みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

本当の主婦の人たちが

2013-11-06 20:19:17 | Weblog
どう思うのかよくわからないけれど、主夫としてここ二年以上の月日を過ごしてきて時々ふと哀しくなってしまう瞬間がある。
それは、洗濯物を干している時だ。
おそらく、主婦の人たちがご主人の下着を洗濯したり干したりすることには何の抵抗もないのだろうが、立場が逆転して、私のような男性が妻の下着を干している時に感じるあの何とも言えないような「切なさ」と「哀しさ」の入り交じった感情はどう説明すればわかってもらえるのだろうか。
別に洗濯すること自体には何の抵抗もないし、掃除をすることも料理を作ることにも何の抵抗もないのだが、妻の下着を洗うという行為に何ともいえない「哀しさ」を感じてしまうのは一体なぜなのだろう。
元気だったらもちろん彼女が自分で洗いたいだろうし自分で干したいはずのものだ。
それを私が手に持っているからそんな気持ちになるのだろうか。
男性の下着を女性(主婦)が洗うことに何の抵抗もないのは、それが世の中では当たり前を思われているからではないだろう。
きっと女性の脳と男性の脳には決定的に違う何かが存在しているからなのかもしれない。
そうでなければ、私の感じるあの「哀しい」感情をどう説明できるというのだろう。
もし同じような立場の男性がいるならば、ぜひ気持ちを聞いてみたいものだと思う。

本当は、買い物も早く一緒にしたいと思っている。
売り場をゆっくりゆっくりと回れば今でもできないことはないのかもしれない。
しかし、買い物の途中で歩けなくなってしまったらとか(今の彼女の身体には持久力というものが根本的に欠けている)を考えるために買い物も相変わらず自分一人の仕事だ。
もちろん、こんな時間が永遠に続くとは二人ともまったく思ってはいない。
医者が何と言おうが、療法士が何と言おうが私と恵子は最初っから「完全復活」しか考えてこなかった。
そのための方法論を二人で考え着実に実行してきている。
今日もリハビリ病院で同病の人たちの訓練を横目で見ながら、いけないと思いながらも心の中でつい恵子と他の人たちの回復の度合いを比べてしまう。
歩行だけ見ていると健常者とそれほど変わらないような人でも手の痙縮(けいしゅく=筋肉のつっぱり)がかなり残っていて「きっとこのままだとあの痙縮は元に戻らないだろうな」と思われるような人もいる。
かと思うと、逆に、手の動きはスムースなのにずっと車椅子から降りられないでいる人もいたりする。
麻痺の程度もいろいろなのだから回復の度合いも人によって異なるのは当たり前なのだろうが、私と恵子の中での回復のプロセスはいつも二人で同じイメージを作っていくことで進行してきた。
スポーツのイメージトレーニングと同じように、「こうなっていて欲しい」という具体的なイメージを脳に描くことで脳がそれを獲得しようとするその力を信じてやってきたのだ。
筋肉のつっぱりはまだあるものの(肩の力が抜ければあの緊張も取れていくはずなのだが)、恵子の手の形はどんどん健常者のそれに近づいている(最近は親指の付け根の肉球も少しずつ膨らんできている)。入院中から現在も続いているキーボードトレーニングが多少の成果をあげているのかもしれない。
まだ箸や鉛筆を持つと震えるが、家のチェンバロを弾く彼女の手はほとんど震えない。
これも失語症の人が「歌」は歌えるけど会話は明瞭ではないということに似ているのかもしれない。
音楽というものが私と恵子の間にあるおかげで他の脳卒中患者の回復にはない「何か」が得られたのだろうか。
昨日私は変な夢を見た。
友人が「奥様の様子はいかがですか?」と尋ねるので、「見ての通りまだまだ大変ですよ」と言おうと思った瞬間、恵子が軽快に私と友人のところにスキップをしながらやってきたのだ。
これに驚いた私があわてて友人に弁解をしようとしているというオチのついた夢だった。
ほとんど「願望」のなせる夢なのだろうが、夢から醒めた瞬間現実とのギャップをあまり感じなかった私は、「そんな日が来るのもそう遠くはないのかも」と心のどこかで思ったことも確かだった。