率川神社(いさがわじんじゃ) 茅の輪 仙太郎の水無月(黒) 奈良市本子守町18
動物病院に行った帰りに、率川神社に行く。
わんこを抱きかかえての参拝は、重かった(笑)
ちょうど夏越の祓の季節で、率川神社でも茅の輪が準備されていた。
わたくしの前にも先客の若い女性が左の→右→右 と回られケを払っておられた。
茅の輪をくぐると、本格的な夏の到来。
茅の輪をくぐる六月の末日には、京都では水無月を食べる。
特に京都の方は、水無月の黒(黒糖)を好んで食される方が多いように感じる。
そういう私も今年も仙太郎(西洞院)の水無月(黒)を食べることができた。
おいしいのと同時に、今年も無病息災。
実に縁起が良い^^
率川神社の茅の輪には人型人形が下げられていた。
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人型の紙の人形は、流し雛とする神社が多いが、ここ率川神社では小川や水辺がないので、かみ大夫の絵馬のように願いを書いて収めるといった使い方がなされていた。
この季節は四天王寺など多くの神社仏閣で茅の輪を見ることは多いが、茅の輪の真上に人型人形が吊り下げられている仕様を始めて見たが私の経験不足なのかもしれない。
率川神社には蛙石というものが存在する。
石の形が蛙に似ているためそう名付けられたらしい。
お金が帰る
子宝に恵まれる
率川神社は子宝の神社とのことなので、蛙石は大変ありがたい石だと考えている。
率川神社(いさがわじんじゃ)は、奈良県奈良市本子守町にある神社。
大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい、また子守明神とも呼ばれる。
『延喜式神名帳』に「率川坐大神神御子神社 三座」と記載される式内小社。
歴史 推古天皇元年(593年)2月3日、大三輪君白堤が勅命により神武天皇の皇后である媛蹈韛五十鈴姫命を祭神として奉斎したとされ、奈良市最古の神社という。
後に元正天皇によって本殿の右側には媛蹈韛五十鈴姫命の父神である狭井大神を、左側には母神である玉櫛姫命が祀られるようになった。
仁寿2年(852年)、文徳天皇の代に従五位下を授けられ、神封6戸(左京4戸、丹後国2戸)を与えられている。
治承4年(1180年)12月、平重衡による南都焼討によって社殿が焼失する。
建久元年(1190年)に興福寺の支援により再建されると、以後は興福寺の支配下に入った。
住所 〒630-8231 奈良市本子守町18
近鉄奈良駅(地下4番出口)から徒歩7分。
JR奈良駅から徒歩7分
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