ふだんノートPCの置いてあるところで、タブレット(ASUS ZenPad370C)をANKERのキーボード、エレコムのBluetoothマウスで操作しながらこれを書いています。メールとブラウジングぐらいなら、パソコンなしでもなんとかなるんですけどね。。
昨日、オフィスからHPのサポートに電話したら、手元に本体がないのなら、戻ったら電源とバッテリーを抜いて電源ボタンを30秒長押ししてみてほしい、それでもだめならまた連絡を、というアドバイスをもらった。帰宅して試したが、やはりだめ。サポートは月曜ー土曜はやっているが、祝日と日曜は休み。というわけで、やや長期戦覚悟になりつつある。。
さてさて、最新の日経ビジネスではいまの50代男性を対象に「どうした50代!君たちはゆでガエルだ」というタイトルで特集を組んでいる。
ゆでガエルというのは、水の中にいれた蛙を少しずつ暖めていくと、蛙はじっとしたままで、そのまま水が煮え返るほどになって死んでしまう、転じて変化に対応せずに自らを滅ぼす、という状態を示す。暖める途中には風呂のように好い加減の状況もあること、自分はじっとしたままなにもしないというのがミソである。
日経オンラインの方でも、精神学者の香山リカ氏の近著「50代オトコは劣化した」について語る記事を載せている。今の50代は日本経済が繁栄し、学生運動などの社会問題が沈静化していった時代に子供時代を過ごし、受験時代は偏差値だけを追い求め、複雑な人間関係を直視せずに育った。雇用機会均等法が施行された頃社会にでるが、男子はオトコであればとりあえず偉い、とされた最後の世代であるという。
そのころすでに日本経済は頂点を迎え、バブル崩壊からはじまる社会の大きな変動のただ中を過ごしてきたが、平和で右肩上がりの時代に育ったが故、物事を楽観的に考える癖が抜けず、時代にあらがったり自ら先頭に立って変革を求めることをしなかった。
今でも、たとえば都知事選挙に立つ人は60代以上か30代の若い人が多く、50代が抜けている、香山氏の属する精神医学界でもその傾向はあるという。
世代ごとにある種の傾向があることはたしかだが、この種の記事はどうしてもあざといような感じがつきまとって素直になれなかったりする。。自虐趣味的というか、傷口をついいじりたくなるのを我慢しているのに、目の前に見せられるようなところがあって。。
若い頃「だいたい君たちは覇気がない」というのは、さんざん言われたからねえ。それはもうよくわかっていることで、おだやかでのんびりした牡牛座、マイペースのB型、のんびりした県民性、おっとりした校風、これ以上どうしろというのか・・。
そのくせ、10歳ちょっと下の社労士の仕事がいまひとつなので、このくらいが普通のつもりでがんがん注文付けると、顎出しそうになっているので、ははあ、そういう世代なんだな、と思ったり。。後から、「しごいて鍛えるスポーツマンタイプの人かと思ってました」といわれたけど。過去形なところが気になりますが。。
日経の特集記事では、後半に現在活躍中の50代トップの発言がある。なかには「世代論にくみしない」という人があって、意を強くする。
世代論的なものはマクロなものの見方として否定はしないが、個人に立ち返って、目の前のひとのことを、ああ、この世代の人は、なんて考えると判断を誤ることになる。
他方、自分のことをあれこれいじっても、今更どうしようもないことばかりだ。ううう。。
昨日、オフィスからHPのサポートに電話したら、手元に本体がないのなら、戻ったら電源とバッテリーを抜いて電源ボタンを30秒長押ししてみてほしい、それでもだめならまた連絡を、というアドバイスをもらった。帰宅して試したが、やはりだめ。サポートは月曜ー土曜はやっているが、祝日と日曜は休み。というわけで、やや長期戦覚悟になりつつある。。
さてさて、最新の日経ビジネスではいまの50代男性を対象に「どうした50代!君たちはゆでガエルだ」というタイトルで特集を組んでいる。
ゆでガエルというのは、水の中にいれた蛙を少しずつ暖めていくと、蛙はじっとしたままで、そのまま水が煮え返るほどになって死んでしまう、転じて変化に対応せずに自らを滅ぼす、という状態を示す。暖める途中には風呂のように好い加減の状況もあること、自分はじっとしたままなにもしないというのがミソである。
日経オンラインの方でも、精神学者の香山リカ氏の近著「50代オトコは劣化した」について語る記事を載せている。今の50代は日本経済が繁栄し、学生運動などの社会問題が沈静化していった時代に子供時代を過ごし、受験時代は偏差値だけを追い求め、複雑な人間関係を直視せずに育った。雇用機会均等法が施行された頃社会にでるが、男子はオトコであればとりあえず偉い、とされた最後の世代であるという。
そのころすでに日本経済は頂点を迎え、バブル崩壊からはじまる社会の大きな変動のただ中を過ごしてきたが、平和で右肩上がりの時代に育ったが故、物事を楽観的に考える癖が抜けず、時代にあらがったり自ら先頭に立って変革を求めることをしなかった。
今でも、たとえば都知事選挙に立つ人は60代以上か30代の若い人が多く、50代が抜けている、香山氏の属する精神医学界でもその傾向はあるという。
世代ごとにある種の傾向があることはたしかだが、この種の記事はどうしてもあざといような感じがつきまとって素直になれなかったりする。。自虐趣味的というか、傷口をついいじりたくなるのを我慢しているのに、目の前に見せられるようなところがあって。。
若い頃「だいたい君たちは覇気がない」というのは、さんざん言われたからねえ。それはもうよくわかっていることで、おだやかでのんびりした牡牛座、マイペースのB型、のんびりした県民性、おっとりした校風、これ以上どうしろというのか・・。
そのくせ、10歳ちょっと下の社労士の仕事がいまひとつなので、このくらいが普通のつもりでがんがん注文付けると、顎出しそうになっているので、ははあ、そういう世代なんだな、と思ったり。。後から、「しごいて鍛えるスポーツマンタイプの人かと思ってました」といわれたけど。過去形なところが気になりますが。。
日経の特集記事では、後半に現在活躍中の50代トップの発言がある。なかには「世代論にくみしない」という人があって、意を強くする。
世代論的なものはマクロなものの見方として否定はしないが、個人に立ち返って、目の前のひとのことを、ああ、この世代の人は、なんて考えると判断を誤ることになる。
他方、自分のことをあれこれいじっても、今更どうしようもないことばかりだ。ううう。。