みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

人間とは

2006-09-02 13:09:18 | Weblog
いろいろな考えがあるから人間だということも言えるのだけれど、これは明らかにオカシイでしょ?と思えるようなことを言う人が発言力を持っている人だったり、世の中に影響力を持っている人だったりすると、「それは聞き捨てにしておくわけにはいかないな」と思ってしまう。
直木賞作家の坂東眞砂子が自分の「子猫殺し」を、日本経済新聞というメジャー新聞の中で堂々と半ば開き直った形で展開し、しかもそれを理路整然と正当化しようとしていることを知ってから、毎日寝起きが悪くてしょうがない。要するに、ムカツクというか、「なんでこんな女に大新聞が堂々とまったく支離滅裂なエッセイを書かせているんだ」という怒りがちょっとやそっとじゃおさまらない。
詳細については、あまり言いたくないので、「きっこのブログhttp://www.kikko.cocolog-nifty.com/kikko/」というのを読んでいただきたい。
怒りにふるえる人は、私だけではないと思いますので...。

なので、「世の中に何かいいことないかナ?」と思って探している時、アイススケートの荒川静香がアメリカでプロのアイスショーに出演というニュースを見て、ちょっとは気が晴れた。彼女のアイスショーへのチャレンジする姿勢を見て、やっぱりこの人は本物だ!と改めて思えたし、彼女のようなプロ根性を、どの分野のプロの人も持って欲しいなと本気で思えたニュースだった

フィギュアスケートで世界チャンピオンにもなり、オリンピックでも金メダルとった彼女の長年の夢がプロのアイスショーで演技することというのは、前から報道で知っていたけれど、彼女の姿を見ていると、「この人、本当に本気なんだな」ということがよくわかる。アマチュアの世界最高の勲章を2つもとった人でも、プロの世界では1からのスタート。当たり前の話しなのだが、普通、オリンピックの金メダルをゴールを思っているアスリートが多い中で、彼女は、そこから改めてスタートすることに何の抵抗を感じていない。そこが本当にエラいと思う。こういう姿勢を本当のプロ意識だと私は思っている。
音楽でも、世界最高のコンクール、例えば、チャイコフスキーやショパン・コンクールに優勝することはすごいことだけど、本当はそこからが本当の意味でのプロへのスタート。それを本当にそう思える人はなかなかいない。プロというのは、ただ技術がうまい、演技が上手なだけではダメ。そんなことわかっているよという人は、まずプロにはなれないような気がする。
プロとアマの違いについては、何度も何度もしつこいぐらい言っているので、みつとみさんの言いたいことぐらいわかっているよ、という人も多いかもしれないが、この荒川静香さんの姿勢を見ていると何度でも同じことを言いたくなってくる。彼女は、おそらくスケートを始めた時点からこのことを心の中でしっかりと自分自身に言い聞かせてきた人なのかもしれないと思う。「プロとは、人を喜ばせてナンボ」。
けっして自己完結しない努力がプロへの道だ。自分で自分の演技ができたと思ってしまってはまだまだアマチュア。できたかどうか判断するのは、お客さん。お客さんの拍手がどれだけもらえるか、どれだけお客が集まるか。判断の基準はそれしかない。そうなれるように毎日努力するのがプロの修行だろう。どうやったら、お客さんの拍手をもらえる演技ができるようになるのか?どうやったら、お客さんを集める演技ができるようになるのか?
その答えを出すのは自分自身しかいない。誰も教えてくれない。ここを勘違いする人が本当に多い。学校で先生に教わるのと同じような感覚で、「プロになるにはどうしたらいいんですか?」と真顔で聞く人がいる。そういう質問を聞くたびに、「バカヤロウ。顔洗って出直してこい」と本気で叫びたくなる。「何甘えてんだよ。プロになるノウハウは怒鳴られながら、失敗しながら、恥じをかきながら、一人一人ちゃんと覚えていくんだ」ということをみんな本当に学んで欲しいと思う。それがイヤだったら、とっとと楽な道に逃げればいいんだと思う。
答えのない道、方程式のない道がプロの世界なのに、お金を出せば授業料を払えば何か教えてくれる学校と勘違いするアマちゃんは、荒川静香やイチローを絶対に見習うべきだとも思う。寿命の短いスポーツやダンスの世界にいる人たちは本当に真剣だ。人生の本当に短い間に「結果」を出さなければならないスポーツや踊りの世界の人たち。できない人ははじかれるだけ。それが厳しいプロの世界の掟だろう。
荒川静香さんには、本当に頑張って欲しいと思う。