今日の「お気に入り」。
「士別れて三日ならば、即ち更に刮目して相俟(ま)つべし」
中国の三国時代の物語「三国志」を読むとお目にかかります。
呉の「孫権」の参謀「魯粛」が、武将「呂蒙」と対談した時の「呂蒙」の言葉です。
50年ほど前の高校に通学していた頃、「漢文」の先生から学んだ言葉は「男子三日会わざれば刮目して見よ」(*)でした。
「呉下の阿蒙」という故事成語と共に今も覚えています。
(*:記憶があいまいで、「男子三日会わざれば刮目して待つべし」という言葉だったかも知れません。)
ついでながら「三国志」に出てくるこの故事は中国の毛沢東がプロパガンダに使ったそうで、フリー百科事典「ウィキペディア」の
「呉下の阿蒙」の項には、次のように書き込まれています。
大河ドラマ「真田丸」に登場する「加藤清正」、「福島正則」を見ていて思い出しました。
「『呉下の阿蒙』とは、いつまで経っても進歩しない人のことを指す言葉であり、同義語に旧態依然等があげられる。
基本的には悪い意味合いで使われているが、あとに『~にあらず』を付け加え、よく進歩する人という意味に変えて、
褒め言葉として利用することもできる。また、『阿』は『~ちゃん』といった感じの意味合いで、『蒙』は道理に暗い
の意味合いも存在する。
したがって『阿蒙』の部分は『おバカちゃん』という意味も同時に含んでいて、この一語だけで『おバカな蒙ちゃん』という
意味を表している。
この言葉の由来となった呂蒙という武将は武勇一点張りだったので、呉主孫権は彼に『武勇ばかりではなく学問も修めたほうがよい。』
と助言した。すると彼は、孫権の意に応えるために猛勉強を始め、高い教養を身につけていった。
それからしばらくしたある日、彼は参謀の魯粛と対談したのだが、魯粛は彼の高い見識と知識に大いに驚いて『すでに武略のみの呉の
蒙君ではなくなったな』といったという。」
だとさ。