「あの時、MI6は、公安調査庁に
極秘情報を渡していた――」
深い霧に覆われた情報組織、これが公安調査庁だ。一般の目が届かない深層で情報活動を繰り広げ、決して表舞台に出ようとしない組織。
逮捕権を持たないため、人の心の襞に分け入るヒューミント(対人諜報)に存在意義を見出している。公安警察や外務省と情報コミュニティーの主導権を競う公安調査庁。インテリジェンスの巨匠ふたりは、その素顔に切り込み、過去の重大事件の裏側を初めて論じてみせた。いま公安調査庁から目が離せない!
著者について
外交ジャーナリスト・作家。9・11テロにNHKワシントン支局長として遭遇。ハーバード大学国際問題研究所フェローを経て2005年にNHKより独立し、インテリジェンス小説『ウルトラ・ダラー』を発表しベストセラーに。『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師』のほか、佐藤優氏との共著『インテリジェンスの最強テキスト』など著書多数。
佐藤優 Sato Masaru
1960年東京都生まれ。作家・元外務省主任分析官。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、在ロシア日本大使館に勤務。2005年から作家に。05年発表の『国家の罠』で毎日出版文化賞特別賞、翌06年には『自壊する帝国』で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『修羅場の極意』『ケンカの流儀』『嫉妬と自己愛』など著書多数。池上彰氏との共著に『教育激変』などがある。
本書は244ページ。まえがき、第1章~第6章、あとがきからなる。
まえがきは手嶋龍一が執筆している。
第1章~第6章は手嶋と佐藤優の対談だ。
第1章では、2001年5月1日の金正男の密入国未遂事件は、英国秘密情報機関(SIS)から公安調査庁にもたらされた情報が端緒になったと紹介されている。金正男の密入国の目的はおそらく米国中央情報局(CIA)との接触であり、SISは何らかの理由でその接触を妨害しようとしたのではないかという。
第2章では、新型コロナ・ウィルスが武漢病毒研究所から漏れ出たという情報の真偽を日本で検証できるのは、オウム真理教事件で生物・化学戦情報の蓄積がある公安調査庁だけだとして、「この情報の結節点になるべき」と主張している(「結節点になっている」ではない)。
第3章はインテリジェンスの総論だ。
第4章では、2014年10月に北海道大学理学部数学科の男子学生N(26歳)がイスラム国の義勇兵になるのを未然に防いだのは、公安調査庁と警視庁公安部外事三課の連係プレーだったと紹介されている。シリアへの渡航歴がある中田考・同志社大学神学部元教授(54歳)を監視していた公安調査庁が、千代田区外神田1-16-10の雑居ビル「ニュー秋葉原センター」1階でSF小説を扱う古書店「星雲堂」に中田が頻繁に出入りするのをチェック。開成高校から東京大学理学部数学科に進学したものの中退した「星雲堂」店主・緒方(31歳)は、高機能発達障害者の自助グループ「悪質クラスタ」では「大司教」と呼ばれていた。杉並区阿佐ヶ谷2-15-12の「アジト」と呼ぶ木造平屋の管理人をして、高機能発達障害者たちと生活を共にしていた。4月1日に「星雲堂」を開店して、4月半ばには「求人 勤務地:シリア」という広告を貼りだした。
「悪質クラスタ」の仲間であったN(ツイッターのハンドルネームは「ほわせぷ」、9月以後は「障害者」)は4月に北大を休学して、全国を放浪。7月に上京して「星雲堂」を訪れ、貼り紙を見て義勇兵に応募。イスラム教徒でもなんでもなかったが、就職活動がうまくいかず、自暴自棄になっての行動だった。Nとやはり貼り紙を見て応募してきた千葉県在住の軍事オタクのフリーター(23歳)を「アジト」に住まわせた緒方は、彼らを中田に紹介。Nとフリーターをイスラム教に入信させた中田は、ヴィザなしでシリア入りする方法を教え、イスラム国のウマル・グラバー司令官と連絡を取り、フリー・ジャーナリストの常岡浩介(45歳)を紹介した。7月31日に池袋のマレーシア料理店で常岡は彼らと会った。軍事ジャーナリストの神浦元彰によると、彼らに密着取材してテレヴィ局に売り込めば30分番組で400万~800万円にはなるという。彼らは8月11日の出発を希望しており、常岡は一時旅費を立て替えてトルコまでの航空券を買い、8月5日に中田の自宅近くのファミリー・レストランで彼らに渡した。ここに至って、公安調査庁が外事三課に通報するか、彼らの親に知らせるかしたらしい。10日の送別会で知人女性が旅券を持ち出して北大の学生課に預け、学生課がNの母親に渡した。フリーターも母親に押しとどめられて断念した。
上京した母親から旅券を返却されて激高したNは、なんと警察に女性を告発。おかげで外事三課は堂々と一件に介入することができた。外事三課の刑事がNを説得しようと試みたが、翻意させるには至らなかった。Nはどうしてもシリアに入りたいと中田に相談。常岡から10月7日に出国してシリアに行くと聞いていた中田は、それをNに教えた。今度は自腹で航空券を買ったNは、4日に常岡に同行を志願。6日に外事三課は刑法第93条「私戦予備及び陰謀罪」容疑でNや常岡を強制捜査して、旅券を押収した。
2017年10月3日に常岡は東京都と国に620万円の損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した。幕末に徳川幕府に無断で長州藩や薩摩藩が英国に戦争を仕掛けたようなことを繰り返さないために明治13年(1880年)に制定された「私戦予備及び陰謀罪」は、今まで適用されたことが一度もない。外国で傭兵として戦闘に参加したと公言する者や、傭兵体験を本にして出版する者がいるなかで、Nや常岡にだけこの法律を適用するのはいささか公平性を欠く。2014年8月15日に国連安全保障理事会がすべての加盟国に外国人戦闘員の参加を阻止する措置を講じることを求めるという決議2170号を採択しており、日本政府もこんなに努力していますよと国際社会にアピールしたかったのかもしれない。
時効成立前の2019年7月3日に外事三課はN、フリーター、緒方、中田、常岡を書類送検したが、22日に東京地方検察庁は5人を不起訴処分とした。
2016年1月4日に中田は豊島区南長崎5丁目29-13に「リサイクルショップ落穂拾(らくすいしゅう)2号店」を開店したが、10月31日に警視庁は古物営業法違反容疑で同店や中田の自宅など4か所を家宅捜索。盗品売買を防ぐために、古物営業法は古物商に中古品や売り主の身元を台帳に記録することを義務付けているが、「リサイクルショップ落穂拾2号店」はそれを怠っていた疑いだった。だが今日、リサイクルショップに並ぶ商品のほとんどは元の持ち主がリサイクル料を惜しんでただ同然で払い下げた不用品で、古物営業法でも1万円未満の中古品の取引は台帳への記録義務がない。微罪だから強制捜査が行われることも異例だ。明らかにこの家宅捜索は情報収集または嫌がらせを目的とした別件捜査だった。表向き目白警察署生活安全部が捜索するように見せかけながら、実際には外事三課の捜査員が生活安全部に机を置いて押収したスマホの解析などに当たった。
11月5日に警視庁は「リサイクルショップ落穂拾」を経営する株式会社「東講」で台帳を管理していた矢内東紀(25歳)を書類送検。都立新宿高等学校から1浪して慶應義塾大学経済学部に進学した矢内は、在学中の2011年12月に「宮内春樹」と名乗って企業の新人採用のあり方に抗議する「就活生組合」を組織した。2012年1月22日にアラーの啓示を受けたと主張して「預言者」を自称し、25日にイスラム系新興宗教団体「聖久律法会」を開いた。「聖久律法会」は「神はすべての人民に即刻自殺せよとおっしゃいました」などと説く危険なカルト宗教だった(2015年4月に「 ダールルハック〔真理の家〕」と改称したが、2016年ごろに休眠状態になった)。西新宿のカレー屋で中田と会ったのをきっかけに親しくなり、2013年5月22日に東京に中田と共同で「カリフメディアミクス」という会社を設立した(2015年10月5日に「東講」と商号変更)。2014年にNの件で中田に取材が殺到したときには、矢内が窓口になってメディア各社に100万円払えなどと要求した。2015年に「カリフメディアミクス」は「リサイクルショップ落穂拾」を開店。1年間で5店舗にまで拡大した。ここからは矢内が敏腕経営者であるかのようにみえるが、実際には店員に共同体への奉仕を要求し、衣食住を保証するかわりにただ働きさせるというからくりがあったからこそ実現した事業拡大だった。2018年には矢内はアラーの啓示は幻聴だったとして「預言者」の自称をやめた。こちらも相当胡散臭い人物だ。
第5章では、公安調査庁の歴史が解説されている。
第6章では、今後の公安調査庁に必要なこととして、国会による監視、調査官に身分偽変を認めること、広報、オープン・ソース・インテリジェンス(OSINT)活動が挙げられている。
あとがきは佐藤が執筆している。
手嶋も佐藤もインテリジェンスの大家ではあるが、公安調査庁の職員だったことはない。厳しい言い方をすれば、インテリジェンス・コミュニティの周辺にいて、公安調査庁については一般人よりいくらか詳しいという程度だ。
公安調査庁のキャリア職員だった野田敬生は、一連の告発本で公安調査庁の予算や人員や能力や士気の貧弱さを暴露している。野田が公安調査庁を退職してから20年以上が経って、公安調査庁も生まれ変わったのかもしれないが、手嶋や佐藤のいうようにインテリジェンス・コミュニティの中核を担う情報機関になったとは信じられない。
レヴューの評価は高いが、評者には「手嶋と佐藤のネーム・ヴァリューに乗っかってお手軽にまとめた代物」という印象がぬぐえない。
相手が平易な池上氏に比べて、同じインテリジェンスを見せる手嶋氏との対談は更に深い内容となったようです。
これを読むと、大メディアの甘さやネットにしたり顔で書き込まれる甘い投稿がいかに恥ずかしいことか。
インテリジェンスの世界、恐るべし、学ぶべし。
恐らく、3~4回読んで思いを深めます。
しかし、公安調査庁のインテリジェンス活動は、国家の安寧にとって必要不可欠なもので、だからこそ、一般の目が届かない所で密かに活動を繰り広げているのである。
本書では、作家の手嶋龍一氏と佐藤優氏による対談形式で、公安調査庁の知られざる実像と実力と実績を紹介しており、誠に興味深い。
公安調査庁では、近年海外についての諜報活動についても積極的に携わっており、警察庁や外務省などの他官庁の隙間を埋める貴重な諜報機関として存在度を高めている。
本書を読めば、公安調査庁の存在意義とその重要性が理解でき、国家のインテリジェンスの重要性がいかに大切な事であるかを知ることができる。
②金正男氏は金正日委員長の長男であり、彼の後継者は当時はまだ決まっていなかった。この長男の身柄を人質として拘束し、日本人拉致被害者返還交渉の切り札(カード)として使うべきことを当時の佐藤優氏は外務省で提言していたという。
今から思うと、この時こそ拉致問題を一気に解決する唯一のチャンスであった。かえすがえすも残念である。
③当時は小泉内閣が誕生したばかりで、外務大臣として田中眞紀子氏が実権を握り、直ぐに解放して出国させろとの指示があったと言う。事実、3日後に金正男夫妻は出国した。
④彼は2017年にマレーシア国際空港で殺されるが、日本への不法入国をアメリカ・ロシアからいち早く入手したのは、〈公安調査庁〉であった。この組織が本書では極めて重要な役割を果たすが、国民の知らないこの組織について本書で読者は知ることになる。
⑤本書から得られる知見は大変貴重である。当事者しか知らない情報を知ることが出来るからだ。
お勧めの一冊だ。
2001年5月に金正男が日本に違法入国しようとして拘束された事件で、公安調査庁がシンガポールから情報を得ていたことで、成田の入管で止めることが出来たこと、金正男を拉致問題解決の切り札として生かす選択肢があったことなど、歴史の「if」を考えない訳にはいかない。
また、イスラム国に参加しようとした北大生を未遂に止まらせた裏にも公安調査庁の働きがあったということも一般には知られていないが、日頃の地道な調査・働きが国益を守っていることを認識しておく必要がある。
1660人の知られざる第一級のインテリジェンス機関の実態に光を当てる優れた一冊。