チャレンジしてきたことだろう。
未だに先ははっきりと見えてこない。
恵子は先日病院を二ヶ月ぶりに退院したが、だからといって急に彼女の麻痺がなくなってしまったわけではなく、相変わらず不自由な身体と格闘する日々は続いている。
退院してもう少し彼女の顔が明るくなってくれるのかなと思ったのは私の勝手な思い込みだったのかもしれない。
彼女の心の中でどんな葛藤が起こっているのかに思いを馳せても彼女とはまったく違った心と肉体を持った私に彼女のことが完全に理解できるわけもない。
先日、東京から新聞社の人がわざわざ車を走らせて伊豆の私の自宅まで取材に来てくれた時のことだ。
私の今度の著作『奇跡のはじまり』や私の立ち上げた「ミュージックホーププロジェクト」のことなどが取材の目的だった。
ふだん、「仕事」で人が尋ねてくると、恵子は別の部屋で静かに自分なりの時間を過ごしている。
しかし、今回は違っていた。
彼女は、私と記者が話をしている最中にわざと割り込むようにやってきたのだ。
え、なんで?と思ったが、きっと、自分の絵を記者に見てもらおうと思ってやってきたのだろう。
案の定、部屋に入るなり私に「スケッチブック持ってきて」と頼む。
まだ片手でスケッチブックのような重たいモノを持ちながら杖で歩くことはできない。
それでも、自分が元気なところを、これだけ頑張って絵を描いているというところを記者に誇示したいのだろうと私は思った。
しかし、実際はそんな単純なことでもなかったようだ。
記者から「生活で大変なことって何かありますか?」と尋ねられると彼女は、「何から何まで夫にやってもらっていて、すまないと思っています」と涙声で自分の気持ちを吐露し始めたのだ。
記者は、帰り際に「思ったよりも元気そうなので、安心しましたよ」と言ってくれたが、きっと本心ではないだろう。
リハビリでこの二ヶ月お世話になった理学療法士も、「みつとみさん(恵子のことだ)ってホント不思議ですね。もっと素早く動けるはずなのに、時々動作が極端にスローになってしまったり、もっとスムースに歩けるはずなのに…」。
そう言っていつも首をひねる。
もっとできるはずなのに…。
これまでもさんざん聞かされたセリフだ。
療法士たちからも医師たちからも。
その日の夜、彼女はベッドの中でまた涙を浮かべた。
「前はいろんなことが当たり前にできたのに、道を歩いている人たちみたいに私も歩けていたのに…」
もちろん、その悔しさはわかるし焦る気持ちもよくわかる(私自身も同じぐらい悔しいのだから)。
しかし、彼女にはもっとわかって欲しいことがある。
それは、これまでにも繰り返し彼女に言ってきたこと。
自分の身体の「いま」にもっと自信を持って欲しいのだ。
「そりゃ、悔しい気持ちはよくわかるけど、本当はもっと手も足も動けるはずなんだよ。麻痺で筋肉が内側にすぐ寄ってしまう右足にしたって、完全に固まってしまった拘縮状態になってしまったわけじゃないだろう…(拘縮とは、身体の一部が麻痺で固まってしまって動かない状態のこと)。自信さえ持てばもっとコントロールできるはずなんだよ。悔しいのはアナタだけじゃないんだよ」。
「自信」。
この二文字が彼女の中にいつ芽生えてくるのだろうと思う。
頭では理解しているのかもしれない。
しかし、彼女の脳から「自信」という情報が手足の末端に伝わる前に「恐怖」という情報の方が先に手足に到達してしまう。
この神経の伝達プロセスをどうしたら逆転できるのかサッパリわからないが、諦めずに何度でもいろいろ試してみるしかない。
よく脳卒中の患者は、発症前と後では人間的なキャラクターが変わってしまうと言われる。
当然だろう。
出血や梗塞で脳の一部がダメージを受けたのだから、ちょっとぐらいキャラクターが変わったって何の不思議もないだろう。
だから、「前はもっと…だったのに…、とか前はもっと…していたのに…」という発症前と後で、患者も家族も比較をして「いま」を受け入れられなくなってしまうのだ。
彼女の「涙」はまさしくこのことを意味している。
だからといって、この状態から即刻抜け出すための特効薬があるわけではない。
楽器だって「できない、できない」と壁にぶちあたったらしばらくそこから離れてしまうしか方法はないだろう。
私は、ふと髪を切ってみようと思い立った。
美容院の帰り、私の心はちょっとウキウキし始めていた。
なんだ、こんな簡単なことだったんだ、と自分でも驚く。
家に戻るなり私は彼女に、「ヘナやろう」と言った。
彼女の髪を天然素材のヘアダイで染めることにしたのだ(前から彼女にやってくれと頼まれていた)。
彼女の髪の手入れも入浴も私の大事な仕事(療法士になったり、栄養士になったり、主婦になったり、美容師になったりと、介護というのはとにかく切れ目がない!)。
久しぶりに奇麗な髪に染まった彼女を見て、私も彼女もちょっとだけ幸せな気分になれた。
きっと、こんな小さな幸せを途切れさせないように毎日工夫して生きていくことが「前向きに生きる」ということなのかもしれない。
そうでも思わないことには、この先の見えない長い「闘い」に勝利することはできないし、「奇跡」も起こらないのだろう(きっと)。
未だに先ははっきりと見えてこない。
恵子は先日病院を二ヶ月ぶりに退院したが、だからといって急に彼女の麻痺がなくなってしまったわけではなく、相変わらず不自由な身体と格闘する日々は続いている。
退院してもう少し彼女の顔が明るくなってくれるのかなと思ったのは私の勝手な思い込みだったのかもしれない。
彼女の心の中でどんな葛藤が起こっているのかに思いを馳せても彼女とはまったく違った心と肉体を持った私に彼女のことが完全に理解できるわけもない。
先日、東京から新聞社の人がわざわざ車を走らせて伊豆の私の自宅まで取材に来てくれた時のことだ。
私の今度の著作『奇跡のはじまり』や私の立ち上げた「ミュージックホーププロジェクト」のことなどが取材の目的だった。
ふだん、「仕事」で人が尋ねてくると、恵子は別の部屋で静かに自分なりの時間を過ごしている。
しかし、今回は違っていた。
彼女は、私と記者が話をしている最中にわざと割り込むようにやってきたのだ。
え、なんで?と思ったが、きっと、自分の絵を記者に見てもらおうと思ってやってきたのだろう。
案の定、部屋に入るなり私に「スケッチブック持ってきて」と頼む。
まだ片手でスケッチブックのような重たいモノを持ちながら杖で歩くことはできない。
それでも、自分が元気なところを、これだけ頑張って絵を描いているというところを記者に誇示したいのだろうと私は思った。
しかし、実際はそんな単純なことでもなかったようだ。
記者から「生活で大変なことって何かありますか?」と尋ねられると彼女は、「何から何まで夫にやってもらっていて、すまないと思っています」と涙声で自分の気持ちを吐露し始めたのだ。
記者は、帰り際に「思ったよりも元気そうなので、安心しましたよ」と言ってくれたが、きっと本心ではないだろう。
リハビリでこの二ヶ月お世話になった理学療法士も、「みつとみさん(恵子のことだ)ってホント不思議ですね。もっと素早く動けるはずなのに、時々動作が極端にスローになってしまったり、もっとスムースに歩けるはずなのに…」。
そう言っていつも首をひねる。
もっとできるはずなのに…。
これまでもさんざん聞かされたセリフだ。
療法士たちからも医師たちからも。
その日の夜、彼女はベッドの中でまた涙を浮かべた。
「前はいろんなことが当たり前にできたのに、道を歩いている人たちみたいに私も歩けていたのに…」
もちろん、その悔しさはわかるし焦る気持ちもよくわかる(私自身も同じぐらい悔しいのだから)。
しかし、彼女にはもっとわかって欲しいことがある。
それは、これまでにも繰り返し彼女に言ってきたこと。
自分の身体の「いま」にもっと自信を持って欲しいのだ。
「そりゃ、悔しい気持ちはよくわかるけど、本当はもっと手も足も動けるはずなんだよ。麻痺で筋肉が内側にすぐ寄ってしまう右足にしたって、完全に固まってしまった拘縮状態になってしまったわけじゃないだろう…(拘縮とは、身体の一部が麻痺で固まってしまって動かない状態のこと)。自信さえ持てばもっとコントロールできるはずなんだよ。悔しいのはアナタだけじゃないんだよ」。
「自信」。
この二文字が彼女の中にいつ芽生えてくるのだろうと思う。
頭では理解しているのかもしれない。
しかし、彼女の脳から「自信」という情報が手足の末端に伝わる前に「恐怖」という情報の方が先に手足に到達してしまう。
この神経の伝達プロセスをどうしたら逆転できるのかサッパリわからないが、諦めずに何度でもいろいろ試してみるしかない。
よく脳卒中の患者は、発症前と後では人間的なキャラクターが変わってしまうと言われる。
当然だろう。
出血や梗塞で脳の一部がダメージを受けたのだから、ちょっとぐらいキャラクターが変わったって何の不思議もないだろう。
だから、「前はもっと…だったのに…、とか前はもっと…していたのに…」という発症前と後で、患者も家族も比較をして「いま」を受け入れられなくなってしまうのだ。
彼女の「涙」はまさしくこのことを意味している。
だからといって、この状態から即刻抜け出すための特効薬があるわけではない。
楽器だって「できない、できない」と壁にぶちあたったらしばらくそこから離れてしまうしか方法はないだろう。
私は、ふと髪を切ってみようと思い立った。
美容院の帰り、私の心はちょっとウキウキし始めていた。
なんだ、こんな簡単なことだったんだ、と自分でも驚く。
家に戻るなり私は彼女に、「ヘナやろう」と言った。
彼女の髪を天然素材のヘアダイで染めることにしたのだ(前から彼女にやってくれと頼まれていた)。
彼女の髪の手入れも入浴も私の大事な仕事(療法士になったり、栄養士になったり、主婦になったり、美容師になったりと、介護というのはとにかく切れ目がない!)。
久しぶりに奇麗な髪に染まった彼女を見て、私も彼女もちょっとだけ幸せな気分になれた。
きっと、こんな小さな幸せを途切れさせないように毎日工夫して生きていくことが「前向きに生きる」ということなのかもしれない。
そうでも思わないことには、この先の見えない長い「闘い」に勝利することはできないし、「奇跡」も起こらないのだろう(きっと)。