百菜健美☆こんぶ家族ラボ

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目は閉じていても
耳は心で。

「大喜利」は「誰も失敗しない」ように設計されている舞台なのです

2016-03-15 | Weblog

やはり着眼点が天才的ですね。
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この「大喜利」というものが、演出の観点?

からすると、まことに「よくできているシステム(well-desiged system)」であるとのこと。
 
どういう点で優れているかというと、


 
「大喜利」は「誰も失敗しない」ように設計されている舞台なのです。
 
よーく冷静になって考えてみて下さい。
 
「大喜利」では、落語家が面白いことをいったら、お客さんは当然笑えます。


 
ぎゃはは。


 
しかし落語家がすべってしまったとしても、

「山田君、座布団もってきなさい!」

「ひぇー」ということで、

また笑いをとれる仕組みになっています。


 
ひゃはは。


 
要するに、「大喜利」では、ウケたとしても、ウケなかったとしても、「笑いがとれるシステム」になっている。
 
このような環境下において、落語家は安心して、リスクをとりつつも、

ネタを披露することができるのだそうです。
  
安心できるからウケをとれる。思いついたことを言える。たとえ、

それがウケようがウケまいが、

お客さんは面白がるようにできている。
  
考えてみれば、いくら落語家といえども、

お題を投げかけられて、すぐに「面白いこと」

をいうというのは大変なわけです。


すべると怖い。


  
でも、テレビカメラが回っているので「萎縮」していて

は仕事にならない。


まして「大喜利」では沈黙は許されません。

誰かが、必ず手をあげて、

しょーもないことであっても言わなくてはならない。


  
そして、そういう「リスク」をとることを前提にしたシステムには、

それをしたことで「損をしない仕掛け」

が必要だと言うことですね。


  
しかし、一方、観客の観点からすると、

「大喜利」はそのようなシステムには見えません。あくまで落語家が挑戦し、

ウケをねらって、それに対してのみ笑っていると考えてしまいます。


  
よもや、「大喜利」が「誰も失敗しないシステム」

であることは、考えませんよね、、、一般人の人は。


  
このズレを知らず知らずのうちに創り出すってのは、

スゴイことですね。

こういうプラットフォームを創れる人を「天才」というのかな、

と思いました。


というわけで、立川談志さんは、

すごすぎますね。

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