ことほど難しいものはない。
人の「理解」というのは知識の積み重ねから導きだされるものと、「体験、経験」値からしか導きだされないものの二種類あるような気がしてならない。
特に、恵子が病気で倒れて以来ひたすら回復を目指してリハビリ生活を送るようになってからは、なおさらこのことが切実に感じられるようになってきた。
昨日、久しぶりの友人と電話で話をした。
もう二十年来の友人なので、気心は知れているし、お互いの心情も状況もよく理解している。と思っていたが、実際はそうでもなかった。
彼から恵子の具合を聞かれリハビリの様子や現在の生活のことなどを話した。しかし、その後に彼が言った一言がちょっとショックだった。
「恵子さんは狛江にいるの?」
え?一瞬、耳を疑った。
私が伊豆の自宅にいて、彼女が狛江の実家にいるという離ればなれの状況が今も続いていると思っていたのだろうか。
私以外に彼女の面倒を見れる人が他にいるとでも思ったのだろうか。
彼女が病気を発症する前はたしかにそういう二重生活に近いようなことを続けていた。
なので、彼も、恵子が退院して自宅に二人で戻り私が彼女を介護する毎日という状況をきっと「想像できなかった」のだろうと思う。
杖で歩いているということで、老人のような生活を想像したのだろうか。
自分の家族の介護をしたことがあるとか、家族に病気の人がいるとかいう「実体験」がないと、人はなかなか自分とは違う状況に思いをはせることはできない生き物なのかもしれない。
私も、恵子が病気に倒れ、彼女の半身が麻痺して、その彼女の介護を毎日しなければならない状況を実際に体験するまで、それがどういうものでどれだけの時間とどれだけの労力が必要なのかといったことを想像することはできなかった。というよりも、想像しようとすらしていなかった。
二人とも、なんとなく「しばらく健康でこのままの生活を続けているだろう」という何の根拠もない安心感を持っていたからだ。
しかし、この「なにげない平穏な日常」がどこまで続くのかは誰にもわからない。
今日、次の瞬間この「日常」が途切れニッチもサッチもいかなくなってしまうかもしれない。
人は、それを実体験するまではその体験を理解することはできない。ましてや、人の家庭のこと、想定をはるかに越える病気のこと、麻痺のことなど、理解しろという方が無理なのだ。
ごく親しい友人に数年前に脳卒中を発症して現在は「ほぼ治って元気に仕事をしている」人がいる。
恵子が彼と同じ病気になった時、どれだけこの友人が頼りになったかわからない。
恵子が入院してからは、毎日のように彼に電話した。
私にとっては想定をはるかに越えた状況だったから、「それ」を実体験した人のことばほど有り難いものはなかった。
恵子が脳卒中に倒れたその日、医者から「完全には治りませんよ」と宣告された時の絶望感は今思い出しても辛い。
でも、人の一生には「絶望」と「希望」、「幸福」と「不幸」の間にはそれほど深い溝も高い壁もないことに気づくのもこれまた経験や体験でしか理解できない部分だ。
その状況を「不幸」だと思うのも「幸福」だと思うのも考え方次第。
そんなことはわかっているよ、と人も自分も思うけれども、それを本気でそう思えるようになるまでの「時間」は人によって違う。
この「時間」こそがおそらく人にとって最も大事な「体験値」なのではないかと思う。
脳卒中を克服した件の友人が発症から回復までの間に体験した「時間」は、それを体験した本人とそれを共有した家族(奥さん)にしかわからない。
今でも、彼は「ああ、それは奥さんの方がよく知ってるから奥さんに聞いて」と笑いながら私に言う。
他人は、単に「病気、良くなってヨカッタですね」と言うだけだが、そこに至るまでの「時間」は他人には絶対に共有できないものだ(特に、脳疾患患者の「その時間」は数年から数十年単位だ)。
でも、考えようによっては、それはけっして「不幸」な出来事ではなく、他の人が体験できなかったことを体験できたのだから、人よりもadvantageがあると思えばよいのではないのか。
私は、そう思うようにしている。
例えば、大変な難病や身体、精神に障害を持っている人の家族を他人は「大変だな」と同情の目で見るが、そういう障害と一緒に生きている人たちの中には、「いえ、障害を持っていても全然不幸じゃありませんよ。むしろ、幸せです」みたいな発言をする人が多い。
でも、私はそういうことばを聞くたびに「ウソだろう。家族に障害のある人がいて幸せなわけがないじゃないか。単なる強がりかエエかっこしいだろう」と思っていた。
しかし、自分の家族が障害者手帳をもらうりっぱな(?)障害者となった今、このことばの意味はよく理解できる。
人は健常者でいることだけで幸福になるわけではない。そんなことは当たり前のことだろう。
だとしたら、障害者だろうが、健常者だろうが、自分の状況を素直に受け入れてそこを出発点に考えるだけで「絶望」は簡単に「希望」に変わってくれる。
恵子が倒れた時私がその脳卒中の先輩から言われたのは「元通りにするという考え方は絶対に捨てた方がいいです。一つ一つまたゼロから覚え直していく。一度リセットされたものをどうやって成長させていくのか。逆に楽しみが増えるじゃないですか。楽器だって最初からできる人はいないんですよ。少しずつ覚えていくこと自体が楽器を習う楽しみなんじゃないですか」。
恵子のできることは、毎日少しずつ増えている。
それが本当に「楽しい」ことだと実感できるって、別に不幸なことでも何でもないんじゃないのかな。
人の「理解」というのは知識の積み重ねから導きだされるものと、「体験、経験」値からしか導きだされないものの二種類あるような気がしてならない。
特に、恵子が病気で倒れて以来ひたすら回復を目指してリハビリ生活を送るようになってからは、なおさらこのことが切実に感じられるようになってきた。
昨日、久しぶりの友人と電話で話をした。
もう二十年来の友人なので、気心は知れているし、お互いの心情も状況もよく理解している。と思っていたが、実際はそうでもなかった。
彼から恵子の具合を聞かれリハビリの様子や現在の生活のことなどを話した。しかし、その後に彼が言った一言がちょっとショックだった。
「恵子さんは狛江にいるの?」
え?一瞬、耳を疑った。
私が伊豆の自宅にいて、彼女が狛江の実家にいるという離ればなれの状況が今も続いていると思っていたのだろうか。
私以外に彼女の面倒を見れる人が他にいるとでも思ったのだろうか。
彼女が病気を発症する前はたしかにそういう二重生活に近いようなことを続けていた。
なので、彼も、恵子が退院して自宅に二人で戻り私が彼女を介護する毎日という状況をきっと「想像できなかった」のだろうと思う。
杖で歩いているということで、老人のような生活を想像したのだろうか。
自分の家族の介護をしたことがあるとか、家族に病気の人がいるとかいう「実体験」がないと、人はなかなか自分とは違う状況に思いをはせることはできない生き物なのかもしれない。
私も、恵子が病気に倒れ、彼女の半身が麻痺して、その彼女の介護を毎日しなければならない状況を実際に体験するまで、それがどういうものでどれだけの時間とどれだけの労力が必要なのかといったことを想像することはできなかった。というよりも、想像しようとすらしていなかった。
二人とも、なんとなく「しばらく健康でこのままの生活を続けているだろう」という何の根拠もない安心感を持っていたからだ。
しかし、この「なにげない平穏な日常」がどこまで続くのかは誰にもわからない。
今日、次の瞬間この「日常」が途切れニッチもサッチもいかなくなってしまうかもしれない。
人は、それを実体験するまではその体験を理解することはできない。ましてや、人の家庭のこと、想定をはるかに越える病気のこと、麻痺のことなど、理解しろという方が無理なのだ。
ごく親しい友人に数年前に脳卒中を発症して現在は「ほぼ治って元気に仕事をしている」人がいる。
恵子が彼と同じ病気になった時、どれだけこの友人が頼りになったかわからない。
恵子が入院してからは、毎日のように彼に電話した。
私にとっては想定をはるかに越えた状況だったから、「それ」を実体験した人のことばほど有り難いものはなかった。
恵子が脳卒中に倒れたその日、医者から「完全には治りませんよ」と宣告された時の絶望感は今思い出しても辛い。
でも、人の一生には「絶望」と「希望」、「幸福」と「不幸」の間にはそれほど深い溝も高い壁もないことに気づくのもこれまた経験や体験でしか理解できない部分だ。
その状況を「不幸」だと思うのも「幸福」だと思うのも考え方次第。
そんなことはわかっているよ、と人も自分も思うけれども、それを本気でそう思えるようになるまでの「時間」は人によって違う。
この「時間」こそがおそらく人にとって最も大事な「体験値」なのではないかと思う。
脳卒中を克服した件の友人が発症から回復までの間に体験した「時間」は、それを体験した本人とそれを共有した家族(奥さん)にしかわからない。
今でも、彼は「ああ、それは奥さんの方がよく知ってるから奥さんに聞いて」と笑いながら私に言う。
他人は、単に「病気、良くなってヨカッタですね」と言うだけだが、そこに至るまでの「時間」は他人には絶対に共有できないものだ(特に、脳疾患患者の「その時間」は数年から数十年単位だ)。
でも、考えようによっては、それはけっして「不幸」な出来事ではなく、他の人が体験できなかったことを体験できたのだから、人よりもadvantageがあると思えばよいのではないのか。
私は、そう思うようにしている。
例えば、大変な難病や身体、精神に障害を持っている人の家族を他人は「大変だな」と同情の目で見るが、そういう障害と一緒に生きている人たちの中には、「いえ、障害を持っていても全然不幸じゃありませんよ。むしろ、幸せです」みたいな発言をする人が多い。
でも、私はそういうことばを聞くたびに「ウソだろう。家族に障害のある人がいて幸せなわけがないじゃないか。単なる強がりかエエかっこしいだろう」と思っていた。
しかし、自分の家族が障害者手帳をもらうりっぱな(?)障害者となった今、このことばの意味はよく理解できる。
人は健常者でいることだけで幸福になるわけではない。そんなことは当たり前のことだろう。
だとしたら、障害者だろうが、健常者だろうが、自分の状況を素直に受け入れてそこを出発点に考えるだけで「絶望」は簡単に「希望」に変わってくれる。
恵子が倒れた時私がその脳卒中の先輩から言われたのは「元通りにするという考え方は絶対に捨てた方がいいです。一つ一つまたゼロから覚え直していく。一度リセットされたものをどうやって成長させていくのか。逆に楽しみが増えるじゃないですか。楽器だって最初からできる人はいないんですよ。少しずつ覚えていくこと自体が楽器を習う楽しみなんじゃないですか」。
恵子のできることは、毎日少しずつ増えている。
それが本当に「楽しい」ことだと実感できるって、別に不幸なことでも何でもないんじゃないのかな。