「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

Long Good-bye 2019・11・14

2019-11-14 05:25:00 | Weblog







  今日の「お気に入り」。


   「 私は神戸の灘(なだ)区に生まれた。阪神淡路大震災で火の海になったところから少し

    山側へ行ったところである。

     だから、神戸の海が見えて、六甲山系をあおぐ阪神地区一帯の風景は、私という人間

    の思い出の出発点となっている。

     母は、生前、この阪神間のたたずまいが好きで、大阪市で暮らすようになっても、折

    にふれて、夙川(しゅくがわ)や岡本や芦屋や御影(みかげ)の坂道へ行きたがった。経

    済的に恵まれていたころの思い出は、つねに六甲山系と神戸の海が同時に眺望できる

    坂道につながっていたのであろう。

     夙川沿いの桜並木も、母が愛した風景のひとつだった。大地震で見るも無残な地と化し

    たが、ようやく元の姿に戻りつつある。

     倒れかけた松の大木が、倒れかけたまま新たに根を張って、夙川を覆(おお)うように

    枝を拡(ひろ)げていた。

    『 播半(はりはん) 』は、この夙川をずっと山のほうにのぼって行ったところに、昔日

    (せきじつ)の面影を壊すことなく存在している。

    小学生のとき、私は父と母につれられて『 播半 』へ行った。おそらく、父の取引先の

    ご招待だったのだろう。

    その日は寒く、『 播半 』のお庭に架けられた木の橋に霜が張っていて、私は橋の上で

     尻もちをついた。

     それから 三十数年を経て、私は『 播半 』に招かれる機会を得た。大きな橋という意

    味で『 翁橋(おきなばし) 』と名づけられたその橋を玄関のところから目にした瞬間、

    尻もちをついたときのことが甦(よみがえ)り、しばらく立ちつくしていた。

    『 播半 』の建物は、あの大地震でもびくともしなかったという。

                                ( 1997.6 )    」


           ( 宮本輝著「血の騒ぎを聴け」新潮社刊 所収 )




                

    「 播半 」について、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」には次のような解説

    が載っています。

    「 播半(はり半)は、かつて心斎橋や兵庫県西宮市に存在した創業1879年(明治12年)

     の老舗料亭。」

     「 初代播磨屋半兵衛が明治12年に心斎橋で創業した料亭兵庫県西宮市の甲陽園へも出店し、

     戦前は大阪市内三店と甲陽園の四店で営業されていた


      谷崎潤一郎『細雪』にも登場する料亭

     大阪市内にあった三店は太平洋戦争時に焼失

      甲陽園にかつて存在した播半(はり半)は阪神間モダニズム時代の1927年(昭和2年)

     に建設されたが、2005年(平成17年)閉店
。跡地は日本エスリードによる分譲マンシ

     ョン『エスリード西宮甲陽園』となっている。」


     阪神淡路大震災にびくともしなかった「『 播半 』の建物 」も、閉店時の2005年には築78年の

    老朽建築物になっていた筈で、時代の波に抗すべくもなく呑み込まれたんでしょうね。震災後、親類の

    法事で訪れたこともある「 播半 」が今から14年も前にすでに無くなっていたことをはじめて知りま

    した。

     ウィキペディアの解説を読んで、1931年(昭和6年)生まれの兄が入院した病院のベッドの枕許に

    「細雪」の文庫本を置いていたことなども思い出しました。


    


コメント
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