大統領の息子、娘たちも戦場へ行くべきなのだが・・・

2015年09月11日 08時25分44秒 | 沼田利根の言いたい放題














ベトナム戦争は間違っていたと認めたアメリカは、健全と言えば健全。
さらに、イラク戦争に対しても「間違っていた」と認めれば、アメリカに対する信頼も増すだろう。
軍隊は「リスクのある、なし」に関わらず、それが国家にとって必要なことであれば、それをやらなければならない。
戦争であるのだから、必然的に子ども、女性、高齢者など民間人の犠牲も避けられない。
戦争さえなければ、失わることがない多くの生命が理不尽に失われる。
そして、戦争の指導者たちは常に安全地帯に安住している。
大統領の息子、娘たちも戦場へ行くべきなのだが・・・





競走馬 セラピーに

2015年09月11日 07時19分03秒 | 社会・文化・政治・経済
競走馬の余生支える=殺処分避け、セラピーに―著名調教師が試み・滋賀時事通信 9月6日(日)15時8分配信


 引退した競走馬の余生を支えるプロジェクトが進められている。
 行き場がなく、処分される馬も少なくない現状を変えたいと考え続けていた日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンター(滋賀県栗東市)所属の角居勝彦調教師(51)の取り組みだ。乗馬や馬の手入れを通じて障害者らの精神・運動機能を向上させる「ホースセラピー」などで活用する方策を探っている。
 JRAによると、毎年5000頭前後の競走馬が中央競馬を引退。種馬や繁殖牝馬になるのは一部で、大半は地方競馬へ移籍したり、乗馬クラブに売却されたりする。しかし、その受け皿も十分ではなく、多くは殺処分されるのが実情だ。
 角居さんは勝てずに引退する馬への責任を感じていたが、競馬は厳しい競争の世界。「勝てなかった馬の面倒より、勝たせることを考えろ」と自らに言い聞かせ、思いを封印してきた。
 牝馬として64年ぶりに日本ダービーを制した「ウオッカ」などの名馬を育て、2011年から3年連続で最多勝利調教師に輝いた。こうした実績を積み上げた後の13年12月、一般財団法人「ホースコミュニティ」を設立した。
 ホースセラピーを行う各地の団体や乗馬クラブを訪れ、研究を重ねた。今年4月からは、北海道浦河町の業務委託を受け、ホースセラピーを開始。障害児や高齢者らに乗馬の機会を提供している。
 外部講師を招き、闘争心をかき立てる調教を受けてきた競走馬を落ち着かせ、セラピー馬や乗用馬にする技術について講習会も開催している。
 今後は、月数千円の分担金を募り乗馬クラブに支払う預託金に充て、負担した人に乗馬してもらうシステムを考えている。競馬ファンに、乗馬にも目を向けてもらい、馬の活躍の場を広げる狙いだ。 


抗生物質漬けの生活を今すぐやめよう

2015年09月11日 07時06分33秒 | 医科・歯科・介護
「我が意を得た」と当方も受けとめた。
実は当方、20代以降、薬を一度も飲んでいない。
胃薬のみならず風邪薬さえも。
当時、薬業記者として、薬の矛盾に気づき、薬に疑念を抱いたのだ。
沼田利根
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「失われゆく、我々の内なる細菌」
マーティン・J/ブレイザー著 山本太郎訳

抗生物質漬けの生活を今すぐやめよう。
目前の人類存亡の危機を回避したければ。
抗生物質の乱用によって、人類が何万年にもわたり先祖から綿々と受け継いできた常在細菌が壊滅の危機に瀕している。
これがポイントなのである。
ソバアレルギー、花粉症、喘息、自閉症、子どもの肥満の原因の背景に、常在細菌の消滅がある。


食肉用に飼育される家畜にも、単に早く太らせる目的で抗生物質が与えられ、その残渣をあなたは食べ物から、そしてさまざまな飲料から日々取り込んでいる。
「掛け値なしに素晴らしい本である。面白い。是非一読いただきたいと思う」
東北大学大学院教授・山元大輔さん

競輪の全盛時

2015年09月11日 05時59分06秒 | 日記・断片
久しぶりに新井さんに会ってみようかと思った。
午前2時50分に目覚めた。
家を3時20分に出ようよしていたら、寝てしまった。
起きたら4時5分になっていた。
新聞がビニールなしでポストに入っていたので、雨は降らないようだ。
自転車が道の向こう側から来た。
競輪選手の街道練習であろう。
前後にライトが点いていた。
かなりのスピードである。
感じが若いので、たぶんS級選手だろう。
小文間方面へ右折していく。龍ケ崎方面へ向うようだ。
小森印刷が取手にあったころは、駅伝選手たち10人ほどが小文間方面や旧水戸街道を走っていたので、自転車(ママチャリ)で着いて行ってことがある。
黒人選手が先頭に立って皆を引っ張っていた。
「これが駅伝選手たちのスピードか」と感心した。
小森印刷(小森コーポレーション)で取手の東地区周辺はもっていた。
スナックの多くが、小森印刷がつくば市に移転したため、閉鎖に追い込まれた。
小森勤務の友人が5人ほどいて、よく彼らとスナックへ行っていた。
当方が30代~40年代の頃だ。
渡辺製作所もなくなった。
アパート、マンション、駐車場も小森の移転で打撃を受けただろう。
先日、知人としみじみ語ったが井野団地の商店街がまず、なくなり、白山商店街がシャッター通りになった。
また、取手駅前のイトーヨーカドー(5階、地下1階)が閉鎖され、西友、東急も撤退してから取手は衰退した。
競輪の全盛時、ファンたち5000人以上が来場し、帰りは駅周辺の居酒屋、スナックなどが満杯となる。
キャバレー「桃山」も取手で唯一の社交場であった。
昭和50年代のころのことだ。

英知と洞察の光で照らす 詩人・ホイットマン

2015年09月11日 01時40分34秒 | 社会・文化・政治・経済
詩人・ホイットマンは、南北戦争というアメリカの悲劇の歴史の渦中にあって、それを逃れようとしたり、諦めの殻に閉じこもることはありませんでした。
悲劇を遠くに見て、悲しみと喪失の物語を綴ろうなどとも、考えませんでした。
むしろ、混乱と荒廃を、あえて新しい芽生えの土壌として見据え、そこに健全な理想の社会建設を目差しました。
ホイットマンは、自身の理想像を『草の根』に描こうとしました。
ゆえに、現実に生きるホイットマンの姿よりも、気高く、理想の巨像として描かれたことは事実です。
だからといって、そこには必ずしも理想と現実のギャップは存在しないのです。
ホイットマンが、民主主義の真髄である平等と尊厳に生き抜く理想の人格を、どこまでも追求しながら、同時に自らの振る舞いを、その理想に近づけるべく努力し抜いたからです。
作品には、理想と現実の人間像の果てしない緊張と調和が脈打っている、といってよいでしょう。
読者が、そうした動的な人間像から何を学び、どんな啓発を受けるのか、私たちに推し量ることはできません。
エミリー・ディキソン(19世紀のアメリカの女性詩人)が言うように、真実の詩は、頭が胴体を離れ吹き飛んでしまうような感動を与えるものです。
一方、作品が読者の好みに合わせて書かれたものであれば、多くの読者の心を引つけることは可能です。
しかし、それを読んだ読者が、楽しみを覚えこそすれ、魂が揺さぶられ、人生観が変わるような啓発を受けるかどうかは疑問です。
『草の根』はホイットマンが命を吹き込んだ作品です。
頭を胴体から吹き飛ばしてしまうような真実の叫びが、そこにあります。
しかし、一部の人々を除いては、彼が期待したような反響は寄せられませんでした。
多くの詩人には、自ら思想や信念を間接的、示唆的に表現しようとする傾向があります。
一般に人々は、“何かをせよ”と教訓されることお嫌うからです。
しかし、そこで問題となるのは、詩に触れた人々が、その示唆的なメッセージを正しく汲み取ることができるか、といことです。
それどころか、メッセージを誤解して捉えてしまうことも皆無とはいえません。
さらに、教訓を示さぬ詩人が、それを自らの思想と信念の欠如の隠れ蓑としてはいまいか、という疑問もあります。
ホイットマンの詩には太陽が重要なテーマになっています。
太陽は、啓蒙の英知と洞察の光をもって、全ての生命を照らしゆく存在です。
その太陽は、いかなる逆境に置かれた人々にも、平等に光を注ぐ存在であり、民主主義のシンボルともなるものです。
太陽のイメージは普遍の意味をもつことお、私たちは知るべきでしょう。
ケネス・プライス博士・米ネブラスカ大学リンカーン校教授

大雨で特別警戒注意報

2015年09月11日 00時20分01秒 | 日記・断片
ブログにようやく辿りつけた。
ブログが更新できないと、1日が終わらない。
家人に言われる。
「何もしない」
確かに、何もしない。
部屋の掃除もしない。
食器も洗わない。
やるのは、酒のビンを出すくらいだ。
青、無透明、茶色の箱に分別する。
ワンカップの無透明のビンを出すのはわが家だけ。
高級ワインのビン、鹿児島など焼酎のビン、高級そうなウイスキーのビンや吟醸酒のビンを見て、「みなさん、生活に余裕があるのだ」と思ったりする。
珍しく、家人が利根川を様子を見に行く。
「どう?増水はどれくらい?」と携帯電話で家人に確認した。
「想ったほどでない」と家人が答える。
「息子が幼稚園の時、主人が子ども連れて行った時の写真があるけど、その時と比べると利根川はそれほどではないわね」と家人が電話で言っていた。
家人の姪や都内の友人から心配して電話があったのだ。
NHKテレビなどを見て、取手市内も警戒地域になっていたので心配していた。
「気遣い、ありがとう。取手は大丈夫」と家人は気遣いに感謝していた。
これまでにない大雨で特別警戒注意報が出たのだ。
防災無線に耳を傾けた。
しかし、よく雨が降ったものだ。
午後4時、知人と利根川へ見に行く。
緑地公園、野球場、サッカー場、テニスコートも完全に水没。
野球の金網のネットが半分以上水没していた。
土手に20人ほど人が立っていて、増水した川の流れを見ていた。
色々なものが流れてきた。
明日の朝はナマズも釣れるだろう。
釣りは30年ほど前にやめた。