みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

さながら心理戦

2013-09-07 20:08:28 | Weblog
のようだといつも感じる。
恵子の中枢神経の命令系統がどこでどういう風に機能しているのかは人の身体の内部のことなのでわからないが、彼女の中枢神経がどう末梢神経の感覚をコントロールしていくことができているかどうかの勝負が、さながら毎日の二人の間で起こる心理戦なのだ。
昨日、久しぶりにお風呂の介助をした。
まだ右足に装具を身につけている彼女にとって唯一素足にならなければならないのがこのお風呂だ。
なので、彼女にとっては一番「怖い」場面でもある。
もちろん、そのリスクの高さが彼女の中枢神経にどれだけの「恐怖」を与えているのかは私にはわからない。
しかしながら、彼女の右足の力はこの二年間で飛躍的に回復している。
一時は「装具なしで歩こうか」と療法士と相談していたぐらいだった。
しかし、その状況は、今年の春に始まった彼女の家族とのバトル(まあ、彼女の姉弟同士のことだ)と、この夏の異常な暑さですっかり変わってしまった。
第一に彼女のリハビリの時間がすっかり失なわれてしまったのだ。
まあ、これも彼女によれば「暑さのせい」ということになるのだが、私にしてみれば自分の「不調」を必ず何かのせいにしてしまう彼女の性癖が一番問題なのではと思っている。
今年の冬も、寒さでそれまで自分一人で降りていかれた玄関のたった三段の階段が降りられなくなってしまった(一段が20センチなので若干高いと言えば高い段差だが)。
降りようとしても「足がすくむ」のだという(昇るのは案外簡単なのだ)。
仕方がないので私が抱きかかえながら降ろすことになる。
でも、私はこれを本当はしたくない。
私は、彼女の着替えにしても何にしてもなるべく「手伝わない」ようにしている。
「自分でできた」という自信が彼女の中枢神経にしっかりと情報として固定されないと次からも誰かに何かに頼らなければならなくなってしまうからだ。
つまり、脳が「頼らなければできない」と思い込んでしまうのだ。
リハビリというのは、酷なようだが、「困難な状況」をどう乗り越えていくのかが一番重要なポイントなのだ。
乗り越えられればそれが自信になり「能力」としてその人の身体と心に固定されていく。
それが「できない」と、身体と心は自信を喪失して「できない」ことを脳が容認してしまうのだ。
なので、昨日のお風呂もそれまでと同じように、見守りながら入るはずだった。
この一年半の間、彼女の入浴は私の見守りで十分だった。
しかし、昨日は彼女の足がものすごくぎこちない。
「おいおい、そのままじゃあ、倒れてしまうぞ」という宙ぶらりんな足の動きなのだ。
それでも、なるべく助けずに「大丈夫、だいじょうぶ」を繰り返しながら彼女が一人でいつも通りできるように見守ろうとするのだが、本当に久しぶりの入浴で(彼女はずっと風邪をひいていたので控えていた)、まるで「初めての風呂体験」のようなギコチなさだ(でも、実際は、本当に初めての昨年の4月の「風呂」の方が昨日よりもはるかに上手だったのだが)。
私はこれを恐れていたのだ。
なので、昨日はお風呂に入る前の午前中に彼女に「iPodでリストを聞きながら、大丈夫、大丈夫、私は強いと自分に言い聞かせなさい」と、彼女に自己暗示にかけるようにと指示していた。
そういう「自分を強い、手も足も問題なく動く」と自分の頭に思い込ませることは実際のリハビリトレーニング以上に重要な作業だからだ。
でも、結果的にこれはあまり効き目がなかったようだ(彼女がどれほど強い自己暗示をかけていたかどうかわからないが)。
お風呂での彼女の狼狽ぶりは目もあてられないほどだった。
本来真っすぐ足の裏がしっかりと降ろせるはずなのに、足は曲がり宙に浮いてしまいどこにも降ろす場所を失っている(まるで退院前のひどい麻痺状態の足に戻ってしまったようだ)。
もちろんそんな状態では立っていられないので私が身体を支えるが、これまで一年半お風呂の介助をしていて一番悲惨な状態なので、私も頭の中で「ここで全部私が助けてしまっては、また彼女が余計に自信を喪失してしまい、これから先お風呂に入るたびにトラウマになってしまう」と思い、何とか必至に解決策を探す。
私は、彼女を一時的に椅子に腰掛けさせた。
つかまりながら前に進めなくても椅子に一時的に腰掛け彼女自身に次の行動を考えさせる。
それが大事なことだと思ったからだ。
私が彼女の身体をかかえてあっちからこっちへ移動させ全てを済ませてしまうことはできるが、今まで一度もやったことのない「そんなこと」をしてしまったら多分彼女はこれから先立ち直れないほど自信を失ってしまい、お風呂だけの問題ではなく、今後のリハビリ全体にも影響してしまうだろう。
多分彼女の頭の中では「できない、できない」というパニック状態が起こっているのだろうが、そのパニックを起こさせているのは私でも病気でもなく彼女自身の脳なのだ。
彼女は、いつも「初めてのこと」を極端に怖がる。
一度できてしまうとこちらでもビックリするほど何でもスイスイこなしていくのだが、初めての行為にはことのほか慎重だ。
いや、慎重を通り越して「異常なほどの怯え」に陥る。
一旦この怯えに陥ってしまうと、私が無理矢理動かすことすらできなくなってしまう。
脳卒中の患者の後遺症との闘いは、運動能力の回復だと思われがちだし、私自身もそう思っていたけれども、実際は、それよりももっと「心との闘い」の部分が多いことに気づかされる。
手足をいくら訓練しても頭がそう思い込まない限り、人の運動能力というのはけっして思い通りには機能しない。
ラベルが「左手のためのピアノ協奏曲」を書いたことで有名なウィーンのピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタインは第一次大戦で右手を失った人だが、彼は実際に右手を失った後も、「幻肢」という現象にずっと悩まされていたという。
幻肢というのは、「そこに右手は実際はないのに、あると頭が錯覚してしまう」ことだ。
彼は、この幻肢のために、実際はあるはずのない右手の「痛み」にまで悩まされていたという。
ただ、逆に、彼はこの「幻肢」によって失った右手の運指を完全に思い出すことができ、そのおかげで弟子に右手の運指を教えることができたのだともいわれている。
これを「思い込み」と片付けてしまって良いのかどうか。
「錯覚」だよと言ってしまって良いのかどうか。
恵子の脳の後遺症とずっとつきあっていると、やはりこれは「心の病気」なのだろうなという気が本当にしてくる。
まあ、極端に言えば、全ての病気は心の病気だとも言えるのだろうけれども、脳だとか麻痺だとかが関わってくる病気においては、この「心のコントロール」が最も大事な要素なのだということがよくわかる。
だから、私はいつも彼女に「頭の中の最もプライオリティが高いところに自分の自信を持ってこなきゃダメだよ」と言う。
つまり、「自信に満ちた」脳の最高司令官の命令が「絶対」にならなければ、末しょう神経から来る「暑い」「寒い」「痛い」という感覚にこの中枢神経の司令官が負けてしまうからだ。
「寒いから身体が動かない」「暑いから身体が動かない」。
健常者は、普通「今日は暑いから足が動かないので会社には行けません」とは言わない。
中枢神経が全てをコントロールしているからだ。
でも、彼女は自分自身の身体の麻痺に頭で口実を与えている。
「甘えている」のかもしれない。
誰に?何に?
私に甘えているのかもしれない。身体が動かないこと自体に甘え得ているのかもしれない。
もちろん、「甘え」以上に「苦しみ」はその何倍もあるのだろう。
だからこそ、私は、その甘えが時々許せなくなる。
「苦しいことに甘えてちゃダメだよ。
早くその苦しみから脱したいだろ」。
「歩けるはずなのに、何で歩けないの!」そう叫びたくなってしまうのだ。
一体どこまでこの「心理戦」が続くのだろうと思う。
そして、その心理戦は一体誰が勝利するのだろう?
誰が勝利すべきなのだろう?