みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

人の一生、一寸先は闇

2011-03-18 00:25:15 | Weblog
とは良く言ったもので、人生は想定外の出来事だらけだ。
逆に、想定できるのも困ったものだと思うけど、「何事もなく万事塞翁が馬」みたいな感じにノンビリ生きていきたい人の方が世の中多いはず。
そこに降って湧いた天変地異と人間のegoの落とし子のような原発の騒ぎ。
映画『2001年宇宙の旅』の冒頭のシーンで人間が飛ばしたブーメランは結局人間のエゴの固まりでしかないというオチが今回の原発問題でも良くわかる(「天にツバするものにそのツバは還ってくる」というオチだ)。
人間が「火」というエネルギーを発見して以来人間はその「火」から離れることができなくなってしまった。
人類の歴史は「火」の歴史(あらゆる生物の中で火を使うのは人間だけ)。
「火」は形をいつも変えながら人間に恩恵と災いの両方をもたらし続けている(原発だけでなくあらゆる戦闘の道具は全て火器だ)。
「火」がなければ人間はモノを調理することもできずにゴリラやチンパンジーのように未だにアゴと歯を発達させた顔のままここまで知能を発達させることはできなかったはず。
人間は「火」を使って知能を発達させた結果、「文明」を作る。しかし、同時に、人間はその「火」からいつもシッペ返しをくらっている。
火は常に「諸刃の剣」なのだ。
動物たちは「火」を使うことができないから人間たちの下にいるように見えるけれども、彼らは「火」に隷属することも思い悩むこともない。だから自然と共に生きることができるのだが、人間は絶対に「火」を放棄しないから未だに「火」に悩まされ続けることになる(今回自然が起こした地震と津波が原発事故の原因になったというのも「火」が諸刃の剣ということのある意味象徴的な出来事だろう)。
巨大なマグマという「火」の固まりが地球という星の正体ならば、その「火」の上に住んでいる以上日本人だけではなく全ての人間がその「火」の恐怖に怯えて暮らしていかなければならない。
いつかは大きな地震に被災するかも?という覚悟をしていなければならないのだが、それが自分の一生の間に起こるとは誰しも考えたくはない。
今回の地震や津波に被災した人が「明日の我が身」にならない保証は何もない。
「そんなことふだん考えながら暮らしているヤツなんか一人もいない」と本当に言えるのかどうなのか?
私は、これまで人の暮らしの基本は政治が決めてくれると思っていたのだが、日本の暮らしは結局政治では何も決まらないらしいし(決められないらしいし)、デマや流言が飛び交っていてもそれを交通整理して一喝できるリーダーがどこにもいないのはこういう重大な出来事が起こった時「本当に困ったものだ」とつくづく思う。
人間にあるものは結局「生と死」だけなのに、それを日々の生活や社会にきちんと還元し諭してくれる人間が不在なことが結局は社会や人にとっての不幸の元なのかナ?と今回の天災を見て感じる。
結局は自然の災害などどこにもなく、あるのは人災だけなのか?と思わずにはいられない。