「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

踊る関西弁 Long Good-bye 2024・08・13

2024-08-13 05:40:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」 は  、耳懐かしい関西弁の数々 。

   概ね あいうえお順 。脈絡はない 。* 子どもの頃 よく言われた 。

  「 あほちゃうか あほんだら 
   あんじょう頼んまっさ

   いちびったらあかん * 
   いちびる
   いらち 
   いらんことしい *
   ええかっこしい
   ええしのこ ええか ええか ええのんか 
   えらいすんまへん
   お越しやす 
   おいど ( 御居処 ) が痛い
   おちょくる 
   おはようおかえり *

   かさぶたいろうたらあかん *
   かまへん かめへん かましまへん
   かんてき  ( 七輪 )
   ぎょうさん 
   こぼんちゃん * 
   ごんたくれ

   しゃあない 
   じゃまくさい  
   しょうむない *
   しんきくさい *
   すかたん 
   せやかて * そんなこと言うたかて うちら知らんもん 
   そんなばっちいもんちゃいし *

   大根の炊いたん 
   ちゃうちゃう * 
   てんごいいなや
   とっとといね 
   どつぼにはまる
   どもならん  
   どんくさい *

   なにしてけつかる なんでやねん 
   なんぼのもんじゃい

   はんなり 
   ほかす
   ぼっか(あぶらむし)(ゴキブリ) 
   ほな、また。
   ぼん ぼんぼん 
   ほなさいなら *

   まねしい
   めばちこ ( 麦粒腫 ) 

   ややこしい
   よろしゅうおあがり *

   わやや  さっぱりわやや * 」

   あほらしゅうて 、あほらしゅうて 、けつかいわ 。

 

  

 

  

 

           

                 ( 生命線 )

     ( 水力でも 、火力でも 、風力でも 、太陽光でも 、原子力でも 、

           なんでもええ 、きれいごと言わいで 、絶やさんといて 。)

 

 

 

 

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うちかえる Long Good-bye 2024・08・11

2024-08-11 06:34:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」。

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 長寿猫の秘密・出産編 」というタイトル

 の小文がある 。備忘のため 、その中の一節 を抜き

 書き 。飼い猫の出産に作家が立ち会ったときの話で

 ある 。

  引用はじめ 。

  「  ミューズはどういうわけか子どもを産むときに
  は絶対に僕のところにしかこなかった 。そして
  絶対に僕の手を離さなかった 。だからうちの奥
  さんはよく『 それ 、ひょっとしてあなたの子 
  どもじゃないの? 』と言っていたが 、僕には
  そういう覚えはまったくない 。猫の父親はどこ
  かの近所の猫である 。そんなことを言われても
  困る 。にゃんにゃん 。
   でも出産している猫と 、夜中に何時間もじっと
  目と目をあわせているとき 、僕と彼女とのあい
  だには完璧なコミュニケーションのようなものが
  存在したと思う 。今ここで何か大事なことが行
  われ 、我々はそれを共有しているのだという明
  確な認識がそこにはあった 。それは言葉を必要
  としない 、猫とか人間とかいう分別を超えた心
  の交流だった 。そこで僕らはお互いを理解し合
  い 、受け入れあっていた 。これは今思うと 、
  ほんとうに奇妙な体験だった 。
   というのは ―― 世の中の大抵の気の利いた猫
  がそうであるように ―― ミューズも普段は最後
  まで僕らに心を許してはいなかったからだ 。も
  ちろん僕らは家族として仲良く一緒に暮らしてい
  たわけだけれど 、そこには一枚の目に見えない
  薄い膜のようなものが存在した 。折に触れて甘
  えはしても 、『 私は猫 、あなた方は人間 』と
  いう一線が画されていた 。特にこの猫は頭がい
  いぶんだけ 、なにを考えているのかわからない
  という部分が大きかった 。
   でも子どもを産むときだけは 、ミューズは自分
  のすべてを 、アジの開きみたいに 、留保なしで
  僕に委ねていたようだった 。そのときに僕は 、
  まるで真っ暗な闇の中に照明弾が打ち上げられた
  ときのように 、その猫が感じていること 、考え
  ていることを 、ありありと隅々まで目にすること
  ができた 。猫には猫の人生があり 、そこにはし
  かるべき思いがあり 、喜びがあり 、苦しみがあ
  った 。でも出産が終わってしまうと 、ミューズ
  はまたもとどおりの 、謎に満ちたクールな猫に
  戻った 。
   猫ってなんか変なものですよね 。」

  引用おわり 。

  作家が経験されたことは 、稀有なことだとは思うが 、猫で

 あれ 犬であれ 、長年一緒に暮らしたペットとの間で 、出産

 ではないが 、似たような交流・体験をしたことは 、どちら

 かというと 犬派 の 、筆者にも ある 。

  ペットならぬ人間家族との交流においても 、言葉を必要と

 しない 、完璧なコミュニケーションを 実感できたときほど

 しあわせを感じることはない 。気のせい? 、それとも思い込

 み ?

  閑話休題 。

  うちの奥さん ( 村上春樹さんが随筆の中でよく使われる表

 現 ) は 、無口な僕以上に 、口数が少ない 。口には出さない

 が 、物心ついた子どもの頃から自分の人生 かくあるべし 」

 という何か 理想型 のようなものがあって 、そのイメージに

 基づいて自分の人生を組み立ててきたような気がする 。多趣

 味 、多芸 、何にせよ器用にこなす人で 、それをひけらかさず 、

 人に自慢することも内に秘めている 、自己主張の少ない

 人であり続けた 。

  一緒になって五十年近く 、会話と言えるほどの会話を交わ

 したこともないし 、お互いに長口舌をふるったこともない 。

  僕の無口は 、生来の自信のなさからくるものであるが 、彼

 女のは違う 。それでも 、うちの奥さんは 「 あなたはうるさ

 い 、声が大き過ぎる 」と 、本人無言で 、いつも子どもの口

 を借りて言わせていた 。

 ( ´_ゝ`)

 「 痛い 」「 熱い 」などの皮膚感覚から発せられるワンフ

 レーズ以外の言葉が 、彼女の口から洩れることは 、十

 このかた一度もない 。

  今も覚えている彼女が最後に発した言葉は「 うちかえる 」 。

 ( ´_ゝ`)

  最近 、ご高齢の方が多く暮らす施設で 、たまたま傍らにい

 らした90歳代おじいさんが 、何の脈絡もなく 、唐突に 、

 「 うち かえりたい 」と呟かれるのを 聞いたばかりである 。

 うちの奥さんやおじいさんが発した「 うち 」という言葉は 、

 どうやら「 自宅 」のことではないらしい 。口癖らしい その

 おじいさんの呟きに 、 「 かえりたいね 」、と付き添いのヘル

 パーさんがやさしく相槌を打っているのが聞えた 。

  他に掛けるべき言葉はないもんな 。

  夫婦の間に会話がなくなって久しいが 、時たま 、何が楽

 くて笑うのかわからぬが 、忍び声で笑いが洩れることが

 る 、救いである 。

 ( ´_ゝ`)

  「 狹(せま)き門(もん)より入(い)れ 、滅(ほろび)に
   いたる門(もん)は大(おほき)く 、その路(みち)は
   廣(ひろ)く 、之(これ)より入(い)る者(もの)おほ
   し 。 
    生命(いのち)にいたる門(もん)は狹(せま)く 、そ
   の路(みち)は細(ほそ)く 、之(これ)を見出(みいだ)
   すもの少(すく)なし 。

             マタイ伝福音書 第七章 」

  ( ´_ゝ`)

  「 何から何まで一分の隙もなく健康な人間なんてどこに
   もいないのだ 。( 村上春樹 )」

  ( ´_ゝ`)

  「 人生というのは予期せぬ罠に満ちた装置である 。
           ( 村上春樹 ) 」

  

       

   

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まず妻より始めよ。あとの世間は簡単だ Long Good-bye 2024・08・09

2024-08-09 05:43:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 傷つかなくなることについて 」という

 タイトルの小文がある 。その中から 三 、四節を 、

 備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「  歳をとって 、多少の差こそあれだんだん
  落ちてくるのは性的なポテンシャルばかり
  ではない 。精神的に『 傷つく能力 』だっ
  て落ちてくる 。これは確かだ 。たとえば
  若いうちは 、僕もけっこう頻繁に精神的に
  傷ついていた 。ささやかな挫折で目の前が
  真っ暗になったり 、誰かの一言が胸に刺さ
  って足もとの地面が崩れ落ちるような思い
  をすることもあった
。」

 「  僕が歳をとってそれほど傷つかなくなった
  のは 、人間が厚かましくなったからという
  理由からだけではないと思う 。ある日を境
  に『 歳をとった人間が若者と同じように精
  神的に傷ついたりするのは 、あんまり見栄
  えのいいものではない 』と認識するように
  なって 、僕はそれ以来なるべく傷ついたり
  しないように意識的に訓練を積んできたの
  だ 。」

 「  精神的に傷つきやすいのは 、若い人々に
  よく見られるひとつの傾向であるだけでは
  なくて 、それは彼らに与えられたひとつの
  固有の権利でもあるのだと 。もちろん歳を
  とっても 、心が傷つくことはいくらでもあ
  る 。でもそれを露骨に表に出したり 、あ
  るいはいつまでも引きずっていることは 、
  それなりに年齢を重ねた人間にとっては相
  応(ふさわ)しいことではない 。僕はそう思
  った 。だからたとえ傷ついても頭にきても 、
  それをするりと飲み込んでキュウリみたいに
  涼しい顔をしているように心がけた 。最初
  はなかなかうまくは行かなかったけれど 、
  訓練をかさねるうちにだんだん 、本当に傷
  つかないようになってきた 。」

 「 『 じゃあ 、傷つかないようになるためには 、
  現実的に何をすればいちばんいいのですか? 』
  と訊かれれば 、僕としては『 嫌なことがあ
  っても見ないふりをすること 、聞かないふり
  をすること 』と答えるしかないですね 。
   そこで 、すぐに役立つ村上春樹私家版〈 ピ
  ーターの法則 〉。『 まず妻より始めよ 。あ
  との世間は簡単だ 』。妻のいない人のことま
  では ・・・ 知らない 。」

  引用おわり 。

  うちの奥さんは 、僕に対して「 嫌なことがあっても

 見ないふりをすること 、聞かないふりをすること

 を 、若い頃から実践して 、今日に至っているらしい 。

 「 まず夫より始めよ 。あとの世間は簡単だ

  ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註 :「 ピーターの法則( 英: Peter Principle )とは
        組織構成員の労働に関する社会学の法則 。

        1. 能力主義の階層社会では 、人間は能力の極限
         まで出世する 。したがって 、有能な平( ひら )
         構成員は 、無能な中間管理職になる 。
        2. 時が経つにつれて 、人間はみな出世していく 。
         無能な平構成員は 、そのまま平構成員の地位に
         落ち着く 。また 、有能な平構成員は 無能な中
         間管理職の地位に落ち着く 。その結果 、各階
         層は 、無能な人間で埋め尽くされる 。
        3.その組織の仕事は 、まだ出世の余地のある人
         間によって遂行される 。
        1969年 、南カリフォルニア大学教授の教育学
       者 ローレンス・J・ピーター( Laurence J. Peter )
       によりレイモンド・ハル( Raymond Hull )との
       共著 THE PETER PRINCIPLE の中で提唱された 。」

       以上ウィキ情報 。

 

  

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

趣味としての翻訳 Long Good-bye 2024・08・06

2024-08-06 06:08:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 趣味としての翻訳 」というタイトルの小

 文がある 。

  引用はじめ 。

 「 最近趣味はなんですかと訊かれると 、『 そう
  だなあ 、翻訳かな ・・・ 』と答えるようにな
  った 。」

 「 はっきり言って 、僕は翻訳という行為自体が
  好きだからこそ 、こうやって飽きもせずえんえ
  んと翻訳を続けているのだ 。これを趣味と言わ
  ずして何と言うべきか ・・・。」

 「 僕は下訳を使ったことは一度もない 。」

 「 僕は個人的に 、もし下訳を使ったりしたら 、
  それは翻訳という作業のいちばんおいしい部分
  を逃していることになるのではないかと考えて
  いる 。翻訳でいちばんわくわくするのはなんと
  いっても 、横になっているものをまず最初に縦
  に起こし直すあの瞬間だからだ 。そのときに頭
  の中の言語システムが 、ぎゅっぎゅっと筋肉の
  ストレッチをする感覚がたまらなく心地よいの
  である 。そして翻訳された文章のリズムの瑞々
  しさは 、このしょっぱなのストレッチの中から
  生まれ出てくる 。この快感は 、おそらく実際
  に味わった人にしかわからないだろう 。
   僕は文章の書き方というものの多くを 、この
  ような作業から結果的に学んだ 。」

 「 自分の味付けをなるべく表に出さないように 、
  ぎりぎりのところまで地道に無色にテキストに
  身を寄せて 、その結果として突き当たりの地点
  で自然に『 ひと味 』が出るのなら 、それはそ
  れで立派なことである 。でも初めから独自の味
  付けを狙ったら 、それは翻訳者としてはやはり
  二流ではあるまいか 。翻訳の本当の面白さは 、
  優れたオーディオ装置がどこまでも自然音を追
  求するのと同じように 、細かな一語一語にいた
  るまでいかに原文に忠実に訳せるかということ
  に尽きる 。」

  引用おわり 。

  米国の女流作家が書いた「 原作 」への偏愛が嵩じて 、

 初めから独自の味付けを狙って 、自分の感想を「 翻訳

 テキスト 」に含めてしまった 日本のマルチタレント作

 家 を知っている 。「 翻訳者として失格 」と言われかね

 ない行為だが 、原作者と知己であったり 、翻訳権を得て

 の翻訳であると 、多少の逸脱 、味付けは 、原作者の

 解が得られると本人も編集者も思い込むらしい 。

  本人に「 暗黙のルール 」逸脱の自覚がない場合 、現代

 なら チェッカーとして AI の出番になるんだろうか

 下訳を使わない場合でも 、AIならぬ生身の人間は 、あり

 とあらゆる記憶にしばられるから 、オリジナリティのある

 翻訳 が出来るかどうかは 、つまるところ「 才能 」の問題

 なんだろうか 。オリジナリティ の境界線は あいまいになり

 つつある 。  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こいつはアホだ、カスだ、タコだ Long Good-bye 2024・08・03

2024-08-03 06:13:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 テネシーウィリアムズはいかにして見捨

 てられたか 」というタイトルの小文がある 。

  備忘のため 、その中の数節を抜き書き 。

  「 僕は大学で『 映画演劇科 』というところに
  行った 。映画を作ることに 、もっと正確に
  言えば映画のシナリオを書くことに興味を持
  っていたのだ 。その当時大学の文学部で映画
  の専攻課程を持っているのは 、早稲田と明治
  大学と日大芸術学部くらいしかなくて 、『 ま
  あ映画関連ならなんでもいいや 』という感じ
  で早稲田に入った 。」

 「 ここで僕は最初に 、テネシー・ウィリアム
  ズの戯曲を英語で読む講座をとった 。それま
  でにテネシー・ウィリアムズの芝居をいくつか
  読んで 、僕としてはけっこう気に入っていた
  からだ 。『 欲望という名の電車 』とか『 地
  獄に向かうオルフェウス 』とか 。でもこの先
  生がいささか変わった人で 、講義をしながら
  ほとんど初めから終わりまでテネシー・ウィリ
  アムズの悪口を並べ立てていた 。」

 「 僕は最初のうちは『 そんなものかな 』とび
  っくりして聞いていたのだが 、一学期そのク
  ラスに通っているうちに 、だんだんテネシー・
  ウィリアムズという人がほんとうに底の浅い下
  品な作家に思えてきた 。それはそうだろうと
  思う 。二十歳そこそこのものをろくすっぽ知
  らない学生が 、偉い大学の先生から『 こい
  つはアホだ 、カスだ 、タコだ 』と一学期ず
  っと繰り返し聞かされていたら 、やっぱりあ
  る程度マインド・コントロールされてしまう
  だろう 。少なくとも僕はされた 。
   どうしてこの先生が 、それほどまで嫌って
  いるテネシー・ウィリアムズの作品をテキス
  トとして選んだのか 、僕には知るべくもな
  い 。」

 「 この年になって振り返ってみれば 、『 そ
  ういうのはその教師の個人的な意見であって 、
  違う考え方も世間にはある 。芸術作品に対
  する評価はひとつだけではない 。それから
  大学の先生にも少し( かなり 、すごく
  変な人もいるんだ 』ということがわかる 。
  でも若い頃はそこまでは冷静に頭がいかな
  い 。テネシー・ウィリアムズを有効に罵倒
  する論理に ―― たしかに今思い出しても
  かなりうまく批判していた ―― 感心さえ
  した 。おかげさまで僕は好きな作家を一人
  減らすことができた 。どうもありがとさん 。」

 「 何かを非難すること 、厳しく批評するこ
  と自体が間違っていると言っているわけで
  はない 。すべてのテキストはあらゆる批
  評に開かれているものだし 、また開かれ
  ていなくてはならない 。ただ僕がここで
  言いたいのは 、何かに対するネガティブ
  な方向の啓蒙は 、場合によってはいろん
  な物事を 、ときとして自分自身をも 、取
  り返しがつかないくらい損なってしまうと
  いうことだ 。そこにはより大きく温かいポ
  ジティブな『 代償 』のようなものが用意
  されていなくてはならないはずだ 。そのよ
  うな裏打ちのないネガティブな連続的言動
  は即効性のある注射漬けと同じで 、一度進
  み始めるとあとに戻れなくなってしまう
  いう事実も肝に銘じておかなくてはならな
  いだろう 。
   もちろん僕にも作家や作品の好き嫌いと
  いうのはある 。人間に対する好き嫌いも
  ある 。でもその遥か昔のテネシー・ウィ
  リアムズの講義のことを思い出すたびに 、
  『 やはり人の悪口だけは書くまい 』と
  つくづく思う 。それよりはむしろ『 こ
  れはいいですよ 、これは面白いですよ 』
  と言って 、それを同じようにいいと思い 、
  面白いと喜んでくれる人をたとえ少しでも
  いいからみつけたいと思っている 。経験
  的に深くそう思う 。これは早稲田大学文
  学部が僕に与えてくれた数少ない生きた
  教訓のひとつである 。」

  引用おわり 。村上春樹さんのご意見に深く賛同

 いたします村上さんが早稲田大学で受講された

 頃と言えば 、大学は学園紛争で荒廃しており 、

 大学教授のおざわついていたのかも知れません

 ね 。当時テネシー・ウィリアムズさんと言えば 、

 60歳一寸前で 、既に 米本国では 劇作家として高

 い評価を受けていた御所だったのではないでしょ

 うか 。先生にも 、学生にも 、「 ネガティブな連続

 的言動 」に走る 、偏見に満ちた 、とんがった 、変

 な 考えかたをなさる方々が 表舞台にしゃしゃり出て

 いらっしゃっても 、ちっともおかしくない時代だっ

 たのではないでしょうか?  なんせ1960年代の

 後半ですもの 。

   。。。( ´_ゝ`) 。。。

 ( ついでながらの

   筆者註 :「  テネシー・ウィリアムズ( Tennessee Williams , 
       1911年3月26日 - 1983年2月25日 )は 、アメリカ
       合衆国のミシシッピ州コロンバス生まれの劇作家 。

        本名はトマス・レイニア・ウィリアムズ( Thomas 
       Lanier Williams )。愛称の『 テネシー 』はその
       南部訛りからセントルイスでの学友に付けられた 。
       ルイジアナ州ニューオーリンズのフレンチ・クオー
       ターで長年暮らした

       略 歴
        牧師の祖父 、音楽教師の祖母 、両親 、姉弟と
       ともに祖父の牧師館で育つ 。靴のセールスマンを
       していた父親は留守が多く 、粗野で暴力的 、酒
       と賭博が好きで 、病気がちで ひ弱なテネシーに
       失望していた 。両親は 夫婦仲が悪く 、喧嘩が
       絶えなかった 。2歳違いの姉とは大の仲良しで 、
       双子と間違われるほどだった 。母親は神経質で
       ヒステリックな人だったが 、優しい黒人の乳母
       がいて 、毎夜いろいろなおとぎ話を聞かせてく
       れていた 。

        8歳のときに 、父親の仕事の関係でミズーリ州
       セントルイスに引っ越し 、特権階級だった南部
       の穏やかな暮らしから 、工業都市のアパート暮
       らしに一変した 。新しい環境になかなかなじめ
       ず 、友人もなく 、家で過ごす日々が続いた 。
       この異なる環境の変化とそれに苦悶する人々は 、
       テネシーの作品によく現れるモチーフである 。

        ウィリアムズの家庭には問題が多かった 。彼
       の姉ローズは恐らく彼に対する最も大きな影響
       を与えた 。彼女は精神障害で精神病院の中で
       生涯のほとんどを過ごし 、両親は結局彼女に
       対するロボトミー手術を許可した 。ウィリア
       ムズはこのことで両親を許さなかったし 、愛
       する姉を救えなかった自分自身の罪の意識にも
       苦しんだ 。彼の作品の登場人物はしばしば家
       族に対する直接の抗議であると見られる 。
       『 欲望という名の電車 』のブランチ・デュボ
       ワ 、『 ガラスの動物園 』のローラ・ウィング
       フィールドは姉のローズ 、アマンダ・ウィング
       フィールドは 、彼の母親がモデルであるとされ
       る 。また『 去年の夏 突然に 』のセバスチャン 、
       『 ガラスの動物園 』のトム・ウィングフィール
       ドを含めて 、彼のキャラクターの多くは自叙伝
       的である 。

        彼はゲイだったことで知られている 。秘書の
       フランク・マーロ ( Frank Marlo ) との関係 
       は 、出会った1947年から1963年の癌によるマ
       ーロの死まで続いた 。1979年の1月に 、ヘイ  ( 68歳のころ )
       トクライムの犠牲者としてフロリダ州キー・
       ウェストで5人の10代の少年によって殴打され
       た 。
        晩年は 死や孤独に対する恐怖からアルコール
       やドラッグが手放せない生活になり 、1983年 、
       ニューヨークのホテルで目薬か点鼻薬のキャッ
       プを喉に詰まらせ窒息死した 。しかし 、彼の
       弟デーキン・ウィリアムズなど幾人かはそれが
       殺害だと信じている 。

      「  1948年には『 欲望という名の電車 』で 、19  ( 37歳のころ )
       55年には『 熱いトタン屋根の猫 』でピューリ  
( 44歳のころ )
       ツァー賞を受賞している 。」

      「  1956年にニューヨークの路上で三島由紀夫と  ( 45歳のころ )
       出会って以来親交をもち 、数回来日している 。」

       以上ウィキ情報 。) 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日米の文化の違い Long Good-bye 2024・07・31

2024-07-31 04:59:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」。

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 新聞について 、情報について 、いろいろ 」

 というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に ちょっと長い こんな一節がある 。

  「 この十年くらい新聞をとっていなかったのだが 、
  思い返してみても 、それでとくに不自由したと
  いう覚えはない 。テレビのニュースもほとんど
  見ない 。あるいはそのおかげで何か大事な情報
  を逃して 、実際には不自由しているのかもしれ
  ないが 、しかし不自由しているという意識が本
  人にないのだから 、それを『 不自由 』と呼べ
  るのかどうかは難しいところである 。情報とい
  うのは不思議なもので 、入ってくる情報のどこ
  までが必要でどこからが必要ではないのかと考
  えていくと 、だんだん境界線が不分明になって
  くる 。必要ないと思えばすべて必要ないみたい
  だし 、逆に一度情報の不足が不安になりだすと 、 
  きりなく不安になってくる 。だからこそ情報産
  業がかくのごとく栄えるのだろう 。
   たとえば僕はコンピューターのネットワーク・
  サービスを使っているが 、そこにある情報の大
  半は生活には不要な代物である 。 というか 、
  100パーセントなくたって 、今のところは実
  際には不自由しないみたいだ( あればあるで使
  っちゃうんだけど )。それをいかにも不自由な
  ように見せかけて 、本来ないはずのところにヴ
  ァーチャルな需要を作り出すのが 、実は現代の
  情報産業みたいである 。」

  四半世紀も前に書かれた文章だけど 、新聞や情報についての

 小説家の感想が 、2024年( 令和6年 )の 日本社会に 、

 色せず 、100% あてはまるところが 、面白い 。

  紙の新聞は オワコン である 。日本の団塊世代が死に絶える

 2050年頃には 姿を消しているだろう 。クロニクルの一

 形態として 、ネット空間にだけ残ってるんだろうか 。 

  ( ´_ゝ`)

  こういう真面目な小文がある一方で 、「 裸で家事をする主婦は

 正しいのか? 」なんてタイトルの小文もこの随筆には入ってる 。

 「 全裸家事主婦題 」について 、400字詰め原稿用紙5枚を

 費やして 、日米の文化の違い を論じておられる 。嫌いじゃない

 テーマではある 。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だから何なんだ? Long Good-bye 2024・07・29

2024-07-29 05:49:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」 。

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上朝日堂は

 いかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )の中に 「 空中浮遊

 はすごく楽しい 」というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 。

 「 夢というものを普段あまり見ない 。とはいっ
  ても 、学者の説によれば世の中に夢を見ない
  人は一人もいないそうだから 、実際には僕だ
  って人並みに夢を見ているのだろう 。でも朝
  起きたときの僕の頭には夢の記憶がほとんど留
  まっていない 。自慢じゃないけれど僕はもの
  すごく寝つきが良くて 、REM睡眠の泥沼で
  鰻みたいにそのまま朝までこんこんと眠ってし
  まうので 、たとえ夢を見たとしても 、その記
  憶はあたかも砂漠に柄杓で水を撒くようにする
  すると虚無の中に吸い込まれていってしまうら
  しい 。夢としてもせっかく苦労して手を替え
  品を替えカラフルな面白い話を繰り広げている
  のに 、『 朝になったらまったくなんにも覚え
  ていないです 』じゃ立つ瀬がないだろうなと
  いう気がする 。僕だって小説家の端くれだか
  ら 、その気持ちはよくわかる 。申し訳ないと
  も思う 。でも覚えられないものは覚えられな
  いんだからこれはしかたないですよね 。」

  さらに引用を続けると 、

 「 でも空中浮遊の夢だけは例外である 。僕は
  昔からよく空中浮遊の夢を見るし 、この夢だ
  けはどれも不思議なくらい鮮明に覚えている 。
  夢の中では 、空中に浮かぶことはとくに難し
  いことではない 。ぴょんと跳ねてそのまま空
  中に留まっていればいいのだ 。特別な筋肉を
  使うわけでもないし 、精神を集中させるわけ
  でもない 。だからちっとも疲れないし 、い
  つまででも浮かんでいられる 。」

 「 空中に浮かぶといっても 、そんなに上には
  あがらない 。高くあがってせいぜい地上一メ
  ートルくらいである 。理由はわからないが 、
  高いところに上がりたいという気持ちがわい
  てこないのだ 。地上五十センチくらいのとこ
  ろに 、欲も得もなくふわふわと浮いているの
  が 、いちばん妥当な空中浮遊のあり方である
  ように僕は感じる 。」

  筆者もこのパターンの夢を子供のころからよく見ていた記憶

 がある 。ドローンがそこかしこを飛ぶようになってから 、こ

 の十年くらいは見ないが 、以前は定期的に見ていたような気

 がする 。村上さんの空中浮遊と違って 、筆者のは 、両の手を

 目いっぱい左右に広げ 、空高く飛翔する 。鳥のように翼をバ

 タバタと羽ばたかせるわけでもなく 、疲れることもなく 、ス

 ーパーマンのように 、ただ飛ぶのである 。「 地上五十センチ

 くらいのところで 、欲も得もなくふわふわと浮いている」だけ

 で 夢見心地 の 村上さんの空中浮遊 と異なり 、筆者のは 、ひ

 としきり飛んだ後 、自宅(らしきところ)の ベランダ(らし

 きところ)に戻って来るのが 、昔よく見た夢のパターンであ

 る 。

 ( ´_ゝ`)

 「 だから何なんだ? 」って話なんですけれど

 ( ´_ゝ`)

  夢の権威は 「 バーッと上がる夢を見るのは 、子供なんです

 わ 。大人はまず見ません 。 」とおっしゃられているそうだ 。

 してみると 、六十歳になっても 空高く飛ぶ夢をみていた筆者

 は 、アダルトチルドレン ? こんな言葉を流行らせた人  、昔

 いらっしゃいましたっけ 。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仮説の靴 Long Good-bye 2024・07・26

2024-07-26 05:59:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 砂浜の中のキー 」というタイトルの小文

 がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 。

 「 中原中也の詩に『 月夜の晩に 、ボタンが一つ
  /波打ち際に 、落ちてゐた 』というのがある 。
  『 それを拾つて 、役立てようと/僕は思つた
  わけでもないが 』と続く 。まあそれほどかっ
  こよくはないけれど 、僕は以前 、藤沢鵠沼の
  海岸で 、砂の中に自動車のキーをみつけたこと
  がある 。
   九月のある日曜日の夕方にひとりで海岸沿いを
  散歩して 、ぼんやり砂浜に座って夕日を眺めて
  いたら 、手に触れる何か固いものがあるので 、
  ふと見たらそれはなんと前世紀のホノルルでカ
  メハメハ大王が愛用していたというあの伝説の
  プラチナ製の靴べら ・・・ じゃなくて『 スバ
  ル 』のマークのついたごく当たり前のキーホル
  ダーだった 。おそらく誰かのズボンのポケット
  からぽろっとこぼれ落ちて 、見つけられないま
  ま 、そこにずっと落ちていたのだろう 。
   せっかくの週末にどこか遠くからわざわざ海に
  遊びに来て 、そのあげく車のキーをなくしてし
  まうなんて 、考えてみたら気の毒な話である 。」

 ( ´_ゝ`) 

   小説家は 、このエピソードを種に 、もし自分がその

 の立場だったらという『 仮説の靴 』をはいて 、像の

 限りを尽くして 話を膨らませてゆく 。

  「 仮説の靴 」を けっこう沢山自分のうちの下駄箱に

 しまい込んでいることが 、作家になる必須アイテムら

 しい 。

  この小文の最後は 、次のような一節で締めくくられて

 いる 。

 「〈 そういうことは起こるものなのだ 〉と僕は
  ふとそのときに思った 。かたちのあるものは 、
  どれだけ努力したところで 、いつかどこかに
  ふっと消えてなくなってしまうものなのだと 。
  それが人間であれ 、ものであれ 。」

  小噺の落ち 。

 ( ´_ゝ`)

  「 ショート・ショート 」は 、概してもの足りない

 思いがして不満が残ることが多いんで 、避けてきた

 のだが 、村上春樹さんの「 村上朝日堂 超短篇小説

 『 夜のくもざる 』( 新潮文庫 )」を読み 、印象

 が変った 。その中の「 牛乳 」なんて一篇は結構好

 きかも 。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すぐ寝る・よく寝る・どこでも寝る Long Good-bye 2024・07・23

2024-07-23 05:02:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」 。

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂の逆襲 」( 新潮文庫 )の中に 「 国分寺・下

 高井戸コネクション 」というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 。

 「 僕はだいたい寝つきが良い方で 、布団をかぶっ
  た次の瞬間には石のようにぐっすりと眠っている
  というタイプである 。すぐ寝る・よく寝る・ど
  こでも寝る 、というのが僕の眠りの三大特徴な
  のだが 、寝つきの悪い人にとってはそういうの
  を目にするのは少なからず不愉快なことであるら
  しい 。」

   これだけでは消化不良になりそうだから 、もう

  ちょっと引用を続けると 、

 「  僕だって自分より早く寝ちゃう人間を見ると ――
  そういうことは本当にごくごく稀にしかないのだ
  けれど ―― こいつアホじゃないかと思う 。先日
  義理の弟がうちに遊びに来て一緒に酒を飲み 、十
  一時になったので『 じゃ 、もう寝るか 』と言っ
  てそれぞれの部屋にひきあげたのだが 、ドアを閉
  めたとたんに忘れものをしたことを思いだして客間
  に戻ってみたら 、彼はもうしっかりといびきをか
  いて熟睡していた 。その間約十秒というところで
  ある 。僕だっていくらなんでも眠るのに二十秒く
  らいはかかる 。
   それでつれあいに『 あの男ほとんど脳味噌が空っ
  ぽなんじゃないかな? 』とあきれて言ったら 、
  『 あなただってだいたい同じくらいよ 』と馬鹿
  にされた 。過度に健康な人間というのは 、はた
  から見ているとたしかに馬鹿みたいである 。
  もっとも僕だって昔から終始かわることなく寝
  つきが良かったわけではなくて 、若い頃には明
  け方まで一睡もできないという時期だってあった 。
  こんな風にぐっすりとブラック・アウト的に熟睡
  できるようになったのは小説を書くようになって
  からである 。」

 「 ・・・ 、僕にだってもちろんある程度の精神的
  ストレスはある 。あまり沢山はないけれど 、ま
  ったくないわけではない 。片づけていかなくちゃ
  ならない仕事も山積しているし 、うまく話の通じ
  ない人間もいるし 、道を歩いていると車と信号が
  多すぎていらいらする 。でも僕の場合 、精神的
  ストレスと眠りとはまったくべつの独自の道を歩
  んでいるように思える 。要するに『 これはこれ 、
  あれはあれ 』という感じである 。」

 「 ・・・ 、とにかくまあそういう具合に僕の眠り
  は僕のストレスときちんと一線を画しているわけ
  である 。だから僕はぐっすりと気持ち良く眠る
  ことができる 。」

 「 夢なんてほとんど見ないし 、見たとしてもきれ
  ぎれの断片を辛うじていくつか覚えているだけで
  ある 。」

 引用おわり 。

  この小文のタイトル「 国分寺・下高井戸コネクション 」

 の由来を知りたい方は 、「 村上朝日堂の逆襲 」( 新潮

 文庫 )を買ってお読みください 。睡眠時間を削ってまで

 読むに値するかどうかは保証の限りではありません 。

 ( ´_ゝ`)

  夏の朝 まだ生ありと 目ざめけり ( 詠み人知らず )

 ( ´_ゝ`)

 

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪神間出身 Long Good-bye 2024・07・20

2024-07-20 06:46:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」。

 最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂の逆襲 」( 新潮文庫 )の中に 「 阪神間キッ

 ズ 」というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 

 「 僕が生まれた場所は一応京都だけどすぐに兵庫県
  西宮市夙川というところに移り 、それから同じ兵
  庫県芦屋市に移っている 。だからどこの出身かと
  いうのは明確ではないのだが 、十代を芦屋で送り 、 
  両親の家もここにあるのでいちおう芦屋市出身と
  いうことになっている 。本当のことを言うともっ
  と漠然と『 阪神間出身 』ということにしてもら
  えると僕自身しっくりするのだけれど 、この『 阪
  神間 』という言葉のニュアンスは関西関係者以外
  にはいくぶんわかりづらいところがある 。」

 ( ´_ゝ`)

  懐かしい地名が並んでおり 、思わず書き留めた 。

  筆者が生まれた場所は 一応 芦屋 だけれど 、六歳の時に 、

 親の事情で 、同じ兵庫県の豊中市に移り 、八歳の誕生

 を迎えたばかりの その誕生日の 一週間後に 、父親が急死

 した 。そのごたごたが片づかない内に 、残された一家

 あわただしく「 東下り 」をした 。筆者もその一員として 、

 爾来 七十年近く 関東圏に住まいしている 。筆者の元々の本

 籍地は 「 大阪府大阪市南区上本町〇丁目〇〇番地 」であり 、

 その地は父親の本籍地であったらしいが 、筆者は一度も住ん

 だことがない 。大阪城の南の方角 、現在は 商業地だか住宅

 地だかのまん中にある住所地である 。無論行ったこともない 。

 昭和から平成に代わった年に 、中央区に転属されたらしい 。

  筆者の明治生まれの母親は 、村上春樹さんの母上と同じ 、

 大阪・船場の商家の娘であった 。

  六歳になるまでの 、生まれ育った昭和二十年代の「 芦屋 」

 に 、格別の思い出はない 。芦屋出身であると言うのには 、

 いろんな理由で 抵抗があるので 、「 阪神間出身 」という

 ことにしてもらえると 、村上春樹さん同様 、しっくりする

 のだけれど 、そうもいかないようなので 、「 本地のあっ

 た 大阪 」出身 の 東京 育ち というとにしている 。父祖の

 地 関西圏に戻ることは この先も おそらくないだろう 。

 

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする