うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

くらし

2017年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム

今年から使いはじめている通勤経路で、朝の電車から車窓を流れる街を眺めている。

通勤路としては新しい、というより久しぶりであって、昔も同じ風景を毎日見ていたはずだが、久しぶりに眺める風景は新しさと懐かしさが入り混じって、新鮮だ。

それに、今は住まうところを探している身であるので、ひと様のお宅の様子がいやでも目についてしまう。。

ありふれた宅地風景、ずらりと並んだマンションの窓から見えるカーテン、そんなものを眺めていると、この窓一つ一つの奥に、それぞれの違った人生があるのだなあ、などと改めて考えてしまったりする。

思い出すのは昨年の初夏のことだ。

 

用事があってオフィスを早くに出て、要件を済ませたのだが、季節柄まだ日没からそれほど時間がたっていなかった。

折しも、日中に大きな鉄道事故(人的な被害はなし)があって、某路線は部分的に運休が続いていた。

別路線を使って全く回避することもできたのだが、少々時間もあったせいもあり、あまり褒められた話ではないが野次馬根性がわいてきて、事故現場を見がてら移動することにした。

今、印象に残っているのは事故の様子ではなく、電車が動いている区間まで歩いて行った、その経路のほうだ。

鉄道は住宅地を縫って走る。そこには明かりをつけた一戸建て、マンション、アパートが立ち並び、通りにおいしそうなにおいを漂わせている飲食店、入り口からにぎやかな声が聞こえてくる飲み屋さん、まぶしいくらいの明かりが漏れてくるコンビニなどがならんでいる。

そこに住んでいる人たちにとって、それはごく当たり前の風景だ。たぶん普段は目には映っていても、3分もたてば全く忘れ去ってしまうような日常の風景だろう。

ただし同時に、日中の勤務を終えて家路へと急ぐ人たちにとって、そうした風景はもうすぐ昼間の緊張から解放されて心地よい眠りにつくことのできる、我が家へと導いてくれる通路のように見えているのかもしれない。

それは、よそ者である僕にもなんとなく伝わってくる。むしろ、そこに"home"がない分、家路を急ぐ人たちのことが余計に心の中をよぎるようになる。

今日の彼らは、昼頃ネットで伝わってきたニュースを見て、あるいは駅の案内板を見て愕然とする。今日の帰宅はどうしようかと考え、代替手段を模索する。近くを並行する地下鉄から歩いて行けそうだと考え、スマホで経路を検索したり、同じ方向の同僚に、今日は一緒に帰りましょうと声をかけたりする。

僕が覚えているのは、電車の動いている駅に向かう道すがら、僕の後ろをずっと一緒に歩いていた人たちだ。同じ職場の同僚の方々らしかった。会話の様子から、どうやらどこかの学校の先生型であるように思えた。行き先が同じなので、ずっと会話が聞こえてくるのだ。彼らのほうがわずかに足が速いようで、声が段々近づいてくるのがどうにも気になった。確かやがて僕を追い越して行ったはずだ。

 

その時もそうだったが、住まいを探す、などという環境にないときには、こんなつまらないことに意識がいくこともないだろう。

その時も、ただ事故の様子を撮影した写真のうち、どれをSNSに載せようかなどと考えていたと思う。

それが、今頃になって街の様子が心に浮かびあがってくるのだから、不思議だ。

 

 

 

コメント
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