みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

リハビリ離れ

2014-10-27 21:24:47 | Weblog
「親離れ」「子離れ」ということばはあるけれども,「リハビリ離れ」なんていうことばはきっとどこにも存在しないだろう。
でも,私自身は,このことばの必要性を今日痛感した。
いつものように週一回の恵子のリハビリに行った。
すると、作業療法士のOさんがいつものように訓練を始めるのかと思いきや,恵子に話しかけるのではなく私に話しかけて来た。
「先日もカンフェランスでみんなで話したんですけど,恵子さんの調子は本当に上向いてきていて,骨折前の状態にほぼ戻ってきていると思います。
ですので,ここから課題である精神的な部分にも十分ケアしながらトレーニングしていきたいと思っています」とここまでは良いのだが,その後に「ですので,ご主人もこれからはゆったりと遠くで見守っていただいて恵子さんの自主性を大事にしていきたいなと思っています」。
え~?それって,私が側で見ていちゃ邪魔ってこと?
そうか…きっとそうなんだろう。
「わかりました。じゃあ、ロビーの方で待ってます」と言って私はリハビリ室を出て受付前の待合室に向った。
私は、恵子が病気で倒れた後すぐに病室で始まったリハビリから今日までの三年以上,ただの一回も欠かさず恵子の側で療法士さんのリハビリを見てきた。
それは、恵子の容態が心配だからというよりも,結局自宅に戻れば24時間じっと彼女を見ていなければならないのは私なのだから,その私がしっかりとリハビリの手伝いをできなければならないだろうということで療法士たちが施すリハビリをずっと観察し続けてきたのだ。
でも,それがナゼ迷惑なのだろうか?
療法士さんにとって?
それとも恵子にとって?
答えはすぐにわかった。
リハビリが終わった後,恵子に聞いた。
「今日、どうだった?ヤマネコがいなくてやり易かった?」
私がいないことで,療法士さんとたくさんいろんなことが話せたという。
しかも、リハビリ自体もいつもより念入りだったそうだ。
そうか,やはり私はけっこう「邪魔」だったのだ。
というよりも、きっと恵子にはかなりのプレッシャーだったのかもしれない。
私は自分が「学びたい」という自己満足のために恵子の気持ちを少しないがしろにしていたのかもしれない。
恵子が「介護される人」だとすれば,私も療法士さんも「介護する側の人間」。
いっぺんに二人も「介護する人間」がそばにいたのでは,きっと恵子には」かなりウザかったに違いない(これが彼女にはかなりのプレッシャーだったかもしれない)。
やはりそろそろ私は「リハビリ」から卒業しなければならない時期なのかもしれないと思った。
親も子供も、お互いに「愛情」が深ければ深いほど、なかなか「親離れ」「子離れ」はしにくいものだろう。
でも、どこかでお互いを遠くから優しく見守る状態に変化させなければ本当の意味での「親子関係」にはならないのだろう。
誰かが言っていた。
「進歩とは変わることだ」と。
お互いの進歩のために「変わる」勇気を持とう。
私の「リハビリ離れ」で恵子のリハビリが本当に進歩するのであれば、私は本当に遠くから見守るべきなのだろうと思う。