恵子の足音が最近変わってきた。
左手で杖をつきながら麻痺した右足に装具をつけて室内用の靴を履いているので歩く時の足音のリズムが遠くからでも良く聞こえてくる。
全室フローリングの家なのでなおさら足音は良く響く。
健常者の歩くリズムは、よっぽどのことがない限り二拍子だ。
だから、行進曲はみんな二拍子で作られている。
でも、恵子のような片側麻痺の人間の歩行のリズムはそう単純ではない。
片側は健常者の足。片側は不自由な足なのだ。
だから、お互いの足のバランスが極めて悪い。
簡単に言えば、健常者の足が麻痺した足をかばいながら歩く恰好になってしまう。
すると、どういう現象が起こるかといえば、とてもメトロームのリズムには収まりきらないような不自然で不規則な音が聞こえてくるのだ。
病院に入院中、私はこのリズムのことで療法士さんとやりあった。
療法士さんは、歩く時のリズムを恵子にこんな風に教えていたからだった。
「杖を出して1、麻痺した右足を出して2、健常の左足を出して3」。
だから、恵子は病院の廊下を歩く時「1、2、3」と数えながら歩いていた。
それを聞いた私は「あり得ない。そんなこと誰に教わったの?」と彼女に聞くと療法士さんからそう数えるように教わったという。
彼女にしてみれば、療法士さんからそう言われればそう従うしかない。
でも、私にはどうしても腑に落ちない。
「人間の動作で三拍子のものは存在しないんだよ。人間のパーツは手にしても足にしても全て対で2つずつあるんだから、全ては二拍子のリズムで動くようにできているの。だから、歩く時も、順番に右左、右左で、1、2、1、2で動いていくでしょ? 今の恵子みたいに片足が不自由でもこの二拍子を変えるということは自然の摂理を変えるのにも等しいんだよ。それに、療法士さんの説明だって、最後の「3」の後、歩行を休んでしばらく溜めているから休符がそこに入っているわけで実際は三拍子でも何でもないんだよ」こう言って私は彼女を説得した。
「杖出して1、右出して2、左出して3、休んで4」は、結局は二拍子に過ぎない。
三三七拍子だって、3の後、7の後にタメがあるから、結局普通の二拍子だ。
大体において、日本人に変拍子なんかができるわけがない(中国の伝統音楽に変拍子が多いのは、大陸は農耕が生活の基本ではないからだ)。
たかが「2か3か」といった数字の問題なのではなく、人間が生きて行くことは「リズムに従って生きていく」ということに他ならないと思っている私からすれば「ちょっと不可解」な出来事だったことをよく覚えている。
それが、退院後、自宅での歩行訓練を繰り返しながらそのことを恵子に強調して教えてきて結果、彼女の歩き方も少しずつ改善していったのだろうか。
「ちゃんと、1、2で数えな」と私は彼女に叱咤激励するが、時折「そんなに理屈通りには行かないよ」と反発される。
まあ、それでも彼女がしっかりと回復して欲しいと思う私は、ダメを出しながらずっとウルサク言い続けている。
そのせいなのか、最近の彼女の足音はほとんど6/8拍子のように聞こえるようになったのだ。
つまり、「1、2、3」「4、5、6」という風に「1」と「4」の時に足を前に出してアクセントをつけながらゆっくりと歩いている。
なにしろ歩くテンポが亀のように遅いので、すべてが「ためて」聞こえる。
けっして普通の二拍子には聞こえないが、それでも変拍子に聞こえなくなっただけマシだろう。
麻痺した足で歩く時、片側が「1、2」、もう片方が「3、4、5」といった風にアンバランスに動き変則的な五拍子になったりすることも多いからだ。
早く「普通の二拍子」になってくれないかナと、私は、いつも彼女の足音に耳をすませている。
左手で杖をつきながら麻痺した右足に装具をつけて室内用の靴を履いているので歩く時の足音のリズムが遠くからでも良く聞こえてくる。
全室フローリングの家なのでなおさら足音は良く響く。
健常者の歩くリズムは、よっぽどのことがない限り二拍子だ。
だから、行進曲はみんな二拍子で作られている。
でも、恵子のような片側麻痺の人間の歩行のリズムはそう単純ではない。
片側は健常者の足。片側は不自由な足なのだ。
だから、お互いの足のバランスが極めて悪い。
簡単に言えば、健常者の足が麻痺した足をかばいながら歩く恰好になってしまう。
すると、どういう現象が起こるかといえば、とてもメトロームのリズムには収まりきらないような不自然で不規則な音が聞こえてくるのだ。
病院に入院中、私はこのリズムのことで療法士さんとやりあった。
療法士さんは、歩く時のリズムを恵子にこんな風に教えていたからだった。
「杖を出して1、麻痺した右足を出して2、健常の左足を出して3」。
だから、恵子は病院の廊下を歩く時「1、2、3」と数えながら歩いていた。
それを聞いた私は「あり得ない。そんなこと誰に教わったの?」と彼女に聞くと療法士さんからそう数えるように教わったという。
彼女にしてみれば、療法士さんからそう言われればそう従うしかない。
でも、私にはどうしても腑に落ちない。
「人間の動作で三拍子のものは存在しないんだよ。人間のパーツは手にしても足にしても全て対で2つずつあるんだから、全ては二拍子のリズムで動くようにできているの。だから、歩く時も、順番に右左、右左で、1、2、1、2で動いていくでしょ? 今の恵子みたいに片足が不自由でもこの二拍子を変えるということは自然の摂理を変えるのにも等しいんだよ。それに、療法士さんの説明だって、最後の「3」の後、歩行を休んでしばらく溜めているから休符がそこに入っているわけで実際は三拍子でも何でもないんだよ」こう言って私は彼女を説得した。
「杖出して1、右出して2、左出して3、休んで4」は、結局は二拍子に過ぎない。
三三七拍子だって、3の後、7の後にタメがあるから、結局普通の二拍子だ。
大体において、日本人に変拍子なんかができるわけがない(中国の伝統音楽に変拍子が多いのは、大陸は農耕が生活の基本ではないからだ)。
たかが「2か3か」といった数字の問題なのではなく、人間が生きて行くことは「リズムに従って生きていく」ということに他ならないと思っている私からすれば「ちょっと不可解」な出来事だったことをよく覚えている。
それが、退院後、自宅での歩行訓練を繰り返しながらそのことを恵子に強調して教えてきて結果、彼女の歩き方も少しずつ改善していったのだろうか。
「ちゃんと、1、2で数えな」と私は彼女に叱咤激励するが、時折「そんなに理屈通りには行かないよ」と反発される。
まあ、それでも彼女がしっかりと回復して欲しいと思う私は、ダメを出しながらずっとウルサク言い続けている。
そのせいなのか、最近の彼女の足音はほとんど6/8拍子のように聞こえるようになったのだ。
つまり、「1、2、3」「4、5、6」という風に「1」と「4」の時に足を前に出してアクセントをつけながらゆっくりと歩いている。
なにしろ歩くテンポが亀のように遅いので、すべてが「ためて」聞こえる。
けっして普通の二拍子には聞こえないが、それでも変拍子に聞こえなくなっただけマシだろう。
麻痺した足で歩く時、片側が「1、2」、もう片方が「3、4、5」といった風にアンバランスに動き変則的な五拍子になったりすることも多いからだ。
早く「普通の二拍子」になってくれないかナと、私は、いつも彼女の足音に耳をすませている。