認知症の「本人告知」進まないのはなぜか?…病院など300施設調査

2020年08月10日 11時55分45秒 | 医科・歯科・介護

8/9(日) 15:14配信
読売新聞(ヨミドクター)


 認知症と診断された人に病名を告げるべきか――。がんは告知率が95%に達するが、認知症では必ずしも本人に告知されているわけではない実態が、読売新聞の調査で裏付けられた。病気の進行で内容を理解するのが難しかったり、家族が希望しなかったりすることが理由だ。(影本菜穂子)

家族には9割

読売新聞社

 読売新聞は1~3月、認知症を診療する医療機関1621施設にアンケートを行い、300施設から回答を得た。

 本人と家族に、どのくらいの割合で告知しているかを尋ねたところ、家族には9割を超える施設が「ほぼすべて」と回答した。一方、本人にほぼすべて告知したとする施設は半数だった。「原則しない」との回答を含め、告知が5割以下という施設は19%あった。

 本人に告知しない理由について複数回答で聞いたところ、「病気が進行し、内容の理解が難しい」(48%)、「家族から告知しないように依頼があった」(47%)がほぼ並んで多かった。

 「ショックを受け、失望する」(35%)と本人の受け止めを心配する声や、より確実な診断のため「慎重に経過を見る必要がある」、「完治が望める治療法がない」などが続いた。

 告知する理由では「病気や治療への理解を深めてもらう」(63%)が最も多かった。知る権利、治療法や人生設計などを決める権利を尊重するため、との回答も約60%に上った。

 告知の問題を本人はどう考えているのか。

 大分県の寺野清美さん(66)は3年前、病院の「もの忘れ外来」で若年性認知症と診断された。ただ、医師から説明を受けたのは付き添った娘だけ。帰り道、「もう運転はできないよ」と言われ、認知症だと察した。「死にたい」という言葉が頭に浮かんだ。

 現在は介護施設で調理の仕事をしている。自分の症状を同僚に伝えており、理解してもらっているという安心感がある。「受け入れるまで時間はかかったが、早めに知った方が閉じこもらずに新しいことに挑戦できる」と話す。
サポート不可欠

読売新聞社

 がんの告知率は30年前の15%ほどから、2018年には95%まで上昇した。患者の知る権利が重視されるようになったことと、治療法が進んで生存率が上がったことなどが背景にある。

 一方、認知症の人と家族の会東京都支部には「病名だけを告知され、本人が落ち込んでいる」との相談が家族から寄せられる。代表の大野教子さんは「家族も不安に感じる。告知と同時に『一緒にやっていきましょう』とサポートにつなげられるといい」と話す。

 「どうすれば日常生活を続けていけるか考える出発点」。東京医大高齢診療科教授の清水聡一郎さんは、原則として病名と症状を患者本人に告げる。信頼関係を築くため、隠さない方が良いとの考えに基づく。

 ただ、受け止め方は「その人が抱いてきた認知症に対するイメージに左右されることが大きい」という。「認知症になったら何もできなくなる」と誤解する人は、病名を聞いただけで拒絶してしまう。清水さんは「認知症への理解が社会全体で進めば、告知はもっと当たり前になる」と語る。

 

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東京の医療、「逼迫してない」は誤り 発言に込めた思い

2020年08月10日 11時51分36秒 | 医科・歯科・介護

配信

杏林大病院の山口芳裕・高度救命救急センター長=2020年8月6日、東京都中央区

 東京の医療は逼迫(ひっぱく)していないというのは誤りだ――。杏林大病院(東京都三鷹市)の山口芳裕・高度救命救急センター長は7月22日、新型コロナウイルスの感染状況などを分析する東京都の会議でそう訴えた。ちょうどこの日、「Go To トラベル」事業がスタート。

「第1波」に比べ、医療体制に余裕があると強調する政府に疑問を呈した。発言の裏にどんな思いがあったのか、話を聞いた。

【写真】杏林大病院の山口芳裕・高度救命救急センター長=2020年8月6日、東京都中央区

 「逼迫していない」との発言をテレビのニュースで聞いたのは、会議の前日でした。安倍晋三首相は自民党の役員会で、菅義偉官房長官は定例記者会見で相次いでそう言っていました。違和感がありました。

 いま東京の入院者は約1500人。確保している病床は2400床。入院中の重症者は20人以上。数字だけ見れば「余裕があるじゃないか」と思うかもしれません。でも数字では見えない現場の負荷があります。  

杏林大病院でも、7月後半から感染者の入院や、感染が疑われて救急搬送されてくる「疑い患者」が増えてきました。そのたびに救命救急センターでは、(高性能な)N95マスクやガウン、手袋などフル装備で対応します。診断結果が出るまでの間、疑い患者は病院が感染者用に準備している陰圧室に入ります。  

感染者用の病床を増やすのは簡単ではありません。別の病気で入院している患者を転院させたり、感染者をなるべく個室でみられるようにレイアウトを変更したり。看護師らのシフトの組み替えも必要です。準備期間を考えると、逼迫しているという判断で動かなければ、病床が不足する事態に陥ります。

 感染者が増えると、そこから少し遅れて増えてくるのが重症者です。その時点の入院患者数に余裕があっても、2週間後を見越して評価しないと判断を誤る。政治家は施策に責任をもつ立場です。単なるデータの観察者であってはいけないのです。  

「第1波」の際は、手術を延期したり、入院の受け入れを制限したりすることで、感染者のための病床を確保してきました。その結果、多くの病院は大きな赤字を抱えました。それを踏まえると、通常の医療との両立も課題で、病床だけを増やすように言われても、そう簡単に受けられない事情があります。療養先のホテルの確保や自宅療養への道を十分に進めず、病院だけに負荷をかけることへの反発もあります。

朝日新聞社

 

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新型コロナの政府対応「評価せず」66%…読売世論調査

2020年08月10日 11時49分49秒 | 社会・文化・政治・経済

8/9(日) 22:05配信
読売新聞オンライン


 読売新聞社が7~9日に実施した全国世論調査で、新型コロナウイルスを巡る政府のこれまでの対応を「評価しない」は66%(前回7月3~5日調査48%)に上昇し、同様の質問をした2月以降6回の調査で最も高くなった。「評価する」は最低の27%(同45%)。

 安倍首相が新型コロナへの対応で指導力を発揮していると思わない人は78%に上った。

 

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プロの競輪選手でボディビルでも活躍の中武克雄選手

2020年08月10日 11時19分15秒 | 未来予測研究会の掲示板

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第六回 中武克雄

2003年のトップを飾るインタビューは2002年ミスター関西優勝、プロの競輪選手でありながらボディビルでも活躍されている中武克雄選手に登場していただきます。(2003.1)
スポーツジム B&F所属)

「まず、酒を飲め!!」
プロフィール

1964年3月28日生
大阪市阿倍野区在住

(ボディサイズ)
身長・・・170cm
体重(オフ)・・・85・6kg。
体重(オン)・・・75kg
最大胸囲・・・118cmぐらい
最大腕囲・・・43cm
大腿囲・・・68cm

(パワー)
ベンチプレス・・・オフで160kg
スクワット・・・180kg(パワー系スクワット)
デッドリフト・・・180kg(ほとんどやりません。)
カール・・・50kgx8レップス(ストリクト)

(ボ歴)・・・6年目(ウエイトトレーニングは25年やってます。)

(コンテスト歴)
’02年ミスター関西優勝
’03年ミスター大阪優勝
’07年ジャパンオープン優勝

(自転車)
国民体育大会5連覇
全日本自転車競技大会3連覇
全日本実業団選手権大会3連覇
ロサンゼルスオリンピック日本代表
BIG TOE:中武さん、本日はお忙しいところありがとうございます。遅ればせながらミスター関西優勝おめでとうございます。プロの競輪選手でありながらボディビルでも活躍されている中武選手、これからはミスター日本、そして世界へと飛躍することを期待しています。
さて、早速ですが、インタビューいかせてもらいますんでヨロシク!!

まずはトレイニーの皆さんが一番聞きたいと思っておられる トレーニング についてお伺いします。
○その太い脚をつくる秘訣は? 自分の場合、自転車で作り上げた脚ですから自転車のトレーニングがメインです。ウエイトはフル稼働、フルスクワット。+?としてレッグプレスをクオーター、高重量で刺激を与えるようにしています。
まずフル稼働で基本をしっかり、基本的なトレーニングをまずしっかりやることが大切と思います。
自分の場合、自転車で有酸素系つまり遅筋が普通の人より発達していますから、白筋を刺激するためにウエイトトレーニングを取り入れています。
○その太い脚からは予想外の軽いウエイトでトレーニングされていますよね。 フルスクワットで10レップスきっちりできる重さです。
自分の場合、トレーニングで故障、怪我をしないことが大事なんです。10レップスできっちり追い込みます。
○競輪とボディビルのトレーニングをされているわけですが、やはり本業の競輪に主眼をおいたトレーニングですよね。 脚は、競輪に主眼を置き、他は体力作りという目的です。1時間は競輪、1時間はボディビルのトレーニングという感じです。基本的に5分割ですが、競輪のレースの配分、ローテーションによって頻度や順番は変えるようにしています。
○ウエイトトレーニングが仕事に影響を与えませんか。 基本的にウエイトトレーニングでオーバーワークは無いですね。
今のやり方は、乳酸に耐える筋肉を作るトレーニング、競輪にあわせその最低3日前には、その練習は終わるようにしています。
つまり乳酸を貯めるような、乳酸値をあげるようなトレーニングをしています。具体的には、もう上がらないというところからさらにチーティングで10レップス追い込むとかですね。
○ウエイトトレーニングによってすぐに筋肉がパンプアップして乳酸が溜まりやすくなりませんか? そんなことはないですね。筋肉の量が増えるのは、早い回転で脚を回さなければならないので重さが-になることはあっても、トレーニングが-になることはありません。筋量が増えると大は小を兼ねるので、出る力とスピードは比例すると考えています
○オーバーワークという言葉がでましたが、オーバーワークについての考えを聞かせていただけませんか。 各部位3日インターバルがあれば、オーバーワークは無いと思います。ただ、何もしないでほったらかしの状態やったらトレーニングをした状態で筋肉が固まってしまう状態になって別でしょうが。
ちゃんとストレッチやトレーニング後に乳酸を除去してくれるよぷなサプリメント、ないし栄養素を摂っているかどうか。マッサージ等の手入れをきっちり怠らずやっていればオーバーワークはないですね。
最近、追い込むような厳しいトレーニングもせずに、知識としてオーバーワークという言葉が独り歩きしている気がします。そこまで追い込むことが出来ないレベルでオーバーワークはないでしょう。
○バルクアップのポイントは? フル稼働で基本をしっかり、基本的なトレーニングをまずしっかりやること。角度よりワンレップをきっちり絞り込み爆発力を上げてます。筋肉が動かなくなるまで追い込む。
○減量のポイントは? まず、練習量を上げる。有酸素系のバイクをウエイトトレーニングのあと約1時間取り入れます。
ウエイトトレーニングは、種目を増やし色々な角度から筋肉を刺激します。重量、レップス、セット数、やっている内容はほとんど変わりません。
準備期間も入れて4ヶ月くらいかけ、筋肉をほとんど落とさずにいけますよ。
○1回のトレーニング時間はどのくらい? オフは、2時間以内が目標です。オンは、3時間以内。コンテストが近くなると3時間。有酸素運動を50分くらいとりますから合計4時間ですね。
○トレーニングで各部位の頻度は? 2週間で3回まわるくらいですね。
○好きな種目は?好きな部位は? どれと言うのはありませんが、トレーニング自体がすきです。特に自分の弱点部位を克服する種目、トレーニングが好きですね。
○多用するテクニックは? オーソドックスなセット法が主です。8レップス×5セットが基本。重量は8回出来るウエイトで追い込んで筋肉が動かなくなると8回出来るウエイトにドロップさせます。
○トレーニングの特徴があれば? 特徴ですか・・・。筋肉がうごかなくなるまでやることですね。
中武選手のトレーニングをまとめると・・・
◎脚は、競輪に主眼を置き、他は体力作りという目的で。
◎基本的に5分割で2週間で3回まわるくらい。
◎オーソドックスなセット法8レップス×5セットが基本。
筋肉がうごかなくなるまでやる。
脚は自転車のトレーニングがメイン。ウエイトはフル稼働、フルスクワット。+?としてレッグプレスをクオーター、高重量で刺激を与える。フルスクワットで10レップスきっちりできる重さ。
◎トレーニングで故障、怪我をしないことが大事。

◎減量は、まず練習量を上げる。
自分の弱点部位を克服する種目、トレーニングが好き。
・・・と言ったところでしょうか。さすがプロのスポーツ選手ですね。すべてが前向き。ポジティブです。見習わんと。(BIG TOE)
次は 食事 についてお伺いします。
○バルクアップ時に心がけていることは? 「まず、酒を飲め!!」です。トレーニングが終わった直後に酒を飲めです(笑)。
飲めない人はオレンジジュースでかまいませんが、自分の場合、お酒で食欲を上げ、練習で内臓にも負担がかかっているので、まず内臓に負担をかけずに疲れた体にどれだけ多くの栄養素を回すのが課題ですから「まず、酒を飲む。」ですね(笑)。
食事は、オーソドックスな内容です。オンとオフで違うのは、晩飯の量だけ。オフは、ご飯1杯にビール1リットル+ワイン、日本酒です。
ただ、次の日に残るくらい普段の晩酌ではしませんけど。あくまで食欲増進が目的。同じジムの岩尾さんのように大量に食べるほうではないんで、そういう人たちと見合うカロリーを摂る為に酒を入れたほうが僕には楽なんですよ。
○減量時に心がけていることは? 飯を減らし、ビールを350mlに減らします。次に油の少ない肉、から揚げ、天ぷらを減らします
ささみはほとんど食べません。カロリーを落として鶏の胸肉程度ですね。
オンだからは、意識しますが、オフだからは意識しません。オンのときは、普通の食事を段階的に落としていくだけです。
○サプリメントは何を摂っていますか? クレアチンプロテイン。練習中にBCAAアミノ酸。あとは、総合ビタミンですね。
減量時に、ファットバーナー系サプリメントを摂ることもあります。
○お酒、タバコについて お酒はサプリメントです。お酒は筋肥大のサプリメントです(笑)。酒を入れることによって、さらに食べ摂取カロリーを上げることが出来ますからね。
肝臓に悪いという人もいますが、食べ物を大量に摂るほうが他の内臓に悪いですよ。思うに、結局、内臓の能力が強いか弱いかによって筋肥大に影響が出てきます。それに耐える能力があってさらに上を目指せるんです。
バルクのある選手は、食べることでも豪快ですよね。
日本人は、意固地に真面目さを強調し、禁欲を良しとしますが、こうしなければならないという考えでは上は目指せません。
タバコについては、吸うのが嫌いなので吸いません。ボディビルは、心肺機能を競うスポーツではないので、タバコが直接的に弊害があるとは思いませんね。まあ、吸わないほうが呼吸も楽だし、インターバルの回復力も上がると思いますが。
私も、現役時代に減量中でもビールやチューハイを飲んでましたね。液体は脂肪にならないと自分に都合のいい解釈をしたりして(笑)。
まあ、これが、適度なカロリー摂取になっていたように思いますが。(BIG  TOE)
僕もそう思います。その代わり炭水化物のご飯はやめますが。僕は、満腹感よりも、自分が食べたいものを食べることによって精神が納得するんですよ。空腹感に耐えられないご飯食いの人には辛いかもしれませんが。(中武)
○トレーニングのところで乳酸を除去するサプリメントと言われましたが・・。 飲んでますね。黒酢とリンゴ酢を混ぜたものです。サプリメントではクエン酸ですが、出来るだけナチュラルなものを摂りたいですね。
バルクアップ時には「まず、酒を飲め!!」さすが宴会部長中武選手ならではの言葉(笑)。でも、中武選手が言うと妙に説得力が・・・(爆笑)。
減量時は、まず「練習量を上げる」それから飯を減らし、ビールを350mlに減らす。次に油の少ない肉、から揚げ、天ぷらを減らす。
サプリメントはクレアチンプロテイン。練習中にBCAAアミノ酸。あとは、総合ビタミン。
「お酒は筋肥大のサプリメント」
乳酸を除去するサプリメントとして「黒酢とリンゴ酢」を混ぜたものと言うのも特徴的でしたね。

(BIG TOE)
その他の質問です。
○ボディビルを始めたきっかけは? 6年前、自転車で鎖骨を折る怪我をして、トレーニングがまったく出来なくて体重が90kgまで増えてしまったんですよ。
練習を再開し食事とトレーニングで半年で80kgまで落としたんですが、モチベーションを維持するために塚本会長の勧めでジムコン出場を決めました。ジムコンが終わったあと1ヶ月後にミスター大阪コンテストがあったんで「そこまで頑張ってみよか。」と思い出場しました。出たがりですし、6位以内に入ってフリーポーズをとることが目標でした。それから火がつきましたね。
97年、井上選手が優勝した年でした。
○ボディビルをやってて良かったことは? コンテストは楽しい!!ステージに出る前にほとんど勝負がついているから楽しめるんです。
番狂わせが起こりにくいので変なテンションで試合に挑まなくていいし、横にいる人に対して「こいつに負けたくない。」という気はありますが「こいつをなんとか出し抜いて。」というか、普段レースでは相手の裏をかくことを考えているじゃないですか。勝負に対してダーティな「どうして相手を出し抜いたろか。」という考えがあるんですよ。
コンテストは「ここまでやったんだからあとは楽しむだけ。」という感じですね。
自転車と対極のスポーツがボディビルですから、自己の二面性が出せるんですよ。
コンテストが非常に楽しい。
○中武選手にとってボディビルとは? 何ですかね。出たがりの僕の欲求を満たしてくれるスポーツですね。
○2003年の目標は? まずは、ミスター大阪。けちのつきようのない形で大阪を。これは、全日本につながると思います。
今年は75kg。2003年は77kgで同じ仕上がりをしたいですね。
○好きな言葉 有言実行。
○ボディビル以外の趣味は? バイクです。高校時代、16歳からやってます。
○若いトレイニーたちに一言 僕のスポーツの成功哲学ですが、5つあります。
まず、①イメージする。自分がどうなりたいか。例えばミスター大阪なら取ったときのイメージを浮かべる。②そして、何年以内にするのか計画を立てる。③実行する。④継続する。どんな厳しいトレーニングをしても3日坊主なら結果は出ない。⑤一番大事なこととして、自分を信じ、やり遂げるという信念を持つこと。
これを頭に叩き込んでトレーニングすれば、結果は付いてきます。
○BIG TOEにも何か一言 BIG  TOEさんは、コンテストビルダーをやってたわけじゃないですか。本当のボディビルを御存知でしょうし、厳しいトレーニングと減量をしている選手の辛さもわかるでしょうから、よく「お前本当にコンテストに出たことあるんか?」と言うような人が評価をしたり、ジャッジをしたりするじゃないですか。「それは違うやろ。」と言うのをいい意味でフォローしてくれるような記事を書いて欲しいですよね。
傍目で見るのもいやですが、自分がそういうジャッジされたらいやですからね。
選手は、そのスポーツが好きで苦しい練習に耐え、食べたいものも食べずに、それにエントリー料を払ってステージにあがっているわけじゃないですか。ですから、それを見ているジャッジというのは、選手以上にそのスポーツを愛してないとジャッジなんて出来ません。本当にボディビルを愛している人にジャッジをしてほしいですね。
見ているお客さんもお金を払って見にきているわけですが、そういうアマチュアスポーツってほとんどないですよ。
結局、ボディビルを良くするも悪くするもお客さんであり、選手であり、ジャッジであるんです。そのバランスがとれスポーツを愛する気持ちがなければ盛り上がらないですよ。
最近のコンテストを見ていると、大会の進行に気をとられすぎて見落とされ涙を呑む選手も多くいるように思います。確かにそのコンテストを目指して厳しい練習に耐え、食べたいものも食べずに節制してきた成果が、ステージでの数分間で問われるわけですから審査員の皆さんもじっくりと時間をかけて公正な審査をして欲しいですね。(BIG TOE)
今日は、お忙しいところ貴重な時間をさいていただきありがとうございました。プロのスポーツ選手の話だけあって若いトレイニーだけでなくベテランのトレイニーにとっても得るところが多い内容だったと思います。何事にもポジティブで前向きな姿勢が勝利につながるんですね。
私も初心に戻り、中武選手の「5つの成功哲学」を実行しないといけません。
中武選手には2003年のミスター大阪ではぶっちぎり優勝を。そして、東京で行なわれるミスター日本での活躍を期待しています。
また、B&Fの宴会部長としての打ち上げでのいっそうの活躍も期待しています(笑)。
ありがとうございました!!(BIG TOE)

(写真撮影協力・トレーニングジムB&F)

自衛官、新幹線ではさみ携帯疑い トイレに立てこもり、逮捕

2020年08月10日 11時12分42秒 | 事件・事故

配信

東北新幹線の車内で正当な理由なくはさみを携帯していたとして、埼玉県警大宮署は9日、銃刀法違反の疑いで、青森市の陸上自衛隊青森駐屯地所属の自衛官、手塚和貴容疑者(32)を逮捕した。
容疑者がトイレに立てこもり、新幹線が遅れた。
 容疑は同日午後0時55分ごろ、盛岡発東京行きの東北新幹線やまびこ52号で、刃の長さ約9センチのはさみ1本を携帯していた疑い。他の乗客や乗員にけがはなかった。
容疑者は小山―大宮間を走行中に車内で暴れ、大宮駅で降車させられた。駆け付けた署員が車内に入ったとき、トイレに立てこもっていたという。調べに対し「護身用で持っていた」と供述している。
 

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40歳を過ぎてADHDと診断された小島慶子さんが語る「私の脳に、世界はどう見えたか?」

2020年08月10日 11時07分26秒 | 医科・歯科・介護

8/10(月) 7:00配信
withnews

40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが語る、半生の脳内実況です!

【マンガ】発達障害の2人の息子はこんなに違う 母ちゃんが描く家族の日常

世界に一つの、私の脳みそに映った世界
 3歳まで、私は他の子どもを知りませんでした。父の転勤先のオーストラリア・パースで生まれ、周囲に日本人がほとんど住んでいない環境で、街に出るとき以外は両親と9歳年上の姉と飼い犬とだけ接触して過ごしていたのです。あとは両親が出かけるときにやってくるベビーシッターと。広い芝生の庭、日当たりの良いリビング、窓の外に光る青い川面に点々と浮かぶヨットの白い帆。それが世界でした。はるか北の彼方に日本という場所があることも知りませんでした。

 西オーストラリア州の州都パースは、頬の垂れた猫の顔みたいな形をした大陸の、左のほっぺたの先っちょあたりにある街で、世界で最も孤立した都市とも言われます。地図を見れば一目瞭然。西には広大なインド洋、北にも東にも延々と大地が続くばかりで目立った都市はなく、南に行けば荒れ狂う南極海と白い極地。かつては捕鯨船で賑わったフリーマントルという古い港には、日本の南極観測船しらせが極地に向かう前に食糧を積み込むために寄港します。

 父は大手商社で鉄鋼原料を扱う会社員でした。1970年、オーストラリアの鉄鉱石を買い付ける仕事のために、日本人はまだ百人程度しかいなかったというパースに30代後半で妻子を伴って赴任。アルバムには、マウント・ニューマンという真っ赤な土に覆われた鉄の採掘場に、ヘルメットを被って立つワイシャツ姿の父の写真が何枚も残っています。姉は現地の小学校に通っていました。真っ先に思い浮かぶ当時の記憶には、人がいません。昼間は母と二人きり、近所のオーストラリア人の子と遊ぶこともなく、一人遊びをしていました。

 ですから長いこと、自分は神様に選ばれた特別な子だと思っていました。友達という他者を持たなかった私は自分を相対化するすべがなく、ただでさえ万能感に溢れている幼少期に、自分と世界との境目も曖昧なままに、この世に唯一の子どものような心持ちで暮らしていたのです。

 当時の記憶は断片的で、前後のつながりもはっきりしないものがほとんどです。ただ「ああ、ここが、“今”の始まりなんだ」と思ったシーンは鮮やかに覚えています。両親の寝室で、薄い水色の小花が描かれた化繊のキルティングのシュルシュルと冷たい織地のベッドカバーに座りながら、正面の窓から差す朝日を浴びているのです。そして「ええと昨日はどこに遊びに行ったんだっけ、そうだ滝を見に行ったんだ」と家族とのドライブ旅行を思い出している。同時に、今日という未知の時間が確実に用意されていることを知って、とても満ち足りた気持ちでいるのです。

 ずいぶん長い間、この記憶は前生を終えて今生にスリップした瞬間だと思っていました。すでに生きるということを自分は知っているはずなんだが、という妙な既視感があったからです。やがてそれは寝起きの頭の霧が晴れるように、長じるに従って薄らいでいきました。
生涯離れられない、このお喋りで忘れっぽい脳みそ
 この連載は、40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された私の半生の実況のようなものです。自分の脳みそについて語るということは、どんな診断名がついたかを語ることではなく(それは医師の仕事)、私には世界がどう見えたかという話をすることに他なりません。それが障害ゆえなのか、気質ゆえなのか、パーソナリティによるものなのか、環境によるものなのかはわからない。おそらくそれらすべてが、私の認知の仕組みを作っているのでしょう。

 時には生きる障害となり、時には生来の個性として尊重され、御し難い自己のありようとして、また祝福されるべき天与の才として、どんなにうんざりしようとも生涯離れられない、お喋りで忘れっぽい脳みそ。その生態は、きっとあなたとは違うでしょう。私たちはみんな、ひとりぼっちの寂しい脳みそを生きています。骨の独房に閉じ込められ、絶え間ない思考労働という終身刑に服しているのです。かすかに漏れ出る苦役の呻(うめ)きを、こうしてかろうじて文字にしたものが、せめて互いの孤独の慰めになればと思います。

 どうか、同じ診断名がついてもそれは決して同じ障害ではないということを念頭に置いてお読みください。これは世界に一つの、私の脳みそに映った世界の話です。

赤ドーナツの忠実さと気高さ
 母はことあるごとに、私がどれほど育てにくい子どもであるかを語って聞かせてくれました。癇癪持ちで利かん気で、すぐに「ご機嫌ななめ」になるひねくれ屋。よく叱られては、泣きすぎてひきつけを起こしている体を母に預け、庭に咲く黄色いバラを眺めたものです。「こんなに優しくするなら、あんなに怒らなくても」と思いながら、重く甘やかな安堵に浸っていました。

 先述したようにこのころは他に小さな子どもを見たことがない生活でしたから、遊ぶ時は一人でした。女の子だからと人形も与えられましたが、どういうわけか、人の姿をしたものは可愛くないのです。嫌悪を通り越して憎悪すら感じていました。赤ん坊の時から、人形を持たせると散歩の途中でベビーカーから崖下にぶん投げていたそうですから、生来のものなのでしょう。
 
 いま無理矢理に理由をつければ、世界に一人の子どもであるという自意識を持った私は、他者との関係を模倣するごっこ遊びなどに興味が向かなかったのかもしれません。当時執着していたのは、中が空っぽの赤いプラスティックでできたドーナツ型のおもちゃで、いつも飼い犬と取り合っていました。

 どこにも角張ったところがなく無駄のない形、乾いた滑らかな樹脂の手触り、水気の多い赤の色調、中に閉じ込められた空気の気配、指で弾くと響く虚ろな音、真ん中の穴に指を入れてくるんと回した時の小気味よさ、どこをとっても完璧な、永遠に見飽きることのない美しい輪っかでした。

 この赤ドーナツの洗練された調和と静謐に比べたら、ごちゃごちゃと色や形が組み合わさった人形は調和とは程遠い雑音と不調法の塊で、その上「これは人間だよ! お友達だよ!」と厚かましく押し付けてくる何者かの意図がありありと感じられ、侵入者への警戒を呼び起こすには十分のいかがわしさに満ち満ちていました。

 赤ドーナツは、私の感受の自由を尊重し、それが何かを規定しようと踏み込んできたりしません。手にする者を信頼しているのです。お菓子を模したおもちゃだと思おうが、美の結晶だと思おうが、ただの触ると安心する丸い物だと思おうが、赤ドーナツは黙って甘受します。

 私はその忠実さと気高さを愛していました。飼い犬のダックスフントもまた、あのトーラス(輪っか)の滑らかなフォルムと樹脂の歯触りをこよなく愛していたので、取り合いはいつも真剣勝負でした。噛まれるかもしれないと身の危険を感じても、なんとしても譲るわけにはいきませんでした。奴の歯が滑って、細長い口から唾液塗(まみ)れの輪っかを無事奪還できたときの誇らしさと言ったら。世界で私と犬だけが、赤ドーナツの値打ちを知っていました。

 母は、寝室の白い籐籠に絵本をいっぱい入れておいてくれました。姉のお下がりだったのか、それとも日本から取り寄せていたのか『キンダーブック』という月刊絵本が何冊も、それに『三びきのやぎのがらがらどん』などのお話、わらべうたを集めた切り絵風の絵本など、繰り返し眺めたものです。

 中でも切り絵風のわらべうたの絵本は、真っ黒な背景に鮮やかな手毬や風ぐるまが描かれていて、美しいけれどどこか寂しく懐かしく、そこがとても気に入っていました。母が歌ってくれたわらべうたのなんとなくマイナーがかった音調も好きでした。私にとってはそれが見知らぬ国「にほん」の最初のイメージでした。子どもへの読み聞かせは親の子ども時代の追体験というか、生き直しでもあるので、この出所不明の寂しさは、幼少期の母の心象風景なのかもしれないです。
ドロドロの腕の恐怖とパニック
『がらがらどん』は全体に絵のタッチが荒ぶっており、見ているうちにザワザワと不安になるばかりか、橋の下のトロルがとんでもない恐ろしさでした。ドロドロと茶色く溶けかかった塊にでっかい目鼻がついており、そのいやらしく執念深そうな顔つきと太い怒鳴り声は(確かに聞いたのです)、2~3歳の子どもに軽く心的外傷レベルのショックを与えるのに十分でした。絵本のページをはみ出した茶色い腕がニュルニュルと伸びてきて今にも川に引き摺り込まれそうな気がして、トロルのページは絶対に開けないようにしていました。

 トロルが我が子にそれほどまでの恐怖を与えていることを知った母は、普段使っていない日当たりの悪い部屋を「トロルの部屋」と名付け、娘が言うことを聞かないときに閉じ込めることにしました。トロルの部屋に入れるわよ!!と脅されるのは何より恐ろしく、そして実際閉じ込められたときには正気ではいられず、ドアを叩いて泣き叫びました。

 がらんとした部屋の窓の外には中庭の陰気な緑が繁っており、その藪(やぶ)の中にはイグアナやら毒蜘蛛やらが潜んでいると日頃から聞かされていたのです。薄暗い部屋の横手から今にも大きなトロルの腕が伸びてきそう。部屋の真ん中に蹲(うずくま)った怪物が、あの虚ろな目玉でこちらを見ている気がしてパニックになりました。

 このときにはもはや自分がなぜそこに閉じ込められる羽目になったのか、何を受け入れることを求められているのかなどはもうすっ飛んでいて、ただただ恐慌の中にありました。子どもの心に住み着いたトロルを見事現実世界に呼び出すことに成功した母でしたが、残念ながら教育的効果はなく、私はそんな目に遭わされても相変わらず扱いにくい子どもであったばかりか、暗がりや誰もない廊下などを異常に怖がるようになってしまったので、しつけとしては大失敗だと言えるでしょう。

 ただあるとき、なぜかトロルの部屋が怖くなくなっていることに気がつき、自分は成長して化け物退治に成功したのだと思うことができたので、結果としては良かったのかもしれないです。

 お話ではヤギたちが協力してトロルを退治するのですが、巨大なヤギが蹄(ひづめ)で蹴り殺してバラバラにするというこれまた残忍な手口で、殺戮のあと川に流されていくトロルの破片が一層恨みがましく、川面から立ち上る生臭い体液の臭いまでするようで実に強烈な印象を残しました。そんなわけで、長じてから自分の子どものために買ったときにもビクビクしながらページを開いたのですが、初見から30年を経た大人にも十分に衝撃的な絵柄で、改めて名作であることを実感したものです。


小島慶子(こじま・けいこ)
エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。

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withnewsでは、小島慶子さんのエッセイ「Busy Brain~私の脳の混沌とADHDと~」を毎週月曜日に配信します。


女性に無断で堕胎させた疑いで外科医を逮捕 麻酔薬飲ませる 岡山県警

2020年08月10日 11時03分07秒 | 医科・歯科・介護

8/9(日) 22:49配信

妊娠していた女性の同意を得ずに堕胎をさせたとして、岡山県警は9日、岡山市北区の岡山済生会総合病院の外科医、藤田俊彦容疑者(33)=同市北区駅元町=を不同意堕胎致傷容疑で逮捕した。容疑を認めているという。 
 逮捕容疑は5月17日午後1~5時ごろの間に、勤務先の同病院で20代女性に麻酔薬を飲ませて、もうろう状態にさせ、女性の同意を得ずに堕胎し、妊娠約2カ月の胎児を流産させ、女性に全治約1週間の傷害を負わせたとしている。
藤田容疑者と女性は知り合いだったといい、女性が妊娠したことを藤田容疑者に相談したところ、「診察してあげる」と病院に呼び出されたという。
同月19日に女性が主治医の産婦人科医の診察を受けたところ、胎児の心拍が聞こえず、主治医が岡山西署に通報した。女性は「堕胎するつもりはなかった。許せない。病院でいつの間にか寝てしまった」と話しているという。【松室花実、岩本一希】

 

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