みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

検査結果

2014-09-10 14:43:33 | Weblog
恵子の退院後の整形外科での3ヶ月おきの定期検査。
前回医師から「骨折した患部が壊死しているかも?」みたいな(不吉な)ことを言われた後だけに、彼女にとっても私にとってもレントゲン撮影の結果はとても不安だった。しかも、
アポの時間を1時間半過ぎてもなかなか診察の順番が回ってこず(整形の待ち時間はいつも長く、何のためのアポ時間なのかといつも疑問に思う)、苛々と焦りは頂点に達していたが、今回も医師のひとことで急激に肩から力が抜けてしまった。
「大丈夫だね。順調ですよ」。
このひとことでそれまで彼女の身体の中にずっと重くのしかかっていたストレスと不安が全身からどっと抜けた(ようだ)。
いつもはあまりしない雑談に先生と恵子が花を咲かせている(ちょっと珍しい光景だ)。
「家事なんかやってるの?」「あまりやってません」「でも、炊事は?」「ちょっと…(きっと、医師のことばがよく聞こえずに誤解したのだろう)」。
あわてて私が訂正する。
「いや、炊事は全くできません。お皿を少し並べたりするぐらいで…」
「そうだろうね。どうやってやるのかなと不思議に思ったんだけど…」
こんな雑談が診察室で気楽に交わせることが嬉しい。
3ヶ月先の12月の予約を済ませ診察室を後にする。
会計に向うとすぐ前に見慣れたおばあさんが車椅子で順番を待っていた。
「そうだ、恵子のベッドの隣にいたあの人だ」。
名前は忘れてしまったが、恵子の隣でいつも「イテテテテ…」と口癖のように唸っていた人だ。
恵子と顔を見合わせ「イテテおばさん、まだ入院していたのか」と驚く。
この人の「イテテテテ」は、横のベッドで聞いていてもほとんど途切れることのないほど続いていた。
なのに、看護士さんが来て「痛みは?」と聞くと必ず「大丈夫です」と答える。
あんなにしょっちゅう痛いって言ってるじゃないか!と突っ込みを入れたくなるが、おそらくこの年代(明らかに八十代以上の方)の人たちに特有の「遠慮」の作法なのだろうと理解する。
家庭や学校であまり自己主張をしてはいけないと教育されてきた世代独特の反応だ(特に女性は)。
現在の被介護世代の大半がこうした「自己主張を良しとしない」世代の人たちなのでいろいろな問題も起きるのではないかと思う(特に介護施設などで)。
この方はどうやら一人暮らしのご様子で、ずっと恵子の隣に入院していた時も身内とおぼしき人が尋ねてきたことはまったくなかった。
時々訪れてきたのは市役所の職員とおぼしき人物(ほとんど若い男性だが)か、あるいはケアマネージャーとおぼしき女性のみだった。
「はい、これアパートの通帳と領収書、そしてガス、電気の領収です。他に何かお部屋から持ってきて欲しいものありますか?」
え?市の職員さんってそこまでプライベートの面倒を見なくてはいけないの。
聞こえてくる会話に一瞬驚くと同時に、きっとそうなんだろうな、一人暮らしのお年寄りを助ける行政の立場としては、そこまでやらないといけないのだろうなとも納得する。
でも、…。
それでもやはり疑問がわく。
これからどんどん増えてくる一人暮らしのお年寄りの面倒を行政が果たして全て見る事ができるのだろうか。
どう考えても無理だよな。
そんなことやりきれるはずがないし、特別養護老人ホームだって、有料介護つき老人ホームだって入りきれるキャパが今でも足りないし、その穴埋めのためのグループホームやデイサービスだってどこまでこの穴を埋められるのか(政治は、それを全て「在宅に回せ」と言うのだが)。
そんな心配をしてしまう私たちを他所にこの「イテテおばさん」は、きっとこうした医療施設を介護施設代わりにうまく利用しているのかもしれない(とも思った)。
ある意味、いろいろな行政の福祉サービスを利用すれば、民間のアパートに一人暮らしで住んでいるよりも、医療機関に入院している方がそれこそ「命の保証」はしてくれるし、三度のご飯にもありつけるし、入浴サービスだってあるし、絶対居心地は悪くないはず。
しかも、はるかに安上がりかもしれない(生活保護の方が最低賃金よりも暮らしやすいのもこれと同じ仕組みがあるからだ)。
まあ、そうは思いたくはないのだけれども、この「イテテおばさん」そこまで見抜いて意図的に入院生活を繰り返しているのかもしれない。
しかも、そんな人は日本中にきっとたくさんいるのだろうナとも考えてしまう。
これを「福祉国家」と言ってよいのか、あるいは「福祉後進国」というべきなのか、ちょっと微妙なところではあるのだが。