乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』5 近松門左衛門作

2020-09-11 | 近松門左衛門

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』5 近松門左衛門作

 歌舞伎市川猿之助第十二回春秋会公演『日本振袖始』猿之助、右近、玉三郎(2012)を見て、序詞の一部を読む^^

 

 

『近松門左衛門全集』より第十巻 『日本振袖始』

 

  

 

 

 

 

 P. 389

 3オ

体なき御かこち、何ことか御心に叶ハぬ事や候べき、折し

も大山祇(づみ)御前に有こそ幸(さいわひ)、御ぶんの息女(そくぢよ)御みやづかへ

に参らせ、叡慮(えいりょ)をなぐさめ申されよ、はや/\お受けと有

れバ、大山祇(づみ)つゝしんで、臣娘二人待候へ共、姉岩永姫ハ

かたち醜くふつゝかにて、心迄すね/\敷、親のめのさへ

うとましき生(むま)れ付、みやづかへハ思ひもよらず、妹木花咲

耶姫(このはなさくやひめ)容(かたち)心さま、姉とハかはり、女の数にも入へきは、せんじ

 

 

御かこち(御託ち)

 他にかこつけて恨み嘆くこと。

「実体 (じってい) の女房の―も恋なれば」〈露伴 露団々〉

 

叡慮(えいりょ)

 天子の考え。 天子の気持ち。

叡慮(えいりょ)

 〘名〙 天子のお考えやお気持、また、御感動。

    聖慮。

    宸慮(しんりょ)

    叡感。

  ※経国集(827)一四・秋雲篇示同舎郎〈滋野貞主〉「叡慮優遊毎経過。花笑兮如喜見
 
せんじ
 
 宣旨

 

 

 
 

  日本振袖始 近松門左衛門

 序詞

 天照大神に奉らる、四(う)月、九(なが)月の神御衣(かんみぞ)ハ、

 和妙(にぎたへ)の御衣(みぞ)広さ一尺五寸、荒妙(あらたへ)の御衣(みぞ)広さ

 一尺六寸、長(たけ)各(おの/\)四丈(ぢやう)、髻(おんもと)糸(ゆし)頸(うな)玉手玉足の

 緒(お)のくり返し、神代の遺風(ゐふう)末の世に、恵をおほふ

 秋津民(たみ)、ちはや振袖広戈(ぼこ)の国、たいらけく御(しろしめ)す、

 天照大臣(てんせうだいじん)の御孫(みまご)、天津彦火瓊ゝ

 杵(あまつひこひこほのににぎ)の尊(みこと)と申こそ

 

「代ゝに王(きみ)たる、始なれ、久方の日の神の御影移りし

 八咫(やた)の鏡、是を見る事、吾を見るがことくせよと

 の神勅(ちよく)にて神あハれみの仁の道、百王の後迄も

 内待所とあがめらる、扨又、御先祖伊弉諾の尊より

 御相伝の十握(とつか)の宝剣、是勇(ゆう)の形(かたち)、義の理(ことハり)、御伯父(おぢ)

 素戔嗚(そさのお)の尊、たけくいさめる御器量とて、此宝剣

 を預り、王を後(うしろ)見ましませバ、神璽(し)に不測(ふしぎ)の礼知有、」

 

 三種(じゆ)の宝の神(しん)徳に、家にたのしみ、野に耕し、

 手うつてうたふ土民(どみん)迄、式(のり)を超(こへ)さる玉垣(うがき)の内

 つ、御国そ道廣き、 卅二臣の棟梁(とうりやう)、藤原の大祖天津(あまつ)

 児屋(こやね)の臣(しん)、御前に正笏(しょうしゃく)し、王(きみ)既(すで)に宝祚の御位、天下

 万民の父母たる御身、夫婦いもせの道かけてハ、王道い

 かゞ行(おこなハ)れん、御心に入、御目につきたる女あらバ、夜るの御座(おまし)

 に召入られ、然るべしと奏(そう)問あれバ、恥かしげに御顔を

 

 打あがめ、二柱の御神始(はじめ)給ひし夫婦の道をこのむハ
 
 ひがごとながら、去年(こぞ)の冬豊(ふゆとよ)の明(あかり)の燎(にわび)の影。かいまみし
 
 面影の身に立ちそひて忘れられず、露のかことに名を
 
 きけバ、大山祇(やまづみ)の臣(しん)娘とや、深山の立木野べの
 
 草なびかぬ方ハなけれ共、引にひかれぬ恋草(ふし)の、種
 
 を誰かハ植(うへ)そめしと、高きいやしき恋の曲(くせ)、うき世、
 
 恨(うらみ)の御詞、児屋の臣を始、伺候の群臣(ぐんしん)一同に、こハ勿(体なき)
 
 

 体なき御かこち、何ことか御心に叶ハぬ事や候べき、折し

 も大山祇(づみ)御前に有こそ幸(さいわひ)、御ぶんの息女(そくぢよ)御みやづかへ

 に参らせ、叡慮(えいりょ)をなぐさめ申されよ、はや/\お受けと有

 れバ、大山祇(づみ)つゝしんで、臣娘二人待候へ共、姉岩永姫ハ

 かたち醜くふつゝかにて、心迄すね/\敷、親のめのさへ

 うとましき生(むま)れ付、みやづかへハ思ひもよらず、妹木花咲

 耶姫(このはなさくやひめ)容(かたち)心さま、姉とハかはり、女の数にも入へきは、せんじ

 
 
 
 

 

 

 

 
 

 

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歌舞伎『真景累ヶ淵~豊志賀の死』 5★/5 2009年/平成21年8月・歌舞伎座 中村芝翫(七代目)、中村勘三郎(十八代目)

2020-09-11 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 歌舞伎『真景累ヶ淵~豊志賀の死』 5★/5 2009年/平成21年8月・歌舞伎座

 出演:中村芝翫(七代目) 中村福助 中村勘太郎(現・勘九郎) 中村梅枝 坂東彌十郎 中村勘三郎(十八代目)

 

 

 “夏は怪談”2009年納涼歌舞伎より複雑な男女の心理を描く怪談噺を。

 富本節の師匠・豊志賀(とよしが)は、父親の敵の子と知らずに二十歳近くも年下の若い弟子・新吉と恋仲になっていた。しかし因縁からか、ある日豊志賀の顔が醜く腫れてしまう。親身になって世話をする新吉だが、豊志賀は新吉と若い娘お久との仲を勘ぐって嫉妬に狂い悶死する。死してなお新吉とお久の前に現れる豊志賀。青ざめる新吉…。福助の豊志賀に、勘太郎(現・勘九郎)の新吉、梅枝のお久、勘三郎のさん蝶で。

 

 以前衛星劇場で見た中村芝翫(七代目)と中村勘三郎(十八代目)の歌舞伎『真景累ヶ淵~豊志賀の死』を見る。

 この芝居も、大変面白かった。

 中村芝翫丈(七代目)好きだったなぁ^^

 今見ても、大満足だわ^^v

 

 

 

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-18 【巻一 詞書 】六十二紙〜六十四紙 中央公論社 小松茂実編

2020-09-11 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-18 【巻一 詞書 】六十二紙〜六十四紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  六十二紙〜六十四紙 

       所ゞ言葉は雅経卿

           絵者光長

年中行事十六巻は、

仙洞様為二 勅定 家重寶二可加者也

又は 朝廷の 御用可立 思召

由 尻池宮卿殿、為奉拝借写所也、

誠至子々孫々堅有、此筆風                      

以可為一流鑑、必少時不可、他見者也、朝観行幸七段有 所持法橋 住吉如慶 印

                            二代

                            同 具慶 印

                            同 至石

                            同 内記 印

 

 

 

 

      所々の言葉は、雅経卿

          絵者は、光長

『年中行事』十六巻は、

仙洞様の為に 勅定 家重寶二は加えるべき者也

又は 朝廷の 御用立てるべく 思ぼし召す

由、尻池宮卿殿、拝借奉る為の写所也

誠に子々孫々に至るまで堅く義 有り、此の筆風を

以って一流と為す可き鑑、必ず少時可からず、他見者也、朝観行幸七段有 所持法橋 住吉如慶 印

                                          二代

                            同 具慶 印

                            同 至石

                            同 内記 印

 

 

雅経(まさつね) →飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)
 
 飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。
 
 刑部卿・難波頼経の次男。
 
 二条または明日香井を号す。
 
 官位は従三位・参議。
 
 飛鳥井家の祖。
 
 小倉百人一首では参議雅経。
 
 
 
飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)
 
 時代 平安時代末期 - 鎌倉時代前期 生誕 嘉応2年(1170年) 死没 承久3年3月11日(1221年4月5日) 官位 従三位
 
 参議 主君 安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇 氏族 難波家→飛鳥井家
 
 父母 父:難波頼経、母:源顕雅の娘 猶父:源頼朝 兄弟 難波宗長、雅経、難波頼教、難波経長、難波良平、難波輔長、経豪、厳海 妻 正室:大江広元の娘 子 教雅、教定、教経、藤原忠継室、安達義景継室
 
 
飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)
 
 小倉百人一首 94番
 み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり
             (『新古今和歌集』秋・483)
 
 
 
卿(きょう)
 
 1 政治をつかさどる大臣。宰相。三位(さんみ)以上の人。  
 
 「卿相(けいしょう)・上卿(しょうけい)・月卿(げっけい)・公卿(くぎょう)(こうけい)・大蔵卿(おおくらきょう)」
 
 2. 天子が臣下をよぶよび名。また一般に相手を尊んでよぶよび名。おんみ。  
 
 「卿等(けいら)・諸卿」
 
 
 
絵者 光長
 
 土佐光長
 
 平安末期の画家。
 通称は源二。
 後白河院に仕えた宮廷絵師。
 承安3年、最勝光院の障子絵を描いた。
「年中行事絵巻」や「伴大納言絵詞」などの作者と伝えられる。
 また、常盤光長・藤原光長とも呼ばれた。
 
 
 
仙洞様
 
 仙洞御所
 
 以前にも『年中有行事』で調べたが、仙洞御所(せんとうごしょ)とは太上天皇・太上法皇・上皇など退位した天皇の御所。
 仙洞とは本来仙人の住み処を指し、そこから転じて上皇・法皇の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。
 
 
 
家重寶二
 
 徳川 家重(とくがわ いえしげ)は、江戸時代中期の江戸幕府第9代将軍(在任:延享2年(1745年) - 宝暦10年(1760年))である。
 
 
 
朝廷
 
 天子が政治をとる所。
 
 
 
朝観行幸
 
 正月の二日、あるいは三日、四日、または吉日に、天皇が上皇や母后の御所に行幸されて、年始を祝賀される行事
 
 朝観行幸が七段、有利。
 
 
所持法橋
 
 法橋
 貞観六年(八六四)二月一六日、法印大和尚位(僧正相当)・法眼和上(和尚)位(僧都相当)と共に設けられた、律師相当の僧位。
「ほうきょう」ともいう。正式には「法橋上人位」。
「法橋」の語は『八十華厳』一三「衆生は無知にして本を見ず、痴狂・険難中に迷惑す。仏は彼を哀愍して法橋を建て、正念して是れ其の行に昇らしむ」(正蔵一〇・六五下)等、生死輪廻の河海に架けられ、衆生を真理へと導く橋に仏法を譬えた表現。
 これらの位階は、在来の満位・法師位・大法師位が僧綱・凡僧の別を問わず適用された結果、位階としての機能が形骸化したことを受けて新設された官位相当の位階であった。
 しかし結局は有名無実化の道を辿り、鎌倉時代には位記自体が行われなくなる。
 中世以降は、医師や絵師、連歌師などに与える称号としても用いられた。(浄土真宗辞典)
 
 
住吉如慶
 
(すみよし じょけい、慶長4年(1599年) - 寛文10年6月2日(1670年7月18日))は、江戸時代前期の大和絵の絵師。
 
 
 
具慶
 
 住吉 具慶(すみよし ぐけい、寛永8年(1631年) - 宝永2年4月3日(1705年4月23日))は、江戸時代前期の絵師。 住吉如慶の長男で住吉派の2代目。 名は広純、のち広澄。 通称は内記、別号に松岩。
 
 
 
内記
 
 内記(ないき)は律令制において中務省に属した品官。
 唐名は起居郎・柱下。
 和訓は「うちのしるすつかさ」。
 
内記
 
 令制における中務省の官人。
『和名抄』に「うちのしるすつかさ」とある。詔勅,宣命,位記 (叙位の旨を記した辞令書) ,上奏などの作成,宮中の記録を司ったため,能文,能筆の人が選ばれた。
 大・中・少内記各2人がおかれたが,のち中内記は廃止された。
 詰所を内記所,内記局といった。
 
 
 
 
 
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