「若年性認知症」の人は推計3万5,000人以上

2020年08月22日 11時02分53秒 | 医科・歯科・介護

若年性認知症の患者数は少子化で減少した

若年性認知症患者数は全国で約3万5,000人と推定される

7月27日、独立行政法人である東京都健康長寿医療センターは「若年性認知症」に関する調査結果を公表。

国内の若年性認知症者が約3万5,700人と推計されたほか、18歳から64歳までの人口10万人当たりの若年性認知症の有病率が約50.9人であることが判明しました。

この調査は、2017年度から2019年度に日本医療研究開発機構(AMED)の認知症研究開発事業として、東京、大阪、北海道などにある認知症患者が利用する医療機関、介護事業所や相談機関などの施設を対象に行われたものです。

認知症の原因となる疾患別でみると、アルツハイマー型認知症が52.6%と全体の半分以上を占めて最多。次いで血管性認知症の17.1%、前頭側頭型認知症の9.4%が多くなっています。

出典:『わが国の若年性認知症の有病率と有病者数』(地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター)を基に作成 更新

同様の調査は2006年から2008年にかけても行われており、この際は患者数が3万7,800万人、18歳から64歳人口10万人あたりの有病率は47.6人で、最も多い原因疾患は血管性認知症でした。この変化について、同センターでは若年性アルツハイマー型認知症に対しての周知が進み意識が高まったことや、診断精度が向上したことが原因ではないかと分析。

今後は就労状況に応じた支援などを充実させ、適切なサービスを提供する必要があるとしています。

日本の人口は14年で約52万人が減少した

上の調査では、若年性認知症の有病率が増加している一方で患者数自体は減少。東京都健康長寿医療センターでは、こうした背景には少子化が関係していると分析しています。

厚生労働省が6月に公表した『令和元年(2019)人口動態統計』によると、1人の女性が生涯で産む子どもの数を表す合計特殊出生率は1.36となり、4年連続で低下していることが判明。出生数も2016年に100万人を割って以来、連続で減少し、86万5,234人となっています。

この影響で、出産数と死亡数の差である自然増減についても、2005年にはじめて減少に転じてからほぼ毎年減り続けており、2019年には51万5,864人の自然減です。

さらに、総務省統計局の公表している資料によると、2019年10月時点での15歳から64歳の人口(生産年齢人口)は7,507万2,000人。これは前年に比べて37万9,000人の減少となり、割合も59.5%と過去最低になっています。

前回の調査が行われた2008年10月時点での生産年齢人口8,230万人と比較すると、そもそもこの人口自体が減っていることになるのです。

若年性認知症で生活が大きく変わってしまうケースが多い

若年性認知症とは65歳未満の人がなる認知症

若年性認知症とは、認知症を65歳未満で発症した場合を指します。18歳から39歳までに発症した場合は「若年期認知症」、40歳から64歳までに発症した場合は「初老期認知症」と区分されています。

若年性認知症の特徴としては、高齢者の認知症で多数を占めるレビー小体型認知症の割合が少なく、代わりに血管性認知症や、前頭側頭型認知症が多くなっていることが挙げられます。

また、通常の認知症では女性の方が多いのに対して、若年性認知症では男性の方が多いというのもひとつの特徴でしょう。

発症後に約8割の人が失職している

2014年に認知症介護研究・研修大府センターが、15府県に若年性認知症患者2,129人を対象とした調査によると、発症後に自分から仕事を辞めた人が66.1%であったほか、解雇や休職も含めると実に78.3%の人が職を失っており、発症後も仕事を続けられた人は11.4%に留まっています。

この調査では、家計状況についての質問もなされており、「とても苦しい」「やや苦しい」という回答が全体の4割を占めました。

今年の3月に埼玉県福祉部地域包括ケア課が発表した報告書でも、同様の調査で発症後に自ら退職したという人は46.6%と最も多く、続いて解雇されたという人が11.9%、定年で退職したという人が10.2%。発症前と同じ職場で働いているという回答は1.7%であるのに比較すると、非常に多くなっています。

出典:『埼玉県若年性認知症実態調査 報告書』(埼玉県福祉部地域包括ケア課)を基に作成 更新

このように職を持って働いている現役世代が認知症を発症すると、業務に支障を抱えたり、職を失ったりすることで経済的な困難が発生しやすいという側面があります。加えて、親の介護とタイミングが重なったり、自分の子どもに大きな影響を与えたり、生活へ影響しやすいことも問題なのです。

支援制度の周知が今後の課題に

埼玉県では5割が支援制度を活用せず

若年性認知症への支援策については、周知が進んでいないことが判明しています。

認知症と診断された場合、精神障害者保健福祉手帳の対象となるため、障がい者雇用枠での採用が可能となるほか、税金や公共料金の軽減など、さまざまなサポートを受けることができます。しかし、前述の埼玉県の調査では、若年性認知症を発症した人のうち、精神障害者保健福祉手帳を取得した人は50.6%と、全体の半分に留まっていることがわかりました。45.5%の人がそもそも申請をしていなかったのです。

出典:『埼玉県若年性認知症実態調査 報告書』(埼玉県福祉部地域包括ケア課)を基に作成 更新

また、手帳の取得申請をしていない人を対象としたアンケートでは、「制度について知らない」という回答が61.0%を占めて最多です。次いで「必要を感じない」が21.9%、「利用したいサービスがない」「家族がいるから大丈夫」との回答がともに2.9%となっていました。

また、2015年に認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)が策定された際、「若年性認知症支援コーディネーター」を都道府県ごとに若年性認知症の相談窓口として配置することになりました。埼玉県では2017年から配置していますが、これについても「知らなかった」「知っていたが相談しなかった」という回答が77.9%と8割近い数字となっており、周知が進んでいないことが明らかとなっています。

情報共有の場づくりなど支援は拡大している

こうした状況の中、各自治体や市民団体が主導し、若年性認知症やそのサポートについて周知する動きが広がりつつあります。以下は、その一例です。

石川県金沢市
昨年、自治体と有志グループである「若年性認知症の人と家族と寄り添いつむぐ会」が共同で、「応援団プロジェクト」を開始。患者たちの集いの場となる「若年性認知症カフェ」などの活動にも取り組んでいる

神奈川県小田原市・箱根町・湯河原町・真鶴町
1市3町が協力し、地域住民や企業などへの周知や啓発活動のほか、「フレンドシップカフェ」という金沢市と同様の集いの場を開催

神奈川県相模原市
ボランティア団体「じゅりの会」が、若年性認知症に関する周知を強化する活動を行っているほか、患者や家族の情報交換をはじめとした交流の場づくりに取り組んでいる

今後もこうした活動によって、若年性認知症への正しい知識の普及や、患者への支援の拡充が望まれます。

「若年性認知症」についての関連記事


映画 「善き人のためのソナタ」

2020年08月22日 10時37分47秒 | 社会・文化・政治・経済

映画レポート

「善き人のためのソナタ」正義ではなく羨望こそが人を動かす。しかしそこからでも善は生まれうる

 盗聴と密告によって体制を維持し続けた監視国家、旧・東ドイツ。その忌まわしい実像は万人が知っていたはずだが、ベルリンの壁崩壊後17年経ってようやく本作のような映画が生まれたことに、ドイツ国民の傷の深さを感じずにはいられない。

 

 しかも主人公は監視体制の総本山ともいうべきシュタージ(国家保安省)の敏腕局員。感情を押し殺してきた(というかすでに失っているように見える)彼だが、著名劇作家と女優のカップルを日夜盗聴するうち、自分でも意外な方向へと情動が動いていく。

 

 沈欝なムードと色調の中、劇作家たちの生活をじわじわ侵食する悪意はまさに恐怖。その悪意のひとつの源でありながら(結果的に)人間性に目覚めてしまう主人公、その覚醒の理由をきれいごとにはしないところに誠実さを感じる。自由と愛と芸術を希求し苦悩に生きるカップルに惹かれた……というよりはむしろ、アパートの住民には陰口叩かれ、愛は手近の娼婦と惨めなセックス、組織の中では醜い政争の駒にしかすぎない自分の生活との落差に気づいてしまったからなのだ。

 

 正義ではなく羨望こそが人を動かす。しかしそこからだって善は生まれうる。なんと正しい人間観察であることか。(ミルクマン斉藤)

ある画家の数奇な運命

理不尽な運命に翻弄されても、真実から目をそらさず、信念に従って生きられるのか?
監督は、そう問い続ける。

善き人のためのソナタ (2006)
DAS LEBEN DER ANDEREN/THE LIVES OF OTHERS

監督 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

キャスト

ウルリッヒ・ミューエ

ヴィースラー大尉

マルティナ・ゲデック

クリスタ=マリア・ジーラント

セバスチャン・コッホ

ゲオルク・ドライマン

ウルリッヒ・トゥクール

ブルビッツ部長

トマス・ティーマ

ハンス=ウーヴェ・バウアー

フォルクマー・クライネルト

マティアス・ブレンナー

スタッフ

フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

監督
フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

脚本
ガブリエル・ヤレド

音楽
ステファヌ・ムーシャ

解説

ベルリンの壁崩壊直前の東ドイツを舞台に、強固な共産主義体制の中枢を担っていたシュタージの実態を暴き、彼らに翻ろうされた芸術家たちの苦悩を浮き彫りにした話題作。
監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクが歴史学者や目撃者への取材を経て作品を完成。アカデミー賞外国語映画賞ドイツ代表作品としても注目を集めている。恐るべき真実を見つめた歴史ドラマとして、珠玉のヒューマンストーリーとして楽しめる。

あらすじ

シュタージ(国家保安省)の局員ヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)は、劇作家のドライマン(セバスチャン・コッホ)と恋人で舞台女優のクリスタ(マルティナ・ゲデック)が反体制的であるという証拠をつかむよう命じられる。ヴィースラーは盗聴器を通して彼らの監視を始めるが、自由な思想を持つ彼らに次第に魅せられ……。

 

 


阪神・近本 藤浪も舌を巻く鉄のメンタル 4安打でリーグトップタイの6度目猛打賞

2020年08月22日 10時27分52秒 | 野球

8/22(土) 5:30配信

スポニチアネックス

<ヤ・神(10)> 1回無死、近本は左越え二塁打を放つ(撮影・大森 寛明)

 ◇セ・リーグ 阪神7-4ヤクルト(2020年8月21日 神宮)

 「打ち出のこづち」と化した阪神・近本のバットが、眠れる打線を叩き起こした。初回先頭で左翼フェンス直撃の二塁打をかますと、2回の第2打席に7試合ぶりの適時打を放った。

 「打ったのはカーブです。初球から思い切って打ちにいくことができました」

 藤浪の適時打で先制し、なおも1死満塁。動揺を隠せない吉田喜の初球カーブをフルスイングした。鋭いライナーは一塁手・坂口のグラブを弾き、右前に転がる2点二塁打になった。

 4回の二塁内野安打で、中日・ビシエドと並びリーグトップタイとなる6度目の猛打賞。9回の中前打で、はやくも昨季の2度を上回る、3度目の1試合4安打を記録した。20日までの3連敗中は自身も12打数1安打。不調の兆しを見せ始めた直後に、豪快に盛り返した。成熟した、揺るぎない精神力が原動力だ。

 そんなメンタルの強さに舌を巻くのが、ほかでもない藤浪だ。「チカは考えてることがめちゃくちゃ深くて、しかも、動じない。ピッチャーと野手で話す機会は少ないですけど、それでも感じるんです」。同学年の右腕に感銘を与えるほどの心の強さで不振を回避。その藤浪に、白星をプレゼントした。

 「チカもジェリー(サンズ)も調子を落としていたので。そういうところで当たりが出た部分もあるし」

 矢野監督は、久々に機能した近本の話題に安堵(あんど)の表情を浮かべた。10安打7得点を演出した背番号5。チームのキーマンなのだと、あらためて印象付けた夜だった。 (巻木 周平)

 

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マルクス・ガブリエル欲望の時代を哲学する

2020年08月22日 10時03分15秒 | 社会・文化・政治・経済
[丸山 俊一, NHK「欲望の時代の哲学」制作班]のマルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する (NHK出版新書)
 
マルクス・ガブリエル / 丸山俊一 / NHK

「欲望の時代の哲学」制作班

話題沸騰! 若き天才哲学者の思想に触れる格好の入門書
著書が日本で異例の売れ行きを見せている“哲学界の新星”、マルクス・ガブリエル。2018年6月の来日時の滞在記録をまとめて大反響となったNHK番組「欲望の時代の哲学」を待望の書籍化。あのガブリエルが、誰にでも分かる言葉で「戦後史」から「日本」までを語りつくす! 世界的ロボット工学者・石黒浩氏とのスリリングな対論も収録。


序章 哲学が生きるためのツールになる時(丸山俊一)

Ⅰ章 静寂が叫ぶ国・ニッポンを哲学する ──ガブリエル、東京・大阪・京都を行く
 1 秩序と混沌の狭間で──東京にて
 2 ヒトラーともわかり合えるはずだ──大阪にて
 3 旅の終わりに──京都にて
 4 静寂が叫んでいる──再び東京にて

Ⅱ章 哲学は時代との格闘だ ──ガブリエルの「戦後哲学史」講座
 1 すべては哲学から生まれた
 2 現代哲学を振り返る
 3 哲学から見る戦後史
 4 ポストモダンとは何か
 5 新実在論へ

Ⅲ章 技術を獲得した果てに人間はどこへ?
   ──哲学者 マルクス・ガブリエル×科学者 石黒浩

終章 「欲望の時代」の柔らかな戦い方(丸山俊一)
 
 
丸山 俊一
慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。
「欲望の資本主義」「人間ってナンだ? 超AI入門」「ニッポンのジレンマ」ほか、
時代を独自の視点で斬る異色の教養番組を企画・制作し続ける。
現在NHKエンタープライズ番組開発エグゼクティブ・プロデューサー。
著書に『欲望の資本主義1・2 /民主主義』『結論は出さなくていい』『すべての仕事は肯定から始まる』ほか。
早稲田大学、東京藝術大学で非常勤講師も務める。 --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。

内容(「BOOK」データベースより)

本格的に哲学を論じた著書が日本で異例の売れ行きを見せた“哲学界の新星”が来日。滞日記録をまとめて大好評となったNHK番組「欲望の時代の哲学」を書籍化!あのガブリエルが、誰にでも分かる言葉で「戦後史」から「日本」まで語りつくす!彼が日本で感じた「壁」とは?フェイクニュース時代になぜ哲学が有効なのか?世界的ロボット工学者・石黒浩氏とのスリリングな対論も収録! --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。
 
 
 
タイトルの「社会の整体師」とはあとがき(終章)の丸山俊一氏による言葉だ。

ガブリエル曰く完璧なシステムという日本の電車。しかし人のためのシステムというよりは、システムのために人がいるようだ、という皮肉めいた感想を持ったよう。そして我々はスマホを使っているのではなく、スマホに使われている?とも。
いや案外そうかもしれない…。

上記の電車のようなシステムを成立させているのは厳格なる時間管理に他ならない。しかしこのような高度な監視社会の日本に対して警鐘を、そして息つく間がない日本人を案じている。

また彼は哲学の変遷を世界史になぞらえながらとてもわかりやすく説明してくれている。
ソクラテス、プラトンなどの哲人を登場させ、時代を経てモダニスムから第二次世界大戦、その自己反省からの実存主義、そして隔たれた地にも関わらず、似たような進化を辿った「平行進化」的構造をレヴィ・ストロースが見出した構造主義、さらにポスト構造主義。
イデオロギー対立であった冷戦も、共に科学万能主義であった点は同じであると述べる。

ドナルド・トランプはポストモダニズムの天才であり、その考えを経済の原動力としていると説く。
そんななか登場するのが彼の提唱する新実在論だ。本当の事実を発見し、真の民主主義を実現するために。

哲学は難しいとお思いの方にも、気軽に読めて知的刺激を大いに受けることができると思う。
 
 
 
テレビ番組の同時通訳テロップを、何の加工もしないまま書籍にしてしまった感は否めない。対話やインタビューにありがちな「論理の飛躍」に補足を加えるでなし、外国語の直訳を読みやすい日本語に“翻訳”するでなし、さらに「無駄話」「相槌」「横道にそれた内容」をカットするでなし......まことお手軽な「人気テレビ番組でもう一儲けしてやろう」的な本と言わざるを得ない。せっかく気鋭な哲学者に興味を持ってページを開いても、これでは書籍購入を後悔することにしかならない。「入門編」として、この深遠な世界をのぞき見ようとしている門外漢には不向きだろう。あえて収穫があったとするなら、「映像作品からテロップだけを取り出して読んでみると、こんなにもスカスカの内容なのか」という発見だろうか。この文字群は、映像と一緒に見てこそのものなのだ。
 
 
NHK;BS1スペシャル「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル日本を行く」の文庫化が、本書の売りだが、本書には千葉雅也氏との対談と京都大学での講演が入っていない。入っていない分は、『nyx 第5号』堀之内出版 に収録されているので、それを合体すべきだ。テレビでのガブリエルの発言とナレーションは制限されているので、本書に『nyx 第5号』をプラスすることで、ガブリエルの日本滞在を再現できたといえる。
 ガブリエルの日本滞在の目的は、「理性的な思想家の社会を築くのに日本はものすごく強い同盟相手になるんじゃないかと思っている。(p.63)」ということである。そして、日本の哲学者にもドイツ社会を見て欲しいという(p.87)。

 ガブリエルの出世作は、本書の巻末にも紹介されている『なぜ世界は存在しないのか』である。ディレクターの丸山俊一氏は、「世界を、すべてを包括する全体とするとき、全体を認識する場もまた全体に含まれているはずなのであり、全体に含まれる場が、場を含む全体を認識するということはあり得ない。」とコメントしている(p.16 改変)。“なぜ世界は存在しないのか”の議論はこれで十分だ。
 私は、「井の中の蛙大海を知らず」の意味を拡張したものと勝手に解釈している。蛙は大海という世界を知ることはできない。自分の世界がすべてと思いあがっているにすぎない。蛙の狭い了見という意味ではなく、井戸の中はそもそも知ることのできない構造になっているということである。

 それよりも生活者として重要な指摘は、「自然主義」への批判である。科学的な法則のみがすべてを支配するという思想である。ここでも「すべて」がキーワードになる。これはガブリエルの“「全体」や「世界」という物言い”に対する警戒心の現れだ(p.17)。この警戒心が、ロボット科学者の石黒浩教授との対談をスリリングなものにしている。

 最初、石黒教授の日本人論にガブリエルが合わせて話は進む。そして、日本やフランスやイタリアと違って、ドイツ人の半数は、かたくなに人型ロボット、つまりヒューマノイドを認めようとしないと石黒教授が話すと、今度はガブリエルによるドイツ人論に話が変わる。
 「ドイツ憲法の最初に、“人間の尊厳は不可侵である”とあり、これはカントが僕たちに与えてくれたコンセプトです。(p.172)」とか、「ドイツの歴史を振り返るとき、失敗は間化のせいだったとう見方が定着しています。・・・・・人間とは何かという推論を止めさせる壁があります。・・・・・同じ過ちを二度と繰り返さないために(p.174)」、「ハイデガーは生物と機械に共通する構造を見出す体系であるサイバネティクスに魅せられた哲学者でしたが、このような研究が人間性を悪い方向へ破壊してしまうのではないかという恐れを(ドイツ人は)持っているのです。(p.175)」と、自然主義への懐疑を示す。

 今後とも人とテクノロジーの共生は不可避である。その中で、自然主義の法則だけで人類を進化させるのは危険であろう。人がしっかり哲学を持たなければならない。ガブリエルの、「論理的な語彙と経験的な語彙をはっきり区別するべきだと思います。・・・・・客観的に存在するモノについては、絶対に間違えないということはありません。常に誤りはあるのです。(p.178)」との発言は重要だ。
 客観性は正しさの条件と考える日本人とは異なり、客観は経験の中にあるのだから間違えるということだろう。一方、論理は主観だが哲学を支えるものであり、テクノロジーとの共生には欠かせないものである。「人間とは何だ」と問う必要のない哲学が必要なのだ。
 
 
 
著者のガブリエルは今の時代にとても危機感を持っていて、「今起きていることを理解しないと、僕らはおそらく見えない力によって破壊されてしまうだろう」(p.155-156)と言っている。
そこで今起きている何かを理解するためには《新しい観念》が必要で、公的な領域での哲学が必要だと考えているわけだ。
ただ、彼の唱える新しい概念、つまり「新実在論」をちゃんと理解するには、すこし手間がかかるかもしれない。哲学というのは結局、前の時代に誰かが提唱していた哲学的理論を否定したり、追加したり、組み合わせたりして、新しい理論を展開するからで、そういう「流れ」を抑えておかないとスッと腑に落ちてはくれない。少なくともドイツ観念論以降、実存主義、構造主義、ポスト構造主義との相対化なしには理解しえない。
ゆえに哲学に親しんでいる読者には苦もなく読めるかもしれないが、それではあまり意味がない。この本はふだんあまり哲学に馴染みのない人向けに、むしろ哲学に触れるきっかけになることを望んで書かれたのだと思う。「今起きていることを理解しないと大変なことになる」という点において、誰もが共有したい「問い」が立てられているからで、その謎を解くカギこそ哲学だと若き哲学者は考えているからだ。
 
 
 
評者は、ドイツの「最新哲学」は、ユルゲン・ハーバーマスのそれであるとの「頑固な固定観念」を長く持ち続けていたが、本書を読んで、「ドイツ哲学に関する既成の価値観」が、「もろくも瓦解」した。ただ、ドイツ人は、「ドイツ観念論」を「精神的・倫理的規範」として日常生活を送っているとの著者の指摘に、「ああ、なるほど…。」と思い、ドイツ哲学界では、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルを代表する「一連の思想潮流」が、脈々と受け継がれている事を痛感させられた。そして、著者は、日本滞在を通じて、精神科学上、日独には、普遍的に価値観を共有する部分と、そうでない部分がある事を指摘し、大変興味深かった。著者の「新実在論」も、認識論的に興味があるので、後日、読んでみたい。それと同時に、著者が、日本には、日本独自の世界観が存在するとの指摘を受けて、「日本的霊性」(鈴木大拙)に関する学問的興味が増して来た。評者は、日本人なのであるから、日本古来の思想も、一通り学ぶべきだと痛感すると同時に、ドイツ人の著者の、ドイツ人ならではの視点で、歴史と伝統のある日本古来の思想についての研究がなされ、東洋と西洋の思想を比較して、新知見をもたらしてくれる事を期待せずにはいられない。楽しみである!
 
 
個人的には、ネットとSNSの発信の仕方に関して、非常に参考になりました。
数十年以上前に、手紙で行ったこと以上のことを、
ネットやSNSでやる必要はないといった感じです。
業務連絡や告知にとどめることが大切なのかなと思います。

著者には、これに行き付くまでに、深い深い内省があると思うのですが、
そのような深い思考も、できない自身にとってみれば、著者に思考にただただ、
「やっぱりそうか!」と思って、参考にしています。
 
 
ポスト・モダンがポスト・ロックとほぼ同義の何かだと思ったまま思考停止した自分にとって、近代以降のヨーロッパ、特にドイツにおける哲学・思想の歴史と、それが現代社会にどう結びついているのかについて学ぶことができた基調な一冊でした。
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乱読する自分の理解として、現代の科学が自己の存在を否定し、遺伝子が過去の膨大な経験をビッグデータとし、動物・生物的な生存を目的として手段として人間に行動を促す。意思や判断は行動を促すためのきっかけに過ぎず、それは体内で起こる化学反応の結果でしかないというものもあり、しっくりくる部分も多かった。
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自分が自分であるがためには、自分の系の外に超越した視点が必要となる。系の外側で物事は動物的経験に基づいて決められる。それは自分というよりは社会としての集合体だけでは說明がつかず、その更に抽象概念レベル、すなわち形而上の存在によってのみ說明がなされる。時間は生から死に向かっているのではなく、死から生に向かう。太古からの集合記憶とともに。
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日本人にも本質的に受け入れられる考え方ではないだろうか。現代日本人は皆、ポストモダニズムの中で個人主義を植え付けられ、それを社会に向けて問いかけることによって自己を探そうとするが、大自然の荒波に揉まれるこの島国にとって、自己などという存在は吹けば飛ぶようなものであり、だからこそ集団の夢の中で物事が決められてくる。日本の天皇制が世界でも異例の長さを誇ることも說明がつく。
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集団の夢は生贄を求める。
その生贄は女であり子であるかもしれない。
ガブリエルはそこに切り込んでいく。
考える葦である人間は、考え抜いた結果として動物に戻っていく。
アンドロイドが見る夢が電気羊であってはいけないのだ。
 
 
新実在論を提唱するマルクス・ガブリエル。

彼の著作は難解で(例えば『なぜ世界は存在しないのか』)、下地の知識がないと途中で読むのがつらくなってきます...。

本書は、NHKの番組「欲望の時代の哲学」の書籍化で、たいへんわかりやすい。ただ、矛盾するようですが、文字起こしの要素が強いのは多少がっかりするところでもあります。

ロボット工学者・石黒浩氏との対談は刺激的です。日本とドイツの根源的な違いについて、深く切り込んでいます。

本を読み終わって思うことは、歴史的に連綿と続いてきた哲学にも、現代は対応しきれていないこと。新しい哲学が現代には必要だということです。

 

 
 
 

 

 


資本主義と倫理 分断社会をこえて

2020年08月22日 10時01分06秒 | 社会・文化・政治・経済

京都大学経済研究所附属先端政策分析研究センター編/岩井 克人著/生源寺 眞一著/溝端 佐登史著/ 内田 由紀子著/小嶋 大造著
2019年3月21日 発売

現在われわれは資本主義そのものをクールに見定める必要に迫られている。格差や環境破壊、経済危機などはいずれもが資本主義というシステムの成り立ちと深いかかわりをもっているためである。
倫理、農業、政治、教育等々の多様なバックグラウンドから、先端的識者により、資本主義がどこから来てどこへ向かうのかという鋭い問いかけがなされていく。
本書は京都大学経済研究所附属先端政策分析研究センターのシンポジウムをベースとしたものであり、発言者は多様な専門性を背景に、資本主義への洞察に富む問いを発し、検討の俎上に上げようとしている。
第一級の研究者たちの問いを通して、現代を取り巻く日常的な風景に新たまた様相を見出せるようになるであろう。
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概要
資本主義はどのような方向に向かうか。倫理、農業、教育等の多様な専門性を背景に、洞察に富む問いを発し、その未来を考察する。
目次
第Ⅰ部 講演
 講演1 経済の中に倫理を見出す-資本主義の新しい形と伝統芸能- 岩井克人
 講演2 社会を支える農業・農村-新潮流と変わらぬ本質- 生源寺眞一
 講演3 資本主義経済をつくる-体制転換30年を振り返る- 溝端佐登史

第Ⅱ部 討論
 話題提供 日本社会における資本主義と倫理 内田由紀子
 パネル・ディスカッション
         パネリスト 岩井克人・生源寺眞一・溝端佐登史・内田由紀子
         司会    小嶋大造

著者プロフィール
京都大学経済研究所附属先端政策分析研究センター  【編】
きょうとだいがくふぞくせんたんせいさくぶんせきけんきゅうせんたー

2005年に京都大学経済研究所内に設置され、政府関係機関と密接に連携して、先端的な経済学の理論・実証分析に基づき、政策の具体像の提言に向けたエビデンスベース・ポリシー研究を推進し、成果を社会に向けて発信することを目的とする組織。


コロナ禍の世界、道徳を基準に 偏見・差別なくす力に

2020年08月22日 09時51分36秒 | 社会・文化・政治・経済
記者の目

=念佛明奈(ベルリン支局)

 新型コロナウイルスが流行して以降、私はドイツで2度、通りすがりの人から「コロナ」と呼ばれ嫌な気持ちになった。同時に、外国にルーツを持つ人に「国に帰れ」と言い、営業を自粛しない企業がさらし者になるといった日本発のニュースにも気分がふさいだ。だからこそ聞いてみたいことがあった。それは「道徳」についてだ。

「道徳的に良いかを基準にして、すべての社会はデザインできる」

倫理資本主義

モラリティは「道徳」や「倫理」という意味だ。
道徳には、他者や環境との関係の中で何が善であるかを常に問う。
これをドイツ人哲学者のマルクス・ガブリエルさんは、「倫理資本主義」と名付け、その流れが加速することは、人類が直面する危機の解決にもつながると主張している。


世界史の針が巻き戻るとき 「新しい実在論」は世界をどう見ているか

2020年08月22日 09時42分24秒 | 社会・文化・政治・経済

マルクス・ガブリエル (著), 大野 和基 (翻訳)

【発売前に大増刷決定!日本の読者のために完全に語り下ろした、唯一のガブリエル本】

「新しい哲学の旗手」「天才哲学者」と称され、世界中から注目を集めているマルクス・ガブリエル。
200年以上の歴史を誇るドイツ・ボン大学の哲学科・正教授に史上最年少で抜擢された、気鋭の哲学者だ。
彼が提唱する「新しい実在論」は、「ポスト真実」の言葉が広がり、ポピュリズムの嵐が吹き荒れる現代において、「真実だけが存在する」ことを示す、画期的な論考とされる。

本書は、今世界に起こりつつある「5つの危機」を取り上げる。
価値の危機、民主主義の危機、資本主義の危機、テクノロジーの危機、そして表象の危機……激変する世界に起きつつある5つの危機とは?
そして、時計の針が巻き戻り始めた世界、「古き良き19世紀に戻ってきている」世界を、「新しい実在論」はどう読み解き、どのような解決策を導き出すのか。

さらに、2章と補講では「新しい実在論」についての、ガブリエル本人による詳細な解説を収録。
特に補講では、ガブリエルが「私の研究の最も深部にある」と述べる論理哲学の核心を図解し、なぜ「世界は存在しない」のか、そしてなぜ「真実だけが存在する」のかに関する鮮やかな論理が展開される。
若き知性が日本の読者のために語り下ろした、スリリングな対話と提言を堪能できる1冊。

第1章 世界史の針が巻き戻るとき
第2章 なぜ今、新しい実在論なのか
第3章 価値の危機――間化、普遍の価値、ニヒリズム
第4章 民主主義の危機――コモンセンス、文化的多元性、多様性のパラドックス
第5章 資本主義の危機――コ・イミュニズム、自己グローバル化、モラル企業
第6章 テクノロジーの危機――「人工的な」知能、GAFAへの対抗策、優しい独裁国家日本
第7章 表象の危機――ファクト、フェイクニュース、アメリカの病
補講 新しい実在論が我々にもたらすもの

内容(「BOOK」データベースより)

「哲学界のロックスター」と称され、世界中から注目を集めているドイツの哲学者、マルクス・ガブリエル。彼が提唱する「新しい実在論」は、何が真実なのか分からなくなった「ポスト・トゥルース」の時代において、「真実だけが存在する」ことを示す、画期的な論考とされる。本書は、気鋭の哲学者が日本の読者のために語り下ろした、スリリングな対話と提言を収録。今世界に起こりつつある「5つの危機」を取り上げ、「新しい実在論は世界をどう見ているのか」を様々な観点から描き出す。哲学的視点から世界の現在と未来を見通す、知的興奮に溢れる1冊。

著者について

1980年生まれ。史上最年少の29歳で、200年以上の伝統を誇るボン大学の哲学科・正教授に。西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新しい実在論」を提唱して世界的に注目される。また、著書『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)は世界中でベストセラーとなった。NHK・Eテレ『欲望の時代の哲学』等への出演も話題に。他著書に『「私」は脳ではない』(講談社選書メチエ)、『新実存主義』(岩波新書)、『神話・狂気・哄笑』(S・ジジェク他との共著、堀之内出版)など。


大野/和基
1955年、兵庫県生まれ。大阪府立北野高校、東京外国語大学英米学科卒業。79~97年渡米。コーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学で基礎医学を学ぶ。その後、現地でジャーナリストとしての活動を開始、国際情勢の裏側、医療問題から経済まで幅広い分野の取材・執筆を行う。97年に帰国後も取材のため、頻繁に渡航。アメリカの最新事情に精通している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
 
世界史の時計の針が巻き戻っていると筆者は警鐘を鳴らしている。「価値の危機」「民主主義の危機」「資本主義の危機」「テクノロジーの危機」そしてその4つの危機に共通する「表象の危機」が、いかに世界の主要な国々を退行させようとしているかが示唆されている。本書から例えを1つ抜粋しよう。世界国家という枠組みがないなかでの経済的グローバル化のもたらしたものは暴力でしかなく、世界の国々はこれから保守に向かう危険性があるとの懸念が本書には記されている。今、米中間に勃発している貿易戦争も、幾つかの国々におけるムスリムに排他的な動きも、世界で起こっている様々な事象が時計の針が巻き戻っていることの証だと筆者は語る。その意味におけるトランプ大統領の有能さ、すなわち、米国の守護者としての有能さは本書に詳細に描かれているが、我々もそろそろ、最も親密な(と我々日本人が思っている)同盟国との連携の枠組みを1から見直すべき時に来ているのではないだろうか。

衝撃を受けた一節があるので簡潔に引用したく思う。「経済システムの目標は、人間性を向上させることであるべきで、すべての学問分野は、同じ1つの目標すなわち、人間、そして人間の幸福の条件を理解することであるべきだ。」筆者が本書のなかで、すべての企業に倫理チームを置くことを提言し、自らも実践している。資本主義は、利益追求と密接に結び付いているため時に悪になる危険性を内包し、倫理チームを置くことで民主主義を阻害する危険性を減らし、民主主義の世界をさらに到達点に近づけられると説いている。民主主義とは、現在我々の生活に深く食い込むインターネットで繰り広げられている、個人の自由の無節操な実現とは真逆のものであり、すべての人々の尊厳を守るということであると筆者は断言する。今、大企業が行なっていることは、何千人もの赤子を窓から放り投げる行為と変わらず、しかも、実際に手を汚した、あるいは目撃した光景ではない、すなわちリアルではないためその行為に苦痛はない。ナチスが行なったホロコーストと同じように、ドイツ国民は虐殺の事実を知っていたけれど、関係者以外その事実を目の当たりにしたことはなく、国民の認識としてはファンタジーと同じで、ファンタジーが苦痛をもたらすことがないのと同じだ。これが資本主義の、ひいては民主主義の危機であることに筆者は警鐘を鳴らしている。このようなあやふやな世界観から脱し、何が真で何が偽なのか、さまざまな方法で見つけ出していくのが現在もっとも重要なことであり、 筆者の提唱する「新しい実在論」であると言えるだろう。

最後に、筆者は人工知能が人間の労働力に取って替わることを非常に懸念している。ベーシックインカムなどの口約束では解決は難しいだろう。世界は果たして、この問題が引き起こす貧困化のスパイラルを止められるだろうか。世界史の針を未来へと進めることができるだろうか。筆者であるマルクス・ガブリエル氏は、今までに類を見なかった新時代の哲学者である。おそらく世界中の多くの人々が彼の著書を読むだろう。今、世界がどこへ向かおうとしているのか、本書には5つの危機が示されているが、どうしたら世界がその危機から脱せられるのか、そのヒントが彼の本には溢れている。ぜひお読みいただきたく思う。 
 
 
 
日本の自称哲学者の語る世情分析にろくなものがないので心配ではあったが、それを払拭してくれるよい本だった。やはり彼は相当に頭がよいし、ジジェクのような韜晦がなく、自分の信念通りにまっすぐ語ってくれていると思う。
 ひどく大雑把に言うなら、議論を尽くせば必ず正解はある、という立場なので、それはあまりに非現実的だろうという話もあるが、総じて読んで損はない感じ。印象に残ったいくつかのトピックを上げると、
 インターネットはメディアや政府が隠したがるいくつかのウソを暴き、私たちはその効力についてある程度信頼するが、ガブリエルは現実世界よりも非民主的であるという。なるほどそういうものかと思う。
 また部外者の知識人には珍しく、トランプ大統領を民主主義の強力な守護者と評価するが、これはその通りだろう。見かけだけで彼を独裁者呼ばわりする文化人の多さに辟易していたが、救われた思いがする。
 AIや大幅な自働化の導入は、例えば少子高齢化に悩む日本社会の救世主になりえるという意見は多いが、彼は労働を荒廃させ経済を停滞させるといってのける。これは十分に考えてよいことだと思う。
 その他、私が感心した部分に、それは違うといいたくなる人はいるだろうし、その逆もあるだろう。しかし十分に歯ごたえのある問題提起になっている。

 それとは別に、彼の存在論には異論がある。彼の意見は存在論ではなく、存在論の放棄だと当初から私は思っていた。意味の場の中に存在が現れるとは、ある文脈の中でのみ存在の妥当性を明言しうるというクワイン流の思考を、言語哲学から認識論に敷衍したものである。なおかつ、存在することを明確に述べうるということに翻訳したデカルト哲学への後退だろう。だから悪いということではないが、存在論として新しいものはない。形而上学は、彼の定義に従えば世界全体に妥当する理論であるから、端から認めるはずがないが、それでも存在論は形而上学であるべきだと私は思う。
 ただ、議論を尽くすことによって何事も明らかにできるという立場は、なるほど存在論と社会分析が一直線につながりえる思考ではある。彼が事あるごとに戻ってくるテーゼ、世界は存在しない、は現実としての評価ではなく、到達目標なのかもしれない。存在論が形而上学であるとは、これも叶うはずのない目標であるが、どちらかと言えばガブリエルのほうがより開かれた議論であり、生産的ではあるだろう
 
 
 
新しい実存主義や著者の主張するエッセンスには、共感や発見させられる点はありますが、インタビューの記事起こしという形式を取ってしまっている(編集者の補遺がない)がゆえに、論拠のない状態から急に主張が展開されたり、論理的な飛躍や根拠の解説が薄くて納得感がなかったりする部分があります。他説への批判も、論理的な誤謬を指摘するというより、テレビのコメンテーターが「あいつは間違ってる」と言うトーンに聞こえます。特に民主主義の危機の章は、哲学的な論理展開というより、個人の趣向に基づく飲み屋談義のように聞こえてしまいました。
あと、資本主義の章では「私はバスの運転手なんかなりたくないけれど」のような表現があり、やや選民思想を匂わせる点は、ニュートラルな理論家というスタンスから逸脱があるように感じます。
もちろん著者は世界的な評価があるため、自身の研究に対する自負や主張があるのでポジショントーク的な面もあると思いますし、インタビューを新書にまとめている言わばトークショーのようなものなので、そのあたりは致し方ないのでしょうが、「新しい実存主義」が哲学のスタンダードであるかのように読者が錯覚してしまうと、それはそれで彼が主張するニュートラルで協調主義的な世界観に反してしまうように思います。
著者の他の著書や論文をじっくり読んでいないので、私のような初学者は本書から入ると違和感が出てしまうかもしれません。
 
 
ポピュリズムや独裁主義といった形で政治タイプが刻々と変化する渦中にあって、ニヒ
リズム(=虚無主義)の表象がもたらす病理に対して、いかに民主主義の再起動をして
切り込んでいくか、そのために思考をたやさない「意味の場」(問いと解)とは何か、
が常にガブリエル氏の念頭にあるかと思う。

その上で、まずは理論的な切り口となる鍵は、「形而上学的多元論」の立場をとること
にあるのではないか、とういうことである。
「形而上学」とは、意味の場(fieid of sense=「FOS」)として大きな秩序を形づくる
カテゴリーの大枠を設定することである。「宇宙」でも「世界」でもない「心の哲学」
という意味の場、「無世界観」(世界(P)は存在しない)=「虚無(¬P)は実在する
)」(虚無=精神《ドイツ語でいう「ガイスト」》と同義であり、フィクションは行動
規範となりうる)を下地にしつつも、「実存(実在)は本質に先立つ」(=人間は始め
に「ありき」であり、他の動物と異なり後天的に規範評価を受けるもの)として倫理的
実践を試みたことが最大の実績と言えよう。

テクノロジーによる技術支配、経済は国民国家を喪失したグローバリズム、マネーゲー
ムに翻弄される資本主義による格差社会の「危機」現象は、「虚無は実在しない」(フ
ィクションは許されず、信じられるのは統計だけ、いわば思考停止した病理状態)を崇
拝する支配者層(アクター)の擬態により覆い隠してきただけに「新しい実在論」は注
目される。
これまでの哲学史が支配してきた「形而上学的二元論」からすると、「世界」という
「自然主義」の「イデオロギー」的発想に帰着する。そして、「宇宙」は「一つの全体」
をなす唯物論を思考する。
確かに、「宇宙」を内側から見る限り、自分という存在を時空間全体の中で意識するこ
とはできるだろう。しかし、万能ではない。
そして、何より、「宇宙」を内包するように「世界」が存在する唯物論では、「宇宙」
を外側から見ることに主軸があり、「経験」できるという擬制は、「イデオロギー」
(=ナンセンス)の産物にすぎない。
「脳」から「心」に還元する方向性は、物質主義が支配する領域ではない。
リアルとフェイクの境界線を再度明確に引き直す試みは、何より人間を「思考停止」か
ら救うものである。
個のヒトは視点(=動機)をもって意思決定をする。しかし、ある事象が捨象となって
現れるとき、視点(=動機)の異なる人々が普遍的な倫理的価値を共有し、同じ意思決
定を下す(=交わる)。視点(=動機)は何も満ちるまで決断されないといものではな
い。視点(=動機)が減じることも許容する。

ひとつ例を挙げよう。
2020年1月11日に台湾総統選が行われ蔡英文が率いる民進党が勝利した。ちょうど、そ
の1年前といえば対抗勢力である中共の中国が背後にある国民党が優勢であったのだが、
「一国二制度でもいいかも」と思っていたのが大半であったからだ。
しかし、香港における習近平の下にある中共の中国による言論統制、人権侵害の惨劇を
みて「もし台湾に一国二制度が導入されたらとんでもない!!」ということに気がつき、
民度の高い台湾国民は反旗の意思決定を指し示した。
無論、台湾における「一国二制度」のフィクションが現実味を帯びた結果である。
そこまでの意思決定に先立つ視点(=動機)は台湾国民の一人一人の動機も異なれば、
意思決定に満ちるまでのバロメーターも一人一人の「心」の領域内で複雑さを体現して
いたのである。
ドイツ語に「das Nichige」という言葉がありますが、虚無というのは「無」ではなく、
普遍性のある倫理的規範に則して、確かに「実在」を体現したのである。
 

コロナ第2波襲来で急増 「家庭内感染」徹底防御マニュアル【#コロナとどう暮らす】

2020年08月22日 09時34分30秒 | 社会・文化・政治・経済

8/5(水) 9:26配信

食事は別々に(C)日刊ゲンダイ

 第2波襲来といっていいだろう。新型コロナウイルスの感染者数が全国各地で過去最多を更新。怖いのは、キャバクラやホストクラブなど夜の街関係だけではなく、家庭内で感染が広がっていること。家庭内感染を防ぐには、どうするか。感染したときの対処は? 気になる疑問をまとめた。

  ◇  ◇  ◇

Q 食事はどうする?

 パートをしている妻から夫や子供ら3人に感染が広がったり、孫から祖父母が感染したりするケースが相次いでいる。別掲の通り家庭内も油断禁物で、食事中は特に感染リスクが高い。

「ここまで感染者数が増えている状況は、市中感染が起きていると考えていい。そう考えると、食事は家庭内で感染を広げるリスクのひとつ。感染が落ち着くまでは、朝は出掛ける順番に食事を取ったり、夕食は帰宅した順番に別々に食事をするなどして、一緒に食事をしない工夫をするのが無難かもしれません」(東京医大名誉教授・加藤治文氏=呼吸器外科)

Q 子供の世話や親の介護で一緒に食事をせざるを得ないときは?

「食べさせる人はマスクを着用して、まず子供や親を食べさせます。自分は、後で一人で食べるなどするといいでしょう」(加藤氏)

 そうすると、食事を作る人の負担が重くなる。妻が食事の担当なら、夫は皿洗いを買って出たり、自分の分は外で買ってくるなどして、妻の負担を軽減することも大切だ。

Q 親が感染したが、子供は陰性。ホテル療養できなくて……。

 フリーアナの赤江珠緒(45)は、テレビ朝日勤務の夫とともに新型コロナに感染。しかし、2歳の娘は陰性で、困った末、重症の夫は入院したものの、自らは娘の世話のため自宅療養の道を選んでいる(その後、娘の感染も判明)。親がシングルならなおさら自宅療養せざるを得ないだろうが、赤江アナのケースが報道され、状況は変わっている。

 たとえば、東京・港区は、親が感染して入院が必要で、子供が18歳未満の場合、PCR検査で陰性かつ児童相談所による保護や病院での居場所確保などが困難なら、子供を区内宿泊施設で受け入れる体制を整備。専門の保育業者が24時間常駐して見守るほか、食事も提供するという。長崎県も同様の体制を取っている。親が感染したら、慌てることなく、各地の児童相談所や自治体に相談することだ。

Q それでも自宅療養する人は少なからずいる。隔離はどうする?

 日本の狭い住宅で隔離は難しいが、一戸建てならまだ可能性がある。

「たとえば、2階建てなら、感染者は2階、健康な人は1階に分かれて生活するといい。感染者はなるべく2階にとどめ、1階に下りないようにし、看病で2階に上がる人はだれか一人に固定することです」(加藤氏)

 トイレや風呂が1階にしかなければ、感染者は用を足すときだけ1階に下りる。その場合、トイレのレバーやドアノブ、手すりなどは消毒を。マンションでもメゾネットなら、この方法でいい。玄関がある階で健康な人が暮らし、もう一方の階で感染者が生活するのがコツだという。

 では、1フロアの普通のマンションは? 玄関から遠い方の部屋に隔離するといい。健康な人は通勤や通学で必ず玄関を行き来する。なるべく生活の動線を混線させないのが無難だという。

Q 自宅療養中の食事の提供は紙皿がベター?

 紙に付着したウイルスは24時間、プラスチックだと72時間ほど生き延びるとされる。食べ終えた紙皿は、ビニール袋に入れて口をしっかり縛って捨てる。

Q マンションで感染者が出たら、消毒は?

 マンションは私有財産であるため、公的な保健所が消毒することはできない。居住者たちが自分で行うか、合意形成を経た上で民間の消毒業者に依頼することになる。重要なのは、多くの人が手で触れる部分で、入り口のオートロックやエレベーター、駐車場などのボタン、共用スペースのトイレやドアノブ、蛇口など。感染者の居住スペースも、もちろん対象になる。

韓国の研究チームが報告 リスクは外出時の5倍!

家庭内はハイリスク(C)PIXTA

 こと新型コロナウイルスの感染においては、家庭内は、屋外よりハイリスクなことが明らかになった。韓国の研究チームは、1月20日から3月27日までのデータから、新型コロナの感染者約5700人とその接触者約5万9000人を分析。それによると、家族以外との接触による感染率は2%だったが、家族との接触による感染率は10%に上ったという。

 要注意なのは、10代と60代、70代。家族内での初めての感染がこれらの年代だと、ほかの年代より感染率が高かった。韓国疾病予防管理局の分析によれば、これらの年代は保護や介護が必要で、家族との接触が増えるためと考えられるという。

マンションで起こる数々の不便

管理人のありがたさが身にしみる(C)日刊ゲンダイ

 マンションで感染者が出てまず行うのは、消毒だ。しかし、その影響は意外と大きく、住人は思いも寄らぬ負担を強いられることになる。東京・江東区にあるマンションに住む40代の男性は、管理組合の報告書を見て驚いたという。

「マンションの住人に感染者が出たら、委託している管理会社が撤退する可能性があるのです。それで最も困るのが、ゴミ出し。住人は、24時間自由に出すことができるゴミ置き場にゴミを持っていくと、管理人さんがさらに細かく分別し、回収日に自治体指定のゴミ置き場に出しています。管理会社がいなくなると、住人が持ち回りで一連の作業を担当するか、各家庭で自治体のゴミ置き場に出しにいくか。いずれにしても大変で、管理組合で急いで対策を練っているところです」

 管理会社が撤退すると、廊下や入り口など共用部分の清掃も滞る。その対策もあるという。

 防災センターがあるような大規模マンションだと、さらにつらい。入り口の開閉を管理会社が担うケースが多く、そのスタッフがいなくなると、万が一のとき、救急車がすぐに入れなくなる恐れもある。コンシェルジュ機能も、管理会社の撤退で中ぶらりんになりかねないだろう。

 セキュリティーやサービスが充実したマンションは、その多くを管理会社などがカバーする。管理会社の不在は一定期間とはいえ、それを住人で分担するのは大変だ。管理会社撤退時の取り決めがないマンションは、すぐに話し合った方がいい。

 

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 石川県内最後の「遊戯道路」廃止…「昭和の規制、現在に合わず」

2020年08月22日 09時27分15秒 | 社会・文化・政治・経済

8/21(金) 22:35配信

遊戯道路の標識を取り外す署員(20日、金沢市本多町で)

 曜日や時間帯を区切って車の通行を規制し、子供たちの遊び場として利用されてきた金沢市本多町の歩行者用道路(通称・遊戯道路)が20日、廃止された。県内で唯一残る遊戯道路だったが、少子化や公園の整備が進んだことなどもあり、近年は子供が遊ぶ姿も少なくなっていた。

 石川県警金沢中署によると、遊戯道路は主に、地元住民の要望などを受けて県公安委員会が指定する。県内では1972~73年、金沢市やかほく市などで計9か所が指定されたが、時代の移り変わりとともに廃止が進んだ。

 金沢市本多町の遊戯道路は、遊学館高校の脇にある約50メートルの区間で、日曜と祝日の午前8時~午後6時に限り、車の通行を規制。一方で、近年は道路で遊ぶ子供が減り、標識を見落として車が進入してくるケースもあったという。同署の平野洋一交通1課長は「昭和に定めた規制が、現在の交通事情に合わなくなっている。交通量や地元の声などを総合的に判断して廃止を決めた」と説明する。

 この日は、地域住民が見守る中、署員が歩行者専用を示す標識などを取り外し、約50年間続いた遊戯道路としての役目を終えた。道路近くに70年以上住む男性(81)は「昔は日曜日になると、多くの子供が通りに集まってきた。縄跳びやキャッチボールをしたり、朝に集まってラジオ体操をしたりと、にぎわいがあった。少しさみしい気持ちもある」と話していた。

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ホームレス、届かぬ10万円 住民登録なく対象外に 定額給付金、申請期限迫る

2020年08月22日 09時27分15秒 | 社会・文化・政治・経済

8/22(土) 7:15配信

時事通信

ホームレス支援団体の炊き出し会場に置かれた、特別定額給付金の申請を呼び掛ける看板=15日、東京都渋谷区

 新型コロナウイルス対策として1人10万円を支給する特別定額給付金が、各地の自治体で申請期限を迎えつつある。

【図解】持続化給付金の支給事務

 給付率は98%を超える一方、住民登録のない一部のホームレスは受け取れない状態のままだ。支援者は「本来真っ先にもらうべき人が取り残されている」と訴え、期限延長や登録なしでの支給を求めている。

 「もう無理だと諦めている」。東京都渋谷区の公園で支援団体が行う炊き出しに訪れた男性(63)は15日夜、弁当を手にうなだれた。25年ほど前から路上生活を続け、住民登録は既に消されている。新型コロナの影響でアルミ缶拾いのわずかな収入も減り、「困っているのは一緒。みんなに配ると言っていたのにおかしい」と憤る。

 給付金の申請期限は、市区町村の受け付け開始から3カ月以内と定められ、多くの自治体で8月中に締め切られる。総務省によると、14日までに総世帯の98.1%に給付を終えた。

 基準日とされた4月27日時点で住民基本台帳に記録されている全ての人が対象で、路上生活でもどこかの自治体に住民登録があれば、申請書を取り寄せるなどして受給できる。一部の自治体では住基ネットで登録のある自治体を調べ、給付手続きも代行している。

 問題は、居住実態がないなどの理由で住民票が「消除」されたケースだ。基準日以降でも、今住む場所の自治体で新たに住民登録すれば受給できるが、路上や公園は住所にできない。総務省はインターネットカフェなども管理者が同意すれば住所を置けると通知しているが、業界団体「日本複合カフェ協会」によると、可能な加盟店はないという。

 渋谷区では申請期限が迫る中、支援団体の施設を住所と認める対応を始めた。区の担当者は「できる限り受給してほしいが、居住実態がなければ住民登録できない。紳士協定だ」と話す。

 厚生労働省の1月の調査では、全国のホームレスは計3992人。支援活動に長年携わる木村正人・高千穂大教授(社会学)は「仮に半数に住民登録がないとしても2000人程度で、特別な措置をしても大した労力ではない。自治体の窓口で可能な限り本人確認し、総務省が記録を一元管理するなど重複支給を防ぐ方法はある」と話した。 

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