今日の「お気に入り」は 、また 内田百閒さん
( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公
文庫 )の中から「 下宿屋の正月 」と題した小
文の一節 。季節外れの話柄ながら 、明治と昭
和にはさまれた 大正時代 の のんびりした社会
の雰囲気 、時代の雰囲気みたいなものが 感じ
られる 賄い付きの 下宿屋 の 正月風景 。
引用はじめ 。
「 学生時代に下宿屋でお正月を迎へた事は
ない 。いつでも冬休みになる早早 郷里へ
帰つて自分の家で年を越した 。
それから十何年の後 、一旦 世間に地位
を獲た後で失脚して 、私一人 場末の安下
宿に引篭もり 、そこで 何度かのお正月を
迎へる様な事になつた 。
初めの内はそれ程でもなかったが 、次
第に下宿料もたまり 、その侭 大晦日にな
ると 、お神さんが 中中 八釜しく云つた 。
向うも 余り成績のいい商売をしてゐる様で
はないので 、困つてゐる事は解つてゐた
が 、私の方でも当時は何の分別もなかつ
た 。しかし 逃げ出す事も出来ないので 、
障子を閉めた部屋の中に じつとしてゐると 、
除夜の鐘が鳴つて お正月になつた 。
元旦の朝は 目出度く おせつち物を盛つた
お膳に お雑煮を添へて持つて来る 。また
帳場からの心尽しで お燗が一本ついてゐる 。
それで一ぱいやつてゐると 、廊下に著物
のすれる音がして 、主人が 這入つて来る 。
いつも洋服を著て どこか出歩いてゐるの
だが 、今日は 紋付きを著用してゐる 。お
まけに金縁眼鏡をかけてゐる 。平生 も眼
鏡は掛けてゐる様だが 、銀かニツケルの
曖昧な縁であつて 、気に掛けて見た事も
ない 。しかし今日は 鼻の上に燦然と光つ
てゐる 。更まつた時とか お目出度い時と
かに佩用する金縁眼鏡は ふだんから蔵つ
てあるらしい 。
閾の所から坐った侭で這入つて来て 、お
目出うを云つてくれる 。私の前身を知つ
てゐる為か 、年輩の所為か知らないが 人
の事を先生先生と呼び 、お金の事は兎に
角として 少少尊敬してゐる様でもある 。
一つお盃を頂戴致しませうと云ふから さ
してお酌はしたけれど 、ここの主人は一
滴も飲めない事を知つてゐるので 、どう
するのかと思つてゐると 、一口に きゆつ
と飲み干してしまふ 。何か取りとめもな
い事を二言三言話し合つてゐる内に 、忽
ち相手の顔が真赤になつた 。まだ外の部
屋を廻らなければならないからと云つて出
て行つたが 、二十何番迄ある内の 半分位
しか人はゐないにしても 、一一 障子を開
けて 、自分の家の中を 年賀をして廻るの
は大変であらうと思つた 。私の所へは帳
場からの通り路で 、最初に来てくれた様
であつた 。
午後になつて 、表へ出て見ようと思つて
玄関に下りたら 、帳場の炬燵に 主人が金
縁眼鏡をかけた侭 真赤な顔をして眠つてゐ
るのが 障子の腰硝子 から見えた 。
下宿屋にゐても お正月は矢つ張り静かで
あつた 。下女と早稲田の学生とが 裏庭で
羽をついてゐる音が 聞こえたりした 。」
引用おわり 。
昨今の物価の高騰 、巷に怨嗟の声が満ちている 。
どこへ行っても 高齢者 。街中だけでなく 、ネッ
トの交流サイトにさえ 高齢者が大勢たむろしている 。
とくに 、収入は年金のみの高齢者の、シャキッと
しない 長期ダラカン政権に対する 恨み は 深い 。
物価高騰に定額の年金は目減りする一方 。先立つ
ものに事欠いては 、買いたい物に伸ばす手が鈍る 。
年は取っても 、働けなくても 、情けなくても 、
多数派有権者 。
ケチョンになると深海魚を決めこむ、茶の間の
和服姿がとてもよくお似合いの 、増税メガネ に
瓢箪から駒 が出かねない 解散総選挙なんぞ こわ
くて こわくて 打てやしない 。
来年まで 、がまん がまん 、深海魚路線で行くだ
ろう 。
人口に占める高齢者の割合は 30% に なんなん
とす 。
明治 、大正 言うまでもなく 、昭和 も 遠くなりに
けり 。今日の天気は 、雨 ときどき 已む 。