映画のストーリー展開よりも伊福部サウンドを聴きたいために映画を観ているようなものです。すごい音楽です

映画の冒頭、尾形と恵美子が一緒にコンサートに行くはずだったのが、緊急事態発生によって尾形が行けなくなるというシーンがあります そこで尾形が恵美子に手渡したのが「ブタペスト弦楽四重奏団」の来日公演のチラシでした ちなみに、同弦楽四重奏団はその年、本当に来日公演を挙行したようです

参考までに、ブタペスト弦楽四重奏団は1917年にブタペスト歌劇場管弦楽団のメンバーにより結成されましたが、その後メンバーの交代が相次ぎ、最終的には全員がロシア人となりハンガリーとは何の関係もなくなりました 名ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツが言い出したとされるジョークが残されています

「ロシア人が一人いたら何者だろう? そいつは無政府主義者だ。二人いたら?  チェスの試合だ。三人いたら?  共産主義グループだ。それではロシア人が四人いたら?  それはブタペスト四重奏団だ

最初は全員がハンガリー人だったのが、最後には全員がロシア人になってしまうとは・・・・創設メンバーの4人はどう思ったでしょうか

 

     

 

         

 

「緯度0大作戦」は本多猪四郎監督による1969年東宝映画(89分・カラー)です この映画も特撮を円谷英二が、音楽を伊福部昭が担当しています

海底油田の調査のため潜水球で大陸棚探検に出かけた物理学者の田代健(宝田明)、海洋地質学者のジュール・マッソン(岡田真澄)、記者のベリー・ロートン(リチャード・ジャッケル)の3人は、海中の嵐に遭い不思議な潜水艦アルファー号に救われる アルファー号の乗組員はマッケンジー艦長、部下の巨漢の甲保、物理学者で女医のアン・バートンの3人だった。彼らは重症のマッソンのために彼らの基地「緯度0」に艦を帰港させる そこは海底2万メートル、人口太陽の下にあるパラダイスだった しかし、彼らの前に超能力潜水艦「鮫号」を擁し、ブラット・ロック島に基地を持つ悪の天才マリクと情婦ルクレチアが現われる 彼らは人類を征服し「緯度0」を破壊する目的でノーベル賞受賞者やその娘を誘拐して有利な情報を聞き出そうとしていた。マッケンジーは彼らを救出すべくブラッド・ロック島を攻撃する

 

     

 

この映画を観て、おやっ?と思ったのは、口の動きと出てくる言葉が違うのです しばらくして、登場人物は全員が英語で話していて、それを日本語に吹き替えて上映していることが分りました こういう映画を観たのは初めてです 特撮技術はゴジラの時よりも緻密になっているものの、やはり「作り物」の域は脱していません 現代のコンピューター・グラフィック技術からすればオモチャみたいなものですが、1969年当時は最先端技術だったのでしょう ハリウッド映画に代表される何でもかんでもCGで驚かすような映画には食傷気味で、当時の特撮は反って懐かしく、好ましいくらいです

 

     

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新日本フィル2018-2019シーズン定期:シリーズ変更手続きをする / 「否定と肯定」を観る~ホロコーストを巡る法廷闘争を描く / ジェフリー・ディーヴァ―著「限界点(上・下)」を読む

2018年05月14日 07時40分43秒 | 日記

14日(月)。わが家に来てから今日で1320日目を迎え、スーパーラグビー第13節最終日が12日、秩父宮ラグビー場等で行われ、日本チームのサンウルブズが国内最終戦でオーストラリアのレッズに63-28で快勝して今季初勝利を挙げ、開幕からの連敗が9でストップした というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      10戦目にして初勝利って 海外の選手たちは もともと身体の作りが違うのかなあ

 

         

 

現在、新日本フィルはルビー(アフタヌーン・コンサート・シリーズ)の金曜公演の会員ですが、2018-2019シーズンについては各シリーズのラインナップを比較検討してジェイド(サントリーホール・シリーズ)に変更する旨、通知してあります 昨日はシリーズ変更手続き開始日だったのでチケットボックスに電話して手続きしました。午前10時から断続的に電話をかけ続け、12時半にやっと繋がりました 幸い2階左ブロック右通路側席が取れました あとは恐怖の請求書が届くのを待つばかりです

 

     

 

         

 

昨日、神楽坂のギンレイホールでミック・ジャクソン監督によるイギリス・アメリカ合作映画「否定と肯定」(110分)を観ました

ユダヤ人歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)は自身の著書でホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)否定論者の歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)を非難していた。これに対し、アーヴィングは名誉棄損でリップシュタットを提訴し、法廷対決が始まった アメリカとは違い イギリスでは訴えられた側に立証責任があることから、リチャード(トム・ウィルキンソン)をはじめとするイギリス人の大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査などを含めた歴史上の真実の追及が始まり、2000年1月、王立裁判所で歴史的裁判が開廷した   デボラはホロコーストの生存者を証言台に立たせるべきだと主張するが、イギリス弁護団は逆に反対勢力から攻撃を受けるとして取りあわず、アーヴィングの著書や過去の発言が歴史的事実を歪曲していることを検証することで彼の欺瞞性を追求していく

 

     

 

この映画は事実に基づく作品だといいますが、名誉棄損で争うという形を取ってはいるものの、ホロコーストは存在したか しなかったか が裁判で争われたということ自体が驚きでした  ホロコーストが存在したことは世界の常識だと思っていたことが、あらためて証明しなければならなかったのですから

ところで私が興味があるのは音楽です この裁判を引き受けることになった弁護士のリチャードが「これでしばらくはモーツアルトの魔笛を聴く暇がなくなったな」と冗談半分に言う場面があり、そのしばらく後で、書斎で裁判の準備のため書類に目を通すシーンが映し出されますが、その時にバックに流れていたのはモーツアルトの歌劇「魔笛」の第1幕でタミーノがパミーナの姿が描かれたペンダントを見て歌う「この絵姿の心奪う美しさは」でした イギリス人ってモーツアルトが好きみたいですね

 

         

 

ジェフリー・ディーヴァー著「限界点(上・下)」(文春文庫)を読み終わりました 彼の作品は当ブログで何冊もご紹介してきましたが、念のため彼の略歴をご紹介します。1950年、シカゴ生まれ。ミズーリ大学でジャーナリズムを専攻し、雑誌記者、弁護士を経て40歳で専業の小説家となる。科学捜査官のリンカーン・ライムのシリーズや、”人間ウソ発見器”キャサリン・ダンスのシリーズなどは世界中でベストセラーとなっている

 

     

 

凄腕の殺し屋が刑事ケスラーを狙っているという情報が入る。その名はヘンリー・ラヴィング。標的を拉致し拷問で情報を引き出してから殺害するのを得意とする。連邦機関の警護官コルティはケスラーと彼の妻子を警護すべく派遣される。ラヴィングは緻密な計画を立てて標的のスキを突いてくる。コルティは部下のクレア・ドゥボイスの助けを借りながら、ラヴィングの魔の手からケスラー一家を守るべく奮闘する

 

     

 

上巻の前半を読んでいる時には、「刑事のライアンが狙われているなら、彼だけを警察組織の安全な場所に隠しておけば済む話ではないか」と思ったのですが、上巻の後半から下巻にかけて読み進めていくうちに、実はライアンの妻ジョアンもある組織に所属していて、ラヴィングが狙う秘密の情報を持っている可能性があることが明かされ、本当の標的はジョアンだったのではないかと疑いの対象が移ります ああそうなのか、と思ってその気で読み進めていくと、まさかと思われる人物がラヴィングが狙う本当の標的だったことが明かされます。そこで初めてライアンだけでなく一家を警護の対象にしたのだなと理解します こういうプロットは流石はジェフリー・ディーヴァーだと思います

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齋藤友香理+アンティエ・ヴァイトハース+東響でブルッフ、メンデルスゾーン、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴く~東響オペラシティシリーズ第103回演奏会

2018年05月13日 07時52分39秒 | 日記

13日(日)。わが家に来てから今日で1319日目を迎え、パワーハラスメントなど職場のトラブルに備える保険の販売が急増している というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      保険に入る前にパワハラの管理者教育や従業員教育をしっかりやるべきじゃね?

 

         

 

昨日、東京オペラシティコンサートホールで東京交響楽団の第103回オペラシティシリーズ演奏会を聴きました プログラムは①ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」、②メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」、③チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」で、いずれもヴァイオリン独奏はアンティエ・ヴァイトハース、指揮は齋藤友香理です

新年度第1回目のこのシリーズ公演は、三大ヴァイオリン協奏曲が1回のコンサートで聴けるとあってか、満席近い状況です 前年度の客の入りが寂しかっただけに、今回の東響の定期会員を含めた聴衆獲得の目論見は、初回としては成功と言えるでしょう もっとも、このシリーズの真価が問われるのは第2回目以降の公演ですが

 

     

 

三大ヴァイオリン協奏曲に挑むアンティエ・ヴァイトハースは ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンで学び、クライスラー国際(1987年)、バッハ国際(1988年)、ハノーファー国際(1991年)の3つのコンクールで優勝している逸材です   現在ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン教授を務めるとともに、カメラータ・ベルンの芸術監督、アルカント・カルテットの第1ヴァイオリン奏者も務めています

一方、指揮の齋藤友香理は桐朋学園大学ピアノ科卒業後、同大学の「指揮」の科目履修生として学び、2010年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本で青少年のためのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」を指揮してオペラ・デビューを果たしています その後、2013年9月からドレスデン音楽大学大学院指揮科で学び、2015年の第54回ブザンソン国際指揮者コンクールで 聴衆賞とオーケストラ賞を同時受賞しています 2018年6~7月にバイエルン州立歌劇場で上演されるワーグナー「パルジファル」で、次期ベルリン・フィル芸術監督・首席指揮者のキリル・ぺトレンコのアシスタントを務めることが決まっているとのことで、日本の指揮界 期待の新星です

 

     

 

コンマスの水谷晃以下オケのメンバーが配置に着きます 弦は左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります

メガネを着用し黒を基調としたシックな衣装を身に着けたヴァイトハースが、何となくB.C.Jのフラウト・トラヴェルソ奏者、前田りり子似の齋藤友香理とともに登場します

1曲目はブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」です この曲はマックス・ブルッフ(1838-1920)が20代の終わりの1864年から66年にかけて作曲しましたが、彼は満足できず、1867年から68年にかけて改訂を行い 68年1月にヨーゼフ・ヨアヒムの独奏により改定初演されました 第1楽章「前奏曲:アレグロ・モデラート」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「フィナーレ:アレグロ・エネルジーコ」の3楽章から成ります

曲目はメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」です この曲はメンデルスゾーン(1809-1847)が、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンマスだったダーヴィトのために、1837年から44年にかけて作曲した作品です 第1楽章「アレグロ・モルト・アパッショナート」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「アレグレット・ノン・トロッポ~アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」の3楽章からなりますが、続けて演奏されます

以上、前半の2曲を聴いて気が付いたのは、ヴァイトハースはかなり指揮者寄りの位置で演奏しているということです 実際には指揮者の斜め前で 1メートル以上は離れて演奏しているのでしょうが、演奏姿を見ていると、指揮者と会話を交わしながら演奏しているように見えました ヴァイオリンの音色が美しく響きますが、甘いところがない、というか、ストレートに音楽が伝わってきます プログラムのプロフィール欄を見ると、使用楽器は2001年ペーター・グライナー製と書かれていました。つまり、彼女はストラディヴァリでもグァルネリでもない、21世紀に作られたヴァイオリンを弾いていることになります。これは信じがたいものがありました 音色は確かにストラディヴァリとは違いますが、音楽の芯は十分伝わってきます。名手は道具を選ばない。「弘法筆を選ばず」といったところでしょうか

一方、ヴァイトハースを支える齋藤友香理は、独奏ヴァイオリンに寄り添って指揮をしつつ、管弦楽だけの部分では思い切りオケを鳴らしていました 会場の特性かもしれませんが、若干うるさ過ぎるほどの音量で迫ってくるところもありました

 

     

 

さて、白眉はプログラム後半のチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」でした この曲はチャイコフスキー(1840-1893)が1878年に作曲し、1881年12月4日にアドルフ・ブロツキーのヴァイオリン、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルにより初演されました 第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「カンツォネッタ:アンダンテ」、第3楽章「フィナーレ:アレグロ・ヴィヴァ―チッシモ」の3楽章から成ります

第1楽章ではカデンツァがありますが、ヴァイトハースの演奏は確かな技術の裏付けを持った見事な演奏で、聴衆を魅了しました

この日聴いた3曲のヴァイオリン協奏曲の中で、この曲の第2楽章「カンツォネッタ:アンダンテ」が一番素晴らしかったと思います ヴァイトハースは深みのある美しい音色で抒情的に演奏しましたが、バックを支える吉野亜希菜のクラリネット、相澤政宏のフルートを中心とする管楽器群が素晴らしいパフォーマンスを披露しました

第3楽章「フィナーレ」では、ヴァイトハースは超絶技巧パッセージを超高速演奏で駆け抜け、聴衆の熱狂を誘いました

1回のコンサートで複数のヴァイオリン協奏曲を一人で演奏するという試みは、最近では2015年5月の「東響名曲全集」で大谷康子さんがヴィヴァルディ、メンデルスゾーン、プロコフィエフ(第1番)、ブルッフ(第1番)の4曲を弾いたという例がありますが、ブルッフ、メンデルスゾーン、そして一番難しそうなチャイコフスキーの三大ヴァイオリン協奏曲を暗譜で演奏したという例は聞いたことがありません 誰もが出来ることではありません。プロフィールにある通り、世界の3つのメジャー・ヴァイオリン・コンクールの覇者であるからこそ可能なのだと思います

         

コンサートの内容は以上の通りですが、「満席近い状況」というのは、良いようで どんな人が聴きに来ているか分からないというリスクもあります 今回もそうでした。後半のチャイコフスキーの演奏が始まった直後のことです。センターブロック右サイドの自席の3~4列後方の席のオバサンが、演奏が始まったにも関わらず「パソコンがどうのこうの」と喋り続けていたのです オバサンは音楽を聴きに来たのではなく お喋りをするためにきたのでしょう。自分に常識が欠けていることが自覚できないオバサンには もう二度と来ないでほしいと思います

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バッハ・コレギウム・ジャパン第128回定期演奏会を聴く~カンタータ「響け、歌よ、高らかに」BWV172、同「天の王よ、ようこそ」BWV182ほか~現代に息づくバッハを堪能する

2018年05月12日 08時14分51秒 | 日記

12日(土)。わが家に来てから今日で1318日目を迎え、大相撲の横綱 稀勢の里が13日に初日を迎える夏場所を休場することになったが、休場は7場所連続である というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       純国産力士には頑張ってほしいけど 帰省して里 に帰った方がいいかもしれないな

 

         

 

昨日、夕食に「ニラのスタミナ丼」「ニラ玉」「生野菜とアボカドのサラダ」「トマトと玉ねぎとベーコンのスープ」を作りました 2つが ニラと卵 を使う料理じゃん、と細かいことは言わないで

 

     

 

         

 

昨夕、東京オペラシティコンサートホールでバッハ・コレギウム・ジャパンの第128回定期演奏会「祝祭のカンタータ」を聴きました プログラムはJ.S.バッハの①プレリュードとフーガBWV531、②カンタータ「天の王よ、ようこそ」BWV182、③同「天は笑い、地は歓喜せん」BWV31、④同「響け、歌よ、高らかに」BWV172です 出演は、ソプラノ=ジョアン・ラン、アルト=ダミアン・ギヨン、テノール=櫻田亮、バス=加来徹、①のオルガン独奏=鈴木優人、指揮=鈴木雅明です

J.S.バッハ(1685-1750)が約30年にわたりカントル(音楽監督)として活躍した街、ドイツのライプツィヒでは毎年バッハ音楽祭が開催されていますが、バッハ・コレギウム・ジャパンは バッハ生誕333周年に当たる今年の6月、2012年以来6年ぶりに同音楽祭に招かれ、バッハゆかりのライプツィヒ・聖トーマス教会でカンタータを演奏することになりました ガーディナー、トン・コープマン、ゲヴァントハウス管弦楽団など錚々たるアーティストたちと名を連ね、バッハの音楽を演奏します この日のコンサートは、同音楽祭で演奏するラインナップの中から選りすぐりのカンタータを演奏するという企画です

 

     

 

最初に鈴木優人がバッハ「プレリュードとフーガ ハ長調」BWV531を演奏しました   この曲はカンタータ第31番の冒頭ユニゾン主題を彷彿とされるペダル・ソロから始まることから選ばれたようです 演奏を聴く限り終始、祝祭感溢れる曲想でした

次の曲は、カンタータ「天の王よ、ようこそ」BWV182です 拍手の中、管弦楽とソリストを含むコーラスの面々が入場し配置につきます いつもと違い、ヴァイオリン2とヴィオラ1が右サイドに移り、ミニ対向配置のような形をとっています 管楽器は左サイドにリコーダー、右サイドにオーボエ、ファゴットが配置され、センターにオルガン、チェロ、ビオローネといった通奏低音がスタンバイします。コンミスは若松夏美さんです

後方に控える18人のコーラス陣を見ていて面白いことに気が付きました 左端のソプラノ歌手から右にいくにしたがって少しずつ頭が高くなっていき ジョアン・ランでピークに達し、その後はだんだん低くなり、まただんだん高くなり青木洋也でピークに達し、また だんだん低くなっていき・・・という具合に、18人で大きな波を描いているのです   しかし、これは音楽とは何の関係もありません  私の場合は、その光景に波長が合っただけの話です

カンタータですから、キリストを讃える歌が歌われるわけですが、ソリスト陣は好調です  ソリストに伴奏を付けるオーボエの三宮正満、リコーダーのアンドレアス・ベーレンも絶好調です

この曲はバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏によるCD(1996年4月録音)で予習しておきました


     


プログラム後半に入るに当たり、鈴木雅明氏がマイクを持って登場、今回のプログラムの趣旨について説明しました

「本日お届けするプログラムは、6月にライプツィヒで開かれる『バッハ音楽祭』で演奏する曲目から選んでいます この音楽祭は『カンタータ・リング』と称して、バッハのカンタータを2日間、48時間ぶっ通しで4つの団体が代わる代わる演奏し続けるという、マラソン・コンサートみたいなものです ガーディナー氏が企画したコンサートなので、さもありなんと思いますが、主宰者からはカンタータのほかにモテットも演奏するように言われています 次に演奏する2曲は、バッハが生まれる前の時代の作品ですが、2曲目などはモンテヴェルディを彷彿とさせる曲想です。それではお楽しみください

そして、ヤコブス・ガルス(1550-91)のモテット「アレルヤ。キリストよ、御身の復活に」と、マルティン・ロート(1580-1610)のモテット「主なる神にわれら絶え間なく喜び歌わん」を、通奏低音(オルガン、チェロ,ヴィオローネ)の伴奏によりコーラスが歌い上げました


     


オケが再び拡大します。右サイドにはナチュラル・トランペット3人、ティンパニ、オーボエ、ファゴットが控えます 今度はヴァイオリンとヴィオラは左サイドに固まっています

演奏するのはバッハのカンタータ「天は笑い、地は歓喜せん」BWV31です 「復活祭オラトリオ」を除けば、バッハの復活祭用のカンタータとして現存するのはBWV4とこのBWV31の2曲のみです。BWV31の初演はバッハが30歳になったばかりの1715年4月21日で、その後繰り返し再演されています 

この曲は冒頭 ナチュラルトランペットとティンパニにより華やかに幕が開きます トランペット奏者3人は右手にナチュラルトランペットを掲げ、左手を腰に当てて演奏します。そのカッコイイこと 現代の楽器のようにバルブがないので演奏は相当難しそうです 歌手陣はこの曲でも好調です

この曲はバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏によるCD(1997年6月録音)で予習しておきました


     


最後の曲は「響け、歌よ、高らかに」BWV172です この作品はクリスマス、復活祭と並ぶ教会暦の3大祝日、聖霊降臨祭のために書かれました 初演は1714年5月20日と考えられています。バッハはこの曲を好んでいたようで、1717年以降、1724年、1731年、その後も再演されたことが分っています

ここで、フラウト・トラヴェルソの鶴田洋子さんが加わります。この曲はこの日演奏された3つのカンタータの中では最も親しみやすく、心躍る曲想です ジョアン・ラン、ダミアン・ギヨン、櫻田亮、加来徹の歌手陣もこの曲において最高のパフォーマンスを発揮しました また、彼らに寄り添って演奏したリコーダーのアンドレアス・ベーレン、オーボエの三宮正満、トランペットのジャン=フランソワ・マドゥフ、杉村智大、斎藤秀範、フラウト・トラヴェルソの鶴田洋子らのパフォーマンスも特筆に値します そして、忘れてはならないのは透明感のある歌声、ドイツ人も驚くという正確なドイツ語で会場を圧倒するコーラス陣です コーラスで日本を代表する団体を2つ挙げろと言われたら、私は躊躇なく新国立劇場合唱団とこの B. C. J 合唱団を挙げるでしょう

この曲はバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏によるCD(1997年7月録音)で予習しておきました


     

 

この日のコンサートは「祝祭のカンタータ」というテーマだけあって 明るく高揚感のある曲が揃いました   この日の演奏は、まさに「現代に息づくバッハ」を感じさせる素晴らしいパフォーマンスでした

「バッハのカンタータは沢山あってどれから聴けばいいか迷う」という人は、この日演奏された作品の中から1つを選んで聞いてみてはいかがでしょうか。私がお薦めするのは第172番です この曲に限らず、トランペットが入る曲は祝祭感溢れる曲想だと思って間違いありません いいじゃないですか。にわかクリスチャンと言われたって

 

     

 

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