「息子を切りつけ」 約10年前に住んでいた部屋で“不審火”…大阪ビル放火殺人の容疑者 過去にトラブルの証言

2021年12月21日 16時26分17秒 | 新聞を読もう

12/20(月) 20:12配信 FNNプライムオンライン

12月17日、大阪・北新地のビルに入る心療内科クリニックで起きた放火殺人事件。28人が病院に運ばれ、24人が死亡しました。めざまし8が容疑者周辺の取材を進めると、過去のトラブルとそれを契機にした“深い孤独”が浮上しました。

【画像】事件直前にも放火か…容疑者の自宅とみられる住宅とビルの距離は約3.5km

「信じられない」中学の同学年の男性が語る 容疑者の印象
警察は19日、クリニックに通院していた職業不詳の谷本盛雄容疑者(61)を容疑者と特定したと発表しました。谷本容疑者はどんな人物なのでしょうか。同じ中学に通っていた同じ学年の男性に話を聞きました。

谷本容疑者の中学時代の同学年の男性:
信じられないね。そんなに悪い子じゃなかったし、怖い印象はなかったですね。そんなに目立つ子でもなかったし、おとなしそうな印象しかないんだ。深く付き合ってはないですけど、そんなには悪い子のようには思いませんでした。目立つ子ではなかった。

容疑者には、おとなしい印象しかないといいます。

――中学卒業後は?

谷本容疑者の中学時代の同学年の男性:
会ってないと思います。

――同級会とか、そういうことも?

谷本容疑者の中学時代の同学年の男性:
同窓会も来たことないですね。

一方、谷本容疑者が働いていた職場の関係者からは、職人として「腕がいい」という証言がありました。

過去に“息子を切りつける事件”…家庭環境に大きな変化が
田中良幸キャスター:
谷本容疑者は大阪市此花区で生まれ育ちました。父親は板金工場を営んでいて、谷本容疑者も一時、その会社を手伝っていたということです。

その後、2002年からは別の板金工場で働き始めた谷本容疑者。当時の働きぶりについて、職場の関係者は…。

職場の関係者:
きちっとできる人。後から入ってきた人らでもきれいにちゃんと教えてくれるし、教え方でもピリッと厳しく、自分にも厳しいから。おかしな仕事されたくないんじゃないですか。自分が責任持ってやってたらね。腕も良かった。本当に腕のいい人でしたよ。

勤務態度は真面目で、責任感が強い腕の良い職人。しかし、2010年頃、家庭環境に大きな変化が訪れ重大な転機となります。

職場の関係者:
みんなに縁切られて、親も兄弟も子供さんにも。ひとりぼっちになった。そういう心の悩みが。

「家族に縁をを切られていた」と語る関係者。どういうことなのでしょうか。さらに、その詳細を知る人物たちを取材しました。

トラブルを知る人:
息子さんを切りつけるって。玄関のところに血があるような感じ。それ以上のことはブルーシートを張って見えないようにしてた

息子との間で大きなトラブルが起きていたと話します。さらに、谷本容疑者が以前住んでいたマンションで起きたトラブルについて、管理人はこんな出来事を明かします。

以前住んでいたマンションで不審火 「たばこが原因」と主張
以前住んでいたマンションの管理人:
谷本容疑者の部屋が火事になって、丸焼けになったんです。大騒ぎになりましたよ。消防車など全部来て、部屋が丸焼けなんだから。

約10年前に住んでいた部屋で“不審火”が起きていたというのです。

以前住んでいたマンションの管理人:
たばこの吸い殻、たまたまコンビニ行ってる間に火がついたと。布団に燃えついて、帰ったら火だらけになっとったというのが、本人の言い分です。

谷本容疑者は「たばこが原因だ」と話していたといいます。取材でわかってきたのは、谷本容疑者が巻き起こしてきた度重なるトラブル。

そうした問題のあと、姿を消したという谷本容疑者。この空白の期間に深まったとみられる「孤独」。そして、2021年に入りある変化が起きていました。谷本容疑者は突如、かつて妻や息子と暮らしたとみられるこの家に姿を現したといいます。

町内会長:
ここのおばちゃんが、4~5日前から自転車で出入りしてはるから(谷本容疑者に)「こっちに引っ越ししたんですか?」って聞いたという形ですね。それを聞くと言うことは、全然知らん人やったと思います。ここに長い間住んではるけれども。谷本いう人物を知らんから。知っていたら聞かへんわな。

最近の生活ぶりについて話を聞くと…。

――電気とかガスとかは?

町内会長:
電気とかガスは切れているわ。全く通っていない。

さらに、隣の住人からはこんな話も。

――人が住んでいる感じは?

近所の人:
ラジオが付いていましたから。そんな長いことちゃいます。

――1週間?

近所の人:
そうかな。それぐらいちゃうかな。

そして、この家では事件当日の朝、不審なことが起きていました。

事件直前にも放火か…容疑者の自宅とみられる住宅で
田中良幸キャスター:
現場から3キロほど離れた大阪市西淀川区にあるこちらの住宅が、谷本容疑者の住宅とみられています。1階部分はシート、そして規制線が張られていまして、3階部分の雨戸が一部焼けたような跡が残っていますよね。というのも事件の30分ほど前に、こちらで放火とみられる火災が発生していたということなんです。

事件直前に住宅で起きていたもう一つの火災。ビルへの放火事件とどういう関係があるのでしょうか。

一方、19日には事件で亡くなった犠牲者8人の身元が新たに判明。その中には、クリニックの西沢弘太郎院長の名前もありました。

“トラブルから縁遠い”院長 現場前の献花台には多くの花
西澤院長の人柄について、4年ほど前から交流があったという男性を取材しました。

株式会社Kaien 代表取締役 鈴木慶太さん:
偉ぶる感じも全くない先生ですし、淡々と、でも丁寧にこちらの話を聞いて頂けるという感じですね。本当に控えめで謙虚で、ちょっと自信がなさ過ぎるというか。先生もっと、大阪でNO.1というくらい。

さらに、クリニック内で火が放たれたことについては、次のように話します。

株式会社Kaien 代表取締役 鈴木慶太さん:
やはり精神科とか心療内科というところが、その人が人生で非常に困って通うことが多いところなので、そのリスクが低いかと言われると、一般の所よりも少し高くなるかもしれないとは思っています。ただし、先生のお人柄を考えると、そういう危険性が高くなるタイプでは全然無いですし。「先生の治療方針が全然納得いかなくて」とか、「困ってお医者さん変えたいです」なんて話は聞いたこともないので。そういった意味ではトラブルになる可能性はゼロではないかもしれないですけれど、そういういうところから本来、縁遠い方だとは思います。

働く人のため夜の10時まで診察するなどし、患者からの信頼が厚かったという西澤院長。

多くの人たちの命と、かけがえのない場所を理不尽に奪われた、怒りや悲しみ。事件発生から3日目の19日。現場前に置かれた献花台には、花を手向ける人の姿が後を絶ちませんでした。

(「めざまし8」12月20日放送)

 

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【大阪ビル放火】「誰かを殺せば、死ねるかも」谷本容疑者が10年前の殺人未遂事件で語った驚愕の動機〈dot.〉

2021年12月21日 16時24分24秒 | 事件・事故

12/21(火) 14:33配信 AERA dot.

谷本盛雄容疑者

 大阪府警によると、大阪・北新地にあるビルの放火殺人事件の現場から搬送され、病院で治療を受けていた20代の女性の死亡が新たに確認され、犠牲者は25人になった。

【動画】消防士たちが被害者を救出する緊迫の瞬間

 大阪府警はクリニックの玄関付近にガソリンのようなものを撒き、火を放ったとして、逮捕前に谷本盛雄容疑者(61)の氏名を異例の公表に踏み切った。

 AERAdot.が既報したように、谷本容疑者は今回の犯行を彷彿とさせるような殺人未遂事件を10年前に起こしていた。編集部はその公判の判決文を入手。取材していくと今回との類似点が浮かび上がった。

 谷本容疑者が長男に対し、殺人未遂事件を起こしたのは、2011年4月25日早朝6時15分頃だ。大阪市淀川区のマンションの1階の部屋で「助けて」と大きな声が響き渡り、玄関ドアから谷本容疑者の長男が飛び出してきた。谷本容疑者の手には包丁が握られていたという。現場近くに住む住民は当時をこう振り返る。

「部屋の玄関には血だまりがあった。外から中をのぞき込むと、壁に血がしぶきのように飛び散り、すごい現場だった」

 谷本容疑者は長男の後頭部や左側、右肩などと次々と突き刺し、全治2週間のケガを負わせて、殺人未遂容疑で大阪府警に逮捕された。

 その後、起訴され、約8か月後の12月18日、谷本容疑者に懲役4年の実刑判決が下された。判決文には谷本容疑者の犯行に至るまでの経過、動機が詳細に記されていた。

 谷本容疑者は2008年に元妻と離婚。

<家族と離れて一人暮らしをするようになったが、寂しさに耐えかねて、2009年9月ごろに元妻に復縁を申し込んだが、断られた。そのため、寂しさを募らせて、孤独感などから自殺を考えるようになった。しかし、死ぬのが怖くてなかなか自殺に踏み切れなかった。そのため、誰かを殺せば、死ねるのではないか、元妻に迷惑をかけている長男を殺そう、家族一緒でなければならないから、元妻や次男も道連れにしようなどと思うようになった>(判決文より抜粋)

そして、犯行前日に元妻、長男、次男と映画を見たことをきっかけに、「家に寿司を買ってるから、持って行ったるわ」などと元妻に告げた。

 元妻方に行く口実をつくって一旦、自宅に戻り、出刃包丁など凶器と寿司を持って元妻方を訪れた。寿司を一緒に食べるなどして、殺害の機会をうかがったものの、ためらう気持ちもあって犯行に及ぶことができなかった。しかし、その後、長男と2人で居酒屋に出かけ、再び元妻宅に戻って2人で飲酒するうちに夜も明けてきたので、そろそろ実行しなければならないと考え、右手で持った出刃包丁(刃体の長さ約15cm)を何度も長男の頭部などに振り下ろしたという。

 殺人未遂事件は事前の計画、準備などが綿密に練られていた。

<事前に寿司を買っていくという口実をつくり、犯行に使用した出刃包丁以外に刺身包丁、文化包丁と合計3本も用意。そこへ、スタンガン、催涙スプレー、ハンマーなど多数の凶器を持ち込んでいる>

<逮捕された後、元妻に家族全員を道連れにするつもりであった旨を打ち明ける手紙を出した>

 殺人未遂事件の判決文でも計画性、凶悪性が指摘されていた。

 今回の放火殺人事件で、谷本容疑者は大阪市西淀川区の自宅近くのガソリンスタンド店で「バイクなどに使用する」と嘘を言って、運転免許証を提示して、ガソリン10リットルを購入。そして今回も谷本容疑者の衣服から催涙スプレー2本が発見された。

 また放火事件の犯行前日に非常階段につながる扉に粘着テープが貼られていた。しかし、こちらは心療内科クリニックの西澤弘太郎院長(死亡)が発見し、はがしたという。そして、大阪府警が谷本容疑者の自宅を捜索したところ、2019年7月に京都市の京都アニメーションで36人が死亡、32人が重軽傷を負った放火殺人事件に関する記事が発見されたという。

 また谷本容疑者の自宅から「大量殺人」と書かれた手書きのメモも捜索で押収されている。

 谷本容疑者は雑居ビルのエレベーターから降りると、すぐに犯行に及んでおり、内部を熟知した様子だったという。

 放火時の防犯カメラ映像には、谷本容疑者が火をつけた後、逃げずに炎の中に飛び込むような様子が映っていたことから、「自殺願望があった」(捜査関係者)とみられる。

谷本容疑者も事件現場となった心療内科クリニックに通っていたことが所持していた診察券などからわかっている。10年前の殺人未遂事件でも判決文には<うつ病等の精神疾患が犯行に影響していた可能性がある>と谷本容疑者の弁護側の主張が記されていた。

 だが、大阪地裁は判決でそうした弁護側の主張を一蹴し、実刑判決となった。

<ただ自分が死にたいとなんの落ち度もない被害者を巻き添えにしようとした身勝手極まりない>

<被告人自身の行いが招いた>

<精神疾患といえるようなものではない>

 放火事件の数か月前に谷本容疑者と会った知人はこう話す。

「谷本容疑者は精神的に苦しくなると病院に行く。『よくならない、病院が悪い』と言っていた。酒を飲み泥酔し、現実逃避しようとしているのか、よく元妻や子供らに責任転嫁するようなことを大声で言っていた。だが、原因は容疑者自身にもあるように思えました」

 谷本容疑者は殺人未遂事件で服役後、社会復帰もうまく果たせなかったようで、「定職につかず、福祉の世話になっている」と知人に語っていた。

「谷本容疑者は顔や足のやけど、重度の一酸化炭素中毒で重篤な容態。少し持ち直したが、予断は許さない状態です」(前出の捜査関係者)

 元東京地検特捜部の落合洋司弁護士はこう解説する。

「谷本容疑者が死亡すれば、被疑者死亡で事件は裁判もなく終わります。命が助かっても一酸化炭素中毒で脳にダメージがあり、裁判を受けることができるかとなった場合、当局がどう対応するか、注目されると思います。脳機能が失われているとなれば、不起訴となる可能性があります。私も公判検事の時、脳梗塞で被告人が倒れて、論議になった経験があります。ただ、これだけ犠牲者を出した放火殺人ですから、当然、警察や検察は被害者感情にも配慮しなければならない。難しい判断となるでしょう」

 (AERAdot.編集部 今西憲之)

 

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確定死刑囚3人の刑執行 群馬、兵庫の殺人事件

2021年12月21日 15時21分25秒 | 医科・歯科・介護

12/21(火) 9:53配信 共同通信

藤城康孝死刑囚

 確定死刑囚3人の刑が21日午前に執行されたことが、関係者への取材で分かった。死刑執行は2019年12月以来で、岸田政権で初めて。古川禎久法相が命令した。

「ありがとう」死刑囚は最後にほほ笑んだ 教誨師が塀の中の経験から思うこと

 法務省によると、3人は兵庫県加古川市の7人刺殺事件の藤城康孝死刑囚(65)と、群馬県伊勢崎市のパチンコ店員殺害事件の高根沢智明(54)、小野川光紀(44)両死刑囚。

 前回の執行は19年12月26日。福岡市で03年に一家4人を殺害し、強盗殺人などの罪で死刑が確定した中国人の元専門学生魏巍元死刑囚=執行時(40)=だった。20年は執行がなかった。

 

 


パチンコにのめり込む息子たち

2021年12月21日 12時06分59秒 | 創作欄

赤岩和也は、パチンコをやらないが、競輪場へ向かう途中、息子二人の様子を見に駅前のパチンコ屋まで行ってみた。
そのパチンコ屋は長男の小学生の同級生の白田君の在日朝鮮人の父親が経営していた。
白田君の祖父は北朝鮮の出身で、祖母は南朝鮮の人であった。
長男は正孝は大学生あるが、中学の同級生の影響でパチンコを始めていた。
三島兄弟は中卒で、パチプロを任じていたのだ。
パチンコの儲けで兄の貴司が1000万円、弟の洋平が700万円も貯め込んでいた。
それに刺激されて、赤岩の息子の正孝はパチンコの儲けで500万円を貯め込んでいたので。
一方、高校中退の次男の春樹は、パチンコに負け続けて兄に50万円の借金をしていた。

赤岩は、妻から愚痴をこぼされて、次男の様子を見にパチンコへ行ってのであるが、その日、春樹の姿がなかった。
「春樹は?」と赤岩は長男に聞く。
「アイツ、負けてどこか行った。パチンコの才能ゼロ!」ダウンコートのポケットからタバコを出して口にくわえる。
だがこの日、正孝も負けが込んでいるのだろう、如何にも不健康な顔の色艶であり、ハンサムなに貧相に映じた。
赤岩は、パチンコ店内を見回って見たら、競輪仲間の<法務省>が居たのだ。
元法務省の衛視なので、赤岩は<おい、法務省、パチンコどうだ?>と呼びかけた。
「今、少し玉が出ているんで、後になったら競輪場へ顔を出すよ」法務省は、何時もようにスキンヘッドに帽子を被っている。

長男は新年には成人式を迎え、可愛い彼女もいる今風のイケメンの若者であるが、あろうことかパチンコにのめり込んでいた。
「ゾッとする顔だな!」とパチンコ屋を出る時に赤岩は、長男の横顔に視線を送った。
赤岩は、自身がのめり込んでいる競輪を念頭に置き、<息子と親は大差ない貧相な顔だな>車のミラーに移る顔から眼を背けて自嘲気味となる。
「競輪は丁半博打と同じなんだ」と高校の先輩でタクシー運転手の新田輝夫が言っていた。
<そうかもしれないな>競輪予想の際の想念は広がるばかりだった。
1レースは、前日の9レースと10レースの出目から<5枠柄になる>と見当をつけた。
1枠が本命なので、1-5の車券を2000円。
あとは、別線(ライン)の6-5、3-5を各1000円押さえた。
結果は1-5で870円の配当とったので、1万7400円を払い戻した。
そこで、競輪場の専門の傍にある食堂へ行き、日本酒を飲み煮込みを食べた。
この時代、まだ、食堂内でテレビ中継はなかった。
競輪場はアルコール類持ち込み禁止なので、競輪場周辺のそば屋などで酒を飲みながら競輪談義をする競輪ファンたちが少なくなかったのだ。
当時は、競輪場に近い取手駅西口周辺にも居酒屋が多くかったのだ。

 


人類の希望は未来であり、良心である

2021年12月21日 12時06分59秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼願って<結果>が出なくても、拘る必要はない。
結果はすでに<過去>のことに過ぎないのだ。
人には希望があり、勇気があるのだから。
▼どんな時も、未来、未来へと希望を燃やし、力強く前進していくならば、それ自体が人生の勝利なのだ。
▼人類の希望は未来であり、良心である―ヴィクトル・ユゴー
▼悩みは乗り越えるためにある。
悩みに負ければ敗北である。
▼人は、数の多少にとらわれて、物事の本質を見誤ってしまうことが少なくない。
▼一念が変われば、自分が変わる。
自分は変われば、環境が変わり、世界が変わる。
▼<願い>とは、「必ずこうする>とい誓いであり、明確な目標に挑み立つ<宣言>である。
願いは自身の生命の変革から呼び覚まされる。


人は賢くならなければならない

2021年12月21日 12時06分59秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼<この世に埋没する>現実追従。
<この世に目をつぶる>現実拒否。
<あの世に逃げる>現実逃避。
▼人生で何をすべきかとの<責任感>を呼び起こす―現実変革の哲学。
運命論には従わない。
あきらめにも同調しない。
それらの無力感を跳ね返す<バネ>―闘志を奮い立たせる。
▼人間には「慣れ」という感覚がある。
<これまで何もなかったから、これからも大丈夫だろう>と安易に思い込む。
危機管理とは、まず、自身の、感覚を打ち破ることから始まるといえるだろう。
大きな事故も、ちょっとした油断から起きる
人は賢くならなければならない。


世界をより良く変えていけることができる

2021年12月21日 11時46分44秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼仕事も人生は、眼前の現実に真正面から向き合い、勇気をもって挑んでいく中でこそ、自らが果たすべき使命を見だしていくるのだろう。
飛躍もその始まりは「一歩」を踏み出すことから。

▼何世紀にわたって、仏教を生活の基盤に置いてきたブータンという国の本物の価値。
仏教的・東洋的な哲学に支えられてきたブータン人の幸福観が、20世紀後半から大きく揺らいできた。
現代社会に見られる経済成長や利便性、物質的な豊かさなどが、幸せを計る尺度に置き換えられつつあるかだ。
▼私たちは、どうしても目に見えるものばかりを負い掛け、幸福の要因を自分の外に求めがちです。
「幸福の追求」という人生の根本的課題において、人間は分かり合えるし、力を出し合える。
世界をより良く変えていけることができる。
私はそう信じています。
ブータンの映画監督・パオ・チョニン・ドルジさん


競艇好きでファンも多い作詞家の喜多條忠さんが死去

2021年12月21日 10時36分03秒 | 社会・文化・政治・経済

2021.12.01

『神田川』『やさしい悪魔』などで知られる作詞家の喜多條忠さんが2021年11月22日午前6時、肺がんのため亡くなられた。

スポニチやマクールでコラムの執筆、解説やグランプリのイベントなどにゲストとしていらっしゃっていて、私が存在を知ったのはボートレースからだった。

ボートレースきっかけで知ったので、私の中では作詞家というよりボートレースの印象が強い。

ご冥福をお祈り致します。

スポニチから引用(2021年12月1日)
喜多條忠さん スポニチ大阪版でボートレースコラム連載、ビッグレースのたび全国へ
喜多條さんは放送作家時代にボートレースの魅力にはまり、作詞家となってからもビッグレースのたびに全国を回った。

スポニチ本紙大阪版で86年頃からビッグレースにおいてコラム「さすらいの舟券詩」を掲載。

「勝たせたい男と勝つ男は違う。それが一致した時の喜びは何ものにも変えがたい」(87年12月22日付本紙大阪版)などの名調子でファンは多かった。

徹底した“現場派”で、東京から遠いレース場にも駆けつけた。

的中すると「ヨッシャ!」と大きな声。

どこのボートレース場にも知り合いがいて、夜はいつも特産物に舌鼓を打った。
「神田川」「妹」など多くの楽曲を共作した歌手、南こうせつさんは
11月5日に故人の自宅で会ったのが最後になり、「『二人でもう一度いい歌を作ろうよ、神田川の次はさんずの川じゃないからね』と冗談を言ったり昔話をしながら、喜多條さんは涙を浮かべて微笑んでいました。また一人大事な戦友を失い、寂しい気持ちでいっぱい」
と悲しみのコメントを発表。

喜多條忠(きたじょう まこと)さんとは
競艇好きでファンも多い作曲家の喜多條忠さんが死去。野中和夫選手とも交流があった。

1947年10月24日生まれ、大阪府出身。
実家は昆布屋さん。

大阪市立菅南中学校(現在の大阪市立天満中学校)、大阪府立春日丘高等学校卒、早稲田大学中退(学費滞納で大学を除籍)。

大学を中退した頃から文化放送の番組の台本書きをする。

そして自身の学生時代の同棲生活を元に書いた「神田川」をかぐや姫に提供し大ヒット。

作詞やコラム・小説などの執筆活動に従事し、日本作詩家協会会長、並びにJASRAC理事を務めた。

肺がんが見つかり、去年は入退院を繰り返しながら年末の日本作詩大賞の授賞式に出席。
今年3月には好きなゴルフが出来るまでに回復していたそう。

その後再び体調を崩し、春に手術。
闘病中でも制作に意欲を燃やし、手術後には歌手のレコーディングにも同席したり最後まで仕事に臨んでいた。

2021年11月22日6時、肺がんのため74歳で死去。

 

 

 

 

 

 

 


ベル・カント とらわれのアリア

2021年12月21日 10時24分04秒 | 新聞を読もう

ベル・カント とらわれのアリア

12月21日午前4時30分からCSテレビのムービープラスで観た。

解説

テロリストと人質の心の交流を描いたアン・パチェットのベストセラー小説「ベル・カント」をジュリアン・ムーア、渡辺謙、加瀬亮ら日米の豪華俳優陣の共演で映画化。

南米某国の副大統領邸で、実業家のホソカワが経営する会社の工場誘致をもくろむ主催者が企画したソプラノ歌手のロクサーヌ・コスのサロンコンサートが開催された

ホソカワ、通訳のゲン、現地の名士や各国の大使らが集まり、パーティはスタートしたが、突然会場になだれ込んだテロリストたちによって副大統領邸は占拠されてしまう。

緊迫した空気の中、ロクサーヌの歌をきっかけに、貧困で教育なども受けてこなかったテロリストたちと、教養に溢れた人質たちとの間に親子や師弟関係にも似た交流が静かに生まれ始める。

ムーア、渡辺、加瀬のほか、セバスチャン・コッホ、クリストファー・ランバートらが顔をそろえる。監督は「アバウト・ア・ボーイ」でアカデミー脚色賞にノミネートされたポール・ワイツ。

2018年製作/101分/G/アメリカ原題:Bel Canto

配給:キノフィルムズ

スタッフ・キャスト

  • ジュリアン・ムーア

    ロクサーヌ・コスジュリアン・ムーア

  • 渡辺謙

    ホソカワ渡辺謙

  • 加瀬亮

    ゲン・ワタナベ加瀬亮

  • クリストファー・ランバート

    フランス大使ティボークリストファー・ランバート

  • J・ムーア、渡辺謙、加瀬亮―― 芸術的な名演のアンサンブルに酔いしれる
    究極の状況下で紡がれる“テロリストと人質の交流”、そして…ラスト15分の
    言葉を失う衝撃的展開! 人は“どこまで”わかり合うことができるのか――

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    南米某国の副大統領邸を占拠したテロリストと、とらわれの人質。対立し、憎しみあってもおかしくない彼らの間に芽生えたのは“絆”だった――。11月15日に公開される「ベル・カント とらわれのアリア」は、崇高なる人間性の尊さを描出してみせる。

    出演はアカデミー賞を受賞した米女優ジュリアン・ムーアと、渡辺謙、加瀬亮という日本の超実力派俳優。

  • 各々の個性がにじむ芝居が調和し、芸術的ともいえる美しい時間を紡ぎだす。丁寧に織り上げられた物語のタペストリーは、ラスト15分で衝撃の展開を迎えるのだ。渡辺をして「自分にとって運命的」と言わしめた本作の魅力とは、いったい何なのか――。


    オスカー女優ジュリアン・ムーア×渡辺謙×加瀬亮
    日本の名優と米トップ女優が奏でる、“名演のアンサンブル”

    画像2

    「アリスのままで」で若年性アルツハイマーの女性を熱演し、第87回アカデミー賞の主演女優賞に輝いたムーアが主演。ソプラノ歌手に扮し人間ドラマをけん引した。

    そして「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」などに参加し、ハリウッドで多くの成功を収める渡辺は、日本の実業家役。世界トップクラスの実力を誇る名女優との“競演”を果たした。

  • さらにクリント・イーストウッド監督作などで存在感を示した国際俳優・加瀬は、日本人通訳役を担い、渡辺と豊かなコンビネーションを見せた。

    ◇日米豪華共演、芸術的な演技の連鎖に酔いしれる101分

    そんな3人の共演は、まさしく至福のひと時を提供してくれる。演技の有機的な結びつきは “芸術的”の一言に尽き、彼らの表情、セリフ、息づかいなど、一挙手一投足が息をのむほどのオーラを湛えている。演技を見るだけでも、劇場に足を運ぶ価値がある。そういっても過言ではないほどだ。

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    ◇渡辺&加瀬が体現したものとは…

    なかでも、渡辺はファーストショットから全開だ。冒頭、息子にステレオのボリュームを下げさせる、という短いシーンがある。そこでかける優しい声と、なんとも言えない表情に注目してもらいたい。さらに物語中盤、渡辺の顔が、窓からさす光に照らされる。輪郭が縁どられ、彫り込まれたような陰影が立ち現れた瞬間、ハッとさせられた。

    一方の加瀬は、通訳ゲン・ワタナベ(役名がややこしい!)を純朴に好演。渡辺を前に英語で演じることは、大変なプレッシャーがあったことは想像に難くない。また、渡辺が日本語のアドリブを多く放り込んでくるため、加瀬は即座に英語やスペイン語に通訳しなければならなかったという。撮影現場、愉快そうにアイデアをぶつけ合う2人の姿が目に浮かぶ。

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    ◇“女神の歌声”が圧巻の美しさ

    ムーア扮するオペラ歌手ロクサーヌの歌声は、ルネ・フレミングが担当している。映画ファンには「シェイプ・オブ・ウォーター」の挿入歌「ユール・ネヴァー・ノウ」でも知られる、当代随一の歌姫だ。“女神の歌声”とも称される圧巻の美声が、物語の感動を一層盛り上げていく。歌唱シーンは、目と耳と心で“感じ取って”もらいたい。

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    ◇原作はAmazonベスト・ブック・オブ・ザ・イヤーのベストセラー小説

    アン・パチェット氏によるベストセラー小説が原作。同作は1996年にペルーで起きた、“日本大使公邸占拠事件”から着想を得て執筆されており、つまり日本人にとっても重要な作品と言える。テロリストと人質の心の交流を描いたこの物語は、Amazonベスト・ブック・オブ・ザ・イヤーにも選出された。


    【予告編】人はわかり合うことができるのか? 究極のテーマ問いかける感動作

    副大統領邸が、テロリストに襲撃された… 長期間に及ぶ占拠のなか
    人質とテロリストたちの間に芽生えたのは、“絆”だった――

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    物語の根底にあるのは、人間の崇高な精神。そして「文化、言語、立場、あらゆるものが異なる人々でも、わかり合うことはできるのか」という、現代社会が避けては通れない問いを含む、重厚なテーマだ。

    副大統領邸の襲撃後、占拠は長期間に及んだ。貧困により教育なども受けてこなかった若いテロリストたちと、教養を持つ人質たち。年齢も性別も出身もさまざまで、交わる点はほとんどない。到底、理解し合うことなど、あり得ないと思っていた。しかし時間を追うごとに、彼らの間に親子や師弟にも似た交流が静かに生まれ始め、副大統領邸内に一種の“ユートピア”が出来上がっていく――。

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    ・人質同士でチェスする最中… テロリストの幹部も笑顔で観戦・「どうすればそんな風に歌える?」 1人の少年兵がロクサーヌに問いかける・テロリストの少女が、通訳の青年に「英語を教えて」 語学の授業が始まる・中庭では、みんながサッカーに興じている 文化も言語も立場も超えて――

    時折り紡がれる、人の心が通ったシーンに胸を打たれる。夜、テロリストの少女たちはテレビで恋愛映画を見ては、うっとりとため息をつく。テロリストと人質たちはともにキッチンに立ち、食卓を囲んで祈りをささげる。そうした日常の機微が、省かれることなく、むしろことさら丁寧に描かれているさまが、強く印象に残った。

    そして、ラスト15分。繰り広げられる衝撃の展開に、観客は呼吸を忘れて見入ることになるだろう――。

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    渡辺謙から、映画.com読者に向けて“切なるメッセージ”
    「この作品は運命なのだと感じました。今の時代だから、見ていただきたい」

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    その表現力と存在感で作品全体をけん引してみせた渡辺だが、出演の背景には“特殊な縁”があった。彼自身の胸中とは――映画ファンに向けて、メッセージを寄せてくれた。

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     最初に(本作の)お話をいただいたのは、もう10年近く前です。911の後、世界で様々なテロが起きているなか、この話が受け入れてもらえるのかが懸念になり、企画は止まっていました。時代も変化して再始動したとき、この作品は運命なのだと感じました。 20数年前、僕はペルーにいました。ドキュメンタリーの撮影でほぼ1カ月の旅をしていたのです。帰国してすぐ飛び込んできたニュースが、あの「ペルー大使公邸人質事件」でした。大きなパーティーでしたので、もしもう1週間滞在していたら、そこに僕もいたかもしれなかった。事件が解決するまで(ドキュメンタリーの)放送は自粛され、事件の推移を見守ったのを今でも覚えています。 あの事件をモチーフにしたこの物語を演じるのは、勇気が必要でした。事実とは異なりますが、生き方、考え方が違う人たちがあの特殊な空間のなか、どんな時間を過ごしたのか、当時を思い出しながら演じました。“映画好き”の方々に、今この時代だからこそ、ぜひとも見ていただきたい作品です。渡辺謙

 

ちょっ、待って。

渡辺謙と加瀬亮が出ていて、加瀬亮の役名がゲン・ワタナベなのはどうなの?

1996年にペルーで起きた日本大使公邸占拠事件に着想を得た原作小説を映画化。あくまで"着想を得た"だけなので、舞台はペルーの日本大使公邸ではなく、登場する日本人も2人のみ。

南米某国の副大統領邸で開催されていたパーティーに突如テロリスト達が雪崩れ込み、副大統領邸を占拠。人質の中には日本人実業家のホソカワ(渡辺謙)と、彼が愛してやまないソプラノ歌手ロクサーヌ・コス(ジュリアン・ムーア)の姿が。一味の目的は収監中の同志の解放だったが、政府との交渉は平行線が続き、事態は長期化の様相を見せる—— 。

英語が話せないホソカワことケン・ワタナベの通訳者ゲン・ワタナベ(やっぱり笑う)を演じた加瀬亮の話す、英語とスペイン語がお見事。

流石にその速さでは訳せまい…と思ってしまう、台詞丸覚えっぽさも見受けられたが、相当に努力した筈。

語学好きとして、通訳のシーンは楽しめたが、他は残念な点ばかりが目立つ。

オペラ歌手を演じたジュリアン・ムーア。当然ながら口パクな訳で。これ、それなりに歌える役者をキャスティング出来なかったのだろうか。口パク歌唱シーンでは興醒めしてしまう。

膠着状態が続き、テロリストとの奇妙な交流が始まる。それはまさにストックホルム症候群(シンドローム)。

チェスを囲み、
歌を歌い、
サッカーをする。
ついでに恋もする。

…待てーい!!

サッカーまではいい。
何ならホソカワとロクサーヌの間で芽生えるロマンスはわかる。しかし、ゲン・ワタナベがテロリストの中の1人の女性と恋仲になるのは、心がついていけない。

一度でも銃口を向けてきた相手と、そんな貪りつく様な熱烈なキッスをするだろうか、ゲン・ワタナベよ。ゲンくん、通訳者らしく常に冷静で、一歩下がって前に出ないタイプの筈なんだけど。

緊張感が走るのは序盤だけ。

実際に起きた日本大使公邸占拠事件でも、人質の完全な解放まで4ヶ月掛かったと言う。中盤、特に何が起きる訳でもなく、中弛み感は否めない。

ラブストーリーは突然に。
事件解決も突然に。
呆気ない幕切れ。

"ベル・カント(Bel Canto)"とはイタリア語で「美しい歌」「美しい歌唱」を意味する言葉で声楽用語のひとつ。

最後に口パクのジュリアン・ムーアで締められてもなぁ。

日本人キャストの活躍は嬉しいけれど、結局何を伝えたかったのかよくわからない作品。

 


袴田事件の3者協議 袴田さんが記者会見に登場

2021年12月21日 10時05分31秒 | 事件・事故

12/20(月) 19:13配信 週刊金曜日

静岡県庁での会見に姉の秀子さん(右)、小川秀世弁護士(左)とともに出席した袴田巖さん。(撮影/粟野仁雄)

 1966年6月に静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社の専務一家4人が殺害された「袴田事件」で死刑が確定した袴田巖さん(85歳、釈放中)の再審請求審についての3者協議(裁判所、検察、袴田さんの弁護団)が、11月22日に東京高裁で開かれた。

 袴田さんの再審請求(第2次)を受けた最高裁は昨年12月、「犯行時の着衣」とされた5点の衣類について「審理不尽」として同高裁に審理を差し戻した。袴田さんは事件発生の2カ月後に逮捕されて以降拘束され、衣類は67年8月に工場の味噌醸造タンクから発見されたが、1年以上も味噌に漬かっていたにしては、そこに付着した血痕に赤みが残っていたことを最高裁は問題視した。

 袴田さんの弁護団は11月1日、「1年以上も味噌に漬かって赤いままになることはない」とする専門家の鑑定書を同高裁に提出した。これに対して検察は3者協議で「赤いまま残ることは絶対にないのか」と反論する意見書を提出すると述べ、同高裁もこれを了承した。弁護団は「事件直後に味噌樽を調べたが衣類はなかった」と証言している元清水警察署員の証人申請もしたが、これは高裁が「不要」として却下した。

 弁護団の小川秀世事務局長は「こちらが出した鑑定書を新証拠として、ただちに再審開始ができるはず。検察の最後のあがきが認められて進行が遅くなったが、再審開始へ向けてやり残しがないようにしたい裁判所の意向と受け止めている」との認識を示した。

 この日、3者協議後に静岡県庁で行なわれた記者会見には、浜松市で一緒に暮らす姉の秀子さん(88歳)に連れられて巖さんも背広姿で出席し、「これで袴田巖は無罪なんだよ。事件がないんだから。事件で血が付いてたって、嘘だ、そんなもん」などと話した。秀子さんも巖さんについて「以前より明るくなった」と語っていた。

(粟野仁雄・ジャーナリスト、2021年12月3日号)

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あしなが育英会 【遺児の保護者調査】コロナ禍で困窮進む

2021年12月21日 09時10分53秒 | 社会・文化・政治・経済

【遺児の保護者調査】コロナ禍で困窮進む

2021.12.04

#新型コロナウイルス#高校奨学生#あしなが学生募金#保護者#街頭募金#コロナ禍#記者会見#調査

あしなが育英会は長引くコロナが遺児家庭に及ぼした影響を明らかにするため、10月に高校奨学生の保護者3994人を対象にしたアンケート調査を、11月に同保護者111人に対してオンライン聞き取り調査を行いました。

調査の結果、コロナ禍前と比較して保護者の収入が激減していることや、雇止めなど雇用に深刻な影響が出ていることがわかりました。

 

調査結果は特設ページで紹介していますので、ぜひご覧ください。

遺児の保護者調査特設ページ

発表した調査結果は特設ページをご覧ください。

記者会見をおこないました
12月4日に記者会見を行い、アンケート調査とオンライン聞き取り調査の結果を報道各社に発表しました。会見は朝日新聞、NHK、共同通信、東京新聞、読売新聞(50音順)が取材しました。

会見では本会の奨学金を受ける高校生の母親2名も登壇。

「コロナ禍で仕事が完全テレワークになり、収入が減った」、「体調をくずして日常生活を送るのがやっとという状態にコロナ禍が重なった。仕事もできず、教育費が大きな悩み」などと実情を訴えました。

 

本会の玉井義臣会長は「50年にわたり遺児の調査を行ってきたが、『弱者は生きていてはダメなんでしょうか』というような生の声が寄せられたのは初めてのこと。コロナ禍で遺児家庭の困窮は進んでおり、会として全力で支援を続けていく」と話しました。

 

あしなが学生募金事務局の堀川琉事務局長(東北学院大学4年)は「今こそ自分たちが立ち上がる時」と、2年ぶりのあしなが学生募金の実施を発表しました。

調査結果を受け、あしなが大学奨学生たちが「コロナ禍で遺児家庭の生活は限界にある。そして奨学金を希望する後輩遺児たちが急増しているいまこそ、街頭募金で社会に訴えていきたい」と立ち上がり、2年ぶり街頭募金の実施を決意しました。

12月11日(土)、12日(日)に全国12都市で学生たちが、後輩遺児たちのためにと募金を呼びかけます。


募金への決意を語る堀川事務局長

街頭募金について