今日の「 お気に入り 」は 、伊集院静( 1950年〈 昭和25年 〉2月9日 - )さん
の随筆「 旅だから出逢えた言葉 」から スクラップ 。備忘のため 。
「 子規は幼名を升 ( のぼる ) と言った 。そののぼるをもじって 、
彼は雅号に 、野のボール で " 野球 " というものを持っている 。
この野球を命名したのが子規ではという説もあるが 、実際には
彼が雅号に " 野球 " とつける四年後 、第一高等中学校の中馬
庚( ちゅうまかのえ ) が名付けたと言われる 。しかし私は野の
ボールの子規の命名の方にロマンを感じる 。そのせいでもないが 、
我が家の新しい仔犬にノボルと名前をつけた 。
子規は三十五歳の若さで亡くなっているが 、短い生涯の中で 、
日本の近代文学における短詩型文学の価値 、位置付け 、方向を
示した人である 。子規の日本の短歌 、俳句の評価 、批判には
素晴らしいものがある 。この人が存在しなければ 、今日 、日
本人に短歌 、俳句がこれほど認められ 、繁栄したかどうかわか
らないほどだ 。
子規の作品もしかりだが 、私が彼に関して読むたびに切なく
なる一文がある 。それは子規のうれしきもの 、と称した一文だ 。
" 小生 、今までにて最もうれしきもの 、初めて東京へ出発と
定まりし時 、初めて従軍 ( 日清戦争 ) と定まりし時の二度に
候( そうろう ) 。この上なほ望むべき二事あり候 。洋行 ( 西
洋を訪ねること ) と定まりし時 、意中の人を得し時 " とある 。
子規は二十一歳で喀血し病床に伏してしまうから 、西洋を旅す
ることはかなわなかった 。そして " 意中の人を得し時 " とあ
る人生の伴侶と出逢うことがなかったのである 。
少年のようで 、情熱的な子規が意中の人と出逢っていたら 、
どんなに彼の人生はゆたかなものになっただろうか 、想像する
と 、この人の生涯が切なくもある 。 」
「 エベレストの頂上は 、歩いて行ける宇宙です 。
―― 三浦雄一郎 」