今日の「 お気に入り 」は 、ノンフィクション作家 ビル・ブライソンさん の
著書 " The Body ― A Guide for Occupants " の 一節 。
” Koch's discoveries are of course extremely well known,
and he is justly celebrated for them. What is often
overlooked, however, is what a difference small,
incidental contributions can make to scientific progress,
and nowhere was that better illustrated than Koch's own
productive lab.
Culturing lots and lots of different bacterial samples took
up a great deal of lab space and raised the constant risk
of cross-contamination. But luckily Koch had a lab assistant
named Julius Richard Petri who devised the shallow dish
with a protective lid that bears his name. Petri dishes
took up very little space, provided a sterile and uniform
environment, and effectively eliminated the risk of cross-
contamination. But there was still a need for a growing medium.
Various gelatins were tried, but all proved unsatisfactory.
Then Fanny Hesse, the American-born wife of another junior
researcher, suggested that they try agar. Fanny had learned
from her grandmother to use agar to make jellies because
it didn't melt in the heat of an American summer. Agar worked
perfectly for lab purposes, too. Without these two
developments, Koch might have taken years longer, or possibly
never succeeded, in making his breakthroughs. ”
文章の頭に出てくる Koch は 、ルイ・パスツールとともに 、「 近代細菌学の開祖 」とされる
ロベルト・コッホさんのことです 。インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」日本語版
には 、コッホさんの事績 、経歴が以下のように紹介されています 。
「 ロベルト・コッホ、またはハインリヒ・ヘルマン・ロベルト・コッホ
( Heinrich Hermann Robert Koch 、1843年12月11日 - 1910年5月27日 )は 、
ドイツの医師 、細菌学者 。当時は細菌学の第一人者とされ 、
ルイ・パスツールとともに 、「 近代細菌学の開祖 」とされる 。
炭疽菌 、結核菌 、コレラ菌 の発見者である 。純粋培養や染色の方法を改善し 、
細菌培養法の基礎を確立した 。
寒天培地 や ペトリ皿( シャーレ )は 彼の研究室で発明され 、その後 今日に
至るまで使い続けられている 。
また 、感染症の病原体を証明するための基本指針となる 、「 コッホの原則 」を
提唱し 、感染症研究の開祖として医学の発展に貢献した 。
経 歴
・ 1843年 、ヘルマン・コッホとヘンリエッテ・ビーヴェントの間にニーダーザクセン州
の東南にあるクラウスタール( ハルツ近郊 、現在 ツェラーフェルトと合併し
クラウスタール )で生まれ 、ゲッティンゲン大学を卒業 。
・ 1876年 、炭疽菌の純粋培養に成功し 、炭疽の病原体であることを証明した 。
このことによって細菌が動物の病原体であることを証明し 、その証明指針で
ある コッホの原則 を提唱した 。
・ 1882年3月24日 、結核菌を発見した 。ヒトにおいて炭疽菌と同様に病原性の証明を行
って 、論文『 結核の病因論 』を著し 、ヒトにおいても細菌が病原体である
ことを証明した( 後にこれを記念して 、3月24日は 世界結核デー と制定された )。
・ 1883年 、インドにおいて 、コレラ菌を発見 。
・ 1890年 、結核菌の培養上清から ツベルクリン( 結核菌ワクチン )を創製 。当初は
治療用に使用することが目的だったが 、効果がなかったため 、現在では診断用
のみに用いられている 。
・ 1893年 、妻エミーと離婚 、30歳年下の ヘドヴィグ・フライブルク と結婚 。
・ 1897年 、王立協会外国人会員 。
・ 1905年 、結核に関する研究の業績より ノーベル生理学・医学賞 を受賞 。
ベルリン大学で教鞭を執り 、彼の弟子として 、
・ゲオルク・ガフキー - 腸チフス菌を発見した 。
・フリードリヒ・レフラー - ジフテリア菌の分離に成功し 、口蹄疫ウイルス を発見した 。
・エミール・ベーリング - 血清療法の研究により 1901年ノーベル生理学・医学賞 を受賞した 。
・パウル・エールリヒ - 化学療法の研究により 1908年ノーベル生理学・医学賞 を受賞した 。
・北里柴三郎 - 破傷風菌を純粋培養し 、血清療法 を発見・確立し 、ペスト菌 を発見した 。
などを輩出した。
1908年 、北里に招かれ来日 。
1910年 、ドイツ南西部のバーデン=バーデンで逝去 。66歳没 。 」
ビル・ブライソンさん の 著書 " The Body ― A Guide for Occupants " の本文ではなく
註書きの中にある 、上掲の一節は 、翻訳本の中で 、以下のように 翻訳されています 。
AIには真似の出来ない 、プロフェッショナルな 、いい和訳 。
「 コッホの数々の発見はもちろんとても有名だし 、称賛されるのも当然のことだ 。
しかしよく見逃されるのは 、小さな付随的な貢献が科学の進歩にどれほどの変化を
もたらしうるかということで 、コッホの生産的な研究室ほどそれをよく表わしてい
る例はほかになかった 。
研究室では 、さまざまな細菌の試料を次から次へと培養していたが 、それが大きな
場所を取るようになり 、交差汚染の絶え間ない危険性が高まった 。しかし好運にも、
コッホには 、ユリウス・リヒャルト・ペトリという名の研究助手がいた 。
保護用の蓋がついた浅い皿を発明し 、それに名前を残した人物だ 。
ペトリ皿はほとんど場所を取らず 、無菌で一定した環境をつくり 、交差汚染の危険
を効果的に取り除いた 。しかしそれだけでなく 、新しい生育培地も必要だった 。
多様なゼラチンが試されたが 、すべて不満足なものだとわかった 。そんなとき 、別の
ある若手研究者のアメリカ生まれの妻 、ファニー・ヘッセが 、寒天を試してはどうかと
提案した 。ファニーは祖母から 、寒天を使ってゼリーをつくる方法を学んでいた 。
アメリカの夏の暑さにも溶けなかったからだ 。寒天は研究目的でも完璧に機能した 。
このふたつの展開がなければ 、コッホは画期的な発見をするのに何年も長くかかった
か 、あるいは成功すらしなかったかもしれない 。 」
( 出典 : ビル・ブライソン著 桐谷知未訳 「 人体大全 ― なぜ生まれ 、
死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか ― 」新潮社 刊 )