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★ 「スローシティー」は「良き地域」であること ★
平日の午後、締め切りが過ぎた物書き仕事をしていると、
ピンポーンと鳴るので出てみた。
にこやかな女性が立っていて、
なんとかのコープに入りませんかとおっしゃる。
いろいろ聞いてみたかったが、時間の余裕がない。
「間に合っております、ありがと」とだけ答えて、
お引き取りいただいた。
後で思い出しながら考えていると、
金があるんだなあ、よそは、という感慨に打たれた。
どう見てもボランティア活動でなく、
隙のない装備と訓練された口上だった。
突然目の前に現れたにこやかな女性からいいお話を聞いて、
それじゃうちも入りますから、ということになるのだろうか。
特定非営利活動法人(NPO)で、
手弁当をやっている我々にできることじゃないなあ、
と、ため息と共に独りごちた。
しかし待てよ、と考えた。
我々は、余裕で人が雇える大きな組織と
同じ目的で同じ事をやっているのではない、断じてちがう。
「会の目的」という文がある。中身を簡単に言うとこうなる。
<地元の有機農業を大切にする>
地元の有機農業を大切にすることは、
私たちの命を大切にすること。
有機農業は自然を大切にして、
農薬や化学肥料などをつかわず、
自然物の循環を生かし、
自然の生産力を浪費しない。
有機農業は省エネで
農薬や化学肥料など工業製品に頼らない。
有機農産物がここで消費されれば、
輸送エネルギーも最小限になる
<スロー・ライフ、スロー・フードをめざす>
生活習慣病や免疫系疾患などは、
食の乱れがその背景にある。
その後ろには食品の過度の工業製品化がある。
過度の工業製品化は、
大量の農薬や化学肥料を使う(遺伝子組み換えの)
多収穫品種と多種の化学物質の添加を必要とする(『食品の裏側』)。
工業化された製造過程で食材の質が劣化する。
この土地(海や山も)の産物を
自分で調理して食べることが食の基本。
食は、命のリズムにしたがった営み。
食の過度の工業製品化は、私たち自身の工業製品化。
命をとりもどすスロー・ライフ、スロー・フードを。
<地域社会の持続に貢献する>
近年では多くの商品が「ネット」を通じて手に入る。
一見便利だが、命の元までそれで良いのか。
少数の供給元が独占し、地場の生産が細ると、
価格や供給自体を操作される。
気づいた時には遅すぎる。
物や情報やお金をこの地域の中で循環させることが
地域の持続を保証する。
一見便利な大手に頼るのでなく、
顔の見える渡し合いを通じて、
地域の経済と社会を作り守る。
さまざまな交流を通じて、
伝統色(食)豊かな高知での暮らしを充実させ、
人々のネットワークを幾重にも作ることが
地域社会の持続に役立つ。
地元の有機農業を大切にすることは、
私たちの命を大切にすること。
有機農業は自然を大切にして、
農薬や化学肥料などをつかわず、
自然物の循環を生かし、
自然の生産力を浪費しない。
有機農業は省エネで
農薬や化学肥料など工業製品に頼らない。
有機農産物がここで消費されれば、
輸送エネルギーも最小限になる
<スロー・ライフ、スロー・フードをめざす>
生活習慣病や免疫系疾患などは、
食の乱れがその背景にある。
その後ろには食品の過度の工業製品化がある。
過度の工業製品化は、
大量の農薬や化学肥料を使う(遺伝子組み換えの)
多収穫品種と多種の化学物質の添加を必要とする(『食品の裏側』)。
工業化された製造過程で食材の質が劣化する。
この土地(海や山も)の産物を
自分で調理して食べることが食の基本。
食は、命のリズムにしたがった営み。
食の過度の工業製品化は、私たち自身の工業製品化。
命をとりもどすスロー・ライフ、スロー・フードを。
<地域社会の持続に貢献する>
近年では多くの商品が「ネット」を通じて手に入る。
一見便利だが、命の元までそれで良いのか。
少数の供給元が独占し、地場の生産が細ると、
価格や供給自体を操作される。
気づいた時には遅すぎる。
物や情報やお金をこの地域の中で循環させることが
地域の持続を保証する。
一見便利な大手に頼るのでなく、
顔の見える渡し合いを通じて、
地域の経済と社会を作り守る。
さまざまな交流を通じて、
伝統色(食)豊かな高知での暮らしを充実させ、
人々のネットワークを幾重にも作ることが
地域社会の持続に役立つ。
個々の食品の安全を求めること自体は大切なことだし、
そのために色々なやり方がありうる。
しかし個別なアイテムのことばかり気にしていると、
「日々の糧」を作り出す全体の仕組みが見えなくなる。
なぜ現地のスローフード運動は
スローシティー運動に発展したのだろうか。
安全で高品質の素材と地域固有の伝統に立つ飲食は
生産方法だけの問題ではない。
素材を生産し供給し加工し消費し廃棄し環境に戻す
という循環が地域のなかで自立し持続することが大切。
互いが互いに渡し渡されるやり取りの網の目を作りだす。
やり取りには産物やお金だけでなく、
情報や楽しみや意見や心配事やパブリックな怒り
(事故原因も分からんに再稼働とは何ごとか、とか)もあるだろう。
その網の目の濃さが「スローシティー」
つまり「良き地域」の条件だということだ。
手弁当のボランティアは頼りなさそうでもあるが、
「古き良きならい」でありまた「エッジな最先端」でもある。
楽しみながら頑張りましょう。
昨今の観光イベントではない、
今風の「お客」なども工夫してやってみましょう。
PS:スローフード・スローシティーについて興味のある方に拙著を進呈します。
事務所まで連絡下さい。