昨夜は鼻風邪気味のところを風邪薬でしのぎ、出かけた。今日もどうも眠いのだが・・。
幸い天気は悪くない。
今朝、いくつか夢を見た。覚えているのはローマ軍だかギリシャ軍だか、とにかく現代ではないところからやってきた軍勢に、献納金なのか賠償金なのか、なにかを払わなければならない、という話だ。軍勢はたしかに昔の西洋鎧のようなものを着ている気がしたが、その姿はそれほど印象に残っていない。とにかく、お金を払う担当者は僕であり、その金額は数千万円に相当する金額だったと思う。
しかし僕は考えるのだ。この人たちは現代の日本の人たちではないのだから、日本円で払っても受け付けてもらえないかも知れない・。銀行振込だって、できそうにない。
それでは現金か。いや、しかしまず、通貨を決めなければ。たぶん、米ドルなら受け取ってもらえるんじゃないかな・・。などと、色々と悩んでいた。
20年ほど前に住んでいた街のちかくに行く。まあ、しょっちゅう行っているのだが、なんとなく街のたたずまいに目が行った。
街の商店街を見ていると、変わっていないところは全然変わっていないし、年中かわっているようなところもある。
表で蒲焼きを焼いている店とか、小鳥や金魚を売っている店(ここのインコたちは店の表に出ている。ストレスたまらないかな?)は、むかしから全く変わっていない。
ずいぶん前に奥さんを亡くされて、その頃とても意気消沈している風だったクリーニング屋の旦那さんは、今でも店頭に立っているようだ。
気がついてみると、D.P.E.屋さんが絶滅している。かなり遅くまで残っていた店、ここは後年文具か何かを主力に売っていた気もしたが、整体院に変わっていた。整体院は近年かなり数を増やしているようだ。
少し前の思い出、というのは、うんと昔、すごく若かった頃の思い出などとはちがう、独特の感触がある。
いまの状態に戸惑い、進むべき道を見失ったときなど、少し前のことを振り返る。
そこにある、しかし今はもうないものを見つけたとき、何となく見失っていたものを取り戻したような気がして、ほっとする。
うんと昔には、そういう感触はあまりない。それらはすでに博物館の中で、展示保存されているもののように、生命力は失われている。
ただし、ものによってはとても生命力がつよい思い出もあるのだが。
さいしょは見つけて喜んでいるが、すこしたつとそれが既に失われたものであることに気がつく、ということも多い。
結局、自分は着実に後戻りできない道のりを歩んでいた、ということを再確認することになる。
日が長く、天気さえ良ければ色々外で活動しやすい時期だ。
雨の季節だから、当然当たり外れがある。近くの学校で運動会をやっていたが・、晴れて良かったね。
なんとなく、その季節が来たなと思い、ショパンのマズルカを聴き始めた。