「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2007・12・02

2007-12-02 08:40:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。

 「文章には内容と表現があって、中身はあり余っているのだが表現が伴わなくてと弁解するものがあるが、なにそう思いたいだけで、中身はないのである。
 それは画家にとって画面がすべてであることに似ている。画面以外に山ほど内容があると画家は言わない。
 人は幼い時から言葉を操って用を弁じている。言葉をおぼえるには時期がある。自然におぼえられると思うのは誤りである。狼の子に育てられたというカマラは推定八歳のとき人間界にもどったが、十七で死ぬまでついに言葉をおぼえないで終った。
 言葉は幼いうちは親から口うつしに学ぶ。これは実は一大事なのである。核家族になって親兄弟から、また原っぱや路地で仲間から学ぶことは稀になった。」

 「教育というものは前代の遺産を後代に伝えるもので、だから元来保守的なもので、洋の東西を問わず昔は古典を読むことだった。それなら読むべき本はそんなにない。左国史漢、四書五経である。ギリシャローマである。極端に言えば十冊か二十冊である。
 今は本が出すぎる。新しい本は古い本を読むのを邪魔するために出るという。十七世紀の昔は本はまだそんなに出ていなかったから、必読の書は少なかった。心がけてその全部を読むことは可能だったから、デカルトは読んで何一つ加えることがないのを発見したという言葉を残した。孔子さまも『述べて作らず、学ぶに如(し)かざる也』とおっしゃった。
 何度も言うが、二千年も前に人間の知恵は出尽しているのである。ただ同じことでも同時代人の口からアクチュアリテを例にとって説かれるのはまた格別である。新しい発見を耳にするような気がする。だから新刊は出てもいいのである。ただ多すぎる。」

   (山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)
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